19
「おっさぁぁぁぁんっ!」
戦っているサリベックスの元に駆け付けたシュウとレイが見たものは、切り落とされた左腕と満身創痍のサリベックスの姿だった。そのサリベックスを後ろから切り付けようとしているデズワルトの護衛ノギロンだ。慌てて詰め寄り、デズワルトを葬った恩恵、『頬を撫でるそよ風』を使い、ノギロンの呼吸を止めにかかる。
「ぬ――」
突如として訪れた違和感に、ノギロンはうめき声を挙げ動きを止めた。その隙を見逃さないとするサリベックスは残された右腕を後方に叩きつけたが、それを素早く察知したノギロンはサリベックスから大きく距離をとる。すると、飛びのいている最中にノギロンの呼吸への違和感はなくなり、落ち着いて呼吸を始めた。
「おっさん!」
「サリベックスさん!」
あわてて駆け寄るシュウとレイに、サリベックスはぎこちない笑みを浮かべる。そしてほどなくして、ミロルが奴隷宿舎から出てきて駆け付けた。その両目から涙を流しながら、サリベックスを見つめている。
「へっ、やっちまったな。やれると思ったんだがよ……お前らが無事でよかったぜ、ほんとによ……」
「おっさん! しゃべるな! いま止血を――」
「いいんだ、シュウ。お前らは逃げろ。俺はこいつを食い止めておくからよ」
「何言ってんだ! おっさんも逃げるんだよ! ほら、早く立てよ」
「この様だ。もう逃げるのは無理さ。あいつだってまだ五体満足で立ってるじゃねぇか。ほら、いけ。俺はこいつに一発でもお見舞いしてやりてぇんだよ」
サリベックスはそういうと、ふらふらと立ち上がりノギロンを睨みつける。対するノギロンはというと、何やらまゆをひそめてシュウ達を見つめていた。
「死なないって言ったじゃないか……」
サリベックスがノギロンへの警戒を最大限にしている最中、黙っていたミロルはようやく重い口を開く。
「あんたは、死なないって言ったじゃないか」
「さっき……声が聞こえたのは気のせいじゃなかったんだな。中にいろって言っただろうが。出てきてんじゃねぇよ」
「あんたが不甲斐ないからきちまったんだよ。もっとしっかりしておくれよ」
「勘弁してくれ。こんな時でも、お前に叱られてちゃ……あの世で、でかい顔してられねぇじゃねぇか」
そういって笑みを浮かべるサリベックスに、ミロルは二の句が継げない。さまざまな感情がうずめくなか、どんな言葉を選んでいいかわからなかったのだ。
「おっさん、それはねぇよ」
怒気が含んだ声に、皆はシュウに視線を向ける。
「俺は誰も失いたくないから、奪われたくないからレイを助けにいったんだ」
「おめぇは立派に役目を果たしたな」
「そうじゃねぇ! 俺は、おっさんもミロルさんも……ケルガーだってうばわれたくなんかなかった。ここで死んでいった皆、全員、全員だ! 全員奪われちゃならねぇ命だったんだよ!」
強く握りしめる拳。鋭い視線はすでにノギロンを捉えていた。
「そうやって死にたがるんじゃねぇよ! かっこつけんな! 生きたいって想いが少しでもあるなら、誰を頼ったっていいだろう! 俺はあきらめない。あきらめないぞ……。これ以上奪われてたまるかよ……なぁ、お前」
突然声をかけられたノギロンは、表情も変えずにシュウを見据えている。
「今から、俺が相手になってやる」
そう告げられたノギロンは、ゆっくりと口角を上げた。だが、その発言にあわてたのはサリベックスだ。
「おい、待てシュウ! お前じゃ無理だ。退け!」
「デズワルトを殺したのは俺だよ」
突然の告白に、サリベックスもミロルも絶句する。そんなことはお構いなしとばかりに、シュウは言葉を重ねていった。
「だから安心していい。俺だってそれなりに戦えるんだ。……それより、ミロルさん」
「な、なんだい?」
「今も恩恵って使ってるの?」
「そんな余裕ないからもう使ってないけど……どうかしたのかい?」
