理解者と裏切者 4
そして第九層。
その終点、第十層への階段の手前にまで、僕らはたどり着いた。
ここがかつての最上位層。
ロナの父親がワイルドキーパーを封印するまで、ここが人の限界だった。
この領域にたどり着けるのは、真の強者か、はたまた僕みたいな卑怯な人間か。
「――やっと、やっと着いた」
ロナは到着するや否や、その場にへなへなと座り込んでしまった。
「だ、大丈夫か、ロナ!」
僕は慌てて彼女の元へ駆け寄る。
「大丈……夫だよ、ルカ」
必死に気丈に振る舞おうとしてるが、疲労が相当蓄積してしまってるのは明らかだ。
皮膚が異様に白くなってる、ただでさえ色白な彼女は、まるで幽霊の様で……
血が足りてない?
血線術の「対価」で血を失い過ぎたのか?
「おいロナ、これを飲め」
ダズがそう言って、何やらピンク色の液体の詰まった瓶を差し出した。
「あ……りがとう」
彼女が力なくそれを受け取る。
だがそれを飲めない程に体調が悪いようで、蓋をあけるとそのまま床に置いて、激しくせき込み始めてしまう。
「ほらルカも飲んどけ、これからが本番だ」
同じ液体の詰まった瓶が、僕にも差し出される。
お礼を言いながらそれを受け取って、じっと観察してみた。
【ゴルルクの霊薬(?) 重量:2 中毒性:8】
うわ、なんか高そうな……
「遠慮なんてするんじゃないぞ」
「は、はい」
そうだよ、そんな事を気にしてる暇じゃないんだ。
僕はさっさとやたら硬い蓋をあけると、飲み口に喰らい付き、中身を一気にあおる。
まっず!
中身は液体というよりもゲルに近く、ひたすら喉にへばり付いて飲み辛いなんてもんじゃない。
味もこれまた酷い、苦みと酸味がまざったような、いままで全く味わった事の類の不味さで……
「おうぅえ、ウェ、アアぁああああ」
ゲップがやたら出る。
尋常じゃない胸焼けに襲われる、目が回るほどに気持ち悪い。
「大丈夫かルカ。そっか、飲みなれてないかこういうの」
「ず、ずみばせん、ダズさん」
僕は必死に謝罪しながら、なんとか体を立ち上がせようとして……
「あれ?」
……体が、異様に軽い
僕は慌てて自分のステータスを見る。
【名前:ルカ・デズモンド
HP:91/91 MP:72/72】
す、すごい。
HPはもちろん、MPまで全快してる。
体中にあった生傷が、いつのまにか全て癒えていた。
なにこれ、超凄いじゃん。
この薬が大量にあれば回復役いらないんじゃね?
「ねぇ……ダズ。ちょっと聞いても良い?」
「なんだ」
薬の効能に驚愕する僕を後目に、ロナは唐突に質問を始めた。
少し休んだ事で幾分か体力を回復した様子だ。
「この後の作戦はあるの? どうアウトキャストと戦うつもりなの?」
その問いに対して、ダズは肩を竦めて自嘲気味に答える。
「作戦なんて無い、正直でたとこ勝負だ」
「はぁ……まぁ仕方ないか、どうなってるか分からないんだものね」
そう言って少女は消えりそうなため息を吐く。
「あぁ、仲間が何人か生きていてくれると助かる。ティトラカワンが復活していたら、正直積みだ」
「積み? そしたらどうする? 貴方も逃げる?」
彼女の挑発に、ダズは薄く笑って首を振った。
「リンツは必ず殺す、俺が殺す。それが俺の役目だ」
「親子殺し? 良い趣味ね」
「皮肉はもう良い、さっさと飲め、行くぞ」
リザードマンは煩わしそうに手を振ってロナを急かす。
彼女は言われた通り瓶を振ったたび手に持つと、そっと口を付けて中身を飲んだ。
……飲んだと思ったんだけど。
何故かロナは、寸での所で口を瓶から離した。
そしてその霊薬を、ダズに差し出す。
「私はMPはそれほど消費してないから、手持ちのアクアスムルスで十分。これはダズが飲んで」
ダズはかなり戸惑った様子で、薬瓶差し出す彼女の手を押しやる。
「俺は魔法なんか使ってねぇよ、いいから飲め、遠慮するな」
「いいから、飲みなさい」
「勿体ないよ、お前が……」
「飲めよ、ダズ」
急にロナの口調が変わった。
凍ったナイフを突きつけるような、強い命令。
「ろ、ロナ? どうしたの?」
僕は思わず、そんな間抜けな口を挟んでしまう。
「飲め、ダズ」
彼女は僕を無視して、命令を吐き続ける。
少女の表情がみるみる変わっていく。
過剰なまでのどす黒い憤怒が、彼女の顔を覆い着くしていく。
――あの時と、同じだ。
それは、オークションハウスでゼノビアに見せた表情。
それは、第一層でエリノフに挑発された時に現れた表情。
そしてそれは、ギルドハウスの屋上で一瞬覗かせた――
僕の知らない、別のロナ。
「……お、おいロナなにキレてんだよ」
ダズは困った表情で、そんな言葉を必死に紡ぐ。
だが少女の表情は変わらない。
取り殺すような視線で睨み続ける。
そして。
「ルカ」
僕の知らないロナが、僕の名を呼ぶ。
「は、はい」
「ダズから離れて」
「え?」
「速くッ!」
「だから、何言ってる―ン―ぁ」
それは突然だった。
いきなり僕の呂律が回らなくなった。
僕は必死に言い直そうとするが、舌は石のように重く、下あごから離れず。
「ルカッ」
ロナが叫ぶ。
え?
気づいた時には、体が傾いていた。
何もしてないのに僕の体が勝手に?
いや違う、何もできない?
体が全然動かない。
舌だけじゃない、全身が石化したように強張ってる。
床が迫る。
手を伸ばして受けようとするが、やはり腕も一切僕の意志を受け付けてくれず、頭を強く打ちつけてしまう。
え?
なにこれ。
これは?
今度は瞼が勝手に閉じ始めた。
そしてそれと併せるように、世界が急速に遠ざかって行く。
音も匂いも、そして触感さえ……
……え?
なに、これ……ロ……ナ?
世界が――と、ぎ、れ――
意識を無くし、闇に飲まれた僕。
なのに、どこからか声が聞こえる。
薄く引き伸ばされたような世界の中心で、近いような遠いような。
悪意と憎しみと。
劣等感と怯懦と傲慢と。
そして微かな愛情のこもった声。
「あーあ、やっぱりお前は騙せないか。ロナ・ヴァルフリアノ」
その声は、ダズの物にとてもよく似ていた。




