血戦と血末 4
クファンジャルは、もう芯金からへし折れ、武器としての機能を持ってない。
だから僕は、さも魔法を詠唱するかのように、右手を彼に向けるしかなかった。
「あはハハハハ。足ガくねルカ君、MPはキれてるのダろ?」
僕の虚勢を見抜いているダズは、歩みよりに一切の躊躇を見せない。
クソがッ。
なめるなよ、やってやる。
マインドクラックだって怖くない!
僕は右手に魔力を充填させる。
……させようとしたのだが。
【詠唱失敗
MPが足りません】
え?
期待していた「マインドクラック」の表示が現れない。
何故?
僕の手には、一欠けらの魔力も蓄積される事はなく、ただプルプルと小刻みに震えるばかりだ。
「オレはちゃんとイッタはずだ。魔ホウは炎だと、着火剤トナルMPがナけれバ、マインドクラックも起きない」
バカだな君は、彼はそう嘲笑うと僕の首に手を掛けた。
「うっ、ぐっ」
体の筋が幾つも焼き切れてしまった今の僕は、もがく事さえもできず、されるがままに首をしめられる。
「あはハハ、安心していいよ。君はオトスだけだ、無益なセッショウは俺の好みジャナインでネ」
辛うじて動かす事が出来る右手で、首を圧迫するリザードマンの手を必死に振り払おうとする。
だがまるで赤子のような握力しかでない、そもそも人差し指と中指以外に感覚がない。
「がッ、うっ、ぐふぃ」
気管支が圧迫されていく。
肺に流れ込む酸素量が急速に減少していき、まるで暴風に晒された砂上の様に意識が崩れていく。
「可哀ソウに、君モマタ、英雄にはナレナイのだ」
可哀そうに。
可哀そうだ。
すっかり取りつかれてしまって。
君は道を間違えた?
正しき道を選ばなければならない。
ダイジョウブダ。
正しき心によって導かれた道は、全て正しい道だ。
……本当は知ってるのだろ?
君はもう一つの選択肢に気づいている。
どちらを選ぶんだ?
どちらを君は選択する?
怖いのか?
「うぎ、うぅ、がぁあ」
右手から力なく弛緩し、ダズの腕から外れる。
全身から五感が抜けていき、周囲の世界が無色に崩れていく。
その時、視界の片隅にロナが映った。
彼女は、その白い少女だけは無色に飲み込まれず、僕の世界に留まり続けた。
助けたい。
彼女を救いたい。
友人を救いたいという純粋な心、僕にとってのこの世界の唯一の拠り所を守りたいという濁った心。
その二つが、彼女を救うというその穢れと清さをもったその意思が。
何を恐れているんだデズモンド?
彼女が死ぬことか?
君が死ぬことか?
違うだろ。
君が本当に恐れている事は、そんな事じゃない。
君が恐れている事は――
「うっ、僕は、僕はぁ……」
「オや? まだ意識があるのか?」
――何も選択を出来ないことだろ?
