ホームにて
「雲の流れが速い秋空と、少し冷たい風が似あう人だったわ」
水族館でのデートの帰り。里見絵里美は突然つぶやいた。平日だけに、ホームで列車を待つ人は少ない。
「あ、ごめんなさい」
目を丸くして、絵里美は右手で口を押えた。短く切りそろえた髪の毛が、振り向く動きと風とにもてあそばれて踊る。傍らに寄り添っていた瀬戸田春樹は微笑んだ。
「いいさ。彼とここに来たことがあるんだろう。そしてあの時は楽しかった、だろう?」
「そう。でも、今はもっと楽しい」
晩秋の夕暮れ。
冬を急ぐように、低い空のうろこ雲が流れている。夕焼けまでもう少し。
「ぼくも、とても楽しいよ」
風が、春樹の髪の毛をなでた。斜光を受け笑顔が輝いている。
「私、幸せ……」
見つめ合う二人の背後で、列車の到着を告げる軽快な音楽が響いた。
半年前、里見絵里美は不幸のどん底にいた。
恋人だった衛藤省吾が踏切事故で命を落としたのだ。
生きる望みを望みを失った絵里美は、ホームから貨物列車に飛び込んで自殺するつもりだった。
ホームに列車の到着を告げる軽快なメロディーが流れ、目をつぶって一歩を踏み出そうとしたそのとき――。
ぱしり、と逆手を掴まれた。
目を開けて振り向くと、なんとそこには、死んだはずの衛藤省吾が立っていたのだ。
振り向いた絵里美の背後を、貨物列車がごとんごとんと走りぬけていった。
吹き晒される髪の毛。
絵里美は夢ではないかと疑ったが、現実だった。
立っていたのは、衛藤省吾にそっくりな、瀬戸田春樹。
運命の出会いだった。
瀬戸田春樹は、心理カウンセラーだからと、その後も何かと絵里美を気遣った。
最初は戸惑っていた絵里美だったが、次第に惹かれていった。春樹の方も、いつの間にか彼女を意識するようになり、恋に落ちた。
やがて二人は、かつての絵里美と省吾と同じくらいの仲になった。
絵里美はそっと、神様に感謝した。
省吾と春樹は双子といってもいいくらいうり二つだったが、まったく違う点があった。
寝起きの問題だ。
二人が初めて、絵里美のマンションで一夜をともにした朝、春樹は心臓が飛び出そうになって跳ね起きた。
リリリリリ、とけたたましく鳴る目覚まし時計に驚いたのだ。
省吾と二人で選んで買った目覚まし時計。省吾は寝相も悪く、買った次の日の朝には、目覚まし時計を止めそこなってテーブルから床に落としてしまった。以来、ジリリリリとは鳴らずにリリリリリとしか鳴らなくなった思い出の品だ。いまだ使い続けているのは、絵里美も寝起きが悪いから。
「ぼくが起してあげるのに」
春樹はそういって、使わず仕舞い込もうとした。
「私って、子どもの頃から悪夢にうなされて起きてたの。怖いことになる前に起してくれるから、使ってないと心細いのよ」
恥かしそうに絵里美は告白した。
「いつもぼくがそばにいるじゃないか。悪夢からも、守ってあげるよ」
「うん……。うん、分かったわ。ちゃんと、助けてね」
絵里美は納得して、目覚まし時計を仕舞い込んだ。ほんの1ヶ月前の話だ。
ところが。
それでもやはり、絵里美は悪夢にうなされ続けた。
それどころか、現実が再び、悪夢になった。
瀬戸田春樹が、踏切事故で世を去ったのだ。
「もうすっかり、冬ね」
うつろな表情でつぶやくと、絵里美は空を見上げた。
雪が今にもちらつきそうな、どんよりした雲が空の低い位置に重たくのしかかっていた。
大好きだった水族館を見て回った帰り。いつもなら気分よく、帰りの列車の到着を待っていた駅のホームだが、今日ばかりは沈んだ気分にしかならない。
いつも二人で来ていた。
衛藤省吾とタツノオトシゴのユーモラスな動きを見て微笑んで、瀬戸田春樹とクリオネを見て目を丸くして……。
それなのに、今日は一人。
せめて最後にお別れだけでもと思い一人で来たのだが、やはり輝いていた思い出が悲しさを膨れ上がらせるだけだった。
ただ、やはり来て良かったと絵里美は改めて感じた。
もう、思い残すことはない。
独りぼっちで二度取り残された彼女は、今度こそ、帰ろうと決心していた。
衛藤省吾のもとへ。そして、瀬戸田春樹のもとへ。
いつも心身とも充実して揺られていた、帰りの列車で。
「もうすぐ、列車が到着する時間」
絵里美はそっと白い靴を脱ぎ、ベンチの横に隠すように並べて、手紙と一緒に置いた。
「省吾、春樹。今、私もそっちに行きます」
新たな旅立ちに、靴と手紙に背を向ける絵里美。閉じた目から、涙の滴が伝った。
やがて、人のまばらな平日のホームに、ジリリリリリというけたたましい音が鳴り響いた。
おしまい
ふらっと、瀬川です。
他サイトの、三つくらい縛りのある競作企画に出展した旧作品です。
確か仲間内で「夢オチの可能性を探ろう」と盛り上がった「夢落ち祭」の回での作品です。当然縛りの一つ目は「夢落ちであること」。もう一つは「死んだ恋人に瓜二つの人物が登場し恋に落ちる」だったか。若干緩めのもう一つの縛りは忘れました。
2004年の作品です。
いやあ、夢オチを前提に、しかも読者も夢オチと分かってて読むというのはなかなか無理がありますね(笑