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シュウはその後、男の腹を水で入念に洗い、切り裂いた腹を糸で縫いつけた。その間、レイが触れていた脈は途切れることなく拍動を続けている。命は取り留めたのだ。
腹を閉じ終わった後、皆、歓喜の声を上げていたが、シュウだけは静かに自分の手を眺めていた。その様子を、遠くからレイが眺めていた。
◆
その日の夜、シュウは外にいた。奴隷宿舎からすこしだけ林に入った広場に、ぼんやりと座って月を眺めていた。
「どうしたの?」
そんなシュウの後ろから声がした。シュウが振り返ると、そこにはレイが立っていた。目が合うと、レイはニコリと笑い、そしてシュウの隣に腰掛けた。
「いや、別に……」
「別にって、そんな顔で言ったってばればれ。あの人は助かったんだよ? それはシュウががんばったから。別に何も気にすることなんかないじゃない」
「そうなんだけど」
そう言ったきり俯いてしまうシュウ。レイは、小さくため息をつくとシュウの頭を小突く。
「いたっ」
「何辛気臭い顔してるのよ! そんな悩んでる顔、シュウに似合わないし。いいから何か悩んでるなら言ってみたら? 聞くだけ聞くよ」
その言葉につい表情を緩めたシュウは、「そうだな」と呟きつつ、右手をレイの前に突き出した。
「手、見てみろよ」
「手?」
「ああ。きれいな手、してんだろ?」
その言葉に、レイは思わず噴き出した。
「は? 何言ってんの? いつからシュウはナルシストになったわけ!?」
心だけでなく物理的な距離をも置こうとしたレイに、シュウはあわてて待ったをかけた。
「いや、そういう意味じゃないって! いいから見てろ」
シュウはそういうと、ポケットから昼間使った刃物を取り出し右手に切り付けた。
「な! 何やってんのよ!」
まさかの自傷行為に、レイは思わず立ち上がり怒声を上げる。
「いいから見てろ」
シュウの右手の手のひらからは血が滴り落ちている。わけのわからない行動にレイは目を見開いているが、シュウはゆっくりと左手をそこにかざすと、何かに集中するように歯を噛み締めた。
「え……」
レイの目に映ったのは、穏やかな光を発し始めた左手と、その光に照らされて治っていく指先の傷だ。しばらく左手の光を当てたシュウは大きく息を吐くと、どうだ、といわんばかりの表情でレイを見た。
「え、何これ、だって、どういう、え?」
「びっくりするよな? 俺だってわけがわかんないんだ。俺の恩恵が治癒術ってわけじゃないしな」
「でも、これってどっからどう見ても――」
「きっとこれが治癒術なんだよな」
そういって肩をすくめるシュウに、レイは未だ事実を飲み込めないでいた。そして、しばらく考え込むと、なんかに気づいたように「あっ」と声をあげた。
「もしかして、あの人もそれを使って?」
レイの言葉に大きくシュウは頷いた。
「ああ……。あの時な、俺は血管を指でつまんで血を無理やり止めてたんだ。あのままじゃ、血は止まらなかったし、命を落としていたと思う……。けど、あの時、俺の頭の中に声が響いて、そうしたら手元に熱を感じてさ。……気づいたら血管が、つながったんだ」
「そんなことって……」
「ありえるはずないって思って、何度も試した。でも、いくら傷を作っても治るんだよ。何度繰り返したってさ、治っちゃうんだよな。目の前の事実が物語ってんだよ。治癒術を使えるっていうことをさ」
二人は、そのまま手元を見つめながら黙り込む。
空には大きい月、のように見える惑星が光輝いており、シュウもレイも月明かりに照らされていた。たまにそよいでくる風が心地よい。だが、二人はいまだもやもやを抱えていた。いきなりシュウが治癒術をつかえた理由が、まったく見当もつかなかったのだ。
しばらく静寂が訪れていた広場。そこで、唐突に漏れ出た声はレイのものだった。
「あ、情報解析」
「そうか」
そう呟いて、レイがシュウを視る。シュウは視られているのを意識してか、どこか居心地が悪そうだ。
「ねぇ」
「ん?」
「シュウの恩恵の強欲ってどんなものか誰もわからないって言ったじゃない?」
「ああ」
「なんだかね、前は強欲としか視えなかったの、今はその下? っていうか強欲の中に治癒術っていうのが含まれているみたい」
「含まれている?」
「うん。私の恩恵って、文字で見えるわけじゃなくて、頭に認識が浮かび上がってくる? って言えばいいのかな? そんな感じだからうまく言えないけど。強欲って本があったとしたら、その目次が治癒術みたいな」
「なんだそれ」
「だから自分でもわかんないっていってるじゃん……」
シュウは自分の手を見つめて考えこんでしまう。思いつめたような表情に、レイは言葉をかけることができない。しかし、しばらくすると、シュウが何かに気付いたように視線を上げると、ぽつりと呟いた。
