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「これは?」
「ん。それは整腸作用があるみたい」
「そか。じゃあ、これは?」
「それはね……それは抗炎症作用もあるみたいだけど、なんか神経毒? があるみたいだよ」
「使いどころが難しいな……」
「あ、これは!」
「お、なんだ!?」
「美肌効果!」
「……そ、そうか」
レイがやってきてから二ヵ月後。シュウもレイもあの次の日から何も変わらず奴隷として生きていた。結局、レイの恩恵ではシュウの恩恵のことはわからずじまいだったが、すこしだけ変わったのは、レイの外見と、シュウの元に時折、病人や怪我人が訪れるようになったことだろうか。
シュウはあの後、レイに勧められ医師として仕事をすることにした。サリベックスやミロルや他の面々は医師という言葉に首をかしげていたが、恩恵を使わずに体を治す仕事だと説明すると、なんとなく理解してくれた。レイの回復ぶりをみて納得するものも多かった。
レイの恩恵である、『情報解析』を使い、シュウは労働が終わった後、薬草を捜し歩いていた。近くにある森には草木があふれ、そこから薬草を探すことはレイの恩恵を使えばたやすいことだった。もちろん、まだ恩恵を使い慣れていないレイにとってはかなりの重労働だっただろうが。
「今日はこんなものかな」
「だいぶ使える薬草がわかってきたね。ふぅ。今日はちょっと疲れちゃった。もう無理」
そういうと、レイは額の汗をぬぐう。流れる汗は、二ヶ月前とは比べ物にならないほど瑞々しくなった肌を通って首筋を流れた。髪も艶を取り戻しており、肩あたりで切りそろえている。まだ細いが、年相応の女性らしさを取り戻してきたレイの体は、飢えた奴隷達にとっては毒だろう。シュウも、時折見え隠れする胸元や太ももにどぎまぎすることも増えてきた。元々の作りもよかったのか、だんだんとかわいさの片鱗が際立ってきている。レイの今の体の年齢は十四歳だったが、年相応、いや破壊力はそれ以上だろうか。
もちろん、そんなレイに他の奴隷達からの間違いはない。それは、一重にミロルやサリベックスの存在が大きかった。
「まあ、帰ったらおっさんやミロルさんが食事とっておいてくれてるだろうからがんばれ。あの二人、なんだかんだ面倒見がいいからさ」
「そうだよね。あの二人と一緒にいなきゃ、私どうなってたかわからないもん」
「俺もだ。あの二人がこの奴隷島の中心人物だったなんて、最近知ったもんな。たしかに、おっさんの腕っ節があれば、だれも逆らえないだろうけど」
「ミロルさんだって、鉱山から漏れ出てくる毒を恩恵で浄化してくれてるんだから。すごい人だよね。――っていうか、これってもしかしてこの前見つけた鎮痛作用のある花じゃない!? あんまりないから欲しいっていってたやつだよね!?」
レイは話の途中で一つの花に目を奪われていた。それは、以前、シュウと見つけた鎮痛作用のある花だった。なぜだかその花はあまり見つけることができなかったため、シュウはもう少し在庫が欲しいと思っていたところだったのだ。
「お! よく見つけたな。茂みの裏側なのに」
「まあね。あたしにかかればっと……届くかな」
そういいながら、レイは茂みの奥に手を伸ばす。ちょうど、前かがみになっている状態で、さらに言うならば少しでも手を前に出そうとしているからか、しゃがみこんだまま右足だけ前へと踏み出していた。
つまりどういう状況かというと、胸元は前かがみのせいで谷間が見え、太もものあたりは、布がはだけ、かなりきわどい体制になっていたのだ。
「んっ、んんっと! あっ、もう少し、あとちょっと……。んあっ」
必死なのか、よからぬ声を出しているレイを、シュウはついつい見つめてしまっていた。だめだ、だめだと思っても本能には逆らえない。
「よっと……。ほらっ! とれたよ! 見て見て、シュウ! ……って、え?」
ようやく花をとることのできたレイだったが、その前の姿勢に無理があったのがいけなかったのか、立ち上がった今は胸元も太もものところもどちらも布がはだけていた。いや、はだけているというよりも、脱げかけているというのが正しいだろう。
そんな状況をシュウが真正面から見れるはずもなく、真っ赤な顔をして顔を逸らしていることに最初は疑問符を浮かべていたが、レイはすぐさま自身の事態に気づき、素早く巻いてある布を直す。
「わっ、あっ! やだっ!」
慌てふためくレイを横目で見ながら、何もなかったかのように取り繕うシュウの様子はあまりにもわざとらしい。そんなシュウをじとっと見つめながら、レイも顔を赤くしながらシュウへと問いかける。
「…………ねえ、シュウ?」
「ん? なんだ?」
「見た?」
「別に」
レイの問いかけに、さらに顔を赤らめるシュウ。その様子から見られていたと確信したレイは、すぐさまシュウに脳天チョップを食らわした。
