4
「日本? 斎藤? 医師?」
困惑が見て取れる。レイは泣きじゃくった顔そのままに、シュウをじっと見つめていた。シュウの言った内容が飲み込めないのか、口を開けたまま呆けている。
「そうだ。俺は地震の被災地で救助活動をしていたとき、瓦礫の崩落に巻き込まれたんだ。次に気付いたときには、もうわけのわからないこの世界にいたよ。顔も体も別人だし、ここがどこだかわからない。最初は体もかなり衰弱してたから道端で死んでいくって思ったんだけどな……。誰かに拾われてここに連れてこられたんだ。それが一月前。俺も本当は日本人なんだ。レイ、君もそうなのか?」
レイの肩を両手で掴みながら必死で話すシュウ。そのシュウの腕を振りほどこうと掴んでいたレイの腕は今では縋るようにシュウの腕にそっと添えられていた。
レイはシュウの言葉をじっと聞いていた。そしてあふれる涙。その涙は止まることなく、地面へと落ちていく。
「……れないの?」
か細い声は聞き取れない。シュウは、促すように耳をレイに向ける。
「帰れないの? ここはどこなの? なんで私達はここにいるの? 何が起こってるの?」
疑問を延々と垂れながすように呟くレイ。そんなレイの姿をみて、シュウはできるだけ優しく語りかけた。
「少なくとも俺はここにいて、日本人だった人に出会ったのは初めてだ。どうやってここに来たのかもわからないから帰る方法だって俺にはわからない。そもそも、この体も顔も日本にいたときとは別人なんだ。わけがわからないよな……」
押し黙るレイ。シュウはそんなレイを気遣うように、自身に絡む腕をそっと解く。そして、岩にレイを座らせると、シュウもその隣に座りこんだ。そして空を仰ぐ。
「レイがここに連れてこられたとき、その黒い髪が気になった。この世界じゃいないんだよ、黒い髪。だから、なんだか懐かしくなってどうしても助けたくなったんだ。目の前で誰かが死んでいくなんて、あまり見たくなかったしな」
「うん……」
「だから、今君が生きてるのが俺は嬉しいよ…………ありがとう」
シュウの言葉に、レイは俯いて膝を抱える。そんなレイの気持ちがよくわかるのだろう。シュウはレイの頭に手を乗せた。
「きっとここは日本があった世界とは別の世界なんだと思う。なぜだか言葉は理解できるけど、外見や体が違うってことは、俺は死んで生まれ変わったのかなって思うんだ。そこに前世の知識がくっついてきた。輪廻転生っていうのかな、そういうのかなって思うんだ。今までは、変なやつって思われそうで言えなかったけど」
「……ならやっぱり私は帰れないの?」
「わからない。けど、今はこの世界で生きていくしか道はないと思う。レイがいつからこの世界にいる記憶を持ってるのかわからないけど、すくなくとも一人じゃない。同じ日本の記憶をもってる奴がここにいるじゃないか。それだけで、俺はかなり救われた気がするよ」
レイは俯いていた顔をあげた。その目は潤んではいたが、涙はもう流れてはこなかった。
「だから、死ねばよかったなんて言うなよ、な?」
小さく頷いたレイに、シュウは満足げに微笑んだ。
◆
「たぶんさ、言葉がわかるのは俺達が意識を取り戻す前も、この体は生きていたからだと思うんだ」
「どういうこと?」
「つまりさ、前世の俺達の記憶がなんらかの切っ掛けで取り戻されるまえは、別の人格なり何かがこの体で生きていたんだ。それを俺達の記憶が乗っ取ったっていう仮説」
「それってあんまり気持ちいいものじゃないよね」
苦笑いを浮べるレイに、シュウは楽しげに言葉を重ねる。
「まあな。でも、筋は通ってると思うんだ。だからって何がわかって何ができるってわけでもないけどさ。そういえば、レイは前の世界じゃ何してたんだ? 俺が医師ってのは話したと思うけど」
