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シュウはサリベックスの元に駆け付けた時から考えていた。この場を切り抜けるにはどうすればいいのかを。自らが持つ恩恵やその場の状況、相手の力などを考慮しつつできるだけ勝機のある戦いはなんなのか。そればかり考えていた。
そもそも、シュウの持っていた恩恵は四つ。一つは治療の際奪い取った治癒術。あと三つは、ケルガーやホルム達から譲り受けたものだ。『頬を撫でるそよ風』『固体化』『水の調べ』というそれぞれの恩恵の使用方法を、シュウは牢屋に入っていたときに考え抜いた。だが、そのいずれの恩恵も、発揮される力の強さが距離に反比例したのだ。つまりは近ければ近いほど、その威力は大きい。
その証拠に、シュウが監視官に大きな血栓を作り脳梗塞を発症させたときは、頭に手を添えていたし、デズワルトの呼吸を止めたときも、少しでも威力を増すために近づいていた。先ほど、ノギロンへと『頬を撫でるそよ風』を使った時に呼吸を止められなかったのは、ノギロンが距離をとることにより威力が下がってしまったせいだった。もちろん、集中していないと威力は低下するのだが、それよりも距離がより強い足かせとなる。
サリベックスとノギロンとのやり取りをみたときから、いかに相手に近づくか、相手の動きを止めるかということを考えていたシュウ。ノギロンへ何かをするとしたら、何らかの方法で遠くから動きを止めて、そして近づき致命傷を与えるしか方法はなかった。現に、そのためにシュウは恩恵を使い続けていたわけだが。
そして、その努力は実を結ぶ。つたない恩恵でなんとか手繰り寄せたそれをお見舞いしたとき、シュウはぎりぎりの綱渡りを、命がけの綱渡りを渡り終えたと思ってしまった。あとはとどめを刺すだけだと。そう思ってしまったのだ。ゆえに、咄嗟に反応ができなかった。追い詰めた相手の、振り絞る最後の力に。
シュウはずっと『頬をなでるそよ風』を使い続けていた。それは、奴隷宿舎からそう遠くない鉱山に向けて。風の流れを作り、鉱山から湧き出る有毒ガスをなんとか自分たちの元まで持ってこれないか画策していた。距離が遠いため、成功するかは賭けだった。が、空気よりも比重の重いガスをどうにかして手繰り寄せたシュウは、その毒ガスの流れをできるだけ急速に、ノギロンの肺へと送り込んだ。
無駄話は時間稼ぎ。高濃度の毒ガスを取り込んだノギロンの肺は、突如として酸素分圧が低下、つまりは体に酸素が足りない状態になり意識を朦朧とさせた。首を絞めるよりも、呼吸を止めるよりも素早く、シュウはノギロンを呼吸不全へと導いた。
もう終わりだ。
そう思い、シュウはだめ押しの一手を下そうと意気込む。が、目の前にいたノギロンは力強く剣を掲げそして振り下ろした。まさかこの状態で攻撃に転じるとは。最早しゃべることもままならないこの状況で自分に刃が向くとは、シュウは考えていなかったのだ。その想定の甘さにシュウは絶望した。一瞬にしてノギロンを戦闘不能へと導いたが、自分が毒ガスを送り込むのをやめたら、おそらく徐々に回復してしまうだろう。せっかくつかんだ勝機を、一瞬の油断で手放すことになってしまうとは。
そして強く目をつぶる。命が刈り取られる瞬間を少しでも伸ばそうと両手を突き出す。だが、一向に体には痛みはなく、剣が突き刺さる衝撃も襲ってはこない。
おそるおそるシュウは目を開ける。その視界に飛び込んできたのは、その場に崩れ落ちるレイの姿だった。
「レイ……」
シュウは、なぜレイがその場にいるのかが理解できなかった。倒れたレイに視線を向けると、その背中には、ノギロンの剣が突き刺さっている。そこから血が滲みだし、レイの巻いている布を赤く染めていく。その間レイは全く動かない。
「シュウ!」
後ろから名前を呼ばれてシュウはノギロンを見た。ノギロンはふらふらになってはいたが、まだ意識はあるようだった。
今しかない!
