ダズと英雄 2
ガシャッと鈍い金属音がなる。
「おっと、あぶないあぶない」
僕の斬撃は彼の左腕の小手で完全に受け止められていた。
いや、ただ受け止められただけじゃない。
刃が引けない、固定されてる。
「死ねクソガキ!」
怒号と共に、彼の右フックを僕の鳩尾へと叩き込まれた。
胴体が内側から爆発したかのような、強烈な衝撃が襲い掛かる。
僕の体は宙に浮かび、そしてそのまま背後の壁に叩きつけられた。
「がっ、うっ、ぐ」
息ができない。
全身を貫くような痛み、呼吸ができない。
だけど、ここで倒れるわけには……
「その首を落として彼女に送りつけてやるよ、二度と部屋から出てこれない様にしてやる」
鬼の声、そして刃が引き抜かれる音。
眼球だけをなんとか動かすと、エリノフが背中から武器を引き抜いていた。
幅広のショートソード、刀身には黄金色の文字が刻まれている。
「ま、『纏え』、『走れ』――<付呪:電撃>」
無理矢理声を絞り出し、刃に電流を走らせる。
「死に晒せッ!」
エリノフの斬撃が来る。
荒い怒声とは裏腹に、黄金色の残像が宙に残るような、素早く美しい剣技。
「くッ!」
金属が噛み合う音。
スパタとショートソード、二つの刃がぶつかり激しく火花が散る。
「足掻くなよ!」
エリノフがそのまま力任せに鍔迫り合いへと持ち込む。
非力な僕はまともに押し返す事が出来ず、そのまま壁に体を押し付けられてしまう。
「ぐっあ!」
刃に掛かるエリノフの腕力がどんどん強くなる。
ショートソードの刃を抑えている筈の諸刃のスパタが、徐々に僕の方へと傾く。
駄目だ、押し返さないと!
「傑作だな、自刃で死ね!」
スパタの傾きが強くなり、刃が僕の顔に食い込む。
鋭い痛みが走ったかと思うと、液体が伝うような、生々しい感覚が顔面に走る。
押し返せない、ならば!
「『貫け』――<電撃>」
刀身に溜めていた電撃を解き放つ。
刹那の雷光が、刃からエリノフの眼球目がけて放たれる。
微量の電撃、ダメージは殆どない。
「うぉあッ」
しかし、その強烈な光を至近距離でまともに受けた鬼は、怯んだような悲鳴を上げる。
スパタに掛かっていた重圧が消える。
行ける!
この好機を逃すな。
全力で鍔迫り合いを押し返し、エリノフを突き放す。
そして――
「オラッ!」
赤鬼の鎧の隙間、右腕部と胸部の境目に刃を振り下ろす。
その瞬間、再び宙に黄金色の残像が踊った。
キンッ、っと甲高い音。
側面から弾かれた僕の縦切りは、軌道が大きくそれ、相手にはかすりもせずにダンジョンの地面に突き刺さる。
ヤバい。
そう思った時、既に僕は鬼に首を掴まれていて――
天地がひっくり返ったような感覚に襲われる。
そして次の瞬間、全身が地面に叩きつけられた。
「くそッ!」
「大人しくしねや、クソガキ」
馬乗りになったエリノフが、刃を振り上げる。
首を狙った、止めの一撃を……
僕は咄嗟に右腕を伸ばし、その斬撃を手の平で受ける。
「げっ、ががあああああ!」
刃が手の平を貫き、神経を切り裂く痛みが僕を襲う。
だが斬撃は止められた。
刃は僕の手を貫いただけで、首には到達しなかった。
「死ねよクソガキッ!」
エリノフはそのまま全体重を刃に掛け、僕の首に剣先を届かせようとする。
「『破裂しろ』『焦がせ』『殺せ』――<電撃>」
僕は滅茶苦茶な叫び声を上げながら詠唱し、ありったけの魔力を、その刃の刺さった右手に注ぎ込む。
その時……
【詠唱成功
新魔法を習得
<雷の槍>
詠唱可能条件
破壊(9)】
……何かが網膜に映った。
でもそれはあまりに一瞬で、僕はまともに読み取れなかった。
そして次の瞬間、僕の想定をはるかに超えるエネルギーを持った、紫色の電撃が放たれる。
まるで質量を持つかの様に太く色濃い雷光。
それは雷撃と言うよりも、「槍」という表現が確かに相応しかった。
荒い息遣いが聞こえる。
苦痛と怒りと興奮に染まった呼吸。
「クッソ、ガキ……てめぇ」
雷槍に射抜かれた右目を抑え、僕からよろよろと距離を取る赤鬼。
その手からは、髄鞘と焦げた血の混じった敗血が伝い、ボタボタと流れ出ている。
「目を、やりやがったな、クソが」
僕は立ち上がり、今ひとたび鬼と対峙する。
「もう片目も吹っ飛ばしてやろうか」
