エピローグ1
サリベックス達が反乱を起こしてから一か月後。奴隷島では、いつもと変わらない日々が送られていた。男達は鉱山へ行き、女達は畑にいって糧を得る。
先の反乱で、奴隷達の総数は大幅に減っていた。死亡したもの、怪我で仕事ができないものなどを除き、今では四十人程しかいない。奴隷の補充が少しはあったのだが、明らかに生産効率は落ちていた。かつての活気も、そこには存在しなかった。
そんな中、一人の男が屋敷の人間から呼ばれていた。新たに設置された、より頑丈な吊り橋の手前の見張り小屋で、男はわずかばかりの路銀と身の回りを整えるための服などを受け取った。男はそれをおとなしく受け取り着替えると、ゆっくりと吊り橋を渡って踵を返した。そして、島に向かって一言声をかけると、もう二度と振り返らずに立ち去っていく。
男は王都とは反対側の大きな街へと向かっていた。そこに行くまでには一週間ほどかかるが、奴隷島で鍛えられた体だ。それくらいの旅路は苦にならない。
「靴までくれるとは、ずいぶん羽振りがいいじゃねぇか。さすがに、今回のことで王都から目ぇつけられてんじゃねぇかな。貴族としての立場を取り戻すのも楽じゃねぇな」
そんなことをつぶやきながら、男は黙々と歩き続けた。
そして、三日ほどたっただろうか。その日も男は街に向かって歩いていた。そんな折、男はふと森の中にある何かに気づいた。それに向かうように街道を外れると、戸惑いもなく森の中へと入っていく。森の中は木々の枝葉でさえぎられているせいか、薄暗い。土の香りが鼻をくすぐり、男は雨でも降ったのかと思案する。
しばらく歩くと、ようやく森の奥の建物が視界に入る。それは、古びた教会だ。今では無人のその教会は、音もなくそこに佇んでいた。
「しめたな。雨風しのぐには十分だ」
そんなことを言いながら男が建物に近づくと、人影が建物の影から現れた。皆、外套を頭からかぶり顔は窺い知れない。
「何者だ?」
男が突然の事態に後ずさるが、すぐに後ろからも声が響く。
「こんなところに何の用だ?」
「答え次第じゃ……ただじゃおかないよ」
三人に囲まれた男は、その剣呑とした雰囲気に思わず息をのんだ。そして、荷物を地面において両手を上げる。この世界でも共通の、降参という意味だ。
「勘弁してくれ。やっとこさ、奴隷から解放された身だ。拾った命、棒に振りたくはねぇんだ」
その言葉を聞いた三人は、おもむろに男へと歩みをすすめると――。
「ホルム!」
「久しぶりだな、この野郎!」
「元気そうじゃないかい? 無事、解放されたんだねぇ」
ようやく訪れた友人に、おおいに祝福という名の抱擁を授けていた。
◆
「ははっ! なんの真似かと思ったが、なかなか真に迫った演技だな。シュウが凄んでるとこなんか、笑っちまいそうになったぞ!」
「う、うるさいな。おっさんが面白いからやれって」
「あ? なんだぁ? 俺のせいか? んなことはあるまい。言いだしっぺはミロルだからな」
「え? あたしかい? そんなこと言ってると、今日の夕飯はいらないってことでいいんだね」
「い、いやいやいや! 俺の言い間違えだ、すまん」
そんなやりとりをしているのは、教会に入ったすぐの礼拝堂だ。多くの人間が座るはずの長椅子は、端っこに寄せられベッドと化している。四人は、その中央に置かれたテーブルを囲んで話をしていたのだ。
「それよりも、ホルム。ありがとな? こんなところがあるって教えてくれてさ」
「いいんだよ。俺も商売の途中で偶然見つけたところだからよ。元々雨風凌ぐには十分すぎるところだったが、こんな風にしちまうとはな。なかなかいい雰囲気じゃねぇえか」
ホルムはそんなことを言いながら、出された水を飲み室内を窺う。
「こんなの、熱心なガイレス教のやつらに知られた日にはどうなるかわかんねぇがな」
「違いねぇ」
そういってサリベックスも大口を開けて笑っていた。サリベックスの左手は、今もひじから先がないままだ。その腕で、器用に椅子を押したり頭をかいたりと、ずいぶん慣れた様子だ。そんな仕草をホルムはついつい見ていたのだが、その視線にサリベックスが気づいた。
「ようやく慣れてきたんだよ。まあ、不便は多いがな」
「そうか……。そういえば、奴隷島のやつらも元気だぞ? 前ほど楽しそうじゃねぇし環境も昔にもどっちまったから活気はねぇがな」
「そうか。元気なんだな、あいつらは」
サリベックスは視線を少し下げると、何かを思い出したように微笑んだ。懐かしんでいるのだろうか。どこか寂しそうな表情だった。
「後悔……してんのか?」
俯くサリベックスに、ホルムは遠慮がちに問う。が、問われたサリベックスのほうは、驚いたように顔を上げると、すぐに破顔して口を開いた。
