理解者と裏切者 1
――私は貴方に全てを話します、だから、ギルドハウスに帰りましょう。
ロナは僕にそう誓った、でもそれは守られなかった。
理由はシンプルで、それどころじゃなくなったからだ。
「ルカ、あれ見て、明かりがついてる」
もうすっかり泣きやんでいたロナは、ギルドの門をくぐった辺りで、ハウスの大広間の窓から覗く微かな光線に気づいた。
「誰か帰ってきたのか?」
「……まさか」
彼女はそう呟くと、一気に駆け出す。
え?
その時はまだ、その事態の異常性に気づいていなかった僕は、ロナの行動に困惑しながらも後を追った。
ロナ全速力で、まるで動物のように無駄の無い動きで駆けて行く。
その背中を必死で追いかける。
「どうしたんだロナ?」
必死にそう問いかけるが、彼女は振り返りもしない。
少女はドアを蹴り破ると、まるで転がり込むようにハウスの中へと突入する。
遅れて僕もハウスの中に入る。
そして――
「なんだ、これは」
血、血、血。
生臭い程の、血の海。
そしてその中心にはダズが。
血まみれの黒いリザードマンが、玄関に蹲っていた
――これは、一体。
「不味い事になった」
ダズは口から血を滴らせながら、僕らに語りかける。
「十五層に、本当に潜ったのね」
ロナの口調には、強い失望がにじみ出てる。
また貴方は仲間を殺したのか、そんな糾弾にも似た意図さえ読み取れる。
でも予想外な事に、ダズは彼女の言葉を否定した。
「いいや、違う。俺たちは十層までしか潜ってない」
「十層? どういう事なの」
「アウトキャストの奴らだよ。連中、お前を恐れてとんでもない事をしてくれた――」
彼はそこで一度言葉を切り、血の塊をぺっと吐き出す。
「――ティトラカワンの、封印を解きやがった」
ティトラカワン?
それって、たしか、ロナの父親が刺し違えたワイルドキーパーの名前だったはず。
アウトキャストが、ワイルドキーパーを復活させた?
「嘘だ、嘘でしょ」
そう言い返すロナの声は、わなわなとふるえていた。
「嘘じゃない、やつらグィンハムの血を保存してやがった。それを使ってあの魔物を限定的にだが、解放してしまった、完全に封印が解かれるのも時間の問題だ」
驚愕に固まる僕らを置き去りにして、彼は説明を淡々と続けていく。
「他のギルドメンバーは、死んでしまったんですか?」
僕の質問に、ダズは静かに首を振る。
「まだ何人かは生きてるはず、十層でティトラカワンを食い止めてる」
「何人かって……」
「ゼノビアは死んだよ、ウルミアもケイティも死んだ」
死ん……だ?
ゼノビアさんが、死んだ。
ウルミアって、あのダークエルフの人?
ケイティって、あの舌足らずな……
死んだ、ってそんな。
「ロナ、わかるだろ、来るべき時が来たんだ」
そう言ってダズが静かに立ち上がる。
僕は思わず息を飲んでしまう。
彼の全身は、それ程にボロボロだった。
鱗がところどころ剥げ落ち、生々しい傷跡が幾つも見て取れる。
激戦の痕、アウトキャストと繰り広げた物か、ひょっとしてそのティトラカワンと戦ったのか。
死にかけたんだ、この人も。
「ダズ、私は……」
ロナは視線を地に伏せながら、何かを呟こうとする。
「ロナ――」
ダズは掠れた大声でそれを遮る。
拒絶の言葉を吐き出そうとした彼女の言葉を、傷だらけの声で押しやった。
「――頼む、今だけでいい。昔の君に戻ってくれ」
彼は、ギルドマスターは、その場に崩れるようにしてロナに頭を下げた。
夜空に蒼く輝く月が浮かんでいる。
透明でありながら濃い色をした、宝石のような蒼。
そんな夜空を背負うようにして、その「赤」は居た。
血の様に真っ赤な皮膚を持った、一頭の翼竜。
橙色に焼け付く溶岩の様な赫は、夜空の月と対照を成している。
「それで、貴女は私に何を望むのか」
竜はゆっくりと鎌首をもたげ、自らと対峙する一人の少女へと言葉を送る。
「お前も聞いてたんだろ、ダズ・イギトラの話」
「お前って――」
竜はぐっと瞳を細める。
「――随分と強くでたね、もう私には縋らないのかい」
「そんな無駄話をしに来たわけじゃない、仕事の話をしよう」
少女は、そう言って真っ白な髪をかき上げ、夜風になびかせる。
「……ティトラカワンか、貴女の血筋はいつも厄介な物を背負い込む」
人間で言う所の笑いに当たる表現なのだろうか、竜は痙攣の様に鼻息を何度か噴き出してみせた。
「どうなの、力を貸してくれるの? 貸してくれないの?」
「……アウトキャストが本気でやっているのなら、ギルドメンバーはもう皆死んでるぞ」
「そうだね」
「奴等は当然貴女が来ることも想定してる、貴女への対策も十全だろう、血線術師を殺す魔法なぞ幾らでもある」
それでも貴女は行くのか。竜は夜の闇に馴染むような、静かな声でそう尋ねた。
「行くよ――」
少女は即答する。
「――私は、自由になりたいから」
「愚かだねぇ、自由を対価で得ようとするとは」
「余計な話はいい、助けてくれるのか、否か。早く答えなさい」
少女の強い言葉を、竜は楽しそうに鼻息を鳴らす。
「いいだろう助力しよう、炎の記憶を使うと良い」
その言葉に、白髪の少女は眉をひそめた。
「炎? まさか後衛魔法? ふざけないで、前衛の魔法が必要なの」
「後衛で何が不満なんだ、あの小僧に守ってもらえば良いではないか、どうせ連れて行く腹積もりなのだろう?」
「ふざけないでって言ってるでしょ!」
苛立ちに染まった少女の怒号。
その時、彼女の背後で何か音がした。
ドアが開き、誰かがその屋上に入ってくる
「ロナ……ここで何を?」
現れた青年は少し怯えを見せながら、恐る恐ると言った様子で彼女に話しかける。
「――ルカ、心配しないで。私は大丈夫だから」
ロナと呼ばれた少女は竜へと背を向け、青年の方へと歩きだす。
「自由か……愚かだな人は、まるで焔に惹かれる蛾だ」
竜はそう大声で嗤う。
だけどその言葉に、二人は何の反応も返さなかった。
少女は無視をしていたから。
そして青年には、そもそもその言葉が聞こえてなかったから。
竜の存在を、青年は一切認識してなかった。
その古の竜は、少女にだけ認識できる存在だった。
少女の世界にだけ住まう、赫の王。
「ねぇルカ、わがままを言ってもいい?」
彼女は青年と向き合うと、救いを求めるような表情で問う。
「な、なに」
「私と一緒に、十層に来て」
既に覚悟をしていたのか、彼は多少口ごもりながらも、直ぐに応える。
「わ、わかった行くよ」
だが、応えて直ぐ彼は目を下に伏せると、弱弱しい言葉を溢しはじめる。
「だけど、僕は未熟だ、だから多分何も……」
彼女はそっと右手の指を青年の口に当て、言葉を制止させる。
「私を見ていて、それだけでいいから」
彼女はそのまま青年の瞳を見つめ、憂いの籠った言葉を紡ぎ続けた。
「十層できっと、私は『私をやめる』事になる」
――でもお願い、目を逸らさないで。
彼女の背中では、蒼い月が静かに輝き、赤き竜の鱗が煌々と眩耀を放っていた。




