奴隷と労働 2
牛車がガクンッと揺れ、僕は再び目を覚ました。
一瞬宙に浮いた感覚がしたので、また荷車から落ちたのかと焦ったが、僕の体は夜道を進む牛車の上にちゃんとあった。
「お前さん、まだ起きとるのか?」
もぞもぞと動き始めた僕にティトが呆れた様子で声をかけてきた。
僕は困ったような表情を浮かべながら、曖昧に頷いてみせる。
「『ちゃんと寝とけ』とジェロームも言っておったじゃろ? ウェイストウッドについても動けないと困るのじゃ」
「わかってますよ」
僕は雑にそう言って、視線を周囲に向けた。
鬱蒼とした針葉樹林の中、できの悪い石畳の道の上。蒸し暑い夜の空気と、緑地帯独特の青臭い香りが僕の鼻孔をくすぐる。月明かりだけが唯一の光源で周囲の闇は夜の海のように濃く厚い。黒髪で、肌も若干色黒で、黒いタトゥーが全身に入ってるティトのその姿は、今にも闇の中に溶け込んで消えてしまいそうだ。
正面を見ると、ジェロームが御者席の上で器用に手綱を握りながら眠っていた。
車を牽く「シェムト」という名(それが種名なのか個体名なのかは聞きそびれた)の偶蹄目っぽい動物はゆっくりゆったりと歩き、ジェロームを起こさないように気を使ってるかのように見えた。
僕は何とはなしに自分の手を見つめ、久しぶりにステータスを映し出す。
【名前:ルカ・デズモンド
HP:123/123 MP:8/92
ジョブ:魔剣士
レベル6
筋力:9 技量:11 知覚:9 持久:5 敏捷:9 魔力:16 精神:11 運命:5
武器スキル
片手剣(8)
両手剣(15)
魔法スキル
破壊(16)
神聖(6)
変性(17)
呪術(1)
幻惑(1)
闇魔術(5)
古代魔術(0)
アビリティ
近接適正
ファストキャスト
マジックセーブ
ソークアリア
精神刻み
意志を侵す者
闇潜み
絶影
エンバウントメント
ガラマカブル
不死
蒼き玉座の担い手
黑き玉座の語り手
装備
砂守の護符
革の鎧】
弱い。
見る度に改めてそう思う。
なんともコメントに難しい能力値、「逆にここまで低いなんて凄い!」みたいな物があるわけでもない、普通の弱さが並んでいる。
ちなみにmpが枯渇してるのは、午前中いっぱいジェロームさんから教わった回復魔法の練習をしていたから。
「……ティト」
「なんじゃ」
「『黑き玉座』ってなんですか?」
ティトのため息がした。
「だから……知らんと言ったじゃろう。そもそも儂はその『あびりてぃ』とかいう物さえも良くわからん」
謹慎期間中にもう何度と繰り返してきたやり取りだ、ティトは辟易してるようで露骨に不機嫌な声を上げる。
「じゃあ『世界の終わりにくるもの』は?」
「知らん」
「蒼き玉座」
「知らん」
「デズモンド」
「お前さんの下の名前じゃろ?」
「イベルガン」
「旧い魔物、ロナのご先祖、それしか知らん」
「ワンダラー」
「これから儂らが買う奴隷じゃろ」
「角の女王」
「知らん。だから……何度も言っとるじゃろ、儂はこの体になった時多くの記憶を無くしたのじゃ。昔のことはほとんど憶えてないのじゃ」
ティトはそういうと煩わしそうに首をフルフルと振った。
今度は僕がため息を吐く。
「……そんなに魔物について知りたいなら、ロナに聞けばいいじゃろ」
もっともな意見だ。
彼女も魔物「イベルガン」との(多分)契約者だし、彼女の家系は代々そういう役割をになってきた。ロナの父親のグィンハムはそうとう魔物の研究に力を入れていたようだし、「黑き玉座」について何か知っていても不思議はない。
「今ロナは実家なんじゃろ? 行っちゃう前に聞いとけば良かったのじゃ、なんか情報を集めて来てくれたかもしれんぞ?」
「まぁ……そうなんですけどね……」
なんとも歯切れの悪い言葉しか返せない。
ロナに全てを打ち明けて相談する。僕がその行動を選択できない理由はシンプル、それは「彼女がめちゃくちゃ忙しそうだから」だ。
もうギルドマスター就任から一月は経とうとしてるのに、未だ彼女は膨大な量の仕事に忙殺されている。もし今の状況で彼女に僕が「相談」なんてしたら? たぶん彼女は、今の手元の仕事を全部投げ出して僕の手助けに取り掛かるだろう。それはマズイ。
それは絶対に避けないといけない。
彼女にはもうしばらく一般業務に集中していてもらわないと、さもなくばこのギルドは直ちに潰れてしまうだろう。
「そうじゃったな……多忙じゃったなあの娘は」
僕の思考を読み取ったのか、ティトが一人相槌を打つ。
「でも彼女のおかげで15層までブラザーフッドは無事攻略できたらしいですよ。だから、後はクロマ鉄鋼の鉱脈に坑道さえ通ってしまえばもう安泰だって、ゆっくりできるようになるって話を聞きました」
もっとも、その「坑道」を作るのがアホみたいに大変な作業らしいが。
「今年いっぱいはスポンサー探しに追われるのじゃろうなぁ、帰省したのもそれが理由じゃったろたしか」
「らしいですね、ゼノビアさんも同行してるみたいですよ」
「偉いのぉ――」
ティトは心底関心したようにそう漏らすと、荷台の上に大の字に寝転がり空を見上げた。
「――のう、ところでお前さん」
「なんですか?」
「お前さんはどういう人間なのじゃ?」
はい?
あまりにも藪から棒の質問に、僕は意図が汲めず戸惑う。
「儂が言っとるのは、お前さんの過去じゃ、お前さんはどんな人生を送って来たのじゃ?」
「いえ……ですから、僕もティトと一緒で記憶が――」
「それは嘘なのじゃ、お前はちゃんと過去の記憶を持ってるはずじゃ」
ティトは強い言葉で僕の虚言を退けた。
「持ってないですよ」
「どんな世界にいたのじゃ? 少しくらい話してくれてもよかろう? 興味があるのじゃ」
「無いものは無いですよ、あんな世界の記憶」
……あんな世界。
言ってみて、強烈に懐かしい感覚に囚われた。
あんな世界……そうだ、僕は昔、あの世界が大嫌いだった。
大嫌いだったから、僕はこの世界に来た。
なのに、なのにだ、あの世界での記憶にかつてのような憎悪を燃やすことができなくなっている自分に気づいた。いや、それどころじゃない、僕はあの世界をもう嫌ってなんていない。
あの世界は安全だった。十分な休息があった。三食の美味しいご飯があった。適度な運動があった。まともな人権があった。安心があった。暴力が少なかった。そして……未来の可能性があった。
今の僕には何がある?
過去は捨てた。
未来は陰鬱だ。
安心も休息も人権も、なにも無い。
「帰りたい」
蚊の泣くような小さな言葉が口から漏れた。