カラカラに乾いた舌を必死に動かし、どうにかこうにか挑発を吐き出す。
「図に乗るなよ、ガキ!」
エリノフが牙を向き、床に突き刺さっていた僕のスパタを引き抜く。
やべぇ、こっちには武器なんて……
右手には未だ短剣が突き刺さっているが、筋肉の痙攣でさえ激痛を伴う具合で、とても引き抜けない。
――――
【名前:エリノフ・マクシミリアン
HP:72/137 MP:21/21】
【名前:ルカ・未入力
HP:13/82 MP:3/65】
――――
無理、絶対無理。
勝てない、こっから先はワンサイドゲームになるのは目に見えてる。
ステでも装備劣ってるっていうのに、コレは無理だ。
勝てる未来が無い。
どうすれば良いんだよ。
「もうその辺にしたらどうだ」
いきなり目の前の虚空から声が響いた。
「え?」
空間に歪みが生じたかと思うと、そこから人間がぬっと出てくる。
あの時と同じ、先日の図書館の時と――
だが、歪みから現れた人物が違った。
黒鱗のリザードマン。
ダズ・イギトラ
「遅れてすまない。ルカ、大丈夫か」
空間をかき分け登場したギルドマスター。
彼は僕に心配の言葉を掛けながらも、エリノフに鋭い視線を向ける。
「ダズッ、てめぇ」
エリノフの武器の柄を握る手に、ぐっと力が入るのが見て取れた。
「やり過ぎだエリノフ、これは明らかに一線を越えている」
殺人に手を染めるとは、アウトキャストも堕ちた物だな――ダズは淡々と言葉を並べていく。
劇的な登場からの静かに相手を威嚇するその姿は、昂ぶっている僕や赤鬼とわかり易く対照的かつ異質で。
それ故、十二分に場を支配する力を持っていた。
「てめぇがそれを批判するんじゃねぇよ、十八人ものギルドメンバーを殺した、てめぇが言うんじゃねぇ!」
エリノフが吠える。
今までになく大声で、力強く、意志を込めた言葉で。
それでも、そこまで強く我を誇示した慟哭だというのに。
今の彼に先ほどまでの威勢の良さはまるで感じなかった。
――恐れてる、ダズの事を。
「退けエリノフ、今なら見逃してやる」
エリノフが右目から手を離す。
白濁した鬼の瞳が、ぎらぎらとした憎悪の光に染まる。
「俺は、もう逃げない!」
スパタを両手で振り上げ、鬼が走り出す。
ダズも背中の大剣を抜き、それを迎え撃つ、。
――それからは、本当に一瞬だった。
ダズの大剣は、スパタごとエリノフの体を両断した。
まるでチーズをスライスするかのように。
彼の体は真っ二つに裂け、ズレ落ちた。
大量の血が床を濡らす。
真っ赤な臓物、くすんだ骨、死にかけた人間の悲鳴。
「だあああああ、あああああああああ!」
まるで壊れた人形の様に、エリノフの上半身は悲鳴を上げる。
いや、それは真実壊れた「人間」だった。
体の器官の大半を失い、生命の維持が困難になり、口から溢れ出る血泡でごぼごぼとした嗚咽。
「動くな、今楽にしてやる」
ダズはそう言うと、彼の頭に大剣を振り下ろした。
頭蓋骨の砕ける音、一瞬彼の眼球がゴム玩具の様に飛び出た後、灰色の脳漿がまるで花を咲かせるように飛び散った。
それは――
それは殺人だった。
人が、人の命が、人の体が。
力によってばらばらに切り裂かれた。
「良く見ておけルカ」
ダズが砕けた頭蓋骨から大剣を引き抜く。
大剣には大量の髄と、それから何か黒い――
「力とは正義だ」
その「黒い物」に注視してはいけない。
僕の本能はそう告げた。
はっきりと、明確に、それを忌避せよと命令を下した。
でも、僕はそれに従わなかった。
目の前で作られた死体に冷静な判断を失っていた僕は、命令に直ちに反応できるだけの判断力が欠如していた。
「そして正義とは、英雄だ」
――【血線のクリスタル 重量:1】
この世界はゲームの世界だ。
だから当然、人の命だってゲームなのだ。
そんな当たり前の事実にやっと気づいた僕は、その場で盛大に嘔吐した。
「すまなかった」
ダンジョン内で簡単な応急処置を終えると、ダズは直ぐに謝罪した。
「そんな、礼を言うのは僕のほうじゃ……」
「いいや謝らせてくれ、今日君が襲われたのは全て俺たちのせいだ」
許してくれと言って、黒い大トカゲは頭を垂れた。
――「俺たち」のせい、か。
いいや、本当は「俺たち」では無く「ロナ」のせいなんだろう。
