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「レイは今まで集めた薬草をありったけ! おっさんは力自慢をあと四人集めてくれ。あとは、火と綺麗な水と布も。布はできるだけ綺麗なやつをだ。あとは針と糸。一刻を争うんだ、急いでくれ!」
「おうよ!」
「行ってくる!」
「それと、あとはできるだけ小さな刃物と細い金属の棒だ! これだけは絶対に用意してくれよ!」
シュウは皆に飛ぶように指示を出した。そして、皆準備に走って行った。
「あたしは、役に立つか分からないけど、治癒術を使える奴を呼んでおくからね」
ミロルはそんなことを言いながらシュウから離れていった。治癒術が何かはシュウには分からなかったが、シュウは黙って倒れている男の横に立ち脈をみる。そして、そう時間のかからないうちに指示した準備は整っていった。
「これでいいか?」
サリベックスがつれてきた屈強な奴隷達が何事かときょろきょろしながらやってきた。
「ああ」
シュウはそういうと、周囲を見渡し大きく深呼吸をした。
「じゃあ、これから手術を始める。けど、何があってもぜったいに邪魔だけはしないでくれ。それと、今から俺がやることは、もしかしたらここじゃありえないようなことかもしれない。でも、俺がこの人を助けたいんだってことは忘れないでほしい。もし血が苦手なやつがいたら目をつぶってることをお勧めする。レイ、少しでも知識があるレイに手伝って欲しいんだけど、頼めるか?」
「う、うん」
レイの表情は強張りながらも、力強く頷いた。シュウの言葉に皆がごくりと息の飲み込むが、そんな様子を気にしている余裕は既にシュウにはなかった。
「よし。じゃあはじめよう」
シュウはそういうと、倒れている男の鼻に赤い花を近づけていった。それはレイの情報解析で分かった鎮静、鎮痛効果がある匂いを出すという花だ。それを嗅がせていると、男の表情が少しだけ和らいでいく。だが、眠るまでは至らず、シュウはこの程度か、と一人ごちる。
そのあと、サリベックス達に頼んで、男を抑えてもらえるように頼んだ。手足に一人ずつと、体にも一人。サリベックス達は何をやるのだと不思議がっていたが、指示に従い男を抑えた。
「うぅっ……」
「死ぬほど痛いから覚悟しろ」
そう言いながら、シュウは男の腰巻を外し腹部全体を水で洗い始めた。いきなりの行動に、レイはおもわず顔を背けるが、すぐにかぶりを振って視線を元に戻す。
シュウはそんなレイに構ってる暇などなく、近くまで持ってきてもらった小さな火種に刃物をくべた。後から持ってきてもらった細い金属の棒もそこに入れてもらった。
「それじゃあ今から治療を始める。おっさん達は全体重をかけておいてくれ。レイはこいつに変わった様子がないか見ておいてくれ。何か気付いたら、すぐ教えてくれ」
レイは小さく頷いた。本来であれば恩恵を駆使して診ていて欲しかったが、それが体力的に無理なのは、シュウもレイも分かっていた。シュウはレイの頷きに対して同じように頷き返し、ナイフを手に取った。そのナイフで空中に何度か弧を描く。刃物から熱が逃げていく。シュウはそのまま手元を見ずに、右下腹部へとナイフを近づけた。
「いくぞ」
ここまでくれば、サリベックスやミロルもシュウが何をするのか気付いていた。だが、まさか、という考えが離れずシュウの一挙手一投足から目を離せない。
シュウはそんな視線を感じながらも、段々と集中を高めていった。切るべきところをじっと見て、イメージができたところで、ナイフで肌を容赦なく切り裂いた。
「があああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
突如として響く悲鳴。暴れる男は五人の力には逆らえないも、体を必死でよじる。切ったところから噴出す鮮血。その血は、シュウとサリベックスら押さえつけている男までも、真っ赤に染め上げるほどの量だった。そして響くはレイの声。
「シュウ! この人、ぐったりして急に動かなくなっちゃった! どうしよう、ねぇ!」
シュウは慌てて血塗れの状態で男の手首に手を沿えた。
「血圧がさっきよりも下がったか……」