「何いってんだ! 後悔するわけがあるめぇ。まあ、逃亡奴隷っつー立場だから動きずらいのは確かだがな。それもいつか金払えば解消されるもんだしよ。それに、俺らが全部かぶらなきゃ、お前らは問答無用に殺されてたかもれねぇだろ?」
「感謝してんだよ。俺もよ」
そういって頬を頬をかくホルムをみて、サリベックスは再び笑う。
というのも、今回の騒動ででた子爵家の損失は、デズワルト本人や護衛、家臣にはじまり吊り橋や監視官の見張り小屋、奴隷達約六十人にのぼる。その損失をどこが負担するのか、という話だが、自分達の所有物の中で起こった騒動だから子爵家がもつこととなる。金銭面はそれでいいのだが、奴隷の反乱をただ自身の財産で穴埋めするだけでは、貴族の沽券にかかわるのだ。
だから当然、反乱を起こした奴隷達に対する粛清が必要となるわけだが、その対象となる役をサリベックス達が買ってでた。もちろん、首謀者であるからそれは当然のことなのだが、賛同していたが怪我で動けない奴隷達を全員連れて逃げるのは不可能だった。ゆえに、サリベックス達だけで逃げ、残された奴隷達は無理強いをされていたという筋書きを残し、奴隷島の面々を守ったのだ。子爵家も馬鹿ではない。その思惑には当然気づいていたが、利益を生む労働力である奴隷をむやみやたらと殺していくのも本位ではない。両者の思惑がうまくかち合い、サリベックス達がすべてをかぶったのだ。サリベックス達も満身創痍で逃げるのも一苦労だったのだが、それはまた別の話である。
「それよりもホルム。お前もずっと歩き通しだろ? 飯用意してやっから少し休んでろ。ミロル。俺は狩りに行ってくらぁ」
「はいよ。無理すんじゃないよ」
「あれ? シュウは行かねぇのか?」
「あ、俺は――」
「シュウは別の仕事があるんだよ。なぁシュウ。夕飯までには帰ってくるんだよ」
「わかってるよ」
ミロルの言葉に対して、シュウは煙たそうに手で払う。そんな仕草を見ながらも微笑むミロルはどこか幸せそうだった。
◆
シュウは森を歩く。向かう先は近くにある村だ。まあ、村というよりも集落といったほうが近いかもしれないが、数十人の人間が集まって住んでいる場所だ。シュウは数日に一度、そこに赴いて医師としての仕事をしていた。
「はやくいかないと、じじばば達がうるさいからな」
そんな独り言を言いながら、シュウはふと奴隷島でのことを思い出していた。
「ホルムも元気そうでよかった……」
目をつぶると、瞼の裏に、あの時の情景が色濃く蘇る。
サリベックスが起こした反乱の後。シュウは、怪我人の対処に追われていた。
シュウが最初に治療に取り組んでいたのはレイだ。レイは背中の筋肉を貫かれ肺まで剣が到達していた。頬を撫でるそよ風で呼吸を補助をし、流れ出て行った足りない血液は、水の調べで血管内の水分を増やした。つまりは、点滴の変わりのようなものだ。そして、治癒術で傷を塞いでいく。ホルムの時よりも、治療の質は断然上がっていた。
なんとかレイの治療を終える。命は取り留めたが、予断は許さない状況ではあった。生々しく浮き上がる傷跡。縫い付けた糸の端が、傷から乱雑に飛び出ている。シュウは、その傷を見てどうしようもない気持ちに襲われるが、すぐさまかぶりを振り次のけが人へと視線を向けた。
「ミロルさん。鉱山はいいから、怪我人達に恩恵を使ってほしい」
「前にあんたが言ってた、感染とかいう代物に効果があるっていう……」
「ホルム達の様子をみてたら、効果があるみたいなんだ。頼めるかな?」
「ああ。任せときな」
抗生剤のないこの世界。そんな世界でシュウが大胆な治療を行えるのはミロルの力が大きい。ミロルの恩恵である『真っ白なあなた』は毒を中和する恩恵だ。その毒に感染症が含まれていたのは幸いだろう。サリベックスにしてもレイにしても、感染の危険は非常に高い。そして、その重要性は、ミロルもシュウに言われてよくわかっていた。
その後は、サリベックスの腕も治療した。ミロルが行った止血では不十分であったためだ。切られた腕の断面はひしゃげており神経をつなぐことは不可能だった。だから、シュウは人命を優先させる。
他の怪我人たちの治療も過酷を極めた。生き残っていたのは四十人程度。そのうち三十人程度は反乱自体に参加しなかった人々だから、治療する対象は十人ほどだった。それでも、シュウ一人では限界があった。全員は助けられず、シュウは自らの力のなさに歯噛みした。死んだのは、六十四人にものぼったのだ。
その後はひたすらに死体を集めては焼いていった。墓を作り弔うまでに、奴隷全員が協力しても数日を要したのだ。もちろんその間に子爵家も事態を把握し奴隷達を再び支配下におくための準備を始めていた。それを察知していたシュウ達は弔いを終えたのち、速やかに奴隷島から逃げ出したのだ。
「ケルガー。お前の恩恵はちゃんと役にたってるからな」
シュウはそんなことを空に向かって告げながら、再び村を目指して歩き始めた。