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シュウがこの奴隷島に連れてこられてから約半年。レイが来てからは五ヶ月ほどになるだろうか。奴隷島では相変わらず、日々、労働に追われる毎日だった。
そもそも、奴隷島にいる奴隷達は約百名程。男が大半であり、皆、島にある鉱山に鉄を掘りに行く。女は農作業をしつつ、自らの糧も育てていた。唯一の例外は、奴隷達の宿舎にずっといるミロルであったが、ミロルは男達が作業している鉱山からでる毒の霧を、自らの恩恵で中和する役目を持っていた。本来であれば、毒を中和するような恩恵を持つ人間はもっと高待遇を望めるのだが、この奴隷島の管理者はこの島の鉱山の旨みを毒があるから、という理由だけで手放すのが惜しかったのだ。
管理者が奴隷島を所有し鉱山を掘り進めはじめた当初は、毒で死ぬ人間が後を絶たず人材補給に追われていたが、偶然見つけた毒を中和するミロルの存在が彼を救った。それ以来、ミロルは日々、この島の毒を中和し続けている。
ミロルが来てからは人材補給はそれほど頻繁には必要なくなり、さらなる利益を生んだ。そうして安定していた奴隷島の様相だったのだが、それがここ最近変わりつつあったのだ。奴隷達の生活が、明らかに向上していた。
「おい、シュウ! ここ治してくれよ!」
「またかよ、ケルガー。最近ひっきりなしだな」
「まあな。非力なお前と違って、重いもん運んでんだよ」
そんな軽口をたたきながらやってきたのは、シュウと同い年くらいの少年だ。シュウより一回りくらい全体的に大きく、色素の薄い茶色い髪が印象的だ。
ケルガーと呼ばれた少年は、慣れた様子でシュウの前に座る。そもそも、ここがどこかというと、食堂の端に設置された狭い空間だった。そこをシュウは診察室と呼び、日中の労働が終わった後、ここで奴隷達の診察や治療などにあたっていた。まあ、大部分はケルガーみたいにすり傷や打撲程度なのだが。
「ただの擦り傷じゃないか。ほら。一応化膿止め塗っといたからな。それでいいだろ?」
「おいおい。レイちゃんはどこにいったんだよ、レイちゃんは。俺は、レイちゃんに薬塗ってもらいに来たのによ」
「は? レイはまだ畑から戻ってきてないぞ。っていうか、それ目的かよ。なら、とっとと出てけ」
「まあそう言うな。レイちゃんが帰ってくるまでここで待ってるからよ」
「なら、少しはそよ風でも起して涼しくしてくれ。ただでさえ男ばかりで暑苦しいんだから」
そういって、シュウは後ろにおいてある薬品箱に化膿止めを戻した。薬品箱は中がぎっしり詰まっている。というのも、あの手術があってから、シュウはレイに頼み込んで情報解析を使ってもらい、多くの薬草を集めていた。そして、その薬効と保存性を高めるために、試行錯誤を重ね、今ではかなりの効果を期待できる薬品が数多く生成されたのだ。
「お前だけに恩恵つかってたまるか。レイちゃんが帰ってきたら、存分に涼んでもらうけどな!」
そういってふんぞり返りながら宣言するケルガーの後ろから声が響く。
「何? 私がどうしたって?」
「レイちゃん!」
声がした途端、ケルガーは立ち上がりレイに抱きつく。が、レイは慣れた様子でケルガーをひらりとかわすと、小走りでシュウの後ろまで逃げ怪訝な顔でケルガーを見つめた。ケルガーはというと、レイの後ろにいたミロルを抱きしめていた。
「またですか、ケルガーさん。やめてくださいって何度もいってるのに」
「あら、ケルガー。いきなり抱きついてきて何のつもりだい? また、あんたのモノをつぶされたいのかい?」
にこりと笑うミロルの表情をみて青ざめるケルガー。ケルガーはさっとミロルから距離をとると、ぎこちなく笑う。
「は、はは。いや、いまちょっとつまづいたんだよ。そう、つまづいたんだ! 別に何もやましいことなんて……なぁ、シュウ!?」
「俺に話をふられても困るんだが……」
シュウは興味がないといった体で、ケルガーの話を受け流していた。ケルガーは、ミロルに拳骨をお見舞いされ涙目だ。その様子を、シュウもレイも笑顔で眺めていた。最近の日常だ。
「まあ、こんな軽口叩けるんだ。あんたも、シュウと出会えてよかったねぇ」
先ほどまで黒いオーラを出していたミロルが、ケルガーにそう言うと、ケルガーはどこか気まずそうに頭をかいた。
「まあな。あれだけの怪我だ。仕事ができなくなって、処分されてもおかしくなかったからな……」
ケルガーはそういうと、少しだけ俯き過去を少しだけ振り返る。
「でも、シュウやレイちゃんのおかげだ。少しの怪我ならまだしも、あんだけの怪我を治してもらえたんだからな。ホルムだって言ってたぞ? 生きてるなんて奇跡だってな」
そう。このケルガーも、シュウやレイに救われた人間なのだ。この前の手術で助かった男はホルムといい、今ではシュウ達と同じように鉱山にでている。
