血戦と血末 1
「ルカから離れなさいッ!」
唐突に女性の声がワールンの舞台に鳴り響いた。
見ると、座席の壁を下って此方へ向かってくる、一人の女性の姿があった。
ロナ・ヴァルフリアノ
英雄の子孫、憎まれ続けた少女、そして新たな英雄の為の生贄。
「ロ、ロナ! 駄目だ、逃げるんだ!」
僕は必死に声を張り上げる。
「これは罠だロナ! ダズさんは君を殺す気だ! 僕は――」
「心配しないでルカ、全部分かってるから」
少女は良く通る凛とした声で、取り乱す僕を諭した。
「『全部分かってる』か、そいつはなんとも話が早くて助かる」
ダズは嬉しそうにほくそ笑むと、舞台に突き立てていた大剣を引き抜いて――
「やめてダズッ!」
――僕の首筋に突き立てた。
「それは君次第だ、ロナ・ヴァルフリアノ」
ダズの目の色には、毅然さと穏やかな色が浮かんでいるだけだ。
こんなにも狂った事をしているというのに、そこには気負いも、焦りも、混乱も、啓蒙も無い。
純粋な子供の瞳。
「ルカに刃を向けるな!」
「ならばその血を寄越せ。そうすれば彼を、ギルドメンバー共々生きて解放してやろう」
ただしお前だけは別だがな、ダズはそう言うと静かに顔をロナの方へと向けた。
「ロナ・ヴァルフリアノ、君だけは生かしておけない、君には償いをして貰わないと」
「やめてくれダズさん、ロナを殺さないでくれ!」
僕は叫びながら、手に有りったけの魔力を注ぎこみ、電熱で紐を焼き尽くす。
……焼き尽くそうとしたのだが。
「うっ、あぁああああ!」
右手に鋭い痛みが駆け抜ける。
大量の電気が両手の内側へと逆流し、さらに麻紐がギリギリと、手首をへし折る様な勢いで締まりだした。
「ルカ! ダズ、貴方何をッ!」
「俺は何もしてないよ、ルカ君が自滅してるだけ。『魔返し』の付呪が施されてる紐に抵抗しちゃってるだけさ」
魔返しって、やっぱりこれは<電撃>が逆流してる?。
僕は<電撃>の詠唱を中断する。
するとやはり痛みは和らぎ、同時に締め付けも緩んで行った。
「こらこらルカ君、余計な事をしないでくれ。ロナ、君も早く決断したらどうか?」
ダズは余裕たっぷりにそう言って、ロナの方を再び見る。
ロナは焦燥していた。
眼を潤ませ、歯を食いしばり、今にも泣き出しそうな表情で、僕を心配していた。
――やめてくれロナ、そんな、そんな顔をしないでくれ。
僕なんか見捨てて、今直ぐにでも逃げてくれ。
どうして、そこまで僕に……
「ダズ、貴方は本当にこんな事をして英雄になれると?」
ロナが精いっぱいの悪あがき、ダズはそれに苦笑いをもって答える。
「なれるよ、ちゃんと僕は劇を演じる。君は『ギルドメンバーを襲撃して、ティトラカワンを復活させたのは情緒不安定な少女、ロナ・ヴァルフリアノ』だ、そして俺は『ロナ・ヴァルフリアノを見事打ち倒し、ティトラカワンを付き従えさせた英雄』ってね。そういう演目になってる」
真実を知るのは、今ここにいる三人だけ。
そしてその内の一人は、間もなく死ぬ。
「ルカ君、君は黙っていてくれるよね。あぁゼノビア辺りは真実に気づくかも、まぁ別にいい。そういうのは全部些事だ」
ダズは気楽そうにに笑う。
そこで僕は、出発直前のロナの言葉を思い出した。
『――ダズが私を制御できてないっていう現状は、ギルド連合も知っている』
誰もがロナを憎んでいた。
だったら、誰もロナが無実だなんて……
彼は笑顔のまま言葉を続ける。
「例えこの悪事がバレたって構いやしない。ロナ・ヴァルフリアノ、君の父君がそうであったように『英雄』っていうのは所詮『何を成したか』に過ぎない、過程や行程なんて物は二の次だ」
いや、二の次どころか不都合な事実は無かった事にさえしてもらえる。ダズは楽しそうにそう付け加える。
「何れにせよ、俺はティトラカワンの『不死』の力をもって英雄になる。英雄無き時代の英雄にね」
ダズは長く尊大な演説を終えると、まるで拍手喝采を期待するように得意気な視線を、僕とロナに向けた。
「ダズ……貴方は……」
「『狂ってる』? まぁロナには狂ってるようにしか見えないかな?」
そう言って、わざとらしく意味ありげな視線を僕に向けた。
――ルカ君、君は俺の理解者になってくれるだろう?
僕は思わず目を逸らす。
逸らさずには、居られなかった。
あの時の自分を見せつけられて、自分の望みの為に世界を壊した、何も考えずに世界を書き換えた愚かな自分が。
今こうして、目の前で、僕の大切な人を壊そうと。
それは、それはあまりにも――
「さて、楽しい楽しいおしゃべりもそろそろお終いにしようか」
リザードマンは宣言をすると、刃を僕の首により強く押し付けた。
「……わかったよ、私の負けね」
「負け、というと?」
「血を渡すわ」
ロナは暗く沈んだ瞳で、そう言った。
感情の剥落した、虚無に満ちた声で。
「だ、駄目だロナ!」
駄目だ。
それは絶対に駄目だ!
それは、最悪の結末だ!
「ルカ、良く聞いて」
ロナはそういうと、その光の無い瞳を僕に向けた。
「ここから西、ヴィザフっていう都市の北に大きな森があるの、そこに『カフュー』って名前の老人が暮らしてるわ――」
ロナ、一体何を言ってる?
「――私の名を告げて、そうすれば面倒を見てもらえるはずだから。彼の世話になりなさい」
「待って、待ってロナ」
「ねぇルカ、どうかこの事は全部忘れて。復讐なんて考えないで、穏やかに生きて」
「駄目だロナッ!」
彼女は腰のレイピアを引き抜くと、それを自分の右手に突き刺した。
血が。
赤き血線が、紙の様な細い刃に染み渡る。
「これは、私が選んだ道だから」
そして彼女の血が染み込んだレイピアは、ダズの元へと放り投げられた。




