ダズと英雄 1
異世界転生六日目
僕は軽く深呼吸をすると、覚悟を決める。
そして目の前のドアを軽く二回ノックした。
「えっと、ロナさん?」
僕の声に反応して、中で人の気配。
室内に居る人物の緩慢な動きを、ドアを隔てながらもなんとなく感じる。
「ルカなの?」
返事があった。
「はいルカです、おはようございます」
妙に緊張してしまった僕は、ドア越しだというのに深々とお辞儀をしてしまう。
「……ごめんルカ。私、今日も体調悪くて」
ダンジョンには潜れない、本当にごめんなさい。
少女の声は小さく、オーク材のドアを通すのもやっとだ。
弱っている。
今、彼女は精神的にとても弱っている。
二日前にアウトキャストの二人に絡まれてから、彼女はずっとこんな感じだ。
自室に引き籠り、偶に人目を避けるように外出しては最低限の食料だけを買う。
僕以外のギルドメンバーとは、会話さえ成立していないらしい。
――これが、引き籠りか。
「いえ、ご心配なさらず、お体を大事にしてください」
「ごめんねルカ、ごめん。私……最低だよね」
うっ。
そんな事まで。
「そんな事言わないでください、僕はぜんぜん構いませんから」
彼女からの返事は無い。
僕は思わず苦虫を噛み潰したように、表情を引きつらせる。
これは難儀だな……
もしロナが僕の命の恩人でも、散々お世話になった師匠筋の人でも、その血脈故に過度な期待をされてる不運な女性でもなければ。
僕は普通に「うわ、めんどくさい人だ」と漏らしていたかもしれない。
漏らしていた自信がある。
「ルカ……」
「はい、なんですか」
「お願い、私に優しくしないで」
うっ。
めんどくさい人だ。
これ以上話しかけるのは得策じゃないな。
そんな懸命な判断を下すと、そそくさとドアの前を離れる。
――もちろん、僕だってロナの事が心配じゃない訳ではない。
彼女の精神状態がどうしようも無くて、誰かが助けてあげないと不味い、っていうのも分かってる。
でも今の僕にはそんな能力も、余裕も、知識も無い。
僕は結局子供に過ぎなくて、力の無いモブキャラに過ぎないから。
もっと
もっと僕に
力があれば――
僕に力があれば。
ブラザーフッドも、彼女も、全部救えるのでは。
「今日はソロでダンジョンに潜ろう」
居住区の廊下を小走りで駆け抜けながら、僕はそんな決意を固めた。
――が、しかし。
「やっぱソロは無理だわこれ」
僕のその決意は、ダンジョンに入って僅か二時間で風前の灯となっていた。
眼の前には、両腕を切断されたロバークラブが無様にひっくり返り、わしゃわしゃと最期の抵抗を示している。
この敵は、本日四体目の敵。
一応レベル0~1の格下ばかり狙ってはみたものの、ソロでのレベル上げは想像以上に難航した。
まずそもそも敵を見つけ出せない。
ロナはどうやら探索系のアビリティを持っていたようだ。
僕一人じゃあ適正レベルの敵(それも群れていなくて、戦いやすい場所に居て、さらに此方に気づいていない)を探し出すのにはびっくりするほど時間がかかった。
それと「強めの敵の処理」ができないのが辛い。
例えば今までなら、通りたい通路をちょっと強めのモンスターが塞いでいても、ロナがビッと一瞬で始末してくれたのだが……
「……やっぱり、パーティは必須だな」
僕はぼやきながらスパタを振りおろし、蟹に止めを刺す。
と次の瞬間、僕の全身に奇妙な光り輝く紋章が一瞬浮かびあがった。
橙色の温かみのある閃光、そしてどこかあの「神様」を思い出させる模様、それが一瞬だけ全身を駆け巡る。
【レベルアップ】
そんな表示が視界の隅に映り込んだ。
「お、上がったか」
久しぶりだな。
最後に上がったのは……考えないでおこう。
とりあえず久々に自分のステータスを開いてみる。
――――
【名前:ルカ・未入力
HP:37/82 MP:34/65
ジョブ:魔剣士
レベル3
筋力:4 技量:5 知覚:6 持久:2 敏捷:5 魔力:9 精神:6 運命:2
武器スキル
片手剣(3)
両手剣(8)
魔法スキル
破壊(9)
神聖(4)