「ちょっと前まで、ここで朽ちて死んでいくんだと思ってた……。病気か怪我で死ぬまで使いつぶされるってな。でも、怪我や病気の心配はもういらないわけだ! そしたら、自分を買い取れるまで稼ぐ希望もでてくるってもんよ!」
そういって笑うケルガーの顔はどこか晴れ晴れとしていた。
「ケルガーはあと何年くらいで自分を買い戻せるんだ?」
「俺か? 俺は、あと十年くらいだ」
「十年!?」
驚くシュウとレイに、他の面々は何事かと視線を向ける。
「そんな驚くことかい?」
「そりゃ驚くさ。だって、ケルガーの十年後ってもう三十歳近いじゃないか」
「それでも、働けるうちに奴隷から開放されるくらいだ。幸運なほうだ」
「お前も知ってるだろうけど、奴隷が稼いだとされる賃金は一般人の一割って法律で決まってる。だから、どうしても時間はかかるんだよ」
「そういうもんなんだな」
シュウは自身の常識とのずれに思わず感嘆する。
「あんたは何年くらいかかるんだい? 医師をしてたっていうくらいだから、それなりの額で売られたんだろうけど」
「実をいうと……」
声を潜めるシュウの声を、皆は聞き逃さないと顔を近づけた。だが、その口から発せられた言葉に、皆驚きの声をおげる。
「知らない!?」
皆が一様に叫んだ台詞は、診察室を飛び越えて食堂へと響き渡る。食堂にいた人々は皆、何事かと顔を向けたが、すぐに日常へと戻っていった。
「知らないってどういうこと!? 覚えてないの?」
レイがシュウにくってかかるも、シュウは困ったように眉をよせるだけだ。
「俺、ここに来たときの記憶ってあまりなくてさ。正直、覚えてないんだよ」
「そんなこともあるんだね。奴隷になる時は、それだけは聞き逃すまいとするのが普通なのに」
ミロルも、口の前に手を添えながら驚きを隠せない。
「お前って、どっかずれてると思ったけど。ただの馬鹿か?」
「皆の反応を見てると、返す言葉もないな」
シュウはそう言って頬をかいていた。
◆
シュウ達が寝泊りをしている奴隷宿舎は鉱山のふもとにあった。その鉱山は島の北側に位置し、奴隷宿舎を挟んだ南側は畑が広がっている。そのさらに南側、島と大陸をつなぐ一本の橋の大陸側には、一つの屋敷が立っていた。
その屋敷にはこの奴隷島の管理者である貴族、デズワルト・ヨードコート子爵が住んでいた。デズワルトの実家は王都からかなり離れた領地を持つ貴族だったのだが、戦時に功績を挙げ、その褒美としてこの鉱山を含む王都からはそれほど離れていない土地を貰い受けていた。当時は、この島は未開の荒れ果てた無人島という位置づけだったのだ。その無人島の調査をしていたら鉱山があったのだから、ヨードコート家にとっては幸運だったのだろう。すぐに、その鉱山を掘り出す体制を整え利益を得た。
しかも暴利ではなく、ある程度、奴隷達の権利を保ったうえでだ。それが、長く利を得るために必要なことだとわかるくらいには教養があったようだ。
その権利を父から受け継いだデズワルトは、最近の奴隷島から算出される利益を見て、眉をひそめていた。
「おい、ボスミン」
「はい、なんでございましょう」
「これはなんだ?」
デズワルトが手に持っていた書類を机に置くと、ボスミンと呼ばれた先代からヨードコート家に仕えていた重臣が覗き込んだ。
「これは、奴隷島の収益報告書でございます」
「そんなことはわかってる。それよりも、なぜこれを俺に見せるのだ?」
「すこし妙な部分がございまして」
「妙なところ?」
そういわれ、デズワルトは書類をもう一度最初から最後まで目を通していく。すると、途中で視線を止め、小さく唸りながらボスミンを見据えた。
「なんだ、この利益は」
「さすがはデズワルト様。お気づきになられましたか」
「当たり前だろう。それも、鉱山や農作物での利益が増えたわけではない。この損失の少なさが利益の原因だが……不自然だな」
デズワルトが目を向けた損失額。その中には、奴隷達の食事、宿舎の修繕費、怪我や病気の治療費、死亡時の死体搬送費、奴隷の補充費など、多くのものが含まれていた。その中でも、治療費と死体搬送費、奴隷補充費が著しく減少していたのだ。
「奴隷達が死んでいない? そして病気にも怪我にもなっていないということか? そんなに余裕がある生活をしているのか、奴隷達は」
「いえ、そのようなことは。余裕はありますまい。ただ、そうさせた原因が何かあるはずでございます。お耳に入れておいたほうがいい案件かと思いましたので」
「わかった。覚えておこう」
デズワルトがそう言うと、ボスミンはデズワルトの執務室から出て行った。一人、残されたデズワルトは、もう一度書類を手に持ち、そして呟いた。
「もしや、あの奴隷島から、金が掘れたか」
そういってデズワルトはほくそ笑んだ。