手首の脈がふれないという事実に、シュウは、自分の血の気も引いていくような感覚に襲われた。腹の中にたまった血が外に流れ出したことによって、一気に血圧が下がったのだろう。
もうだめだ、そんな声が自分の頭の中に響く。動きを止めてしまったシュウだったが、それに気付いたサリベックスが、大声でシュウに呼びかける。
「おい! シュウ! 腹から血がどんどん出てるぞ! 何やってんだ! なんとかしろ!」
「あ、ああ、わかってる!」
声に反応して体をびくつかせたシュウだったが、未だ考えはまとまらない。それでも、やれることをやるしかないと、シュウはとりあえず前を向いた。
「……レイ、頚動脈ってわかるか? わかりずらいかもしれないが、そのあたりを触って、いや、違う、そうだ、そこだ。そのあたりに脈が触れないか? 触れたら、それが触れ続けているか見ていてくれ。もし触れなくなったらすぐ俺に教えてくれ。頼めるか?」
「うん」
顔色は蒼白であるが、レイはしっかりとした返事をかえす。頸動脈さえ触れていれば、最低限、脳への血流は保たれる。逆を言えば、触れなくなったら命が危ない、ということだ。
「よし。じゃあ、ミロル! 水だ! 水で傷を流してくれ!」
「わかったよ」
シュウの言葉に、ミロルが応える。大量の水で流しても、そのすぐ後から血が湧き出てきた。
「もう一度!」
シュウの指示で何度も水で血を洗い流していく。その最中に、シュウは腹部をどんどん切り裂いていった。皮膚を、脂肪を、腸や他の臓器をかいくぐりながら。そして、火にくべて置いた棒を使い血がにじみ出てくるところを焼いて止血をしながら。地味な作業をできるだけ早くすすめつつ、シュウはどんどんと血があふれ出てくる源に向けて突き進む。
「ここだ」
そう言いながら、シュウは手をぴたりと止めた。出血点を見つけたのだ。
シュウは手を止めたことに皆が不安がるも、もう血があふれてこない。その事実に安堵の表情を浮べるサリベックスたち。しかし、シュウの表情は優れない。
「どうしたよ。血が止まったならいいんじゃねぇのか?」
「首の脈も少し強くなったような気がするけど……」
シュウは二人の言葉にゆっくり首を振る。
「いや。今は俺が出血している血管を無理やり押さえつけてるから止まってるんだ。離したらまた血は出て血圧は下がる」
「おい、それじゃあ――」
「しかも、この出血は動脈性だ。おそらく腹腔動脈のあたりだろう。この動脈をこのまま縛ったら血が行かなくなった部分が腐って結局死ぬだけだ。今の俺じゃあこれ以上はできない」
淡々と告げるシュウの様子に負けを悟ったのか。ミロルはため息をつきながら一人ごちる。
「なあ、あんた。あんたにはどうにかできないのかい?」
そう言うミロルの言葉に、つれてきていてた治癒術使いの男があわてたように答えた。治癒術使いの男は、さっきからシュウの行いに目を背けるように後ろを向いている。
「お、俺には無理だ! こんな腹を切り開くだなんて所業、人間のやっていいことじゃねぇよ! ガイレス様のお怒りを買うぞ? お前ら全員天罰が下る!」
そういって取り乱す治癒術使いの男を眺めながら、シュウは疑問に思っていたことをミロルに尋ねていた。
「そもそも、治癒術ってなんなんだ? 俺、よくわからないんだけど」
「あらまあ。こんなことしといて、治癒術を知らないのかい? 治癒術ってのは、体の怪我とかを治す恩恵のことを言うんだよ。こいつなんかみたいな力の弱いやつにはそれこそ擦り傷くらいしか治せないけど、高位の治癒術師なんかだと、ちぎれた腕すら蘇らせるって噂も聞くねぇ」
「ちぎれた腕をか……」
思案するようなシュウ。いくら手で押さえていて血が止まっているからといって、目の前に腹の開いた人間がいるのは、皆受け入れられないのだろう。そわそわとシュウの動向を見守っていた。
「手が再生するってことは、つまりは細胞分裂を促進させてるってことか? それとも……」
人の腹に手を突っ込みながら何かを呟いている様子は、それこそ狂っていた。しかし、シュウは至って冷静に、一つの結論を導いていく。
「もしかしたら……いけるかもしれない」
「本当か?」
シュウのそばで男を押さえつけていたサリベックスが、期待を込めるように目を見開いた。
「ああ。なあ、そこの治癒術師さん! 今から、俺が言う場所だけに治癒術をかけてくれ!」