変性(9)
アビリティ
近接適正
ファストキャスト
蒼き玉座の担い手
装備
鋼鉄のスパタ
革の鎧】
――――
分かってはいたけど、大して強くなってないね、アビリティも増えてないし。
相変わらず弱いまんまだ。
ギルドメンバーは皆さんの基礎ステータスはどれも10~20はあるし、得意なスキルは20~30はある。
それに比べて僕の弱いことよ。
レベルが三倍も四倍も違うのだから仕方ないと言えば仕方ないのだろうが。
こんなんでやっていけるのか、そんな湧き立つ失望感に僕は頭を抱える。
すると、ぬるっと妙な感覚があった。
「あれ」
見ると、右手の甲がざっくりと斬れ、そこからどくどくと血が流れ出ていた。
傷を認識する事で、遅れて痛みがやってくる。
「痛てて、蟹に斬られたか」
結構深い傷だ。
僕は左手で腰の道具袋をがさがさと漁り、一つの革の巾着袋を取り出した。
中には宝石を砕いたかのように、きらきらと光る粒子が大量に入っている。
【ゼンギアの回復薬(劣悪) 重量:1 中毒性:1】
ダンジョンに潜る前、オークションハウスの薬剤店で買った物だ。
ロナというヒーラー役がいない今回、少しでも助けになればと。
劣悪、という注釈がかなり気がかりだったが、僕の手持ちのお金で余裕をもって買える回復薬は、これしかなかった。
……というか、回復薬の類全般がめっちゃ高い。
カッコイイ名前の付いた武器よりも、回復薬(中)とかの方が断是高いって、変な世界設定だなと。
「この劣悪な回復薬だって、銀貨二枚もしたからなぁ。まぁ背に腹はなんとやら……」
そんな事をぼやきならがも、店員さんに教わった通り、軽く一つまみ取って、傷口に塗ってみる。
――痛ッ!
痛い!
なにこれ滅茶苦茶痛い!
「いだっだだっだだあああああッ!!」
沁みるとか、ひりひりするとか、そういう次元の痛みじゃない。
まるで傷口に塩塗れのマイナスドライバーを突っ込まれてグリグリ引き裂かれる様な。
「っぐ、っぐえええ、っぐうううう」
痛みのあまり、僕はその場に倒れ、転げまわる。
傷口から少しでもその刺激物を落とそうと、粉を拭おうとするが、余計傷口に深く入ってしまい……
「痛い、痛い、無理無理無理」
無理、これ本当に無理な奴、無理無理無理。
激痛に耐えられない僕は、まるで死にかけたミミズの如く体をのたうち廻らす。
眼には涙が滲み、意味も無く左腕で右手首を鬱血するほどに握りしめる。
「あっ、あっ、あっ、うっ、うっ、うっ、ぐふぅううううう!」
獣のような叫び声が飛び出る。
叫んでないとやってられない!
眼球からは勝手に涙が零れ、脳みそは激痛にパニックを引き起こして機能停止した。
三十分後。
革の水筒の中身を右手にぶちまけた事で。
傷の痛みはどうにかこうにか、意識を正常に保てるレベルに落ち着いてくれた。
「うっ、ぐっ、あぇ、うぅ」
僕は左手で必死に涙をぬぐいながら、ダンジョンの回廊に横たわっている。
敵に襲われる可能性だとか、そんな事考えてる余裕もない。
すっかり憔悴しきった膏汗でびちゃびちゃの新人冒険者は、もはや立ち上がる気力さえ残ってなかった。
「ふ、ふ、ふざけんな」
なんだあの痛みは。
痛みって次元じゃなかったぞ。
今だって滅茶苦茶痛い、まるで右手を塩酸の中に突っ込んだかのような……
そこで僕はようやく気付く。
「うわ、傷治ってる」
右手の甲にざっくりと刻まれていた傷は、蚯蚓腫れのような痛々しい跡こそ残ってはいたが、ほぼ完全に修復されていた。
でも、まだ痛い。
「これは、ちょっと無理過ぎだよ」
こんな回復薬、使えるわけないじゃん。
さらに三十分後。
どうにか痛みは引いてくれて、僕の気力もそこそこ回復した。
なのでとりあえず立ち上がって、一つの決意を心に刻む。
「もう二度と、ダンジョンにはソロで挑まない」
こんなの無理だ。
自己回復手段が厳しすぎる。
僕はスパタを杖の様にして、よろよろと歩きだす。
ソロプレイは困難。
やはりパーティでの行動が原則。
レベルを上げたくば、パーティを組まないと。
どうやって組む?
