頂点と最強 4
上から大きな物音がして、僕は天井を見上げる。
夜中の四時、僕はギルドハウスの広い食堂で一人座っていた。確かこの部屋の真上は執務室だ……なんだろう、誰か居るのだろうか。
僕は成長痛の酷い足をさすりながら、様子を見に行くべきか悩む。
「痛いなぁ……階段登りたくねぇ……」
弱気な独り言を呟く、それほどに成長痛が酷い。
僕は今、酷い睡魔と痛みと苛立で、尋常じゃないストレスに悩まされながら時間を潰している。
本当は寝たい、飲み会での大騒ぎで疲弊しきった体をベッドに収めて安らかな睡眠で労ってやりたい。でもギチギチとした尋常ならざる成長痛がそれを許してくれない。交互にやってくる微睡みと激痛に精神が限界になって、特に意味もなくこうして食堂にやってくるという「徘徊」をやっていた。
痛みはかなり酷い、もはや拷問と言ってもいい。5年分くらいの成長が一晩で進むのだ痛いはずがない。
「転生は二度と……絶対にやらない……」
そんな意志を硬くしながら、僕は椅子の上で体を丸めて特に痛む足を擦っていた。
唐突にドアの開く音が部屋に響いた。
顔を上げると、ダズさんが入ってくるのが見えた。
慌てて立ち上がり、頭を下げて挨拶をする。
「なんだルカ君? まだ起きてたのか、何をしているんだ」
言いながら彼は僕に近寄ってくる。
「はい、成長痛が酷くて眠れなくて」
「なるほどそういう事か、少し待て――」
僕のすぐ側まで来た彼は、そういうポケットを弄る。
そして小さな瓶を取り出す。
「鎮痛剤だ、これで少しは楽になるといいが」
小瓶の中では、正露丸のような黒く丸い薬が何粒か転がってる。
――これは、本当にありがたい。
「ありがとうございます」
僕は受け取って丁寧にお礼を言うと、すぐに何錠か手に出す。
「どうどうどう駄目だよルカ君、半錠だけにしておくんだ、それは強い薬だから。あと水も一緒に飲まなくちゃ、取ってきてあげよう」
「あ、いや自分で行きま――」
彼は言うだけ言うと僕の静止なんて聞かずに席を立って厨房の方へと向かって行ってしまう。
再び食堂が僕一人の空間になる。
……ダズさん、さっきの上の部屋での物音は彼の物だったのか? 執務室に勝手に入ったのだろうか、ロナに知らせた方が良いかもしれない。
ダズさんは何かにつけてロナを殺そうとしてるし、日々その手法について僕に相談を持ちかけてくる。
これは冗談とかじゃなくて、本当に彼は常にロナを殺す方法を模索しているのだ、お巫山戯とか誇大妄想とかじゃなくて、本人は至って真面目にやっている、物騒だ。
ダズさんは危ない状態なので病院に送るべきだ、僕は何度もロナにそう提言した。でも彼女は「彼が傷つけたいのは私だけで他の人には危害を絶対加えない。そして私はあんな奴に負ける事は無いから」と言い切って全然問題視しない。
他の人は傷つけない、負ける事は無い。これらの主張は一ヶ月前(もうすぐに二ヶ月前になるのか?)のあのワールンの舞台でダズさんは「僕」を人質に「ロナ」を倒しそうになったのでまったく筋が通らないのだけど……
いくら僕が言っても彼女は「心配してくれるの?」と嬉しそうに笑うだけだった。
だからさっきの執務室での物音も、ダズさんが爆弾でも仕掛けたんじゃないかと気が気じゃない。
というかギルドの他の人達はこの現状をどう捉えているんだ……こっちの世界ではこういうのが常識なのか? それも飲み会の席で質問しておけばよかった。
「ほら水だ」
戻って来た彼は、表面張力でパツパツになったコップを僕の前に置くと、向かい合うように席に座った。
「ありがとうございます、何から何まで」
「いいよいいよ、それよりも――」
彼は身を乗り出す。
「――ウェイストウッズでは活躍したそうだな。ご苦労さま、良い仕事をしたな」
「活躍なんてそんな……」
彼は鋭い牙を剥き出しにして、実に楽しそうに笑みを浮かべる。
「謙遜は止せ、世が世なら後世にまで語り継がれるような偉業だぞ」
偉業。
そうだ、僕達はあの街で実際にかなり派手な活躍をした。
人々を指揮して暴走した奴隷達を皆殺しにする、そんな偉業を成し遂げた。数百人もの死者を出して体制側を勝利に導いたんだ、偉業でないわけがない。
「僕は、正しい事をしたんでしょうか」
半錠の薬を嚥下しながら、そんな質問を口にした。
ずっと思い悩んでいた事だ、あの動乱の中でも、あの地獄を抜けた今でも、その問の答えはでない。
「……何故正しくないと思う?」
ダズさんの口調は軽い、僕の悩みを理解できないのかもしれない。
かつて「英雄になりたい」と強く願っていた彼なら、僕のこの倫理観を理解してくれるかもしれない。そう期待していたが、アテが外れた。
「人を殺してしまったからです」
殺人、それはかつての僕にとっては絶対に越えたくない一線だった。でも、あっさりと越えてしまった。
ワンダラー達を斬り殺した時、僕の心は冷たくクリアなままだった。
「罪悪感はあるのか?」
「いいえ」
ない。まったく。
それがまた、気持ち悪かった。
「何故人を殺してはいけないと?」
「それは……」
少し逡巡する。
「……それは、相手も生きているから、です。僕と同じように意志を持ち、同じように人生を歩んでいるから。それを奪うのは……悲しい事です」
「なるほど」
ダズは腕を組んで少し考える。
彼の口調や仕草に少し真面目な色が混ざってきた。
「ルカ君、君は自分がウェイストウッズでやった事をどう捉えている?」
「もう少し、やりようがあったのではと思ってます。人を殺さない方法が」
「具体的には?」
素早く硬質な、咎めるような質問。
「……わかりません」
「その方法を導き出せるような時間はそのあったかい? 精神的な余裕は?」
「……ありませんでした」
ダズは楽しそうに笑う。彼の笑う表情は常に牙まるだしでめちゃくちゃ怖いから、どういう意図の笑みなのかさっぱり読み取れない。
「ルカ君、君はウェイストウッズでやった事を心から後悔してるかい?」
僕は返答に窮する。
後悔。
……していない。
何度思い返しても、何度考え直しても、罪悪感や後悔の念は一切湧いてこない。
正しい事した。そんな図々しい確信なんて持ってないのに、何も後悔できないでいる。
人を……あれだけ殺したのに。
「何に悩んでるんだね、ルカ君」
何に……
「矛盾です。人を傷つけるのは悪いことだと解ってるのに、僕はそれをやって、それを後悔できないでいる」
僕は、自分がよくわからない。
何が正しい、何が間違ってる? そもそも僕は、正しくあろうと思えているのか?




