理解者と裏切者 5
うぁ、うっ…
うぅ、喉が渇いた……
体が思うように動かない……全身がびりびりと痺れてる……
意識は微睡の中に浮かんでるのに、体の節々が微弱な悲鳴を上げている。
まるで刺激の強い液体が詰まった風呂の中で、一人眠っているような感覚だ。
起きろ。
起きないと。
起きる必要がある、そんな焦りが僕の中に湧き上がって。
そして世界が僕の視界に映し出される。
高く大きな天井。
今まで見た事も無い程に巨大な空間に、僕は寝そべっていた。
「ここは、どこだ?」
すり鉢型の建物の中心だ。
遥か遠くにが壁が見える。
ただの壁じゃない、大量の座席が備え付けられたそれは、まるでオペラハウスの様だ。
ここは闘技場?
それとも劇場?
気怠い体を起こし、世界をもっとよく観察しようと――
「あれ?」
僕の腕が、縛られてる?
暗緑色の不思議な麻紐で、僕の両手が雁字搦めにされていた。
「なに、これ…」
いや待って、そもそも僕はなんでここに?
確かロナとダズと僕の三人で、ダンジョンに潜って。
十層手前までたどり着いて。
それで……
それで?
「やっとお目覚めか、ルカ」
背後から僕の名を呼ぶ声。
振り返ると、そこにはダズが一人ぽつんと立っていた。
重層備に身を包んだ漆黒のリザードマンが、その身の丈ほどの大剣にもたれ掛るようにして。
「ダズさん、ここは一体?」
「そっか、そこから説明しないと駄目か」
彼はそう言って、一歩僕の方へと歩み寄る。
「説明って……」
「ようこそ第十層へ、ここはワイルドキーパー『囁く者、ティトラカワン』の領域、またの名を『ワールンの舞台』とも」
「ここが、第十層?」
「そう、ボス階層は通常階層と違って、大抵はこういう巨大な空間が一つあるだけ。モンスターは出現しないし、トラップも基本的に皆無だ」
ダズはスラスラとよどみなく、この階層の説明をしていく。
彼の言葉を聞いていくにつれて、僕の思考が徐々に正常な物へと回復していった。
そして冷静に考えれば考える程、今の状況が恐ろしくなっていく。
「ダズさん、待って。僕が聞きたいのはそんな事じゃない」
「うん?」
「ギルドの皆は? アウトキャストの人々は? なんでここには僕達しかいない? 何があったんですか? なんで僕は腕を――」
「どうどうどう、落ち着けルカ。そう一気に聞かれても困るって」
ダズは到って冷静だ。
冷静に、まるで日常の延長のように、いつもの口調で。
こんなにも異常な状況なのに、落ち着きを払う彼の姿に、僕は恐怖を覚える。
「ギルドの皆はほら、あそこに座ってるよ」
僕から見て丁度正面の観客席が指差される。
覆い尽くすような座席の壁、その最下段中央に彼らは座って居た。
遠目で良く判らないが、皆その場でうつむいて、まるで生気を感じない。
あれが……ギルドメンバー?
「大丈夫だ、皆生きてる」
「生きてるって、あれは、これは、一体?」
「次の質問だけど、アウトキャストはいない」
――あれは全部ウソだ。
まるで何でもない事のように、ダズはそう言い放った。
「嘘って……ウソって何ですか……」
「アウトキャストなんていないさ、居るわけないだろ、リンツだってそこまで耄碌していない」
何言ってんだ。
この人は何を言ってるんだ。
さっきから何を言ってるんだ。
僕は開いた口が塞がらない。
話が進むにつれて混乱はインク染みの様に広がり、そして僕の手を縛るその麻紐への恐怖が増していく。
「でも、ここ十層で探査が失敗したのは本当だ」
僕はもう声が出せない。
何も聞きたくない。
これから何が起きるのか、そこに何があるかは、容易に想像がついた。
「裏切りだよ、俺が裏切ったんだ。彼らには『大人しく』なってもらった、こらから始まる劇の観客になってもらう為にね」
彼は何でも無いことの様に、軽い口調で言い切ってみせた。
「何を、言ってるんですか、ダズさん。さっきから、僕は全然理解できません、何言ってるんですか」
「『理解できない』? あはは、大丈夫だよ。ルカ君なら理解できるはずさ、君は俺と似てるから」
僕の思考の濁りがゆっくりと解け、恐れていた真実が認識されはじめる。
ダズは、敵だ。
ダズが、敵だ。
「なんて眼をするんだルカ」
「なにが、一体貴方の目的は、何なんですか」
「目的……ねぇ。それは『英雄になる事』かな、その為に俺は魔物と契約した」
ダズはそう言ってシニカルな笑みを浮かべると、ゆっくりと人差し指を立て、天井の方を示した。
「あれを見てみろ、ルカ」
僕は操られるようにして、彼の言うがままに天井を仰ぎ見る。
――なんだアレは。
それは異形だった。
異形の何かが天井に張り付き、拍動している。
全長は優に二十メートルはありそうな巨大な肉塊が、まるで蛹の様に。
「なんだ、なんなんだアレは」
良く見ると、ピアノ線のように細い赤い筋が縦横無尽に走ってるのが見える。
赤い糸で縛られた、黒い油?
