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「ほら、こっちだ」
シュウは、月夜の語らいの後、サリベックスの言われるままに宿舎に連れてこられていた。案内されたのは、男性部屋ではなく女性部屋だったのだが、サリベックスが当然のように入っていくので、おずおずと後を追った。
「おい、ミロルいるか? 入るぞ?」
そういって、返事を待たずに女性部屋に入っていくサリベックス。大丈夫か、と思いながらもシュウはその部屋の扉をくぐった。その矢先――。
「何度言ったらわかるんだい!? 返事するまで入ってくるなって言ってるだろう?」
女性の怒号が部屋に響き渡る。その声の主を見ると、そこには妙齢の女性が立っていた。赤い艶のある髪は腰あたりまで伸ばされており、後ろで一つに縛られている。シュウ達よりも肌を覆う布地は多かったが、それでも、豊満な胸元が露になるくらいの頼りがいも何もない布をただ巻いているだけだ。それだからか、ミロルのふくよかな体は、布の隙間から見え隠れし大人の色気を醸し出している。
「悪かったよ。こいつを連れてこれて嬉しくてな」
「そんな言い訳したって、許すわけないだろ? あとで覚えておきな」
「勘弁してくれよ」
苦笑いを浮かべながら頭を下げるサリベックスも声を張り上げているミロルも、本気で怒ったり謝罪している様子はない。シュウは、いつものことなんだろうと、二人を眺めていた。
「それで、この子かい? 新入りは」
「ああ、そうだ。こいつ、こんなちっこいくせに妙に頑固でよ。俺の恩恵見せてようやくついてきたんだ」
「なんだい? あんた、恩恵使って脅して連れてきたのかい? 悪かったね、こいつ見るからに野蛮だろ?」
「あ、いや……」
肯定していいのかわからず、シュウは返事にもたつく。その様子をみていたサリベックスは不満だったのか、顔をしかめながら反論をした。
「何いってんだ。別に脅してなんかねぇよ。こいつが、もし自分に恩恵があるなら知りたいって言ったんだ。だから来たんだよ」
「ならいいんだけどね。それで、あんたの名前は? 私はミロル。よろしくね」
「あ、シュウです」
先ほどまでの軽い視線とは違う。ねっとりと、からみつくようなミロルの視線は、シュウの顔をこれでもかと見つめていた。何かを確かめるようなその視線にシュウは居心地の悪さを感じる。が、すぐさまミロルが表情を崩して笑みを浮かべたのをみて、小さく息を吐いた。
「シュウか。ほら、そんなとこ突っ立ってないで座りなよ。どうせその男には何も説明されてないんだろ?」
ミロルの言葉に苦い顔を浮べたサリベックスだったが、特になにも言わずその場に座る。それに倣って、シュウもゆっくりと腰を下ろした。
「ただ仲間になれとしか」
「そうだろうね。こいつはいっつも自分の言いたいことしか言わないからねぇ。ここに連れてこられる奴はいっつもあんたみたいな顔してるよ」
「なんだぁ? 俺が悪いっていうのか?」
「あんたが悪くないなら誰が悪いっていうんだい! ほら、この馬鹿は放っておいて少し話をしようじゃないか」
なにやら呻いているサリベックスを横目に、ミロルは柔らかな笑みを浮べた。
「さて。ここに来たってことは、あんた、自分の恩恵を知らないようだねぇ」
「あ、ああ」
唐突に問いかけられたシュウは、気まずそうにうつむく。自身の中で、知らないのはしょうがねぇだろ、と悪態をつきつつも、それを表に出すことはしなかった。
「別に責めてるわけじゃないんだよ。恩恵を知らないやつってのはたくさんいる。もちろんもってないやつだってたくさんね。だから、自分に恩恵があるかどうか、その恩恵が何なのかなんて、恩恵が使えなきゃ知ることなんてない。そうだろ?」
ミロルの言葉にシュウは静かに頷いた。
「まあ、あんたの恩恵を調べる術がここにはあるんだけど……。恩恵を調べてやるにあたって、あんたにやってもらいたいことがあるんだよ。まあ、対して難しいことじゃない。ここにいる奴隷達で協力して生きていこうって話さ」
「協力?」
