民族解放戦線とイベルタリアン 2
鼻をつんざくような悪臭で一度目が醒めた。
目を開くと、浮浪者みたいなガキが居た。大通りの路肩で横になって眠っていた僕から、何か盗をもうとしてたのか中腰の姿勢だ。
軽く廻りを見渡す、他に人影は居ない、徒党を組んでるタイプの泥棒ではないようだ。
彼はピクリとも動かず僕に注視している、パニックで思考が停止してるようにも見えた。
「ガキ……せめてその匂いを何とかしないと成功する物も成功しないだろ」
子供は何も反応しない。
よくみると彼は何かを抱きかかえていた。それは白い布に包まれた塊みたいなもので、どうやらそれが悪臭の源っぽい。
改めてその悪臭をよく嗅いで見る。
そしてその正体の想像がついた。
「死んでるのか……その子」
相変わらず子供は無表情だ。
そうやって自分を消すことがこういう状況の最善手だと経験上の判断をしてるのかもしれない。
「その抱えてる赤ん坊、多分死んでるよ、認めたほうがいい」
ガキは汚れた白い布を握る手を緩めようとはしないし、表情が揺らぐ様子もまったくない。僕程度の言葉じゃあ何も響かないようだ。
僕はポケットに手を突っ込むと、先ほどのレストランから食べずに持ち帰ったお菓子を手に取る。
彼の顔の前にかざすと、犬にボールをなげるようにそれを遠くへと投げた。
「さぁ、もう行ってくれ。僕は明日も忙しいんだ」
本当はティトを黙らすために使う予定だったけど……まぁいい。
別にこのガキに同情したわけじゃない。慈善をやりたいわけじゃない。
正直な話、関わりたくなかった。
目をつぶって、悪臭にひん曲がりそうな鼻を指で押さえて再び眠りに帰ろうとする。
5分ほど経ってやっと彼が立ち去っていく気配があった。
異世界転生70日目
カンカン照りの正午前の日差しの下、僕は粗末な手作りの檻の中に入ったジェロームさんと相対している。
もうかれこれ五分ほど僕は強い怨嗟の念を持たせた視線で、汚れた毛布の塊に腰掛ける全裸のジェロームさんを睨みつけていた。
もちろんこれは演技だ。本当は今すぐにでも彼に泣きつきたい。全裸で傷だらけなのにいつも通りヘラへラしてるジェロームさんに助けを求めたい。
でもそれはできない。
なぜなら僕の横には「ダミア・アウロッツ」という名の屈強な民族解放戦線の戦士が張り付いていて、滅多な言葉は口に出せなからだ。
下手な事を言えば、僕とティトもこの留置所内にぶち込まれかねない。
「……」
僕は黙って睨みつけてながらゆっくりと檻の周りを歩き、さり気なくジェロームと自分の影を重ねた。
彼は僕の意図や僕の現状を理解してるようで、実に余裕たっぷりに、全部お見通しといった微笑みを浮かべている。
……浮かべているのだが……
【名前:ジェローム・ガスコイン
HP:83/314 MP:0/93
ジョブ:双剣士
筋力:40 技量:30 知覚:12 持久:21 敏捷:25 魔力:17 精神:10 運命:9
武器スキル
片手剣(20)
双剣(25)
刺突剣(15)
魔法スキル
破壊魔法(18)
アビリティ
近接適正
豪腕
ポーカーフェイス
滑らかな筋肉
ファストキャスト
技巧魔術
巧みな手さばき
アイアンハート
状態異常
恐怖(深度3)
混乱(深度1)
怯懦(深度5)
病気(深度2)
装備
なし
】
酷いステータスだ。状態異常の項目の数々に僕は目を逸したくなる。
彼は怯えている、恐怖している、絶望しかけている。
当然だ、留置所の環境は酷い。檻には格子の天井しかなく日中は強烈な太陽光が降り注ぎ、周囲に集まったワンダラー達が馬糞人糞を投げ込んで遊んでいる。最悪の衛生状態のせいか住人が死んでいる檻もかなりの数が散見された。そして極めつけは、3時間に一人ランダムに選ばれて檻から引き摺り出され、広場に連行され、四肢を切り落とされて戻ってくるという残虐行為。
ジェロームの心にのし掛かってる負担はそれだけに留まらない。
彼はこの悪夢の街から逃れられたはずだった。あの平原での戦闘で、僕なんかを助けようとしなければ。
なのに彼は、それができなかった。
しかも最悪なことに、当の僕はこうして民族解放戦線の連中から気に入られて自由の身だという。
こんな理不尽なことがあるだろうか?
「うぇっへへへ、なに怖い顔してんだよクソ奴隷」
でも彼は演じている、僕を勇気づけるために自分の中の全てを圧し殺して、軽口を叩いて平常心を装っている。
そう思うと、胸の中に熱いものが込み上げてきた。
僕の影が微かに波打った。一滴の水が落ちたような、意識していなければ気づけない程度のゆらぎ。それはティトからの合図だった。
もう、ここでできることは無い。
ジェロームさんを救わないと、なんとしてでも。そんな決意を新たに僕は彼に背を向けた。
「おい奴隷――」
ジェロームさんの言葉が背中に刺さった。
「――お前は良くやってるよ」
目頭が熱くなる。
僕は振り返れない、振り返れば涙を零してしまいそうだ。
泣きたいと思った。泣いて彼に謝罪したいと思った。
だから僕は歩調を速め、すぐにそこを離脱したいと思った。
「なんだお前、あんな程度の言葉で感動してるのか」
横に付き添うダミアがそう腐してきたが、僕は一切取り合わなかった。