ミロルの言葉にシュウは小さくかぶりを振る。ミロルは聞かれた理由がわからず首をかしげている。
「いや、それでいいんだ。とりあえず、おっさんを頼んだよ、ミロルさん。レイは奴を視てわかったことを教えてくれ」
そういってシュウは歩みをすすめた。
◆
ミロルやサリベックスは、なぜだかシュウの言葉に従ってしまっていた。もちろんデズワルトを殺したということに驚いたというのもあるが、有無を言わさない強引さがそこにはあった。何も捨てようとしない、その強欲さに押し切られたとでもいえばいいのだろうか。何かを削り取りながら生み出すその気迫に、二人は圧倒されたのだ。
「今のはなんだ?」
シュウ達のやりとりをじっと見つめていたノギロンが問う。シュウは、その問いには答えずゆっくりと近づいていく。
「言う気はない、か。なら死ぬといい」
そういってノギロンが剣を振りかぶった刹那――。
「伏せて!」
甲高い声が響く。その声に従い、這いつくばるように伏せたシュウの後ろには、剣を振り切ったノギロンがいた。
「なんだと?」
戸惑うノギロン。対してシュウは、すぐさまノギロンから距離をとると、にやりと笑みを浮かべてレイを一瞥した。そしてすぐさま視線をノギロンの元に戻す。
ノギロンは、先ほどよりもさらに鋭い視線をシュウへと向けていた。じっと、なにかを探るように見つめている。
「不思議か?」
シュウの問いかけに、ノギロンはピクリと眉を動かした。だが、剣をかまえたまま、その問いには答えない。
「不思議だろうな。自分がやろうとしてることが読まれたんだもんな。でも……もっと不思議なもんを見せてやるよ」
そういって手をかざすシュウを見て、ノギロンは何かを感じ取ったのかすぐさま地面を蹴るも――、
「左!」
その声に反応して、シュウは左へと飛んだ。シュウが転がったかと思えば、ノギロンはやはり剣を振り切った格好で後ろに立っている。
シュウは、驚愕し動きを止めているノギロンに再び手をかざすと、心の中で願った。強く、強く、ただノギロンから奪い取ろうというそれだけを願った。
その刹那、シュウの心臓へ入り込む何かを感じる。圧迫感と胸の痛みに襲われたシュウだったが、悲鳴を無理やりに抑え込んだ。その直後に訪れるのは、ズシリと体の中に何かが落ちる感覚。それを感じて、シュウは口角を上げた。
「時の切り取り線。時間の認識を切り取ることができる恩恵か……。どうりで、剣を振りぬく瞬間が知覚できないわけだ」
シュウの呟きにノギロンはすぐさまシュウを睨みながら目を見開いた。
「なぜ……」
「もうお前に恩恵は使えないよ。俺が奪ってやったから」
押し黙るノギロンだったが、すぐに剣を構えて力を込める。だが、何も起こらずその場から動くことのないノギロンは、今はただ重く暗い表情をの顔に宿しているだけだった。
「お前……何者だ」
「ただの医者さ」
茫然としているノギロンに向かって、シュウは『頬を撫でるそよ風』で呼吸の自由を奪おうとする。が――、ノギロンは構わず剣を振りかぶった。
「右!」
声に反応して右に飛びのくが、シュウの肩口には一筋の線が走った。
「ぐっ――」
「シュウ!」
切られた左肩を抑えて後ろを向くと、すでにシュウ目がけて刀を下から切り上げている。シュウは咄嗟に体を後ろに倒し刃を避けるが、体勢が崩れてすぐに逃げることもできない。剣が、シュウの頭目がけて突き落とされた。なんとか首をよじってよけ慌ててその場から走り去る。ようやくシュウはなんとか距離をとったものの、頬からは血が滴っていた。
「お前らがどうやって動きを読んでいるかはわからん。恩恵が使えない理由もだ。だが、そんなもの、俺には全く意味はない。読まれても、お前がそれを避けれなかったら意味はない。……恩恵などつかわずとも、俺がお前を殺すことなど容易い。お前は弱い。先ほどの男とは比べ物にならないくらいな」
