17
「はぁ、はぁっ、はっ……確かあいつが言ってたのはこっちだったよな」
シュウは呟きながら屋敷の中を走っていた。シュウの脅しに対して、監視官達は簡単にレイの居所を話し、そして鍵を渡した。今は、シュウがいた牢屋の中で寝込んでいるだろう。シュウは、そんな監視官達を後目に、今こうしてレイを捜し歩いている。
「いた、いてて! くそっ! あいつらどんだけ殴るんだよ。治癒術使ったって痛みが全部消えるんけじゃないっていうのに。ふざけんな」
悪態をつきつつ進むシュウ。だが、すでに暴行を繰り返した監視官達に対して引きずるような恨みはない。なぜなら、シュウの仕返しというか復讐はすでに終えられていたからだ。
「まあ、文句を言おうにも、もう二度と会うことはないだろうけどな」
既に重症化した多臓器不全。最早、自然治癒など、のぞめる状況でなかったのだ。
そうこう言っているうちに、シュウは目的の場所へとたどり着いた。レイが軟禁されているという部屋の前に行き、その扉に手をかける。すると、扉は重かったが容易にシュウへ道を開けてくれた。
シュウはそっと中を窺うが、人影はない。おかしいな、と思った矢先、右側に何やら寒気を感じた。すぐさま頭を両手で包むと、強い衝撃がシュウを襲う。
「ぐっ――!?」
しかも一度ではなく、何度も何度もそれは繰り返された。どこか間の抜けたかわいらしい掛け声とともに。
「えい! えい! えぇぇぇいっ!」
「ぐえっ、待て――ぶふっ、よく見ろって――どふっ…………」
「やったか……はぁ、はぁはぁ…………え?」
打撃音とうめき声の後に残されたのは、倒れたシュウと花瓶を手に持っているレイだ。肩で息をしているレイは、倒れているシュウを見て、目をぱちくりさせている。しかも、そのシュウが頭から血を流して倒れていのだ。驚きもひとしおだろう。
「あれ? シュウ? シュウなの? どうしたの? こんなとこで」
「どうしたの? じゃねぇ……助けに来たのに俺をこんなにしてどうする……」
「え? あ、その、なんか偉そうな人が私を王都ってところに連れていくっていうから。連れて行かれるまえに倒して逃げられないかなって思って……もしかして、私間違えた?」
「もしかしなくても、な」
そして、シュウは見る限り五体満足なレイの姿に肩をなで下ろした。
「それよりも、逃げるぞ?」
そのシュウの言葉に、やっと助けにきてくれたという実感がわいたのか、レイは涙ぐみながら大きく頷いた。
「遅いよ、馬鹿」
その言葉に、シュウは思わず笑みを浮かべた。
◆
「あ、そっちは人がいるからダメ。うーん、そっちかな」
シュウは後ろに連れているレイからの指示で屋敷を走っていた。その指示通りにするとなぜだか誰とも出くわさない。なぜこんな芸当が可能かというと、それはレイの恩恵が原因だった。
「しかし、すごいな、レイの恩恵は。壁の奥にいる人までわかるのか」
「あの部屋にいるときずっと暇だったからね。いろいろ見てたら、ある日ドアの向こうを歩く人の情報まで見えはじめたんだ」
「それも、俺達特有の恩恵の成長ってやつかね」
「才能かな」
そういってドヤ顔を決めるレイの頭に手刀を食らわしたい気持ちを抑えながら、シュウはひたすらに出口を目指した。出くわしそうになる屋敷の人間はレイの恩恵で避けることができたため、その道程はひどく落ち着いたものだった。二人は、しばらくすると、ようやく屋敷の外へと出る。
「レイ、こっちだ」
シュウはレイの手をひきながら吊り橋に向かって駆けだした。来るときは気を失ってはいたが、奴隷島から屋敷の外観は見ていたから大体の方向の検討はつく。が、レイはシュウに抵抗して足を止めていた。その視線は、シュウの服や体に向けられていた。
