ダズと英雄 3
異世界転生十八日目。
乱暴なノックを音が部屋に響く。
「入って良いぞ」
窓際の椅子に腰かけ、ぼんやりと外の市場を眺めていたゼノビアがそう返事をする。
というか、勝手に返事をされた、ここは僕の部屋だというのに。
「っしゃーす、失礼します」
気だるげな声を伴って、一人のダークエルフが入ってきた。
彼女は脇に武器を二つ、大きな剣と小さな短剣を挟んでいる。
「もって来ましたよ、ゼノビアさん」
「あぁ、ご苦労ウルミア、助かるよ」
この部屋の主である僕の事なんてそっちのけで、彼女達は会話を始める。
ベッドの上の僕は、目の前の状況を理解する事を早々と諦め、朝食の乳粥を食べることに集中する。
「しかしゼノビアさん、マジであげちゃうんですか」
「まぁね」
ゼノビアはそう答えるとウルミアから二つの武器を受け取り、それをまじまじと眺めだした。
僕も粥を啜りながら、なんとなくその武器を見る。
大きい剣の方はスパタのようだが、以前僕が使っていた物と少しデザインが異なる。
短剣の方には見覚えが――
【エレマイトスパタ D:15 重量:10
魔力+1 触媒Lv1】
【クファンジャル D:3 重量:1
魔力+3 精神+3 破壊+2 変性+3 疾駆Lv8 付呪不可】
――表示されたステータスと名前を見て、僕は思い出す。
短剣の方はエリノフが使っていた物か。
二週間程前、僕の右手に突き刺さった武器だ。
そう認識した途端、あの時の記憶がフラッシュバックして僕は思わず目を瞑った。
エリノフとの戦闘、怖かった、死ぬかと思った、そしてエリノフの死体。
ヒキガエルの様に叩き潰された、人の内臓。
恐怖の渦が僕の脳に湧き上がる。
僕はただぐっと歯を食いしばって、その禍が収まるのを待つ。
大丈夫だ、落ち着け僕。
もう終わったんだ、僕はもう助かったんだ。
右手には痛々しい傷跡が残っていて、握力はまだ完全には回復しないけど。
それでも魔法による治療のおかげか、僕は日常生活に支障が出ない程度には治ってる。
落ち着け、僕。
もうほぼ完治したじゃないか、今日だってダズが心配するから安静にしてるだけだ。
――と、そんな具合で僕は動揺しているが、彼女達は僕に気遣う事無く会話を続けてる。
「スパタの方はまだ良いとして、こっちの短剣は勿体ないって絶対に、こんな雑魚魔剣士には使いこなせないから」
そう言ってダークエルフは僕を指差す。
かなり不服な様子だ。
「それは君の気にする事じゃない、余計な口出しは不要だ」
ゼノビアは何時もの厳とした、突っぱねるような言葉を返す。
「はいはい分かりましたよ三幹部様、一般メンバーの私は黙って従いますよ。折角のオフの日にこんな雑用を任されても、黙って牛馬の如く働きますよっと」
ウルミアは自棄気味に言い放ち、僕に刺々しい一瞥をくれると、そのまま部屋を出て行った。
再びゼノビアさんと二人きりの状況になる。
とりあえず食べ終えた乳粥のお椀をサイドテーブルに放ると、僕はここでやっと言葉を発する。
「で、その武器を僕にくれるんですか?」
僕の言葉に反応して、彼女はこっちを見た。
それは彼女らしからぬ、自信のない神妙な視線だった。
「短剣は元から君の戦利品だ、私からの贈り物はこっちのスパタだけだ」
彼女はそう言って剣の鞘を僅かに引き、露出した刀身を僕に見せた。
よく見ると、刃の表面に不思議な模様が刻まれている。
それは弱った蓄光塗料の様に、微かな光を放っている。
「この剣には触媒効果がある、魔法との親和性の高い武器だよ」
「なんでそんな武器を僕に? どういう風の吹き回しですか?」
ちょっとキツい物言いになってしまったが、僕は気にしない事にする。
ゼノビアさんからは、いつもキツイ言葉を浴びせられてるんだ、今日ぐらい僕の方からぶつけても……
「詫びだよ、エリノフの件のな」
あれは、私の認識の甘さが招いた物だ。
彼女はそう言うと、深々と被っていたフードを捲り、頭を下げた。
ボロボロに痛んだ栗色の長髪が垂れ下がり、それがどことなく寂れた雰囲気を出している。
「すまなかったルカ、私は事態を軽んじ過ぎていたよ」
まさかエリノフがあそこまで狂っていたとは……
ゼノビアはそう言うと重々しくため息を吐いた。
「狂ってるって、だからって彼は人を殺すんですか? そんな無秩序な行為が許されるんですか?」
「いいや、本来ならそれは重罪だ、最低でもギルドからの抹消、最悪所属ギルドへのペナルティと死刑って所か」
まぁ、それも「本来」ならの話だが。
ゼノビアはそんな意味深な言葉を付け加える。
「本来ならって、今回は適用されないんですか?」
「何を言ってるんだルカ、君は覚えてないのか?」
「え?」
「先に抜刀したのは君の方じゃないか」
あ!
――ああ!!
