ダズと英雄 4
――ロナがそうであるように、彼女の父もまた、用意周到な人間だった。
自身の死を冷静に予見していたグィンハムは、かなり手の込んだ遺書を残していた。
だから彼がワイルドキーパーと刺し違えたその後も、全て滞りなく順調に物事は進行していったのよ。
ある一点、次期ギルドマスターの座を除いてはね。
グィンハムは遺書の中でダズを指名していた。
当時のダズはまだ若造で、三幹部の中でも最も若く経験には乏しかったけれど、ギルドメンバーの多くはグィンハム同様に彼を支持した。
理由はその「若さ」
ワイルドキーパーが突破され、より深い階層への挑戦が可能になったからね。
メンバーの多くが新たなる冒険に夢と希望を抱いていた。
だからこそ、若き熱情に満ちたダズは適任だったと考えられていたの。
ある一人を除いて――
「――三幹部の一人、リンツ・ルシャベルトは、最初からその決定に不満を持っていた」
「リンツって……」
「聞き覚えがあるようね。リンツはアウトキャストの現ギルドマスターよ」
――あぁ、そういえばエリノフがそんな名前を出していたような。
僕はうっすらとした記憶を手繰りながら質問を続ける。
「で、なんでリンツには不満が? やっぱり若いから?」
「不満っていうよりも、懸念かな。ブラザーフッドが大きく変わろうとしてる事に、危険を感じていた――」
彼女はそう言うと、パイプの中の灰を捨てる。
――それまでのブラザーフッドは、所謂「攻略型」の探究者ギルドではなかった。
ファルクリースの人々からのちょっとした依頼をこなしたり、ダンジョンとは全然関係のなしに自警団のお手伝いをしたり。
まぁ、言うならば何でも屋みたいな立ち位置で、他のギルドからは結構バカにされてた。
でも、リンツはその状況を「良し」と思っていた。
収入は安定していたし、なによりもファルクリースの市民からとても信頼されていた。
普通探究者ギルドっていうのは、どうしても市民とは上手くやっていけない物だからね。
リンツはそんなブラザーフッドを愛していた。
争い無き時代、冒険無き時代を予見していた彼は、探究者ギルドの新たな形のテストケースとして、当時のブラザーフッドを愛していた――
「――でもね、そんな理屈っぽい思想を持っていたのはリンツただ一人だけ。大半のギルドメンバーは冒険を夢見る若物だった」
ルカ、今の君と同じ様にね。
彼女はそう言うと、パイプの中に新しい葉を詰めていく。
「でも、ダンジョンに冒険を求めていないなんて……」
「ダンジョンも無限じゃない、いずれは『南の魔殿』の様に攻略される。そうなった時、私達はどうなる?」
全ての階層が踏査され、全ての領域に道が敷かれ、全てのワイルドキーパーが打ち倒されたら?
「……リンツは、そんな遠い未来を危惧して?」
「そうね。ぶっちゃけ、ただのウザいオッサンだったんだよなぁ――」
――でもね、捨てる神が居れば拾う神もいる。
ファルクリースの豪商達は、リンツの考えを支持した。
そして豪商達は従来までのやり方を捨てた……つまりクエストの受注数を半分以下にし、低層での狩りを当面しないという方針を打ち出したダズを非難した。
いや、豪商だけじゃない。
ファルクリースの市民はみな不満を持っていた。
ブラザーフッドが、他の探究者ギルドと同様に、ただの攻略狂いなギルドになる事に。
だから彼らは寄付を募り、探究者ギルド連合に直談判を行い、新しいギルドを設立させた。
それが、「アウトキャスト」
リンツ・ルシャベルトをギルドマスターとした、新たな探究者ギルド。
ブラザーフッドが捨て去った物を、拾い集める為に作られたギルド。
「――アウトキャストとブラザーフッド、二つのギルドはちゃんと役割分担ができていた、だから何も問題なんてなかった。ロナからはそう聞いてましたけど」
僕がそう問うと、彼女がパイプを口から離し、灰色の煙を吐き出す。
「まぁ、最初の内はそうだったかもね」
「最初の内?」
「希望と熱に浮かされていたほんの一時の間だけよ」
彼女はそう言って、自嘲気味な笑みを浮かべる。
僕はただじっと黙って、彼女の言葉の続きを待っていた。