「このエロ医者! 馬鹿! 変態! もう知らない!」
何も言えずその場に倒れ込んだシュウを置いて、レイはさっさと奴隷宿舎へと戻っていた。
「おっさんといい勝負なんじゃないかよ、その馬鹿力……」
そういって、しばらく意識を放棄することを決めたシュウだった。
◆
しばらくしてようやくシュウが目を覚まし宿舎に帰ると、険しい顔つきのサリベックスとミロルが外で待っていた。何事かとあたりを窺うと、倒れている人とその周りを囲む数人の集団が目に入る。
「帰ったか。ちょっとみてくれ! 鉱山で落石があってな。こいつがその落石に当たっちまって倒れちまってよ。様子がおかしいんだよ」
サリベックスは親指で倒れている人を指差しながら、シュウを促す。シュウは、すぐさま倒れている人に駆け寄り、その人の様子を観察した。見たところ、二十代半ばというところだろうか。男の額には脂汗がにじみ、顔は苦悶の表情で染まっている。
「おい、大丈夫か? 声が聞こえるか?」
「あ……あぁ、うぅ! 痛ぇ、痛ぇよ! 腹が、うぅ」
歯を食いしばりながら苦しむ男。その男の腹部をさわりながら、シュウは質問を重ねる。
「腹のどこが痛いんだ? ここか? それともここか?」
「最初は、あぅ……鳩尾のあたりが痛かったんだが、今は、もう全体がっ、あぁぁぁ!」
男の言葉を聞きながら、シュウは腹部をゆっくり押していく。上から順に。左右満遍なく。腹部は張りがあり、痛みに特定の部位はない。
「いてぇ! いてぇよ! くそっ、いってぇ!」
痛がり方は尋常じゃない。シュウは手首に触れて脈拍を確認した。脈拍を触れることができるということは、血圧はまだ保たれているようだ。
「どうだ?」
サリベックスが心配そうに声をかける。シュウは少し考えるように一呼吸した後に、立ち上がり口を開く。
「確信はないけど……もしかしたら腹の中の臓器が損傷してるかもしれない」
「臓器が損傷?」
ミロルとサリベックスは怪訝な顔をして聞き返した。
「ああ。腹の中には、いろんな機能を持った臓器っていうのがあるんだ。それらが、しっかり働くことで俺達は生きている。確信はないけど、もしかしたらその臓器のどれかが損傷を起しているのかもしれない。けど、今この状態じゃわからないんだ。それこそ、腹の中を直接見てみないことには――」
「そんなことできるわけねぇだろうが!」
「それって治せるのかい?」
サリベックスが嫌悪感を滲ませながら声を上げるのを、ミロルは淡々とした口調で遮った。ミロルの問いかけにシュウは俯きながら顔をしかめる。その仕草に周囲の面々の顔は青ざめていった。
「わからない」
「わからないってのはどういうことだ?」
「中の状態がわからない以上、俺にはどうすることもできない。出血してたら止まるのを待つしかないだろうし、損傷してるのも自己修復を待つしかない。それこそ、消化液が漏れ出るようなところが損傷してたら命はないだろうけど……」
「そうか」
サリベックスは短くそう呟くと、険しい表情を浮べながら男を見つめていた。他の面々も、やるべき事がわからずただ立ち尽くしている。
「とりあえず、俺は鎮痛作用がある薬草を持ってくる。待っててくれ」
そう告げると、シュウはその場から逃げるように駆け出した。
◆
シュウは悩んでいた。薬草を取りに行きながら、倒れていたさっきの男を思い出す。
「あっちの世界なら何かできたかもしれないな……って何言ってんだ俺。何もできないなんて決まったわけじゃないのに」
シュウは自分の発言をたしなめつつ、大きなため息をついた。
あの腹痛は単なる便秘かもしれない。胃腸炎かもしれない。神経痛の一種かもしれない。本当になんだかわからない。しかし、痛がり方は尋常ではないし、腹部の張りもシュウは気になった。落石が当たったという事実も最悪の事態を想像させるには十分な要素だ。
シュウは今現在、何もできない自分に失望していた。だからだろうか。足取りも重く、悶々とした感情を抱いたまま、薬草を取りに走っている。痛みを取ってやるだけの対症療法しかできないだなんて、医師だなんてよく言えたもんだと、自分を罵倒しながら。
シュウは部屋から薬草を持ってくると、浮かない顔のままレイ達がいるところに戻る。そんなシュウの顔を見るなり、レイ達が焦った様子でシュウを呼び寄せた。
「おい! シュウ! なんだか様子が変なんだ! さっきから何言っても反応しねぇ」
「顔色も悪いの。それに、石が当たったっていうところがなんだかぱんぱんに張ってて――」
レイのその言葉に、シュウは大急ぎで男の腹を見た。その瞬間、シュウはごくりと唾を飲む。
男の腹部は先ほどとは段違いに膨れており、触ると堅い。赤黒く変色していたが、それ自体はただの内出血だから問題はない。しかし、その範囲がさっきよりも広くなっている。腹部の張りといい、内出血の拡大といい、血がまだ中で出続けている証拠だった。