シュウの背中に突如として寒気が走る。レイの「前!」という声に反射で前に飛び込むが、次の瞬間には、ノギロンが眼前まで迫っていた。必死で逃げ回り、ごろごろと転がるシュウを追わずに見下ろすノギロンは、どこかつまらなそうな目をしていた。
「戦いながらだと恩恵も使えないようだな。でかい口をたたいたことを後悔するといい」
その言葉にシュウは歯噛みした。ノギロンの指摘は、的を射ていたのだ。恩恵を奪ったが自力の差を埋めたわけではなかった。
シュウの恩恵はつい最近手に入れたものだ。その恩恵を、捕まっていた間に鍛えたはいいのだが、やはり集中することでその恩恵を十分に行使できる。当然、ノギロンの刀を避けながら使うとなると集中は乱れ、本来の使い方をするには難易度は段違いにあがってしまう。デズワルトと相対したときは使えていたが、それは、デズワルトの攻撃を避ける術をシュウが持っていたから落ち着いて使えていたのだ。ノギロンが窒息するまでの数分間。その時間の間、ノギロンの攻撃を、恩恵を維持したまま躱し続けることはシュウにはできない。
今はノギロンの攻撃を、レイの情報解析で先読みしているからなんとか命を繋いでいる。だが、現状を鑑みると決着を先延ばしにするくらいの効果しかない。
「これだけじゃねぇよ。勝手に過小評価するんじゃねぇ」
シュウの言葉も聞かず、ノギロンは再び地を蹴った。
「ひだ――あぁ!」
「ぐっ――」
そして今度はレイの叫びは間に合わず、シュウの右腕はノギロンの剣技の餌食となる。痛みに顔を歪めるが、すぐさまノギロンの動きに気を配る。痛みを気にしている暇など、シュウにはなかった。
その後も必死で避けるが、幾度となくノギロンの攻撃を受けてしまっていた。レイの叫びと自らの治癒術で致命傷こそなかったが、もう限界に近いのは確かだろう。一呼吸一呼吸を全身を使って行うシュウ。結末は近い。
「そろそろ終わるか」
ノギロンが呟きながらゆっくりとシュウに近づいていく。息も切れ切れなシュウだったが、何の誘因もなく声を漏らし始める。
「は……はは」
訝しげな表情を浮かべるノギロンだったが、それも構わずシュウへと近づいて行った。それに動揺するでもないシュウは、顔を上げてノギロンをみる。その顔は、なぜだか笑っていた。
「はっ、はははは。ははっ」
「なぜ笑う」
明らかに不愉快な表情を浮かべてノギロンが問いかけた。シュウは、すこしの間笑い続けると、ノギロンの質問に答え始めた。
「怖くってさ」
ノギロンは片眉を上げた。
「怖いんだよ。成功するかどうかもわからないし、成功したとしても、俺が人を殺めるのは変わらない。だけど、やらないって選択肢はないんだ。そしたら、なんだか笑えてきたんだ」
「何を言っている」
「お前を今から殺してやるっていったんだよ」
シュウの言葉に、ノギロンの顔から表情が消える。冷たい空気が流れてくるような、そんな感覚に襲われるほど、ノギロンからでる圧力は増していった。
「とうとう狂ったか。つまらん」
「本当にそう思うか? 俺ができることが、本当に呼吸を止めることだけだと? それとも、俺が何かしたら怖いか? こんな情けない俺を、怖いって思うなんてどんだけびびってんだよ」
そういって鼻で笑うシュウをみて、ノギロンは少しばかり苛立った。そして、シュウの挑発にのるかのように、ノギロンは剣をだらり肩にかけた。
「そんな面白いことがあるならやってみろ。つまらんと思った瞬間にお前を切ってや……るぅ?」
ノギロンが啖呵を切ろうとした矢先、ノギロンの視界がぐにゃりと歪んだ。思考は一気に鈍っていく。
『水の調べ』
「おま……え…………あ……に、おぉ」
呂律も回らない。だが、まだ身体に力は入った。ノギロンは、ぼやけて見えるシュウ目がけて、その剣を力いっぱい振り下ろした。