「今でも思うんだよ、アイツがちゃんと黙って親父のいう事に従っていれば……ってね」
「アイツとは」
「アドルフ・ルシャベルト、リンツの息子だよ。当時父親と仲違いしていた彼は、アウトキャストを嫌って、ブラザーフッドに留まった」
それが、まぁ不味かった。
不味いというか、最悪だった――
――最悪な事に、その後全ての事態がリンツの危惧した方に向かっていった。
ブラザーフッドは「攻略」が上手くできなかったんだ。
第十層以降に出現する強敵、「ソウルフレア族」がとにかく厄介な相手でね。
攻略組は予想以上の苦戦を強いられる事になった。
結局のところ、ここ「中央の呪城」は難易度の高いダンジョンで、私達は弱すぎたんだ。
それだけの話。
それだけの話に、私達はなかなか気づけなかったのよ。
いや、気づいていたのだけど、その現実から逃れようとしてしまった。
その結果、どうしようもない所にまで追い込まれてしまった。
グィンハムの死から一年の月日が流れても、結局踏査が完了したのだ僅か一層だけ。
クエストの受注量を意図的に激減させていた私達は、圧倒的な収入不足に悩まされる事になった。
最初の内はギルド連盟からご祝儀的な特別支援があったけど、直ぐに愛想を尽かされたよ。
「攻略も出来ない、クエストも出来ない情けないギルド」と、ファルクリースの市民は私達をあざ笑った。
「――仕方ないよね、先に切り捨てたのは私達の方だったから。市民がブラザーフッドに悪感情を持っていたのは、全くもって当然で正当な事だ」
ゼノビアはそう気だるげに言うと、窓の外に灰を落とす。
「そんなに、そんな簡単にギルドの運営は破綻してしまったんですか?」
僕はそう質問せずにはいられなかった。
まるで積木のお城じゃないか。
ギルドという組織は、そんな選択ミス一つで、容易に崩れ去ってしまう物だというのか?
「へぇ、多少は頭が回る様だなルカ、ただのおぼっちゃまかと思っていたよ」
彼女は嫌味な笑みを浮かべながら、楽しそうに身を乗り出す。
「はいはい、どうせ僕は世間知らずですよ。で、質問の答えは?」
「どう説明すればいいかな……確かにルカの言う通り、選択ミスは致命傷ではなかった。ダズがアウトキャストに頭を下げて仕事を斡旋してもらったり、クロマ鉄鋼の鉱脈が十五層に眠ってる事に気づいたギルド連盟が、結構な資金を注入してくれたりしたからな」
そんな風に辛うじて生きながらえてたブラザーフッド。
全てが駄目になったのは、二年前の夏。
第十三層踏査に挑んだ時の話だ――
――ブラザーフッドのメンバーは皆焦っていた。
一人残らず気を急いていた。
せっかく攻略中心のギルドとして新生したにも関わらず、何一つ成果を上げられない。
それどころか、毎日アウトキャストの連中に頭を下げ、あざ笑う市民達からゴミみたいな依頼を受ける日々。
連日ギルド連盟からは催促の使者が訪れ、ダズはノイローゼになっていた。
可哀そうな探究者だよ彼は、せっかく夢に見たギルドマスターに成れたというのに、そこには「栄光」も「武勇伝」も無かった。
「英雄無き時代の英雄」そんな酷い二つ名まで与えられて、慣れないギルド経営に心を折られていた。
だから、十三層の偵察部隊から「ソウルフレア族の弱点をみつけた」という報告が上がった時。
ブラザーフッドに歓喜の嵐が巻き起こった――
「――弱点、ですか」
「そう、確か『ソウルフレア族には各階層にハイヴマインドが居て、そのハイヴマインドを倒すと、該当階層のソウルフレア属全てが著しく弱体化する』だったっけな。偵察隊はソウルフレアの首を四つを得意気にテーブルの上に並べて、そんな事を話したんだよ」
ゼノビアはそう言うと右手で四回、何かをテーブルの上に置く仕草をした。
「へぇ、凄い発見じゃないですか」
「凄い発見だよ、これで踏査が一気に進むと皆喜んだ」
ソウルフレア族さえなんとかなれば踏査の難易度は激減する。
まぁ、楽勝とまでは言えないけど、少なくとも「困難」では無くなる。
十五層踏査が現実的になった気がした。
「じゃあダズさん達は、無事ソウルフレアを倒せて、十三層を突破できたんですか?」
「いや、できなかったよ」
え?
「え?」
どういう事?