そう判断したシュウはすばやくノギロンの後ろに回りこみ背中に手をかざした。
『水の調べ(リッチウォーター)』
これは、水の量を増やすという恩恵だ。先ほど使った恩恵を、シュウはここでもう一度使う。それにより、ノギロンの血管内の水分は通常時よりもはるかに増えた。だが、それが直接何かを起こすわけではない。
シュウは恩恵を使ったその直後、ふらつくノギロンの後ろから口を塞いだ。そして、最後の一手をここで放つ。殺された人たちの想いを、奪われた苦しみを、蔑まれ傷ついた自尊心の叫びを、そのすべてを込めて。
『火魔法』
シュウの掌から、ノギロンの肺へと、小さな火が走り抜けた。デズワルトが死ぬ間際に、恩恵を奪っていたのだ。
その瞬間に、ノギロンの口から気管、そして肺胞に至るまでが熱傷、いわゆる火傷を起こす。熱傷を起こした皮膚は即座に焼け爛れ、そして間もなく浮腫んで気管や気管支を塞いでいく。むしろ、こうなってしまっては浮腫むというより水ぶくれといったほうが正しいのだろう。シュウの恩恵によって、身体に有り余っている水分。その水分が、熱傷を引き起こしたことをきっかけに気管にあふれ出た。その結果、ノギロンの気管内は水ぶくれで埋め尽くされ、わずかな呼吸すらできない。もう毒ガスを新鮮な空気で浄化することも、酸素を取り込むことすらできない。この瞬間に、ノギロンの命が終わることが決まる。
この世を去るまでの数瞬を、朦朧とした意識の中、苦しみだけが支配していた。
◆
「レイ! レイ! 聞こえるか!? 起きるんだよ! ほら、目を覚ませって!」
シュウは、うつ伏せに倒れたままのレイに声をかけていた。その声に反応してか、ようやく目を開けるレイ。レイは、ぎこちなく微笑みながら、シュウの目を見ていた。
「シュウ……? 大丈夫だった? うまく……いった?」
「ああ。レイのおかげであいつは倒したよ! でもなんで……なんで!」
大声で呼びかけるシュウに、レイは笑顔のまま答える。
「だって……。シュウ、ぼぉっとしてたから。勝手に体がうごいて、さ。シュウ、私のためにたくさん頑張ってくれ、たんで、しょ? 私、シュウに……助けられてばっかりだったから」
「いいんだよ! 俺が好きでやってんだ! だから、気にしなくたって――」
「シュウが死んだら……私、なんにもできないから……」
「そんなっ――! そんなこと――」
出血を助長させてしまいそうだから、姿勢はできるだけ動かせない。声だけで呼びかけるも、開いていたレイの目は、徐々に瞼によって塞がれていく。
「…………なんか寒いな……」
「な……何いってんだ! さっき泳いだからだろうが。体拭かねぇと風邪ひくにきまってんだろ?」
「はは……そんな暇なかったじゃない。……私、こんな寒い日は……そうだ。こたつ……こたつに入りたいな……。出れないんだよね。こたつ。はは、懐かしい……」
レイの顔面は蒼白で、言葉もだんだんとゆっくりになっていく。その様子をみて、シュウは再びレイを失うような、そんな気がして止まなかった。
「みかん食べてさ、テレビみるの。シュウはこたつ好き? 私は冬はずっとこたつに入ってたんだよ? ……ってこたつのこと考えてたらなんか眠くなってきたよ、シュウ。ね、むい、な……」
「くそっ――、くそ、くそ、くそ! おい! レイ! 俺だって、お前がいてくれたから、だから、だから! 勝手に……勝手に寝るんじゃねぇよ!」
その言葉の返事は返ってこない。シュウは、自身の歯を噛み砕かんとばかりに食いしばった。ぎりぎりと頭に歯がきしむ音が聞こえるが、その音を断ち切るかのように、後ろからかけてくる声があった。
「おい、シュウ」
目を向けると、左手を布でぐるぐる巻きにしたサリベックスとサリベックスに付き添うミロルの姿があった。
「おっさん……」
「見てのとおり立ってるのがやっとだ……。とりあえず血はミロルが止めてくれた。それよりもよ…………やるんだろ?」
その言葉に、シュウは大きく目を見開いた。
「やらねぇのか? もしかしてあきらめる気か? お前は医者なんだろ? あ? 違ぇのか?」
煽るようなその物言いに、シュウは思わずサリベックスの胸倉をつかんだ。
「シュウ!」
「なんだってんだ」
シュウはサリベックスとしばらくにらみ合い、そして、突然笑みをもらすと、つかんでいた胸倉を離し、顎にげんこつを添える。
「今だったら勝てるかもな」
「馬鹿言え。なっさけねぇお前なんぞ、指先でつぶして終わりに決まってんだろ」
「……やるよ」
「ったりめぇだ」
シュウはすぐさま踵を返し、そして、宿舎に向かって大声で叫ぶ。
「あいつらは殺した! もう危険はない! だから! 頼むから、手を貸してくれないか!? 仲間を助けたいんだ! 頼む! 頼むよ! 急いでくれ、早く!」
シュウの終戦宣言と呼びかけに、元奴隷の皆はすぐさま集まってきた。その面々に指示をとばしながら、シュウはレイの治療を行っていく。消えかけていた明かりを灯すかのように、シュウは傷ついた身体に鞭を打った。
シュウ以外の面々も、自分達でやれることをやっていた。軽傷の怪我人を手当したり、弔いの準備なども行っている。シュウは、その中心で、レイの治療にあたっていた。
シュウはぐったりとしているレイに、鎮痛、鎮静を行い手術の準備をすすめていた。
「なあ、レイ。あれ、やっぱり訂正していいか?」
レイの治療を最優先で進めていたシュウの口からは、この状況にはそぐわない穏やかな声を発する。口を動かしながらも、治療の準備は迅速に進めていく。
「こんな状況で荒んでたんだな。俺は。あの言葉が間違ってるとは思わないけど、でも正しくもなかった。俺は医者だから。目の前に怪我人や病人がいたら……やっぱり助けたいんだ」
流れるような手つきで、シュウはレイの傷口の処置を行っていった。軽い傷ではない。処置を通して、なんとかレイの命をこの世に繋ぎ止めていた。
「絶対助けてやる。だってさ、やっぱり医者の仕事は……」
そういってシュウは笑った。
「命を救うことだから」