オソレルナ
クルシメ
イタメ
ナケ
サケベ
全ての記憶が君を形づくる。
選ぶと良い、君の道を。
「……お前をッ、殺す」
僕は右手を鞄の中に突っ込むと、「それ」を取り出す。
ダズが瞬時に僕の動きに察知し、両手に力を籠め僕を絞め殺そうとする。
でも、ダズの握力は驚くほど微量にしか上がらなかった。
やはり、彼もまた僕同様に弱ってる。
「喰らえッ!」
僕は叫びながら「それ」を、その小袋をダズの側頭部に叩きつける。
パフっと破裂音と共に、袋の中身がぶちまけられる。
エメラルドを砕いたかのような、きらきらと緑色に光る粒子が、輝きを放ってダズの全身に降り注いだ。
【ゼンギアの回復薬(劣悪) 重量:1 中毒性:1】
「何ダ、こレはッ」
僕の予想外の反撃に怯み、そして次の瞬間信じられないものを見たかのように眼を見開いた。
「ウッォオオオオ!」
ダズは断末魔の如き悲鳴を上げ、僕の首から手を離すと、その場に転げまわった。
「ルカッ、貴様ァ!」
必死に顔面にこびりついた粒子を落とそうとしてる。
血液と化学反応を起こし、高熱を放つ事で強引に傷口を焼き塞ぐその傷薬は、果てしない激痛となって彼に襲い掛かる。
「痛むか、ダズ、超痛いだろ」
ほんの一つまみでも僕は暫く動けなくなったのだ、これだけの量を浴びれば当分は……
動かない左足を引きずるようにして、僕は蹲るリザードマンに背を向ける。
「ルカッ! ルカッ! おノれ、こんナ、こんなふザケた真似をッ!!」
ダズの悲鳴が舞台に木霊する。
彼は両の目から血を流し、地面に這いつくばっていた。
だが、まだだ。
まだ終わってはいない。
あれは所詮回復薬だ、痛みはいずれ引き、傷口の多くが塞がってしまう。
僕はゆっくりと、倒れないよう、確かな歩みでロナの元へ向かう。
――選ぶと良い、君の道を。
死を恐れるな
君が恐れている事は何も選択を出来ないことだろ――
先ほど薄れゆく意識の中で聞こえた誰かの言葉が、僕を支える。
満身創痍の僕に、最後の力を振り絞る覚悟をくれる。
「ロナ、大丈夫だよ」
僕は眠るロナの元にたどり着くと、そう声を掛ける。
「もうすぐ、全てが終わる」
少女の体をそっと抱き起すと、腰に付けられた鞄へと手を掛ける。
そして中から目当てのアイテムを取り出す。
【アクアムルスム(上質) 重量:1 中毒性:1】
僕は蓋をあけるとその薬酒を一気にあおり、空瓶を投げ捨てた。
「マ、まさかルカ、貴様ッ、本気で!」
眼球の傷が再生し、顎の修復も始まったダズの動揺が聞こえる。
「僕はちゃんと言ったよ、お前を殺すって」
もう一本アクアスムルスを取り出し、同じく飲み干す。
「バカか貴様は、そんなMPで俺を殺す魔法を!? 死ぬぞ! 肉体も精神も形を失うぞッ!」
「死ぬのは怖くない。僕が怖いのは、選択できなくなる事だ」
ロナを助けられず。
ただただ無意味に生き延びて。
流されるがままに――
「そんなのは嫌だッ!」
魔力が滾る。
世界が色を取り戻す。
心臓の拍動が強く、大きく、激しくなっていく。
僕は再び右手を突出し、立ち上がろうとするその敵に照準を合わせる。
「何をしてるルカ、何故そこまでその女に尽くす! 貴様は死ぬんだぞ!」
今ならわかる。
あの時ロナが、ダンジョンに潜る前に、レイピアを投げた時に、彼女の言ったあの言葉の意味が……
「……これは、これが僕の選んだ道だ!」
強力な魔法を唱える方法は分かってる。
初めてエレキピアサーを唱えた時のように。
ありったけの魔力を、自分の体の想定や許容を超える程に、際限なく注ぎ込む。
「『産まれろ』『刻め』『ざわめけ』『崩せ』――」
「よせッ、よすんだッ!」
「――『断ち切れ』『滅ぼせ』『焼き払え』――」
魔力が凝縮されていく。
力が臨界点を迎え、僕の手から滲み、零れ落ちていく。
それはただの魔力ではない、僕の命だ。
命を溶かして作られた、最期の魔力。
周囲に電磁場が発生してき、パリパリと空電の音が鳴り始める。
【新魔法を習得
<神威の崩天>】
十分だ。
感覚で判る、これだけ強力な魔法なら。
再び世界が色を失っていく、さっきより急速に、打ち寄せた波が引いていくように。
……大丈夫だ。
ここから先は、簡単だ。
ただこれを、この命を放出するだけだ。
遠のく意識に必死にしがみつき、僕はそれを成し遂げる。
「―― <神威の崩天>!」
ゴポリと、口からヘドロの様な血が零れた。
【詠唱失敗
スキルが足りません
<神威の崩天>詠唱可能条件
破壊魔法(81)
マジックバーストが発生します
MPが足りません
<神威の崩天>詠唱可能条件
MP:418~
マインドクラックが発生します】




