祈りと決意 2
「で、実際のところどうなのじゃ?」
ティトはダンジョンの扉を封鎖する鎖をもて遊びながら、僕に尋ねた。
「何がですか?」
鎖がジャラジャラと重く掠れた音が、ダンジョン前の広場に響き渡る。
リスベットと別れて1時間が経った。僕らはここでジェロームを待っている。
「八層、本当に行けるのか?」
「……うーん」
正直な話、難しいと思う。
以前潜ってたファルクリースの「中央の呪城」では、僕は大体三層までが限界だった。
ジェロームさんは二桁階層に普段から潜っていた様子だったが、それは6人ptでの話だ。
今回は後衛不在のpt……いや、実質ソロでの挑戦になる。彼がどれ程のパフォーマンスを発揮できるのか?
「やはりリスベットにも来てもらうべきだったと思うのじゃ」
「彼女のレベルも僕とそう変わらない、ダンジョン経験も無い様子だったし、多分役に立ちませんでしたよ」
「ふーむ……」
ティトはもう喋る事が無くなったのか、ダンジョンのドアを縛る細めの鎖を手で引きちぎって投げ始めた。
僕は少し、街を眺めて物思いに耽る。
強い夕焼けに照らされた猛獣達の街。
乾いた血と腐った肉、そして微かに郊外の森の香り。喧騒は遠くに僅かに聞こえるばかりで、平和な世界のように錯覚する。
僕は今この世界を壊そうとしている。外の治安部隊を呼び込んで、この静謐の都を壊し、秩序だった環境に作り変えようとしてる。
それは……そんな行為は、僕がこの世界の為に以前の世界を壊した事と、何が違うのだろうか?
善悪の違いだろうか。世界を我儘で壊したのは悪で、街に平和を取り戻すのは正義? いいや、ワンダラーや民族解放戦線の人々にも言い分はあるだろう。自分の考える善が、誰かにとっては稚拙で邪悪な物でしかない。そういう事があるってことは、もう先月の事件で嫌という程に思い知った
結局のところ、何も違わないのかもしれない。気に入らない環境を、力や運に恵まれた人が破壊する。それだけの話かもしれない。
僕はこれから大勢の人を救い、そして大勢の人を死に追いやる。恵まれたイベルタリアン達を救出し、哀れなワンダラー達を殺す。
そこに善悪なんて物は無く……ただの……
本当にそうなのか?
「ルカ!」
声がした。
見ると路地の暗がりを抜け、一人の男が駆け寄ってくる。
「ジェロームさん――」
魔革の鎧に、黒鉄の双剣。装備はギルドハウスを出たときの物だ。おそらくリスベットが取ってきてくれたのだろう。
「――ご無事で良かったです、体調とかゲフッ」
胸に負荷がかかり言葉が呻きに変わってしまう。
彼に体当たりのように抱きつかれ、そのまま持ち上げられてしまった。
「うぇっへへへやるじゃねぇか色男。まさか獣人女をテゴめにしちまうなんて、えぇ? ウブな振りして悪い奴め、人たらしめが、ロナが知ったら発狂するぞ」
体がブンブンと振られる。ジェロームさんの怪力での抱擁は凄まじく、僕はグェーッと叫ぶことしかできない。
「ジェローム! 巫山戯るのも大概にするのじゃ」
「うぇっへへへ、サーセン」
ティトの一喝にジェロームは照れくさそうに僕を下ろす。
改めて彼と向かい合う。その瞳には、溢れんばかりの喜びが見えた。
助け出せて良かった。そんな思いが、まだ助け出せていないのに胸に沸いた。
「ジェロームさん、こっから先の手順はリスベットから聞いてますね」
「あぁ八層を目指すんだろ?」
「やれますか?」
彼はいつもの嘘くさいシニカルな笑みを浮かべる。
「余裕だ」
嘘だ。一瞬でそう見抜けてしまう程に清々しい嘘だ。
ティトは呆れた様子で首を左右に振り、また鎖千切にもどった。
「でだ、ルカ君、僕からも一つ質問いいかな?」
「なんですか?」
彼は自分がついさっき飛び出してきた路地を指さした。
「あそこにいる子供、あれも仲間か?」
……子供?