うっ。
そういえば……
僕は彼の挑発に乗って……
「私が『視ていて』良かったなルカ、『映像』が残って無ければ、今頃連盟の審議場に召喚されただろう」
マジかよ。
え、あの状況ってそういう。
僕はまんまと敵の罠にかかって。
それでゼノビアさんの追跡魔法のお蔭で死刑を免れて。というか追跡魔法のお蔭でダズさんが駆けつける事が出来て。
「あ、あっと、えっと、その、ゼノビアさん僕は――」
彼女は下げていた顔をそっと上げると、口元に微かな微笑みを浮かべる。
「まぁ気にするなルカ。君の振る舞いに落ち度があったしても、被害者である事には変わりはない」
とにかく、今回の事件は無かった事にした。
エリノフはロナを侮辱して、ブラザーフッドの新入りを貶めようとなんてしてないし。
ダズはその大剣で、エリノフの頭蓋骨をかち割ったりなんてしてない。
エリノフは不幸な事故で死んだ、それだけの話。
そういう痛み分けで一応決着がついてる。
「そ、それって、その決着って」
「ギルド連盟の決定だ、絶対に覆らない」
覆す理由も無い。
そうキッパリと言い切ると、ゼノビアはずっと手に持っていた剣を、ずいっと僕に差し出した。
「これをあげるから、君も全て忘れなさい」
新しいスパタと、エリノフの短剣。
僕は手を伸ばすと、武器を差し出すその手を押し返す。
「いりません」
「は? 受け取れよ」
彼女がぐっと僕の胸ぐらを掴んだ。
うわっ、怖っ!
「ルカ、これはお前の為を思って言ってるんだ、逆らうな」
「ぼ、僕の為って……」
「真実は忘れろ。エリノフの醜態が外に漏れればみんな不幸になる」
「わ、忘れます。僕はそれに文句があるわけじゃ、ありません」
胸を掴む彼女の力が緩む。
「だったら、君は一体何が――」
「武器なんていらないので、いい加減真実を教えてください」
ブラザーフッドとアウトキャストの事。
ロナの過去。
ダズの過去。
三年前の第十層で何があったのか。
いつまで僕を蚊帳の外に置いておくつもりなんだ。
「蚊帳の外…か」
ゼノビアはそう呟くと、僕から目を逸らし、自分の胸元を漁り始めた。
「そうやってはぐらかさないで下さい、今日こそは――」
「安心しろ、流石に今日こそは話してやるから」
彼女は立派なパイプタバコを取り出す。
材質は象牙のように滑らかな乳白色の石で、一目で高価な物だと分かる。
「それで、君は何が知りたいんだ」
「まずは……ロナと血線術師について」
緑衣の召喚術師は僕の言葉を聞きながら、上着のポケットから煙草の葉や半紙そしてマッチを取り出して、テーブルの上に並べる。
「血線術ねぇ。まぁ所謂『苛まれし血脈』って物だよ」
半紙をくるくると丸め、中に葉を一掴みづつ詰めていく。
「苛まれし血脈、ですか」
その言葉には見覚えがある。
たしか……ロナの持っていたアビリティの名前だったような。
「彼女の父、グィンハムは妻と交わり娘を生し、それと交わりロナを生した」
「へ?」
……娘と、交わって、ロナを作った?
「あまり一筋縄な人間じゃなかったのさ、グィンハムって英雄は」
「ロナは、その事を」
「当然知ってる。ロナはね、犠牲になり続けてたんだ、血に憑りつかれた父親……」
そこで不意に言葉を切った。
そして息を一つ吐くと、マッチを擦る。
「……いやグィンハムだけじゃない、誰もがそれを望んだ。ロナが最強の血をより濃く受け継ぐ事を、彼女が最強の魔術師になる事を、彼女が人間から乖離した存在になる事を」
誰もが彼女の力を求めていた。
それでいて、誰もが彼女を憎んでいた。
「憎む?」
「怖いんだよ、過剰な力を持った一人の少女が」
皆分かっているんだ、少女の人格を否定して、ただの力の器として扱う事の非道さぐらい。
だから表面上は彼女に、ごく普通の人権を与えている。
でもそれは「表面上」の話。
いくら綺麗ごとを並べても、彼女は歪だ。
過剰な力を持った、情緒の不安定な若者。
「そして彼女、ロナ・ヴァルフリアノ自身も、その現実をよく理解してる」
パイプに火種を落とすと、左手で軽くそれを煽ぐ。
「どうだ、ルカ」
「え?」
「君に彼女を救えるか?」
そう言ってパイプを咥え、煙を飲み始めた。
「救うって……」
「救えると思ってるんだろ? だから真実を聞く」
どうする?
なにから救う?
世界から彼女を救う?
運命から切り離す?
それを彼女が望んでいるのか?
お前に彼女を許容しきれるのか?
「僕は、別にそんな大きな事をするつもりじゃ……」
「ふん、ならばいい。童貞染みた幼稚な恋心を拗らせて、無責任な真似をしないのなら」
口から煙を漏らしながら、彼女は楽しそうに目を細める。
「いや恋なんて、そういうのじゃなくて僕はただ彼女に――」
「一応警告しておくが、彼女には惚れないでおけ。君の為にも、ロナの為にもね」
ゼノビアは僕の言葉を遮るように、少し語気を強めてそう念を押す。
いろいろ言い返したいが、上手く言葉が思いつかず、毒ガスの様な不快感が胸に満ちていく。
僕は、別にそんな単純な感情で動く人間じゃ……
っていうか、童貞って、ひどい。
「で、他に質問は?」
ゼノビアは天井目がけて煙を天井に向けて吐き出し、再び奥歯で吸い口を深く咥える。
僕は気を取り直して、次の質問に移る。
「アウトキャストとブラザーフッドについて、お願いします」
「やっぱりその質問か、まぁさっきのよりは答えやすい」
彼女の吐き出した煙が、こっちにまで漂い始めた。
現実世界でのタバコの香りとはだいぶ違う。
もっと甘くねたつく様な、不思議な香りだ。。
「お願いします」
「さて、どこから話そうか」
――三年前、グィンハムが死んだあの日から話を始めようか。