ロナがまた動き始めたから……ブラザーフッドの崩壊を静観すると決意した彼女が。
自室に引き籠っていたはずの最強の魔術師が。
再び「ルカ」という存在と共にダンジョンに潜っていたから。
崩壊が阻止されるのでは、そうエリノフは焦り。
僕を痛めつけ、彼女を脅迫しようとしたんだ。
「ブラザーフッドは、本当に消えるんですか?」
そんな質問が勝手に僕の口からこぼれていた。
ダズの表情が暗澹とした様相に曇る。
「ゼノビアが、そう言ったのか」
「いいえ――」
小さな嘘をついた。
「――エリノフとパジェです、貴方がギルドの経営に失敗したと彼らは言っていました」
ダズは腕を組んだ。
「あの二人か……安心しろルカ、それは全て出鱈目だよ」
「稟議書や、十四層攻略の話も、すべて出鱈目なんですか?」
いいや。
出鱈目なわけがない。
真実の筈だ。
「そんな事を知ってどうするルカ、知らない方が良いことだぞ」
仮にもしギルドが潰れてもルカの身の保障はする、他の探究者ギルドに推薦してやる事もできる。
彼はそう言って、バツが悪そうに僕から視線を外した。
「僕が聞きたいのはそんな事じゃない、僕はロナを助けたいんだ」
「助ける、か」
ギルドの長はそう呟いて、視線を僕に戻した。
「似ているな、俺と」
「何?」
「俺の私とそっくりだよ。君も物語の主人公になりたいんだろ?」
彼のその言葉に、今度は僕がそっぽを向く。
なんだか批判されているような気がした。
お前のその熱意は、真実ロナを救うためでなく、悲劇的なヒロインを助けるヒーロー願望による物じゃないないのか?
そう言われた気がして、そしてその批判は、ある面に置いては事実だった。
「恥じる必要はないさ、それもまた立派な動機だ」
「ダズさんも物語の主人公に憧れて、ギルドマスターに?」
「まぁ、そんな所だ」
英雄に憧れて、体を鍛えて、探究者ギルドに入って、悪い物を退治して、弱い人を救い続けた。
自分なんて物は二の次にして、目の前の不条理を正す事だけに己れを捧げた。
「――なんて、自分で言うのは恥ずかしいが、でも実際に俺はそんな存在を目指し続けた」
「正義感の強い人ですね」
如何にもラノベなキャラだ、僕はそう心の中で毒づいた。
そんな高尚な思想、僕には絶対に持てない。
自分よりも他者を優先して守るだなんて、馬鹿げてる。
できるわけがないんだよ。
「正義感?」
でもダズはそこで目を細め、さも可笑しそうにクックと笑った。
「違うんですか?」
僕がそう問うと、意外な回答を彼はした。
「全然違う、そんな物じゃないよ」
「え?」
「俺はただの俗な人間さ。皆から賞賛されたかったんだ、自分の居場所が欲しかっただけさ。自分を曲げなくても自分を押し通せる、そんな憧れの『主人公』になりたかったんだ」
「自分の『居場所』――」
――その言葉は、僕の胸に強く響いた。
ぼくはこの世界に来るとき、正しく同じような事を神様に言った。
僕の望む世界、僕の本当の居場所。
彼は。
ダズは。
僕と似ている。
「手に入りましたか? その居場所って」
「まだだよ、まだまだ道は遠い」
「まだなんですか、大変ですね」
十年以上も戦い続け、ギルドマスターという地位に上り詰めて、それでもまだ……
「あぁ大変だよ――」
僕の思考を払いのけるように、彼は不敵な笑みを浮かべる
「――でも楽しいぞ」
それから暫く休んだ後、僕等は歩き出した。
依然として全身の怪我は鈍い痛みを訴えるので、僕はダズに肩を貸してもらい、真っ二つになってしまったスパタを杖の様にして歩みで。
僕らはダンジョンの出口を目指した。
「ルカ君の言った通り、確かに俺たちブラザーフッドは、今変革の時を迎えようとしてる」
その間彼は半ば独り言のように、淡々と語っていた。
「それは思わしくない変革で、例え幾ら俺たちが抗おうとも避けれぬ物かもしれない」
ブラザーフッドの消失。
ロナの癒えない心の傷。
そして、結局何もできないままの僕。
「でもな、努力する事をやめちゃあいけない、未来を変える事をあきらめてはいけないんだ」
自分の目の前にできる事を、一つづつで良いから、処理していくんだ。
「そうすればきっと、神様が見ていてくださるからね」