彼女は僕の問いただす様な視線から目を逸らすと、小さく濃い煙を吐き出した。
「罠だったのさ。ソウルフレアは私達より一枚上手だった――」
――ハイヴマインドなんて個体は存在しなかった。
それは私達をおびき出すエサだった。
奴等が適当に作り上げたハリボテの個体。
倒したところで弱体化なんてしない。
罠。
私達を深い領域におびき寄せて、油断させるための偽の情報。
二十四人、四パーティで十三層に乗り込んだ私達。
生き延びたのは、わずか五人。
ダズ・イギトラ
ケイティ・フィッツロイ
テト・リウーヴ
ジェローム・ガスコイン
そして私
リンツの息子「アドルフ・ルシャベルト」もまた、十三層に取り残された屍の一つとなった。
ダズは、リンツの命よりも大切な一人息子を殺してしまった。
こうして、ブラザーフッドの終わりが始まったってわけよ――
「――どうだルカ、聞いて良かったか?」
何も言葉を吐き出せない僕に、彼女は嫌味ったらしい声を投げつける。
「だから私は言ったろ、知らない方が良い、知った所でどうしようもない話だって」
彼女はパイプタバコを片づけながら、言葉を並べる。
「ルカ、君は所詮ただの客人だ。私達の抱える問題なんて……」
まぁそれも若さだねぇ。茶化すようにそう言うと、ゼノビアは力なくヘラヘラと笑った。
「……貴女は、どう思ってるんですか?」
「は?」
「このままギルドが消えて、それでいいんですか?」
彼女は薄いため息を吐き出す。
「懐かしい価値観だな。正直な話、もうどうでもいいよ」
滅びるべきものが滅びる、それだけの話さ。
私は少し疲れた。
そしてダズは、私以上に疲れている。
もう、引導を渡して上げるべきだよ。
「引導って……」
「それともアレか? 君はまだこんなギルドの経営を続けるべきだと?」
休ませてあげな。
ロナも、ダズも、そして憎しみに溺れ続けるリンツの爺さんも。
――それで全て解決さ。
と、そこで唐突にドアを叩く音が部屋に響いた。
「ルカ、ねぇちょっといいかなぁ?」
ケイティの舌ったらずな声が聞こえる。
「あ、はい何ですか?」
「ここにゼノビアさん、居ますかぁ?」
ん?
ゼノビアが顔を上げ、それに応える。
「あぁ居るぞ、どうした」
「あ、ゼノビアさん。ダズが呼んでるよぅ、十五層攻略の打ち合わせがもうすぐ始まるから」
「判ったよ、直ぐ行くと伝えておいてくれ」
「はぁい」
ばたばたっと遠ざかって行く足音。
そしてゼノビアはゆっくりと席から立つと、帰り支度を始めた。
「十五層攻略の打ち合わせ……ですか」
「あぁ」
そうか、そういえばもう直ぐ来月になるのか。
十五層踏査への挑戦はもう間もなくで……
「ロナがいれば、十五層踏査は確実に成功するんですか?」
ゼノビアは僕の方を視ず、むしろ拒絶するように深々とフードを被る。
「できるさ、今や完全なる血線術師として覚醒した彼女がいればね。まぁ絶対に来ないけど」
「どうして来ないんですか?」
「知らないよ」
ゼノビアはドアノブに手を掛けながら、僕の方を振り返った。
顔の上半分は布で包まれ、表情の殆どが読み取れない。
僅かに覗く彼女の口元は、うっすら微笑んでるようにも見える。
「――最後にもう一つ良い事を教えてやろう、ルカ」
彼女の声色はもう何時もの物に戻っていた。
恐縮や、後ろめたさや、誠実さの抜けた。
いつもの冷たい皮肉に満ちた声。
「なぁルカ、ロナは見舞いに来たか?」
「え?」
「エリノフに刺されたから今まで、一度でもロナは見舞いに来てくれたか?」
うっ。
僕は言葉に詰まった。
そのことは内心かなり気になっていた。
『ロナの為に戦ったら死にかけたんだ、だったら見舞いの一つに来るのが常識だろ』みたいな、流石にそんな子供っぽい事を言うつもりはないけど。
それでもやっぱり、多分僕が死にかけた事は知ってるはずで、それなのに一度も来てくれないって。
すっげー気になってた事だったけど、それを気にしてるってちょっと女々しいというか、恩着せがましくて。
「まぁ君が理由を知ってるわけないか、教えてやってもいいぞルカ――」
――君が「知りたい」と望むならね。




