血戦と血末 6
それからしばらくして。
ロナは怒ったり泣いたり喜んだりを目まぐるしく繰り返した後、やっと僕の胸から顔を上げた。
そして両手で、まだ頬に残る涙の粒を全て拭いさると。
「私、他のギルドメンバーの様子を見てくる。多分みんな痺れ薬を盛られたんだと思う」
そう言って、彼らの座る観客席の方を指差した。
「あ、じゃあ行きましょう」
「ルカはここで休んでなさい」
「え?」
彼女は立ち上がろうとした僕の頭を押さえつけ、強引に座らせる。
「神聖魔法も使えない人は不要です、ここでダズの見張りをしながら休んでなさい」
彼女はそう言って、照れ隠しのように赤い舌をベっと突き出すと、パタパタと駆けて行ってしまった。
……うん、まぁ確かに僕は不要だ。
そんな独り言を呟きながら彼女の背中を見送る。
そして次に、相変わらず舞台に転がったままのダズを見た。
白目を向きながらビクッ、ビクッ、と不規則な痙攣を繰り返してる。
「そっか、僕は勝ったのか」
その実感は、潮の満ち引きの様にゆっくりと、でも確実に湧き上がってきた。
僕は勝った、そして、ロナを救えたんだ。
モンスターにも人にも、ずっとずっと負けっぱなしだった僕が、ここでついに勝った……
「でも、おかしくないか?」
俺は自分の右手を突きだして、改めてよくよく観察する。
僕の右腕、立派で貧弱なごく普通の青年の手。
これは、分解されたはずだ。
<神威の崩天>の対価として支払われ、微粒子にまで分解されてしまったはず。
いや、右腕だけじゃない。
僕は命と引き換えに、あの呪文を唱えたんだ。
レベル19のプレイヤーに、レベル5の僕がまともなダメージを通すには、それしかなかった。
なのに――僕は生きている。
こうして右腕も完全に復活して。
いいや、肉体だけじゃない。
MPを418も消費する魔法を唱えたんだ、とんでもない深度のマインドクラックが生じたはず。
でも今の僕のステータスに、マインドクラックの文字はない。
それどころか、MPが全快してる。
「一体だれが?」
さっきの口ぶりからするに、ロナが血線術で治してくれたわけではなさそうだ。
あの時この場で意識があったのは、僕とダズだけ。
「ダズさんが?」
いや、そんなわけないだろ。
というか、ダズさんはそもそもそんな事できない。
だって神聖スキルが――
「いやいや、そういう話じゃない」
そこまで考えた所で、僕は思い直す。
マインドクラックを治療して、粉々に分解された体を復元するなんて、それは人が唱えられる魔法なのか?
そんな世界の理を捻じ曲げるみたいな、チート染みた魔法を人の身で?
「え、ひょっとして……」
僕は思わず天井を仰ぎ見る。
そしてそこに張り付いた、巨大な繭の如き油の塊を視た。
ダズでも、僕でも、ロナでもない
あの時この舞台の上に居た、最後の一人。
囁く者、ティトラカワン
「あれが? あれが僕を?」
そう口にした途端、黒い異形は一際大きく脈動した。
天井に張り付いた黒い油が、まるで死にかけた芋虫の様に震え、悶え、暴れ出す。
体を縛る赤血のテグスが緊張し、ギチギチと不協和音を奏でる。
全身に大量の亀裂が走り、それらが植物の気孔の様に一斉に開裂する。
それは瞳だった。
数十もの黄金色の眼球が、魔の蛹の外皮を覆い尽くす。
数多の瞳の焦点が僕へと絞り込まれて行くのを感じる。
「な、なんだ」
にちゃり、と血肉が絡み合うような、生理的な嫌悪感を引き起こす音が鳴る。
そして興奮したように、瞳の瞳孔が錯乱し始め……
僕は再び意識を失い、その場に倒れ込んでしまった。




