理解者と裏切者 2
僕は直ぐに自室に帰ると、支度を始める。
それはダンジョンに潜る為の支度、ロナとダズと僕の三人パーティで、第十層のボスを封印するための支度。
とにかく目についた物を片っ端から鞄に突っ込んでいく。
粗悪な回復薬、エリノフの短剣、それと……ええい、考えるなどうせ大した荷物じゃない全部入れてしまえ。
僕は棚に置かれてあった数少ない僕の私物を全部鞄へと突っ込むと、閉じ切らないその口を麻紐でグルグルにして無理矢理縛った。
僕の行動がこんなに荒くなってしまっているのには、主に二つの原因がある。
一つは当然、これから始まる事への不安、緊張、恐怖、そして僅かな興奮。
もう一つは、先ほどギルドハウス屋上でのロナとの会話が、ずっと頭の中でグルグル廻っているから。
――でもお願い、目を逸らさないで。
そう言った彼女は、どことなく何時もと雰囲気が違って。
正直な話、少し怖かった。
彼女の言ってる言葉の意味は、ほとんど良く判らなくって、でもとても恐ろしい事を言ってるのではという漠然として予感だけはあって、それが――
唐突にドアがノックされた。
「は、はい!」
僕は必要以上に驚いて、変な返事をしてしまう。
「私、ロナ。ちょっと入ってもいい?」
「はいどうぞ」
部屋に入ってきた彼女は、もう完全に探究用の装備に着替えていた。
薄茶色い布で作られた軽鎧、背面には魔法陣の様な物が描かれていて、一目で特殊で効果な装備とわかる。
武器も何時もの白弓だけでなく。腰に儀式用っぽい、雅な装飾の施されたレイピアを挿している。
いつも僕と潜ってる時と比べると、明らかに気合いの入り方が違う。
それもそうだ、だって今回は「いつも」とは違う。
気楽さや、安心や、逃げ道なんて物はない。
正真正銘の死闘が始まる。
「ルカ、さっきはごめんね変なこと言っちゃって、困ったよね?」
ロナはそう言うと、少し口元をゆがませて恥ずかしそうに笑いかけてきた。
「い、いえ大丈夫です。僕も一緒に潜ります」
僕は改めてそう誓う。
すると彼女は嬉しそうに微笑む。
「ありがとう、本当にありがとう」
だが、その安堵したような微笑みとは裏腹に、彼女の声はには堅い響きがあった。
「でもねルカ、出発する前に言っておかないといけない事があるの」
「なんですか?」
「アウトキャストは、たぶん最初の計画では『ティトラカワンを復活させる』だけで、私達を殺す気なんてなかったと思うの」
「え?」
意味が良く分からない。
「つまりね、アウトキャストは私達ブラザーフッドの最後の手柄『ティトラカワンの封印』を無くそうとしたの。それも私達のせいにして」
「え、でもまって、封印を解いたのはアウトキャストって……」
「血線術師の封印は、解くことも補強することも血線術師にしかできない。だから隠していたパパの血で封印を解けば――」
彼女はいつになく真剣な表情で、必死に説明を続けていた。
僕の目をじっと見つめ、細やかな身振り手振りを交え、流れるように言葉を紡ぐ。
「――ダズが私を制御できてないっていう現状は、ギルド連合も知っている。つまり誰もアウトキャストがやったなんて思わない」
「じゃ、じゃあつまり、えっと、アウトキャストの策略と、ブラザーフッドの十五層攻略が……」
「そう。運悪く同じ日にかち合ってしまった。だから、十層で戦闘が発生したの」
彼女はそう言うと、一歩僕に詰め寄った。
少女の視線が、より一層力強い光を持った物に変わっていく。
「つまりねルカ、きっとアウトキャストのマスター『リンツ・グリセル』もかなり混乱してる、我を失ってる状態だと思う」
そうじゃなきゃ、十八人も殺せない。
仮にもかつて同じギルドだった、同じ志を共にした仲間を、殺す事なんてできない。
「待ってロナ、まだみんな殺されたって決まったわけじ無いは……ず」
「ゼノビアが死んで、ダズが死にかけてた、最悪を想定して動くべきだよ。つまりアウトキャストと私達の間に、もう交渉の余地は残されてないって」
殺すか殺されるか、それしか無い――少女は冷静に、淡々と持論を述べていく。
「こ、殺すんですか」
「酷い戦闘になってしまうと思う。私かダズかどっちかは確実に死ぬことになると思う」
僕は完全に言葉に詰まる。
彼女が言ってる事は正しい、それは分かってる。
でも、それを事実として冷静に受け入れる事なんて……
死ぬ?
ロナが?