ギルドメンバーはみんな軒並みレベル二桁だから、それ以外で探さないと。
たしか、オークションハウスの掲示板にパーティメンバー募集の紙が貼られていたような。
とにかく、ロナが何時復活するかわからない今、なんとしてでも。
なんとしてでも?
僕はそこで少し冷静になる。
――何を言ってるんだ僕は。
なんで僕は、そんなにレベルを上げたいなんて思ってるんだ。
別にいいじゃないか、大人しくしていれば。
無理にダンジョンに潜ったって、こんな風に体をボロボロにするだけだ。
野良パーティを組んでみる?
そんなの、失敗するのは日を見るよりも明らかだ。
それなのに、何で。
どうして僕は。
「どうして未だに、主人公への憧れを捨てられないのかなぁ」
自嘲的な笑いが、思わず零れ落ちる。
僕は呆れていた、見限っていた、失望していた。
まだ主人公なんて夢を追っている自分に、とことんウンザリしていた。
いい加減現実を受け入れるべきだといくら言い聞かせても、必死に努力を続ける自分の心をせせら笑っていた。
「ロナを助けたい? ギルドを存続させたい? まだこの世界に来て一週間も経ってない子供が何をいってるんだよ。身の程を弁えろって」
ゼノビアの口調を真似て自分を説得させようとする。
でも、ガッガッとスパタを頼りにした歩みは、より力強さを増すばかりだ。
「……仕方ないよなぁ、あの人達はいい人だもの」
ロナも、ダズも、ゼノビアも、ギルドの人々たちも、彼らは多分善良な人達だ。
だからこそ、助けになりたい。
そんな当たり前の意志は、どう説き伏せようとしたところで、静まるわけもなかった。
「力だ、僕に主人公としての力があれば」
ぶつぶつと言葉を溢しながら、僕は暗いダンジョンの回廊を歩き続けた。
力が欲しい。
知識も、人脈も、経験も無い今の僕。
そんな人間が何かを成し遂げるには、きっと「武力による解決」というシンプルな道しかないのでは。
もし今の僕にラノベの主人公みたいな力があれば。
単純に十四層攻略で活躍して見事攻略、稟議書をひっくり返せる。
いや、あのアウトキャストのムカつくやつらをを全員ぶっ倒しても良い。
そこまで考えて、はた気づく。
「あれ、でもロナってなんでそれをやらないんだろう」
ゼノビアの言葉が本当ならば、彼女は最強の魔術師のはず。
だったら、先のどちらも行なう事ができるのでは?
十四層攻略も、アウトキャスト制圧だって……
「……だから、『抑止力』なんて表現を使ったのか」
ロナはカードゲームでいう所のジョーカー的なポジションなのだろう。
彼女がこのまま動かなければブラザーフッドは滅び、もし――
『君は『十四層攻略組』から外れてるから』
『ブラザーフッドと心中するつもりか? 自分で殺すギルドと一緒に自分も殺すってか』
『それ故、誰もが彼女を求めているが、誰もが彼女を憎んでいる』
――繋がった。
それまで全く意味が理解できなかった数々の言葉の真意が、すっと汲み取れた。
「ロナに、ブラザーフッドを助ける気はないのか」
口に出す事で僕はより強く確信する。
助ける気が無いどころか、むしろ彼女はあのギルドが潰れる事を望んでいる。
それは多分アウトキャストとは一切関係の無い、彼女自身の意志。
だから彼女はブラザーフッドからも、アウトキャストからも憎まれている。
何故そんな事を?
