プロローグ「魔王達と血脈」
「僕は本当に正しい事をしたのだろうか?」そんな不安はいつだって僕の横にいる。
あの時、あの「長い一日」で、ダズを止めた事は本当に正しかったのだろうか?
あの時、あの祭囃子の中で、ロナに「君は、君の生きたいように生きればいいと思う」と囁いた事は本当に正しかったのだろうか?
そしてついさっき、彼女に僕の思いを伝えた事は正しかったのだろうか?
何が正しくて、何が誤りなのか。何が善で、何が悪なのか。それを判断するには僕の思考はあまりにも幼稚すぎる。でも、だからこそ僕はそれらを記しておこうと思うんだ。
「その時僕は何を善だと思い、何を悪としたのか。何を成したかったのか」
僕はそれをここに克明に記したいと思う。
この善悪の曖昧な異世界で、僕が僕を見失うことの無いように。
さて。
確か前回は「正しい心を見つけた日、物語の続きを話そう」そんな結びだったと思う。
だからその話をしたいと思う。僕が、僕なりの「正しい心」を見出した物語を。
僕はこの物語をどこから――
――あの時、あの瞬間、あの血についてから記し始めようか。
乗っていた馬車が止まった気配がした。
「着いたようだね」
ロナの正面に座っているゼノビアが、感情の薄い声でそう告げた。だがロナはそれに応えず、黙って自分の爪を弄っている。
両名とも普段の服装とは大きくかけ離れた物を着ていた。ゼノビアは派手な色のケープで無く、落ち着いた色のチュニックを。ロナは露出度の高いラフな服でなく、豪奢で重そうな桃色のドレスを。
二人の様子は傍から見れば拗ねたお姫様と態度の悪い従者だ。
馬車のドアが開いた。
強い日差しと涼しい風が流れ込んでくる。ドアの向こうにはメイドが立っていた。
「お帰りなさいませ、ロナ・ヴァルフリアノ様。貴方様を再び迎え入れられた事を、メイド一同心よりお喜び申し上げます」
メイドの口調は固く、お辞儀の所作も不器用だ。着ているメイド服が立派なのも相まって一層その粗が目立っている。
奇妙なのはその仕草だけではない。メイドの顔面は分厚い鉄の仮面で覆われ表情が見えない。またそのメイド服には強烈な香水が染み込んでいるようで、異様な濃い匂いを周囲に纏っていた。
ロナは黙って馬車から降り始める。メイドが補助のために手を差し伸ばしたが、憮然とした様子でそれを払い除けた。
「私はもう帰っていいですよね」
馬車の外へでた彼女に、ゼノビアはそう尋ねた。
「いいや、待ってて。ひょっとしたらゼノビアさんも招けるかもしれないから」
ゼノビアは露骨に不満そうな表情を持ってそれに応えたが、ロナは無視して歩き出した。
メイドは深々とお辞儀をしながらドアを閉めると、彼女の後を追った。
遠くに屋敷が見える。荘厳で巨大な、小城と言われても納得が行くような巨大な建造物だ。屋敷の正面には広大な庭園が広がり、馬車では容易に近づけないようなっている。
庭園には数多大理石の彫像が、屋敷への直進をさり気なく妨げるように並べられていた。
ようは、あの屋敷は戦闘要塞なのだ。彼女の後ろを歩くメイドの作法がまるでなってないのも、本業が戦闘であることに起因している。
ロナは庭園をズカズカと横断し始める。
大理石の像には全く目もくれず、可能な限り短いルートで屋敷を目指す。
日差しが強い、酷く暑い。彼女は全身から汗を流し、足元の草花は盛んに蒸散を始め、その可憐なドレスはあっというまに湿りと泥と塵とを吸収して汚れていく。
彼女はそんな事を一切気にせず歩き続ける。
屋敷の入り口に着くまでに、たっぷり5分はかかった。玄関の扉を大きく開け放たれている。
ホールの中央には3人の人間が立っていた。
老婆、筋骨隆々の逞しい若者、そして義足義手の青年。3人が3人とも異常に白い肌と、銀のような煌びやかな髪の毛を持っていた。
名はそれぞれ
シェナ・ヴァルフリアノ
コリエル・ヴァルフリアノ
ヴィドリス・ヴァルフリアノ
「お久しぶりです、お母様、お兄様、令弟。ロナ・ヴァルフリアノ只今帰りました」
ロナはそう言うと、3人の前に跪く。
老婆、シェナは焦点の定まらない視線を天井に向けている。
義手のヴィドリスは楽しそうに柔和な微笑みを浮かべている。
コリエルは鋭い視線でロナをねめつけていた。
「托卵器を破壊して、どの面下げてここに来たんだ? ヴァルフリアノ家の面汚しめ」
コリエルは乱暴にそう吐き捨てるとロナに詰め寄る。
「答えろロナ、なぜティトラカワンの托卵器を壊した!」
「あれを壊したのは私ではなく、ダズ・イギトラが――」
ロナがそこまで喋った所で、コリエルは彼女の頭を力強く踏みつけた。
「え? 何? いま口応えしたのかこのメス犬」
力強く何度も何度も踏みつける。
ロナは一切抵抗せずにそれを受ける。顔は何度も固い大理石の床にたたきつけられ、鼻と唇から血が零れた。
「もう一回聞くよ、なんで托卵器を壊した? 止められただろお前なら。お前みたいな石女をまともなヴァルフリアノ一族に変えてくれるあの装置を、なんでお前は壊した? 父様の貴重な形見の一つを、なんで壊したんださっさと答えろクソ犬」
わき腹を蹴り上げられ、ロナは無残に転がる。
ロナは必死に体を起こそうとするが口からは血痰が零れ、夥しい量の鼻血で顔も覆われ、息も絶え絶えといった様子だった。
コリエルがさらに暴力の追い討ちをかけようとすると、ヴィドリスが右手を伸ばし、それを制した。
「もう止してくださいお兄様。ロナ姉さま、貴女も早く謝罪の言葉を述べてください」
ロナはよろよろと体を持ち上げると、額を床に擦り付け、呻きのような声を絞り出した。
「申し訳……ございませんでした……お兄様……私、不肖の子ロナは……」
鮮やかな血を流す美しい少女、深海のように暗く虚無なその瞳、抑揚の無い無感情な声。その様子は、どうしようもないほどに背徳的で、扇情的で、そして邪悪な物だった。




