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「はっ、ははは! はは! 何を言うかと思えば口を塞いでやる? 懺悔する機会を与えてやる? 面白いことを言ってくれるな。はは! はははは!」
シュウの目の前で大笑いしているデズワルト。そんなデズワルトをシュウは熱のない視線でじっと見つめていた。
「私が一言、一言だぞ? それを口にしたらお前は地べたに這いつくばる運命だ。それを理解していないのか? この前はあんなに無様に涎を垂らして気を失っていたお前が! はは! ははははは!」
当然の指摘にレイの顔が歪む。それは、デズワルトの言うとおりだったからだ。
デズワルトはこの奴隷島の奴隷達の管理者である。そして、奴隷の輪を操作する権限を持っていた。レイが連れ去られたあの日、ある一言が発せられたらどうなるか。それをシュウやレイはよく知っていた。ゆえに、敗北する道しか見えないレイは、自身の血の気が引いていくのがわかった。
デズワルトはひとしきり笑うと疲れたのだろうか、息切れをしながら髪をかきあげる。
「まあ、そんなことは奴隷にわかるはずもない、か。奴隷の輪を使うのもつまらん。死にたいようだから、さっきの男と同じ死に方で殺してやろう」
そういうと、デズワルトは右手を前に差し出した。そして手のひらを上に向けると、右手に力をこめていく。血管が浮いた右手は次第に赤く光り、デズワルトが『火魔法』とつぶやくと、掌の上には大きな炎が現れた。
「これが私の恩恵、火魔法だ。さっきの男と同じように踊るがいい。そして、私をせいぜい楽しませてくれ」
そう言って、デズワルトはその炎をシュウに投げつけた。
「シュウ!」
甲高いレイの悲鳴が響きわたる。シュウも炎を見つめ身構えた。
シュウの後方で見ていたレイの脳裏には最悪の光景が思い浮かんだ。それを見たくないがために、レイは思わず顔を覆ってしまった。――が、耳に聞こえてきたのは、デズワルトの小さくもらしたうめき声だけだった。何が起こったのかと恐る恐る目を開けると、そこには驚愕した顔のデズワルトと悠然と立っているシュウの姿があった。
「な……なぜだ」
当然、炎に包まれることを想像していたのだろう。その想像が裏切られたデズワルトは、再び手に意識を集中させると、その炎を投げつけた。しかし、その炎がシュウにぶつかると思われた瞬間、炎は二つに割れ、綺麗にシュウの横を通り過ぎて行く。
「なぜだ! なぜだ、なぜだ、なぜなんだ! なぜ燃えん!」
「楽しませることができたか?」
無表情でそう告げるシュウ。デズワルトは、その言葉を聞いて、さらに躍起になって炎を投げ始めた。何度も何度も、何度も。
「くそっ! くそっ! なぜ燃えん! くそっ! くそがあぁぁぁ!」
幾度となく炎を投げるが、シュウをすり抜けるように消えていく。そして、その光景に満足気に頷くと、シュウは炎に動じることなくデズワルトに近づいていった。デズワルトはその光景が信じられないのか、肩で息をしながら目を見開いていた。
そして悔しそうに歯を食いしばると、苦々しくシュウを睨みつける。
「こうなったら…………収」
『頬を撫でるそよ風』
「がっ――」
デズワルトが奴隷の輪を締め上げる言葉、収縮を告げようとしたその瞬間、デズワルトは苦しそうに首に手をやった。シュウをみると、自身の右手をデズワルトの首元に向けていた。
「話せないだろ?」
シュウは右手をデズワルトに向けたままそう問いかける。デズワルトは何かを言おうと必死に頑張るも、その声は決して口から出てこようとはしない。息が、できないのだ。
「今俺が使ってる恩恵は、お前がさっき殺したケルガーのものだ」
シュウの言葉を聞いているのかいないのか、デズワルトは息ができない中、炎を出しシュウに投げつけた。
「無駄だよ。頬を撫でるその風は風を生み出す恩恵だ。ほとんど質量をもたない炎は、容易に風に流される。俺を炎が避けるように風の流れを作ってしまえば、炎は俺には届かない」
その言葉通り、炎はシュウの目前で二つに割れはじめ、横を通り過ぎていく。その光景をみて、デズワルトは苦しさのあまり膝をつく。両手は首や胸をかきむしっており、目は血走っていた。