「話しかけるな! お前は悪魔だ。そんなことを、平気でやれるやつが人間なわけがない!」
「おい、落ち着いて聞いてくれ! こいつを助ける方法をがあるんだ! あんたの力が必要なんだよ!」
「うるさい、うるさい、うるさい! 俺に話しかけるな!」
そういって耳を両手で覆いうずくまってしまう治癒術使いの男。ミロルやサリベックスが呼びかけても、何も答えられない。同じような叫びが繰り返されるだけだ。
「頼む! あんたしかいないんだ! こいつを助けられるのは、もうあんただけなんだよ!」
「話しかけるなって言ってるだろ!」
「くそっ」
唯一見えた光明のための切り札が使えないことがわかり、シュウは思わず舌打ちをした。動脈を掴んだ指に拍動を感じる。目の前の男はまだ生きているのだ。それなのに、シュウにはなにもやれることがない。治癒術使いの男の力を借りないことには、この男の出血を止めることなどできない。
シュウは思う。もし前に生きていた世界だったら、この男は助けられるはずなのに。まともな医療設備があれば、この男はきっと助かるはずなのに。でも、ここには何もない。清潔区域である手術室も、操作がしやすくなる手術台も使いやすい手術機械も、患者の状態がわかるモニターや、患者の状態を保つための人工呼吸器や薬剤や輸液も、一緒に治療に望む医師も看護師も、何もかもがここにはない。何も、ないのだ、と。
けれど、その何もない状況で、今シュウは開腹し、出血している動脈を特定し、自身の手で止血できている。血圧もなんとか下がらず維持できているし、まだ助けられる。あの治癒術使いの男の力さえあればだが。
そう、治癒術使いの男の力があれば、目の前の男の命は助けられるかもしれないのだ。血を止めた後の問題は山積みだ。しかし、まずは目の前の出血をどうにかしなければ、この男の命は間違いなく尽きてしまう。それだけは嫌だった。医師として、災害医療に携わっていた医師の一人として、目の前で助けられるかもしれない命を見捨てることだけは、どうしてもしたくなかった。
だから、シュウは求めたのだろう。力を。あの治癒術使いの男の力を。
あの力さえあれば。
そんな叶わぬ想いを振り払うかのようにシュウはかぶりを振った。
あの力さえあれば助けられるのに。
しかし、その想いは簡単には拭えない。
俺にもあの力があれば。あの力がありさえすれば……ほしい。
どこか邪な想いがどんどんとシュウを支配していく。
あの力が欲しい。お前のちからがほしい。ホシイ。ホシイ……。
オマエノチカラガ、ホシイ。ホシイ。ホシイ。…………ヨコセ。
シュウがそう強く願った瞬間、シュウは心臓のあたりに何か暖かいものが入ってくるような、奇妙な感覚がした。息が止まるような圧迫感と、心臓が締め付けられるような痛み。言葉にならない叫びを上げながら、シュウは一瞬とも永遠とも判断がつかない苦しみを味わった。
「ガ、ア、あぁ、あ」
いきなり白目を向いて、顔面を歪め、よだれをたらし始めたシュウに、いち早くサリベックスが気付いた。
「おい! シュウ! どうしたよ、おい!」
サリベックスの叫びに皆も、シュウの様子に気付いた。
「おい、シュウ? どうしたんだい!?」
「シュウ! 大丈夫!? シュウ!」
そんな皆の声もシュウにはぼんやりとしか聞こえなかった。
それよりも、近くに感じるのは、胸の中の不快な感覚と、どこか心地よい暖かな熱。意識がぼんやりとしたシュウの耳に聞こえてくるのは、聞いたことのないどこかくぐもった声だった。
『******』
その言葉を聞いた瞬間、シュウはぱっと表情を正し、小さく深呼吸をした。
「おい、大丈夫か?」
「あ、ああ。びっくりさせてごめん」
どこかいつもより殊勝な様子のシュウにサリベックスが驚いていた矢先、シュウは男の腹から手を出した。
「えっ――!?」
「馬鹿! 手、離したらまた血がでるんだろ!? 何してんだ、お前!」
サリベックスと同様、レイやミロル達もシュウの行いに声をあげて驚いた。だが、そんな皆の様子を気にした様子もせず、シュウは皆の顔を見据えて穏やかに口を開いた。
「血は止まった。とりあえず、腹を閉じるから、糸と針をくれるか?」
淡々と告げる内容の意味を、レイ達はすぐには理解することができなかった。