「奪った……もしくはコピーした?」
「シュウ?」
よく聞き取れなかったレイは首をかしげて聞き返す。
「そうだよ……。それが一番納得がいく! 俺はあの時、あの治癒術使いの男の力を欲しいって願っていた。だから、もしかしたらそれを奪ったか、はたまた恩恵をコピーしたかのどちらかだ。それしか考えられない」
「じゃあ、シュウの恩恵は、恩恵を奪う、もしくは恩恵のコピーってこと?」
「強欲って言葉の意味とも、少しつながる気がしないか?」
「まあ、言われてみればそうだけど……」
どこか納得していないレイとは裏腹に、シュウはひどく喜んでいた。声を出し笑い、そして拳を握りしめ飛び跳ねている。
「これで人がもっと助けられる。皆の力になれる!」
そんな喜びもつかの間、レイがシュウに告げた言葉は残酷なものだった。
「でも……もし力を奪うって恩恵だとしたら、あの治癒術使いの人はもう治癒術が使えないってこと?」
「え?」
考えてもいなかったことに、シュウは言葉を詰まらせた。
◆
次の日、シュウは手術をした男の所に仕事が終わった後に訪れていた。男は寝ており、熱も出ていない。まだ傷口から血がにじみ出ているが、それもごくわずかだ。
「脈も問題なさそうだな」
そうやってしばらく男を診ていたシュウの後ろから、サリベックスやミロルが現れた。
「お、大丈夫そうだな。どうだい、シュウ。こいつの様子は」
「とりあえず今のところは大丈夫そうだよ。まあ、まだ一日しかたってないからなんとも言えないけど」
「とりあえず、あんたに言われたとおり、夜寝るまでの間あたしの恩恵をかけてたんだけど、それはこのまま続けるのかい?」
「もししんどくないなら、やってもらえるとありがたい。ミロルの恩恵が感染症に効くかわからないけど、やれることはやっておきたいんだ」
ミロルは、どこか申し訳なさそうに言うシュウの様子がおかしくて笑ってしまった。サリベックスも、呆れた様子でシュウを見ている。
「何遠慮なんかしてんだよ。あんたがいなきゃこいつは助からなかったんだ。もっと胸を張ればいいなじゃないか」
「そうだぞ? こいつをお前が助けたって聞いて、他のやつらは皆お前の噂でもちきりだ。何かあったらシュウのところへ行けってな」
「なんでも治せるわけじゃない」
「それでもだ。こんな場所で助けてくれる誰かがいるってのは相当心強いんだろ」
そう言って肩に手を置くサリベックスだったが、あまりの勢いにシュウはぐらりとよろめいた。
「おいおい! そんな強く叩いちゃいねぇだろうが!」
「おっさんの力を普通に考えるなよ! 骨が折れるとこだ!」
「おおげさな奴だな! はははっ」
そういって笑う二人はひどく嬉しそうだった。しかし、シュウは心から笑えない。心に引っかかってることを、二人に尋ねずにはいられなかった。
「そういえばさ」
「ん? なんだい?」
「昨日の治癒術使いの人いるだろ? あの人、いつのまにかいなくなってたけど……今どうしてるんだ? 特に変わったこととかないか?」
シュウの質問を聞いて、二人はしばし考え込む。そして、おもむろに口を開いたのはミロルだ。
「別に何もないけどねぇ。今日だって朝の食事を済ました後は、鉱山に歩いていったし。なんかあったかい?」
「いや? まあ、お前の噂を聞くたびに悪態をついてたくらいで別に変わったことは……まてよ」
「な、何かあったのか!?」
いきなり詰め寄ってくるシュウの剣幕に、サリベックスは後ずさる。
「なんだぁ? 別にたいしたことじゃねぇけどよ。あいつ、恩恵が使えなくなったとかほざいてたな。掘り出した鉱石で切った手を治せないとかなんとか」
シュウはその言葉を聞いて愕然とした。やはり、自分があの治癒術使いの男の恩恵を奪ってしまったのだと確信したのだ。シュウは人の恩恵を奪う自身の恩恵の力に、思わず寒気を感じた。なぜなら、それは人の運命をも左右するような強大な力だからだ。
この世界の人間は、皆、なんらかの形で恩恵と関わって生きている。恩恵を授かった人間はそれを行使し、授からなかった人間は文字通りその恩恵にあずかる。そうやって人々は生きてきたし、これからも生きていくのだろう。そんな、世の中の理の一部である恩恵を奪うことができる力。それが恐ろしい力でないのなら、なんと言えばいいのだろうか。
シュウは、自身がやってしまったことに、恐怖を感じていた。
「おい、おいシュウ? どうした? お前、昨日から様子がおかしいぞ?」
「あんなことがあったからねぇ。疲れてるなら休みな。代わってくれるやつは用意するからさ」
シュウは、自分を気遣う二人の目を見ることができなかった。そして、休ませて欲しい旨を伝えるとそのまま自室に入り込み、粗末な毛布をかぶって寝た。
震えが、止まらなかった。