「何よ、それ……」
「何って――」
「血だらけじゃない。それに、全身傷だらけだし」
「ああ。ある程度は治癒術で治してあるんだよ」
「そういう問題じゃなくて!」
そう、レイは日の光に照らされたシュウをみて愕然としていた。屋敷の中は薄暗くあまり目立たなかったが、シュウの巻きつけている布や体は血の跡だらけでひどい有様だった。細かい傷も体中にあり、何をどうすればこのような状況になるのか、レイには全く想像ができなかった。
「それよりも、レイはなんかひどいこととかされなかったか?」
「私はいいのよ! 何もされてないから…………でもシュウのそれ……」
口調は怒っているようだが、表情はどこか泣きそうだ。そんなレイの様子に困惑しながら頭をかくシュウだったが、この空気を打破すべく言いずらそうに口を開く。
「レイが連れ去られてすぐこっちに来てな。そしたら捕まっちまって……まあ、こんな感じだ」
どこかおどけるような様子でシュウは両手を広げレイへとその体を晒す。言葉自体は濁したが、シュウが捕まってひどいことをされたというのはレイにもわかったのだろう。レイの目からは耐えきれなかった涙が零れ落ちていった。
「……大丈夫なの?」
「言ったろ? 治癒術で治したって。少し痛みは残ってるが大丈夫さ」
ぎこちなく笑みを浮かべるシュウを、レイは涙を流しながら鋭い視線で睨みつけている。いたたまれなくなったシュウは、話題を変えようとできるだけ明るく切り出した。
「まあ、その話は今度詳しくするとしてだ! 今は早く帰ろう? そのためにこんな思いまでしたんだ。また捕まったりしたらそれこそ骨折り損だろ? な?」
シュウは言外にこれで終わりだと言うように、レイの手を強くつかんで引っ張っていく。無言でシュウに従い後ろを走るレイだったが、レイはシュウの手を強く、そう、強く握りしめていた。走りながら俯くレイだったが、レイは小さくか細い一つの言葉を、シュウに向けて紡いだ。
「……ありがと」
「ん? なんか言ったか?」
シュウには聞こえていなかったようだが、レイにはそれでよかったらしい。さっきまでの涙を仕舞い込むと小さく笑みをこぼす。
「なんでもないわよ! そんな無茶して。帰ったらわかってるよね?」
「これ以上、いじめないでくれよな」
「ほんと、馬鹿なんだから」
そんな言葉を交わしながら、二人はしっかりと手をつないで吊り橋へと向かっていった。
◆
屋敷を出てしばらく走ると、すぐに崖が見える。その崖からは、奴隷島につながる唯一の道である吊り橋が張られていた。いや、張られていたはずだったのだが、今、二人の目の前には吊り橋などは存在しなかった。あるのは、大陸側にぶら下がった吊り橋であった残骸だけだ。
「なんだ……これ」
そして、目の前の惨劇は、シュウの呟きを生み出す。
落ちた吊り橋。崖下の川岸では、デズワルトの家来らしき人間が倒れており、その周囲には奴隷達、つまりはシュウたちの仲間が何人か血だらけで倒れている。吊り橋の向こう側も火柱が上がっており、何かがあったのは明白だった。
「どうして……なんで、こんな」
立ち尽くす二人。レイはその様子をみて震えており、両手を胸のまえで抱きしめている。
「とにかく、島に戻らなきゃ何もわからない。おっさんやミロルさんならきっと何か知っているさ」
そういって二人は崖下に下り、川を泳いで渡っていった。
向こう岸についた二人は、簡単に服を絞るとすぐに倒れている人たちに近づいて行った。みると、川岸に倒れているのはやはりデズワルトの家来であった男のようだ。その体はひどく傷ついており、暴行を受けた様子がありありとわかる。周囲の奴隷達は、刃物で切られたような傷があったり火傷の跡があったりとひどい有様だ。
