魔物と契約 1
「……ふん、やはり気づいておらんのじゃな。これじゃから童貞は」
あ!?
「そう怒るなお前さん、安心しろ、全部話してやろう」
「知るか。そんな話どうでもいい、僕は帰るぞ」
「そう恥ずかしがらなくてもいいのじゃ、興味あるじゃろ?」
興味ねぇよ、そんな下世話な。
僕は再び舞台から遠ざかろうとする。
「何じゃ? お前さんには『ロナからフラれない自信』があるのかのぅ」
再びティトラカワンの言葉が胸に刺さり、心臓がドクンと強く鼓動する。
「ふ、フラれるってなんだよ、俺は、俺は別にロナにそんな……」
「好きなんじゃろ? ロナの事が?」
「てめぇ! さっきから言わせておけば出鱈目ばかり――」
「じゃあロナがお前さんじゃない、誰かの女になったら?」
うっ!
影の言葉通りのイメージが、一瞬脳内に駆ける。
そして言いようのないドロドロとした感情が吹き上がった。
「それは嫉妬じゃ」
「う、うるさい!」
僕はそう言って必死にかぶりを振るう。
「うるせぇ! そんなんじゃねぇ」
言いながら酷く惨めな気分に染まっていく。
本当は分かってる、僕はロナの事が好きだ。
あんだけ助けてもらって、あんなに頼られて。
そしてあんなに外見が可愛いんだ。
惚れてない方がおかしい。
必死に押し殺していただけで、本当はとっくの昔からそういう感情はあった。
初めて一緒にダンジョンへ潜った時から、僕はずっとあの人が……
「お前さんも此処に来るまでの間に見たろう? ダズとロナの完璧なコンビネーションを」
そんな混乱に脳を逼迫させる僕を余所に、ティトラカワンは説明を始める。
「それもそのはずじゃ、あの二人はもともとコンビでダンジョンに潜っておったのじゃ」
「へ?」
「ダズは、ロナが初めてダンジョンに潜った時からずっと一緒におった。彼女を守る事を、グィンハムから命じられていたのじゃ」
あの二人が……
まぁ、確かにそこまで不思議は感じない。
それ程にあの二人のコンビネーションは完璧だったし、何よりも実力が程よく拮抗していた。
第九層まで圧倒的な速度で進撃した二人の姿は、まさに僕がかつて憧れていた「ライトノベルの主人公とヒロイン」だった。
「ダズとロナ、二人は互いに背中を預合い、絆を深めていったのじゃ。あの二人は結局九年間もダンジョンに潜り続けた。九年じゃ、それだけ二人で死地を乗り越え続ければ、人間というものは友情以上の感情を持つようになる。当然じゃな?」
あの二人が……恋仲に?
かなり予想外だ。
めちゃくちゃ胸にグガっとくる事実だが、確かに道理に適ってる。
「いや違うのじゃルカ。恋心を抱いたのはダズだけじゃ」
「え?」
「ダズはロナも自分に特別な感情をもってると信じた、そして告白をした。誠実で謙虚で優しいちゃんとした告白じゃ、でもロナは拒絶した」
しかもただの拒絶じゃなかった――ティトラカワンは勿体ぶるように、そこで一息をつく。
「ロナは、ダズを忌避するようになったのじゃ。わかるか童貞?」
「なッ、てめぇ!」
「ロナの父は狂った人間じゃった。己が娘と交わるような男じゃ、それ故ロナは『愛』という感情が、憎悪の対象でしかなかったのじゃ。だから自分を愛そうとしたダズも、忌避と憎悪と悪意の対象にしかならなかったのじゃ」
僕は思わず絶句する。
ロナが、ダズを、拒絶した?
ダズがロナを憎んだんじゃない。
さきに憎んだのはロナの方だったのか?
「ロナはダズとダンジョンに潜る事を拒むようになった。そして最悪な事に、自室に引き籠る自分を心配してやってきたギルドメンバーに洗いざらい話よった、あの女にデリカシーなんてものは無かったのじゃ!」
「う、嘘だ、そんなわけ――」
そこから先の言葉が吐き出せない。
嘘だと言い切れない。
確かにロナは、少し常人と感性がズレてる節がある。
それもそうだ、まともな情操教育を受けてないのだ。
幼少期から、ただただダンジョンに潜る事を叩き込まれてた訳で。
そして彼女にとって「愛」っていうのは、父親の見せる狂気でしかなかった。
ロナにとって愛は、温かい物でも、秘する物でもない。体液と精液と痛みと非道徳な物の集合でしかないのだ。
だったら……
「ダズは深い傷を心に負った、ギルドメンバーはみなダズに同情してロナに白い眼を向けた。しかも事態はそれで収まらなかった――お前さんじゃ!」
僕は思わず身を竦ませる。
「ロナはどこぞの馬の骨のお前さんと、これ見よがしにベタベタするようになった。ダズの目の前で、嘗てのダズの様にお前を扱った。共にダンジョンに潜り、ともに装備を選び、ともに笑い、ともに泣き。そんな残酷な仕打ちを始めよったのだ!」
言われて初めて思い当たる。
ロナは確かに、二人パーティに慣れていた。
ゼノビアは、僕とロナが一緒に居る事に酷く不愉快そうだった。
誰もかれも、僕とロナのパーティに口出しせず、遠巻きに見つめていた。
「分かるか? ダズがどれ程の怒りと絶望を背負っていたか。ダズはお前さんに尋常ならざる、ついさっきお前さんが感じた嫉妬よりもはるかに濃く熱く痛む嫉妬を胸に宿したのじゃ。そして同情もした、ロナの振る舞いに赤くなるお前さんは、嘗てのダズその物だったのじゃ。心を砕かれる前の、やがて心を砕かれる青年の姿だったのじゃ」
――ルカ君は、俺と似てる
――君は俺を理解できるはずだ
――安心しテイいよ。君はオトスだけだ
――何故そこまでその女に尽くす!