「ああ。そうさ。あたしたちは弱い。力もない。この首につけられている忌々しい真っ黒な奴隷の輪のせいで、やつらの命令には逆らえない。この筋肉馬鹿だって、奴隷の輪をつけてたら全く意味なんかないんだ。だから、その弱いながらも力を合わせてなんとか生きていくしか道がないんだよ。この男もあたしも協力者を求めてる。それが仲間になれっていうことさ」
「もし、俺に恩恵がなかったら――」
「恩恵だけが力じゃないさ。倒れそうなときに支えてくれる。そんな仲間がいるだけで、強く立っていられる。そう思わないかい?」
柔らかな笑みにシュウの胸はどきりと跳ねた。
この二週間。シュウはひたすらにここの生活に順応しようと必死だった。突然、こんな環境に放り込まれて成す術もなく蹂躙されることしかできない。そんな自分ができることは、必死で強がって、目の前にある仕事をこなしていくことだったのだ。
どれだけ助けが欲しかったかわからない。けれど、やはりここはシュウにとっては否定し続けなければならない世界だったのだ。受け入れてしまえば、もう二度と以前の生活には戻れない。そんな気がしていた。
「でも……おれはっ――俺は……」
「嫌だったら抜けたっていい。無理強いはしないし、強制でもない。ただ、あんたの助けが欲しいだけなんだよ。ほかならぬあたし達が、あんたに助けて欲しいんだ」
きっとその言葉はミロルの優しさだったのだろう。助けてほしいと美しい女に言われて気分の悪い男などいるはずもない。シュウは、ミロルの思惑に気づきつつも、ついその優しさに甘えてしまった。すがってしまった。ミロルの優しさは、戸惑っていたシュウの背中を容易く押した。
「…………俺は、何をすれば?」
その言葉を聞いてミロルはにやりと笑う。サリベックスも、今のやりとりを聞きながらしずかに微笑んでいた。
「恩恵があれば、その恩恵を活かして皆を助けてやればいい。ほら、この筋肉馬鹿なんてのは、昼間の労働で他の奴らを助けてやってるしね。恩恵がないやつは、この宿舎での雑用だとかそんなのを割り振ってやってもらってる。まあ、具体的なことはさておき、だ。シュウ。あたしたちの仲間になるなら一つだけここで誓ってもらう。それができたらあんたももう、あたし達の仲間だ。いいね?」
シュウは強く頷いた。
「簡単なことさ。秘密を守って、私達を裏切らないこと。それが誓えないならそのドアから出ておいき。誓えるならこの石版に右手を乗せるんだ。さあ、どうするんだい?」
シュウは大きく息を吐き、ミロルとサリベックスを見据えた。そして、おもむろに右手を掲げると、そっと石版にその手を乗せた。
◆
その日も、シュウは延々と掘られてくる鉱石を運んでいた。照りつける日差しが強く、シュウは流れ出る汗さえも口に含みながら歩いていた。
「よぉ。今日も元気そうじゃねぇか」
後ろからかけられる軽口に振り返ると、そこには、シュウの何倍もの鉱石を運ぶサリベックスがいた。
「こんなんで元気って言えるなら、サリベックスの目は節穴なんだろうね」
「言うようになったな。あの無口なガキんちょがよ」
シュウの恩恵を調べてから、さらに半月が経った。ちなみにここでの一年は十二ヶ月であり、四週間で一ヶ月だ。数年に一度、暦の調整のために一年が十三か月になる。まあ、それはさておき、シュウがきてからは大体一ヶ月が経った計算だ。
「あの時と比べて今はずいぶん余裕が出たから。皆が助けてくれてるお陰だよ」
「おお! 殊勝なこと言うじゃねぇか! まあ、お前は恩恵の使い方がわかんねぇ分、それ以外でがんばってくれてるからな。俺達も助かってんだ。気にするな」
「ああ」
そう、あの日、石版の上に手を置いたシュウの恩恵は判明した。しかし、その恩恵がどういったものか、どうやって使うのか、それが全くわからなかったのだ。そんなことはサリベックスもミロルも初めてであり、二人は驚くを通り越して呆けることしかできなかった。
「そういえば聞きたかったんだけど」
「あ? なんだ?」
「あの石版ってそんなに大事なものなの?」
シュウの何気ない問いかけに、サリベックスは表情を瞬時に変える。
「馬鹿! あの石版がなかったら、俺達はこんな暮らしはしてねぇよ! 仲間達の恩恵がわかってそれが皆の生活を助けてるからこうやって生きていけるんだ。そもそもあの石版はよ、過去の失われた遺産って言われててよ、売れば一生遊んで暮らせるほどの金が手にはいるって話だ。偶然この鉱山から掘り出されたけどよ、普通なら俺達が触れるもんじゃねぇんだよ」