アウトキャストの連中か、いや、ワイルドキーパーによってか。
そうだった、彼女の父はワイルドキーパーと刺し違えたんだ。
だからそれをまた封印するのなら、かなり高い確率でロナもまた……
「ルカ!」
彼女の大声で、僕の思考が無理矢理中断された。
「あ、あ、はい」
「いいルカ、例え私が死んでも、貴方は逃げて」
「え、いや、ロナを置いて逃げるなんて……」
「ルカ、私は別に貴方が一緒に死んでくれたって、これっぽっちも嬉しくないから」
うっ。
彼女の言葉が、僕の胸にとてつもない破壊力を持って突き刺さる。
わかってる、ロナは僕の事を思って言ってるし、僕の為に敢えて強い言葉でそう言ってるのも分かってる。
でも、これは、堪える。
もの凄く拒絶されたみたいで、心臓がぐっと縮まる。
「ルカ、納得したのなら返事をして」
彼女はさらにキツく詰め寄る。
瞳は猫の様に爛々と輝き、眉間には深く皺が寄って怖い。
「は、はい、わかりました。逃げます、ロナさんの為にも逃げます、僕は生き延びます」
しどろもどろになりながら、僕は必死に頷く。
「よろしい、じゃあこれ持ってて」
彼女はポケットから何かを取り出すと、ずいっとそれを僕に押し付けた。
「え、何ですか」
勢いに気押されて、とりあえず受け取ってみる。
これは……ペンダント?
一見普通の装飾品に見えるが、トップのデザインが変だ。
丸い鉄の鳥かごの中に、ガラスの小瓶が入ってる。
瓶の中に、赤い液体が詰まっていて。
「それ、私の血だから」
「え?」
これ血?
ロナさんの?
「いざって時にそれは貴方の助けになる、大切にしてね」
ロナはそう言って、僕にペンダントをしっかりと握らせる。
「あ、ありがとうございます、大切にします」
これは、彼女の血。
そう思うと手の平に乗ったそれが一際重く、そして暖かく感じた気がした。
僕はもう一度それをジッと観察する。
明らかに高価そうな、凝った趣向で作られている彫金細工。
「高かったんじゃ、これ」
「値段とかどうでもいいでしょ」
少女の咎めるような冷たい返し。
うっ。
違う、言葉を間違えた。
僕はそんな事を言いたいんじゃなくて。
これは、これには明らかに、強い彼女の思いが籠ってる気がして。
ただの装備品なんて扱っちゃいけない、もっと特別な。
「た、大切にします、僕はこれを大切にします」
ロナは小さく噴き出した。
「はいはい、そうしてね」
少女は楽しそうにニコニコと笑ってる。
僕もつられて笑ってしまう。
……笑ってしまったが、直ぐに背筋に冷たい物が走った。
彼女はまもなく死ぬんだ。
そんな認識が鋭いナイフの様に僕の心を切り裂いた。
もう直ぐ死ぬ、僕の前で無邪気に微笑むこの娘は、僕の大切なロナは。
間もなく、死んでしまう。
僕にこの血を託して、憎んだ父と同じ死に方で。
それは
それは、あまりにも……
「ロ、ロナ!」
僕はたまらず声を上げてしまう。
「なぁに?」
彼女は気の抜けた、ごく普通の少女の声でそう返す。
一瞬、自分の中でなにか揺らいだ。
僕の思ってる事、いや僕の価値観が全てずれていて。
僕は間違ったことを言おうと……
いや、そんなわけない!
「ロナ、こんなのやめよう! こんなの絶対に間違ってる。何一つ正しくない」
拳を握りしめ、腹に力を籠め、ありったけの熱量を載せた言葉を絞り出した。
でも彼女は、それに対して力なく笑い返す。
「ルカ、心配しないで。これは私の選んだ道だから」
「選んだって、こんなの、こんな所で死ぬのが、ロナの『選らんだ道』だっていうのか」
「でも他に道は無い、そうでしょ?」
「逃げればいい、ここから、この街から。ロナはそれができるんだろ!」
僕の必死な訴えに、少女は首を横に振った。
「逃げてきたよ、私はずっと」
私は逃げてきた、そう言って目を閉じる。
ダンジョンを拒み、世界を忌み、そして何より自分を拒絶して。
暗く狭い部屋で、一人孤独に何もせず、何もしようとせず、全てから逃げてきた。
「でも逃げ切れなかった。ダズの言うとおりだ『来るべき時』は来てしまうの、どこかで清算しなければ……」
少女はそこで言葉を切る。
そして僕に背を向けた。
「……憎まれてしまう」
もう行くわ、玄関で待ってるから。ロナはその言葉を最後に歩き出す。
「ロ、ロナ!」
話すことはもう何もないと言わんばかりに、呼びかけは無視され虚しく空に吸い込まれていく。
去っていく彼女の背中を止めるだけの言葉を、僕は持ってなかった。
支度を完全に終えて正面玄関へ行くと、ダズもロナも用意万全といった様相で僕を待っていた。
ダズは一瞬、本当に刹那の間だけ僕を心配するような視線を見せた。
でも直ぐにそれを消し、僕の肩に手を置くと「ありがとう」と、ただ一言だけ礼をした。
僕はそれに、ただ黙って頷いて応える。
そして僕たちはギルドハウスを出た。
空はいつの間にか白みはじめ、遥か彼方の山々の間隙から朝日が顔を覗かせている。
現実世界で見ていた物と良く似た十万ルクスの太陽光が、僕たちの進む道を照らし出す。
その先に希望なんて物は、欠片もないのだけれど。