――よせッ、よすんだッ!
ダズの言葉が反芻される。
そして僕はやっと気づいた。
ダズは最後まで、僕を心配していた?
僕に対する殺意を感じた時もあった、でも真実僕を殺したのか?
彼は、実は、僕を……僕を救うつもりだった?
ロナを憎み。
僕を救いたかった?
「ふん、やっと理解したようじゃの」
ティトラカワンの言葉が脳裏に染み渡る。
僕は、もうそれを拒まなかった。
その魔物を、その「囁く者」を、恐れはしなかった。
寧ろ、その魔物を味方と認識していた。
その毒のような話術に、僕の心はどっぷりと芯まで浸っていた。
「改めて聞かせてもらおうかのう、お前さんは、本当にロナに愛を受け入れてもらう自信があるのか?」
僕は何も答えられない。
ただ虚ろに、ゾンビの様な生気の抜けた動きで、首を左右に振るだけだった。
「では、今少し冷静に考えるのじゃ、今の自分に何があるのかを」
今の……自分に?
僕に、何がある?
「ロナは貴様を愛しはしないじゃろう、アレは人を愛せない」
うっ。
「そして彼女は、恐らく次のギルドマスターじゃ。さぞ多忙じゃろうな、もうお前さんとダンジョンに潜ることは当面無いじゃろうな、そしたらお前さんはどうするのじゃ?」
どうするって。
……どうするんだよ。
一人でダンジョンに潜る?
いや、そんなの絶対無理だ。また死にかけるだけだ。
野良パーティ?
「ほうほうそれも良いかものう、気性の荒い高レベルの賊にコキ使われるのか、楽しいじゃろうな。それでその後どうするのじゃ? レベルをちまちま上げて、いつギルドメンバーに追いつく? 十年? 二十年?」
十年も血反吐を吐く思いをして、追いついたとしてじゃ。
追いついた先に何があるのじゃ?
ごく平凡な強さのギルドメンバー?
楽しそうじゃのう。
貴様が憧れてた主人公には程遠いがのう。
なんじゃ、貴様はそれで満足なのか?
ある日とても強い英雄がギルドハウスを訪ねてきても、貴様がやる事は「ようこそ」の一言だけじゃ。
その英雄はハーレムパーティで、貴様の大好きなロナをパーティに加えようとしても、貴様は指をしゃぶってみてる事しかできん。
もしそれを止めよう物なら、ロナに愛を告白して阻止しようとすれば――
「やめろッ!」
僕は思わず悲鳴を上げる。
それ以上は耐えられなかった。
「やめてくれ、頼む、やめてくれ」
あんまりだ、そんな未来はあんまりだ。
でもそれは事実だ。
今の僕は弱い、そしてこれから強くなるような期待も持てない。
僕は無力だ。
ロナの強さに縋って来ただけの、か弱い高校生だ。
さっきダズを倒せたのだって、HPの大半を削ったのは彼女で、僕はこの魔物に助けて貰いながら最後のトドメを刺しただけだ。
僕はあまりにも無力だ。
だから、そんな、どうしようもない。
モブみたいな未来を受け入れるしか――
「儂と契約をしろ、ルカ・デズモンドよ」
魔物の声が響く。
心の最深部にまでそれは浸透し、僕を揺さぶる。
「お前さんに力をやる、無限の命と創造の力を」
命……力……
「そしてお前さんは、今度こそ主人公になるのじゃ。最強の主人公、かつて貴様の憧れた夢物語の主人公に!」
物語の、主人公。
自分を曲げなくても自分を押し通せる、そんな憧れの「英雄」に……
どの集団にも属さない、それでいて至高の力を持つ戦士で、何者にも縛られなくて、自由で、正義で、多くの人に尊敬されて。
「お前さんは王になるのじゃ、そしてお前さんの望む事を成せ! お前さん望む運命を選ぶのじゃ! その力を儂は与えてやれる」
王……
世界を、僕が、変える。
僕が、僕に、僕の居場所が。
「――本当なのか? お前は本当に、僕に力をくれるのか?」
闇の影は、その体に三日月の亀裂を産み出し、邪悪な微笑みを浮かべた。
【貴方のステータスが変化しました
新アビリティ
「囁かれし混乱」
を習得】