「そもそも風っていうのはさ。圧力の差から生み出されるんだよ。そしてな、呼吸っていうのも胸郭の動きで生み出される圧格差でできる空気の流れだ。それも、大した圧力じゃない。俺がもらった恩恵でも、俺なんかの力でも……人の呼吸を操れる」
シュウはまるでゴミを見る目でデズワルトを見た。体を起こすことすら苦しくなったのか、デズワルトは地面に転がっている。シュウに向かって手を伸ばしているが、それは何ら意味をなしていない。
「お前が俺を牢屋に閉じ込めて拷問を命じていたあの時間。ずっと鍛えてたんだ。皆からもらった恩恵を。皆の魂そのものを。殴られたら治癒術を使って体を癒した。ケルガーの恩恵だって、蒸し暑い夜中はずっと俺のまわりに風を纏わせて使い続けた。他の恩恵だって、全部……全部だ。あいつはそよ風をおこすだけだって言ってたけど、こんな使い方もできるようになったんだ。なぁ、ケルガー。見てるか? こいつの命の灯が消える瞬間を」
シュウはケルガーだったものを一瞥し、そして再びデズワルトを見る。今度は感情を込めた、そんな視線を向けた。
「もう意識を保ってるのもやっとだろ? 終わりだよ。デズワルト・ヨードコート」
シュウのその言葉はデズワルトの耳に届いたのだろうか。最後の力を振り絞って再び炎を生み出そうとするデズワルト。だが、掲げる手からは何も現れず、驚愕した表情をうかべた。
そしてとうとう力尽きたのか、デズワルトの伸ばしていた腕はだらりと地面へと落ちる。そして、動きを止めたデズワルト。その瞬間、シュウとレイの首についていた奴隷の輪が、二つに割れ地面へと落ちた。
突然の出来事に驚いたシュウだったが、シュウはデズワルトにそっと近づいて、首筋の脈を触れた。いや、確かめただけで触れはしなかったのだが。シュウはデズワルトの死亡が確認できると、彼にかけていた恩恵を解除する。その瞬間にすさまじい疲労感がシュウを襲った。平静を装っていたが、風の流れをつくり、呼吸を止めているということをするだけでも、シュウには荷が重かったのだ。
「はっ……はぁ! はぁ! はぁ……はぁ」
激しく肩を動かしながら呼吸を整えようとするシュウ。そのシュウの後ろからレイがそっと近づき声をかけた。その表情は、シュウが人を殺したことに対する恐怖というよりも、気遣う様子が強かった。泣いている子供をあやすときのように、レイは優しく声をかける。
「…………大丈夫?」
そして、そっとシュウの肩に手を添えるレイ。シュウはレイに気づいてなかったのか、あわてて声のほうを振り向くが、レイだとわかると再び息を整えようと深呼吸を始める。
「大丈夫さ」
「本当に?」
「ああ……」
そういって、シュウは背筋を伸ばし笑みを浮かべる。
「あのさ、レイ。医者の中でも、外科医の仕事って知ってるか?」
唐突な質問にレイは首をかしげるが、とりあえず思いついたことを口に出す。
「病気を治すこと?」
その答えにシュウは首を振った。そして、レイに背を向けゆっくり歩き出しながら言葉を紡ぐ。
「いや、違うな……不要なもの切り取ること。それが外科医の仕事さ」
シュウのその言葉にレイは小さく頷いた。そっとシュウの後をついていく。今は膝を折って休むことなどできない。それがわかっていた二人は、そのまま奴隷宿舎へと向かっていった。
◆
サリベックスは自身の想定の甘さに嫌悪感すら抱いていた。デズワルト達を橋から落とし、そして川から上がるところを叩いてしまえばそれで終わりだと思っていた。事実、重臣であるボスミンにはその手が通用したが、護衛であるノギロンにはそうはいかなかった。サリベックスたちが橋を落とすことを早々に察知し、主人を助けてサリベックスの元に降り立った。
それでも、サリベックスはまだ大丈夫だと思っていた。かつては自らの恩恵を駆使し戦場で大暴れしていたサリベックス。自分が戦えるという自負もあったし、護衛と一対一なら圧勝とまではいかなくとも、ある程度手傷を負わせて、あとは数で押し勝てばいいとそう思っていた。
しかし、現実は違った。サリベックスの前に下りたったノギロンの速さは自分の速さを超えていた。ノギロンの使う恩恵のせいなのか彼自身の力なのか、それすらも判断できない状況で、対策をたてることもできなかった。だたの貴族だと思っていたデズワルトも、火を生み出す恩恵を使い奴隷達を蹂躙していった。想定外なことが立て続けに起こった中、サリベックスは、少しでも仲間たちを守りつつ奴隷宿舎に引き上げることしかできなかったのだ。