父親?
それとも……
「不用心だな、そんな下向いて歩いてんじゃねぇよ」
不躾な大声が僕の思考を遮った。
反射的に顔を上げると、前方のダンジョンの壁に、一人の探究者が寄りかかっていた。
「よう、たしか『ルカ』だったか? 今日は一人か」
燃える様な赤い鬼。
エリノフ・マクシミリアン
「お、お前は。あの時の」
先日、襲ってきた二人組の片割れ。
「『お前』? 先輩相手に随分生意気な新人だな」
殺しちゃうよ?
重装甲で全身を包んだ悪鬼はそう言って、残虐な笑みを浮かべた。
―――
【名前:エリノフ・マクシミリアン
HP:124/137 MP:21/21
ジョブ:闘士
レベル:12
筋力:26 技量:23 知覚:14 持久:21 敏捷:13 魔力:7 精神:8 運命:14
武器スキル
片手剣(27)
格闘(21)
魔法スキル
破壊(11)
アビリティ
近接適正
バトルクライ
レジストフレイム
ウォーモンガー
メイルマスタリー
蛮勇
不屈の意志
タクティカルウォッチ
装備
クファンジャル
暗鉄の帯鎧
噛み付きの指輪】
――――
やべぇ
滅茶苦茶強い。
魔力以外の能力が押しなべて僕より高い。
どうする?
交戦は避けないと……
僕はジリジリと後退して、彼から少しでも距離を取ろうとする。
「逃げてんじゃねぇよ」
鬼が歩み寄ってくる。
クソが、来るなよ!
「何の用ですか、エリノフさん」
僕は右手をスパタの柄に掛ける。
「用って、お前と話がしたいだけさ」
「話?」
「あの『白濁娘』についてさ」
下卑た嗤いの混ざった声で、彼はそんな聞きなれない単語を発した。
ロナ……の事か?
「随分と仲良さそうにしてるじゃないか、えぇルカ君、うらやましい限りだよ」
エリノフは言いながらもどんどんと距離を詰めようとしてくる。
「俺にはとてもできねぇよ、あんなゴミと仲良くするなんざぁ、とてもできねぇ」
なんだ、彼は何が目的なんだ。
僕はその場に足をべったりと付け、腰を落とし、居合切りの様にいつでも抜刀できる体制をとる。
それでもエリノフは歩みを止めない。
「自分の生まれ育ったギルドが滅びようが、自室に籠って見て見ぬ振りをする下種な女と、仲良くダンジョンに潜るなんて耐えられないぜ」
「来るな!」
エリノフは悠々と僕の間合いに踏み込む。
その歩みには一切の躊躇がなく、いかに僕を舐めてるかの現れに思えた。
「リンツの爺はあの女をアウトキャストに向え入れるつもりらしいが、俺はそんな事をすべきじゃ無いと思ってる。あんな癌は死ぬべきだ」
いいや殺すべきだ。
いいや自殺するべきだ。
いいや消え失せるべきだ。
いいや俺が消してやろう。
ルカもそう思うだろ?
「お、お前」
エリノフが僕の直ぐ前に立つ。
視線が交差する。
彼の目は、加虐の愉悦に揺らめき、僕に強い負の感情を植えつけようとしていた。
「あんな女とどうして仲良くできる、あんな汚い魔姦の堕とし子と――」
――不潔だよお前も。
大いに不潔だ。
それとも、そういった事実さえも聞かされてないのか新人君。
「何、言ってやがる」
こいつ、エリノフは今なんて言った。
マカンの堕とし子?
魔姦?
どういう。
どういう意味だ。
「はぁ気づいてないのか、じゃあまだブチ込んでねぇのか、なんだよ知りたかったんだよなぁ」
魔物の孕み子に付いてる性器は、人の形か魔物の形か、あんたなら知ってるかと思ったんだけどなぁ。
「――てめぇッ!」
頭よりも先に体が動いていた。
僕は刃を鞘から引き抜き、全力でその鬼を斬りつけた。