すぐさま手首の脈をみると、辛うじて触れる。脈圧が低いのか、ひどく心もとない拍動だ。
「出血だ」
短く言葉を吐き捨てると、シュウは歯を食いしばり両手を握る。
「これだけの大量出血だ。もう助からない」
その言葉に反応したのはサリベックスだ。サリベックスはシュウの肩を真正面から掴むと、訴えかけるように顔を覗き込みながら叫んだ。
「どうにかならねぇのか!? こいつは、あと二か月もありゃあ奴隷期間が終わるんだよ。あと少しで家族のところに行けるって、そう言ってたのによ……」
「……無理だよ」
「お前は医師ってやつなんだろ!? レイだって今はこんなに元気じゃねぇか! お前ならどうにかできるんじゃねぇのか? おい! シュウ!」
「無理だって」
「頼むよ! なぁ!」
必死な形相のサリベックスとは裏腹に、沈み込むような表情のシュウ。そんなシュウは、サリベックスの言葉を聞くたびに顔を歪めた。そして、なんども詰め寄ってくるサリベックスの様子に段々と我慢ができなくなったのか、サリベックスの腕を払いのけると、そのまま胸倉を掴んで眼前まで詰め寄った。
「俺だってできないことはあるんだ! むしろできないことのほうが多い! 勝手なこと言ってんじゃねぇ! もっと設備もなにもかも、整ってるところならどうにかできたかもしれないが、こんなところじゃ治療なんて無理なんだよ! 俺だって助けられるなら助けたいさ! でも、生きるか死ぬかの賭けができるほど、俺は強くも弱くもねぇんだ!」
どこか悲痛な叫びに、あたりはしんと静まりかえる。シュウはどこかばつが悪くなったのか、サリベックスから離れると顔を伏せた。
必死に言い募るサリベックスに、為す術のないシュウは、ただ沈鬱な表情で黙り込むしかない。そんなシュウに思わずミロルは声をかけた。
「シュウ……大丈夫かい?」
「おい、シュウ」
「もうやめなよ。シュウだってつらいんだ」
「ミロル黙ってろ。おい、シュウ」
「…………なんだ?」
「お前が前いたところでは、こいつは治せるかもしれねぇのか?」
サリベックスが神妙な顔でシュウを見つめていた。
「不可能じゃない」
「可能性はあるんだな?」
「ああ……」
だからこそ、シュウは元いた世界とこことの差に絶望せざるを得なかった。シュウは両手を強く強く握り締め、歯を食いしばっていた。
「なら、なんだかわかんねぇが、その賭けってやつをここでやれ」
突然のサリベックスの提案に、シュウはサリベックスに視線を向けた。
「やれって言ってんだよ。こいつは、俺らの仲間だ。見捨てられねぇだろうが。生きるか死ぬかの賭けってさっき言ってたな。なら生きるほうに転ぶかもしれねぇじゃねぇか。可能性があるならやれ。やってくれ」
迷いのない視線でそう訴えるサリベックス。だが、シュウはその視線に真正面から向き合えなかった。
「無理だ……おそらくここで開腹……手術なんてしたら感染するにきまってる。鎮静剤も鎮痛剤もないここじゃ、手術の痛みに耐えられるはずなんかない。なによりここにある器具だけで出血を止められるかもわからない。無理だ。俺には無理だよ、おっさん」
「それでもやってくれ。俺にはお前の言ってることが半分もわからねぇ。でも、このままこいつが死んじまうなら、少しでも足掻きてぇじゃねぇか。何もしないで見ているよりも、殺しちまったって何かしてやりてぇじゃねぇか。それができんのはお前だけだ、シュウ。やってくれ。俺は生きるほうに賭ける」
サリベックスの真っ直ぐな視線にうろたえるシュウ。助けを求めるようにミロルをみると、ミロルも同じようにシュウを見ていた。レイも、それ以外の面々も、シュウをまっすぐ射抜いている。そんな視線の重圧に耐え切れずシュウは俯いた。逃げ場は最早、地面にしかなかった。
そのとき――。
「…………助けてくれ……頼む」
か細い声で倒れている男が声を漏らした。聞き落としてもいいようなその言葉を、シュウは鮮明に拾い上げた。心臓の鼓動が聞こえる。心が波打つ。忘れていた想いを、シュウは男の言葉で取り戻していた。
シュウはゆっくりと顔をあげると、どこか泣きそうな顔で、か細くつぶやいた。
「分の悪い賭けだぞ。ほぼ負けが決まってるような、そんな賭けにお前ら、のってくれるのか」
悲痛な問いかけに、サリベックスは笑みを浮かべた。
「もう俺らはここにいる時点で賭けには負けてんだよ。いまさら負けがこんだって、気にもならねぇな」
堂々と言い切るサリベックスに対して、シュウは何も言えない。ミロルやそれ以外の面々の顔を見るも気持ちはサリベックスと同じ、ということだろうか。シュウをじっと見つめていた。
「どうなったって知らないからな」
「お前に任せた」
「後悔することになるぞ」
シュウはそう言いながらゆっくりと男を見据えた。