次の瞬間、ティトが脱兎の如く駆け出し、その暗い路地に突入した。少女は直ぐに暗闇に紛れ見えなくなる、一瞬の間、そしてガンッと鈍い音。
ティトは何かを引きずりながら路地からでてきた。
「あ……」
それは子供だった。死体を抱えた臭いガキ。
「いい加減にするのじゃガキ――」
ティトは言いながらその子供を地面に引き倒す。
赤子の死体から蛆虫がバラバラと溢れ、ハエが飛んだ。
「――お前の魂胆なんぞわかっとるわい、そのガキを蘇生して欲しいんじゃろ? 『魔法使いならそれができる』と勘違いしとるんじゃろ? できんし、やらんわボケ!」
子供は無言で倒れている。
相変わらず気味が悪い。
「ルカ! お前さんがどうせ変な慈悲をかけたんじゃろ、そういう安直な行動は――」
「ちげぇよチビッ!」
突然子供が喋った。
予想よりも喉太く、そして意志の強い声だったので僕とティトは固まる。そんな僕らを尻目に子供は鼻血をぼたぼたと垂らしながら、ゆっくりと立ち上がった。
「オッサン達、脱出するんだろ?」
オッサン?
え、僕とジェロームの事? 僕は十代だしジェロームも二十代だと思うけど。
「そうかもな。で、それが何か?」
ジェロームは大して気にしてないようで、ガキの質問に即答した。
ガキはジェロームの方を一切見ずに僕へ近寄ってきた。
そして白い布の中から、死体じゃない何かを取り出し、僕へ押し付ける。
「これ、この子が握ってた。親に会ったら渡してくれ」
それは美しい鞘に収まった小さな短剣だった。
殺傷能力は皆無に見える、お守りか?
【ミゼリコルデ D:1 重量:1
魔力吸収:1 封邪:2 抗毒:2 抗病:1】
とりあえずステータスを見てみたが、やはり武器と呼ぶには微妙な…
「握ってた?」
「東の壁でこの赤ちゃんを拾ったとき手に持ってた。親に返してあげてほしい」
死体は、この子供の血縁者ではないのか。
「いや……多分その子の親はもう……」
言い辛そうにティトが口を挟む。
「死んでない。この街の死体全部見た、この子の親っぽいのは無かった」
「いや、そんなの分からんじゃろ――」
僕はティトに頭を軽く叩いて、それ以上の発言を止める。
「……了解しました。もし親を見つけたら渡します」
僕の言葉に納得したのか、少年は背を向ける。
「一つ教えてください、何故その死体をずっと抱えてるんですか?」
子供は直ぐには答えなかった。
浅い呼吸で揺れる小さな背中、それを見てると居た堪れない気分になる。
「この街に埋めるのは可哀想だから」
俺が殺してしまったんだ、それぐらいの事はやってあげたい。その子は消え入りそうな声でそう付け加えた。
子供は走り出す。逃げるように僕らの視界から消えようとする。
何か言葉をかけてやりたかった。
子供を殺した、そう自分を責める彼に同情した。
こんな街で、自分が生きる事でも手一杯なのに、その上さらに深い罪を背負い込もうとしてるあの子に、何か言ってあげたかった。
……何を言えばいい?
何も……思いつかない。
僕は、そんなに、薄い人間なのか……
「おいガキ!」
ティトが声を上げた。彼は振り返らない。
「お前さんは良くやってるぞ!」
ティトの言葉に、彼の背中が一瞬震えた気がした。
気がしただけだ、気のせいかもしれない。
ジェロームは薄く笑っている。
僕らはそのまま暫く、彼が消えていった路地を見つめていた。