まさか……
「そうだよルカ君、あれが『囁く者、ティトラカワン』だ」
今はまだ眠ってるけどね、ダズはそう言うと得意気に説明を続ける。
「凄いだろう、美しいと思わないかい? グィンハムがその命をかけて作り上げた最高傑作。両性具有の不能として産まれた娘に、次世代を継がせるための托卵器だ。彼は英雄なんかじゃない、ただ赤竜の血の研究に溺れた狂人だ、でもその結果が、その結果がたまたま彼を英雄たらしめた」
彼は熱に浮かされた様子で、嬉々とした早口でしゃべり続けた。
「全て自分の望むことをやっただけなんだ、自分の望むがままに力を使い、世界を駆け、人を引き連れ、そしてその結果が彼を英雄とした。素晴らしいと思わないか、まさしく英雄その物だと、グィンハムこそが真の英雄だと」
狂ってる。
彼は、ダズは狂ってる。
狂ってたんだ。
狂ってるから、騙した。
ギルドメンバーをだまして、観客にして、そして何を……
彼は一体何を。
「お前は……狂ってる」
「そうだよ、俺はちゃんと言ったよね『人は諦めて強くなる、切り捨てて強くなる』って――」
「ロナを、どうした、ロナは今どこに」
「――だから俺は正気を捨てることにした、正しい事をして正しい心をもってれば英雄になれるなんて間違っていた。そもそも『正しい』なんて、『人々に都合がいい』っていう意味でしかなかった」
「ロナはどうしたんだって聞いてんだろッ!」
僕は力の限り叫ぶ。
「彼女は贄だ」
躊躇なくリザードマンは残酷な言葉を吐き出す。
「ニエって、贄ってなんだ」
「彼女の血を持って、俺は魔物の封印を解く。それで契約は履行される」
ダズの言葉はあまりにも短く、簡潔すぎた。
「なにを、なに言ってるんだ……」
本当はもう分かっていた。
ダズは裏切ったんだ。
ギルドメンバーを、いや、人類を裏切って第十層の魔物と契約を結んだ。
魔物の封印を解き、強大な力を手に入れる為に。
英雄となる為の力を。
でもそんな真実は、一片だって僕の脳は飲みこんでくれなくて。
「なぜだルカ君、どうして君はさっきからそんな目で俺をみる」
ダズはそう言うと、右手を伸ばして僕の頬に触れた。
「君なら理解できるはずだ、俺の心を」
「そんなの、理解でるわけない……」
「何を今さら白々しい」
背筋がぞわりと振える。
僕の頬を振れる右手にぐっと力がはいった。
「俺はずっとこの世界が嫌いだった。俺を痛めつけるこの世界が。俺は英雄になろう足掻き続けたとした、でも何も手に入らなかった。地位も名誉も、賞賛も寛容も、自分の居場所も、そして何よりも、愛した者から愛される事さえ」
世界が俺の限界を狭めて、俺は何一つ充足を感じなくて。
空虚な時間ばかりを、平気な顔して過ごすことを命じられて。
――そこで僕は思わず息を飲んだ。
それは恐怖に怯えたわけでも、彼の狂気に吐き気を催したわけでもない。
ダズが吐き出すその言葉の数々に、聞き覚えがあったからだ。
その言葉は――
「俺はこんな世界は要らない。俺は、俺の憧れていた『英雄』になる為なら、なんだって犠牲にする」
――僕は生まれ変わりたい。
それは、その言葉は、かつて僕が神様の前で発した言葉と瓜二つだった。
同じだ。
ダズも僕と同じだ。
世界を犠牲に、自分の夢を叶えようとしてる。
だから、僕は彼の理解者に。
僕は……彼と同じ?