「私? 私はただの高校生だったよ。ちょうど受験勉強してた頃。なんか、いまじゃすごく懐かしい感じだけどね」
二人は月明りの下、岩に座り込みながら話し込んでいた。そして、唐突に会話がとまる。二人は静かに月を見上げていた。
「月、おっきいね」
「今、気付いたのか?」
「うん。今までこんなゆっくり空を見上げることなんてなかったから」
そう言いながら、レイは真っ直ぐ月を見ていた。その横顔はどこか神秘的で、シュウは思わず目を奪われる。大きな瞳に月がうつりこんでいた。月明かりに照らされたレイが、その光に溶けて消えて行ってしまいそうな、そんな錯覚に陥った。それほどに、レイは儚く美しかった。
「また、前の世界の月、見れるかな」
「そのためには、せめてこっから出れるといいんだけどな」
ぽつり、ぽつりと二人は言葉を交わしていた。
そんな折、レイの様子が少し妙だ。顔をしかめたと思ったら目をぱちくりしたり顔を振ったりし始める。
「レイ?」
「え? あれ!?」
急にレイが自分の視界を手で遮った。そしてまた月を眺めては遮るというのを繰り返す。その奇妙な行動を、シュウは何事かと眉をひそめて見ていたが、とまどうレイは落ち着く様子はない。
「なぁ、どうしたんだ?」
「え? 何これ。どうなってるの?」
「だから、どうしたんだって」
すこし強い口調でシュウが言うと、レイは振り向き、シュウを見る。
「大丈夫か?」
「……強欲?」
レイから発せられた言葉にシュウはぞくりと寒気を感じた。シュウの恩恵である強欲。ミロルやサリベックスから恩恵は基本的に隠しておけ、といわれていたのでレイには言っていない。そのレイが、いきなり自分の恩恵を言い当てたのだ。ミロルとサリベックスでさえ聞いたことのなかった、自分の恩恵を。
「なぜ知ってる」
つい、シュウはレイを睨んでしまう。その剣幕に、レイはあわてて両手をあげた。
「べ、別に知ってたわけじゃないの! なんていうか、見えるっていうか……」
「見える?」
「う、うん……。月を見てたときもそうだったけど、なんか、見てるものの情報? が頭の中に浮かび上がってくるんだよね。だから、シュウを見てたらそんな単語が浮かんできて」
レイ自身も戸惑っているようでシュウには嘘をついているようには見えなかった。だが、見ているものの情報がわかるだなんて、そんな魔法みたいなこと、シュウには理解ができない。
「なんだよ、それ。そんなの普通じゃ考え――あ……恩恵か」
突如として辿りついた答えに、シュウは小さく頷いた。そして、その不思議な力をもっと見てみたいという欲求が、次第に高まっていく。対するレイは、シュウと同じく恩恵の意味を知らないらしく、何事かと不安そうな顔を浮かべていた。
「それ、レイの恩恵だよ、きっと。レイの力なんだ。見たものの情報を読み取る力、それってすごいじゃないか!」
「え? 恩恵? どういうこと? なんだかよくわからないけど」
自分の両手を見ながら首を傾げるレイ。そんなレイに、シュウはある一つの頼みごとをした。
「すごいよ! 人の恩恵を知るためだけの石版がすごい価値があるってサリベックスが言っていた。それを見ただけできるなんて、この世界じゃすごい価値があるとおもうんだ……。他には、俺をみて何かわかることはある?」
「えっと……男、十七歳、健康、強欲……あとは体重とか、誕生日とかそんなの、かな。ふぅ……。なんだか疲れるね、これ」
レイは軽い息切れを起していた。軽く走った後のようなそんな様子だ。
「恩恵使うのって結構体力つかうのか……。疲れてるとこ、申し訳ないんだけど、一つ相談があるんだ」
「何?」
「あのさ、強欲って俺の恩恵のことなんだけどさ」
「うん」
「この恩恵が、どんな力を持ってるのか……それを見ることはできないか?」
大きく見開かれた瞳を見ながら、レイはごくりと唾をのみ込んだ。