「そっか……。でも、そんだけすごい石版でもあれはないと思ったよ」
「お前の恩恵か? まあ、そうだよな。……強欲ねぇ。最初はそれが恩恵かどうかも分からなかったぐらいだからよ。どんな意味か全くわからねぇ。変わってんのな、お前も恩恵も」
「俺もは余計だよ。でも、早くどんな恩恵か知りたいんだ。みんなには迷惑かけてるから……。ってか、サリベックスの恩恵はなんて言うの? あれだな。自分のも知るとほかの人のも気になるもんだな」
「俺か? まあ、俺のはいいんだよ! ほら、いくぞ! 仕事だ、仕事!」
「え!? 教えてくれないの!? って、早っ! ほんと反則だよ、その身体!」
体力差を駆使してさっさと行ってしまうサリベックスの背中を恨めしそうに睨みながら、シュウは自身が持つ鉱石を再び必死になって引きずった。
◆
その日の夜。にわかに宿舎がざわめいた。夜にはくるはずのない監視官が、なぜだかいきなりやってきたのだ。
そもそも、監視官は普段はここの奴隷たちと接することはあまりない。というのも、昼は鉱山付近の詰所に、夜は大陸と島とをつなぐ橋の近くにある監視官宿舎に寝泊まりしているから。
通常なら、監視官が鞭でも持ちながら奴隷に発破をかけているが、この奴隷島ではそれが必要ない。サリベックスやミロルが恩恵を利用して、普通以上の成果を上げているからだ。そのため、この奴隷島を管理している貴族が決めた基準よりも多くの鉱石や農作物が納められている。その基準さえ満たしていれば、ここの監視官は楽をしたいがために、奴隷にかかわることなく怠惰な生活を送っている。
もちろん、もっと生産量をあげようという意欲的な監視官がいたら現在のような放任状態にはならないのだろうが、そんな志の高い人間が監視官などに甘んじているわけはなく、奴隷たちは仕事さえやっていればある程度の裁量は黙認されていた。
それゆえに、普段は監視官をそれほど見ていないシュウは、いきなり食堂に入ってきた監視官にひどく驚いた。
監視官は皮製の防具を纏い、腰には両手剣を刺している。それが通常の様相なのだが、奴隷たちとは様子の違う人間に、シュウはつい身構えてしまった。だからといって、何をするわけでもないのだが。
「臭い、臭い、臭い! いつ来てもここは臭いな! 家畜の小屋のほうがまだましだ。なんで俺がこんなことしなきゃならねぇんだよ。おい、ほら! お前、こっちに来い! ほらっ!」
奴隷達は、突然の来訪者をただ眺めることしかできない。視線を集めていることを気にする様子もなく、監視官は、後ろに従えていた一人の人間の髪の毛を掴んで、これでもかと引っ張っていた。
「さっさと来いっていってんだろうが! このガキが!」
そう言って監視官がそのまま投げ飛ばした少女の年の程は十二、三歳ほどだろうか。手も足も皮だけしかないようなその少女は、されるがままになっており、無残にも地面に転がる。
「今日から、ここがお前の住処だ。いいか! お前らも、こいつにしっかりと仕事を教えておけ! わかったらさっさと散れ! この奴隷どもが!」
そういって監視官は荒々しく扉を閉めて去っていく。
シュウはその様子を呆然と見ていた。あまりにも突然で理不尽な出来事にあいた口が塞がらなかった。周囲が口々につぶやく言葉にそっと耳を傾けつつも、視線は少女から逸らせられなかった。
「可哀そうによ。まだ子供じゃねぇか。こんなとこに来るなら、奴隷としてどっかに売られちまったほうがよかったのによ」
「まあな。この体じゃここじゃ生きていけねぇよ。たしかに、ここなら、解放までの時間が少しは短くなるかもしれねぇけど」
「売れなかったんだろ? この体型だ。明らかに死にかけじゃねぇか」
皆が好き勝手語る中、シュウは無意識にその少女に近づいていく。そしてあるものに目を奪われていた。
「その髪……」
そう。少女の髪の瞳は、シュウと同じ黒に染まっていた。その色は、ここではシュウ以外だれもいなかった珍しい色だ。シュウは、以前いた場所では当たり前だったその色を見て、思わず呟いていた。