そして今、ノギロンと対峙している。勝機はない。それでも、サリベックスは膝を折ることはできない。自分の甘さが原因でこの状況を作ってしまったのだから、それだけは絶対にできなかった。最後まであきらめず、そして散る。その間に何人かでも逃げられればと思っていた。
サリベックスは目の前にいる男を見た。さして体つきがいいわけでもない。動く速さもそれほど速いわけでもない。力などは自分のほうが圧倒的にあるのは確実なのだが、ノギロンの剣筋だけはどうしても見切ることができない。
「まだ粘るか」
「うるせぇな。お前が疲れてきたら、脳天から叩き潰してやろうと思ってな」
言葉を交わしながら、ノギロンはおもむろに剣を振りかぶった。そして、振り下ろそうというその瞬間、サリベックスはその場から大きく飛びのいた。
右腕に走る赤い線。そこからは血が滲みだし、サリベックスは苦痛で顔をゆがめる。ノギロンはというと、サリベックスがいた場所を通り抜け、剣を振りぬいた姿で立っていた。
「む」
「あいにく、まだ死にたくはないんでね」
サリベックスは軽口をいいながら、跳ねる心臓を必至で落ち着かせていた。
(なんで剣筋がまったくみえねぇんだ! こんなのありえねぇだろ)
サリベックスは叫びを必死で飲み込んでいた。
それもそのはず、サリベックスはこんな経験をしたことがなかったのだ。数々の修羅場を乗り越えたことのあるサリベックス。何度も剣を持つ相手とは対峙していたが、その剣筋がまったく見えない相手とは戦ったことがなかった。もちろん、すさまじい速さについていけないという経験はないわけではなかったが、それでも、剣筋はかろうじて目では追えていた。ノギロンの剣技が、自身の動体視力の限界を上回っているのか、それとも別の理由なのか、サリベックスはずっと考えていたがその答えはでなかった。
と、その時サリベックスの首から奴隷の輪が外れ落ちた。その事実に驚愕するサリベックスだったが、何が起ったのか瞬時に理解した。
「ご主人様が死んじまったようだぜ」
ノギロンは落ちた首輪をじっと見つめている。
「そのようだ」
あまりその事実に感情を抱いていないのか、ノギロンは無表情ままサリベックスに視線を戻した。
「おいおい。デズワルトの命令で俺らを襲ってたんだろ? なら、もう必要ないんじゃねぇのか? やめにしようぜ、こんな無駄なことはよ」
「確かに旦那の命令だが。それは俺の希望でもある。この剣が肉を切る感触。それがあるのなら、旦那がいようといなくとも、俺には関係ない」
「この変態が……」
サリベックスは苦々しく顔を歪めると、ノギロンの攻撃に備えて身構える。と同時に、誰がデズワルトを殺したのか。そのことが頭によぎった。
(数で押したか、奴の恩恵に限界がきたのか。――くそっ。視界が霞む。血がですぎたな)
デズワルトが殺されたのは、そのどちらかが原因だろうと結論をだし、サリベックスは立ち行かなくなりそうな自身の体に目を向けた。体中の傷、そこから漏れ出る鮮血。だんだんと動きが鈍くなってきたのは感じていたが限界が近づいているのは明らかだ。それを振り払おうと、サリベックスは顔を激しく振ってノギロンを見る。
「こっちもさっさとけりをつけないとな」
「そうしよう」
狙うならノギロンが剣をふるったその直後。その直後はノギロンもすぐに行動を開始しようとはしない。その時にすべてをかけようと、サリベックスは決めていた。
そう考えている間にノギロンが再び剣を振りかぶる。サリベックスも見えない剣筋を避けようと飛びのこうとするが、突然サリベックスの身体がぐらりとゆれる。
「な……」
「終わりだな」
まずい、と思った瞬間には、サリベックスの後ろでノギロンが呟いていた。サリベックスが咄嗟に下を向くと、ごとりと落ちる左腕と、胸から腹にかけての大きい傷が見えた。同時に体から抜ける力。サリベックスは最早立っていることができず、両膝をついた。
「お前の肉は切りがいがある。お前を切ることで、俺はまた強くなれる」
その言葉と自身の後ろから放たれる威圧感に、サリベックスは自身の最後を悟った。
なぜだか、遠くで聞こえるミロルの声が、とても心地よかった。