「レイ。俺のそばから離れるなよ?」
「う、うん……」
「明らかに人の手にかかってこいつらは死んでいる。何かがあったんだ。レイや俺が捕まってる間にな」
ゴクリと息を飲み込むレイだったが、ぽつりと言葉が漏れ出ていく。
「みんな無事かな」
「さぁな。俺にもわかんねぇよ」
シュウのその言葉にレイは無意識のうちにシュウの手を握っていた。そして、握る手に力を込める。その手からは震えが伝わってきて、シュウはその震えを止めようとさらに力を込めた。
そうして二人は無言で側道から崖を登り、奴隷宿舎へと走った。
奴隷宿舎に近づいていくと、二人の鼻に、何かが焦げ付くような、そんな匂いが漂ってきていた。宿舎に近づけば近づくほどその匂いは強くなる。宿舎のほうからは煙が何本も立ち上っており、所々に真っ黒になった人型が転がっていた。
その真っ黒な人型を発見したときには、シュウは思わず口元を抑え、レイはシュウの背中に顔をうずめていた。
「本当に何があったっていうんだっ! こんなのありえない!」
「うぅ……うっ――」
叫ぶシュウと涙を流すレイ。対照的な二人だったが、抱いている想いは同じだろう。
とにかく今は情報が欲しい。そう思っていたシュウは急いで奴隷宿舎へ向かう。近づいてくると、誰かが争っているような声や、悲鳴が木霊しているのが聞こえてきた。尋常ではない様子に、二人の表情もどんどん険しくなっていく。
そしてようやく奴隷宿舎が見えてきた。すぐにでも宿舎に駆け込みたい二人だったが、そんな二人の前に飛び込んできたのは惨憺たる有様だ。
宿舎の前の広場には、多くの人が血だらけで倒れていた。黒焦げになった死体も散見している。突如として舞い込んでくる生臭い匂いと独特の焦げ臭さは容易に吐き気を誘った。そして、一番目を引いたのは、中央のあたりで争っている二人の存在だろう。
「おっさん……」
シュウの視線の先には、血だらけのサリベックスがいた。肩で息をしながら、デズワルトの護衛であるノギロンと戦っている。戦っているといっても、ノギロンの剣技を必至になって避けているだけだったが。
「何が起こってるんだ……」
そんなシュウの脇の茂みから突然がさがさと物音が聞こえた。咄嗟に身構える二人だったが、出てきた人影を見て目を見開いた。
「シュウ……? シュウなのか?」
その男はふらふらのままシュウの名を呼び、そして、二人の元にたどり着く前に膝を折った。顔は火傷で爛れており、外見から誰だかわからなかった。が、その声で二人は気づく。そして、すぐさま名を呼び男に駆け寄る。
「ケルガー!」
「ケルガーさん!」
片膝をついた状態になっていたケルガーの肩をつかんでシュウは名を呼んだ。その声に反応してあげられた顔は、最早直視するに耐えない様子だったが、シュウは決して目を背けない。
「何があったんだ。なんだよ、これ。わけがわかんねぇよ」
「……反乱だ」
ケルガーの小さい声に二人は眉をひそめた。
「反乱だよ。二人が捕まっちまったってサリベックスから聞いて。そしたらこの様だ。助けるどころかしくじっちまったよ。情けねぇ」
そういいながら、ケルガーは涙を流す。最早、涙なのか火傷から出る浸出液なのかは定かではなかったが、つぐむ口から漏れ出る嗚咽から、それは明らかだった。
「お前らのおかげで希望が持てたっていうのによ……。せっかく、怪我、治してくれたのによぉ……。こんなんじゃ――」
「いいからしゃべるな! すぐ治してやるから、何度でも治してやるから。俺がいるんだ。死ぬわけないだろ?」
「シュウ」
見つめあうシュウとケルガー。だが、そのわずかな間に、ケルガーの表情がひどく歪む。
「……いや、それよりもシュウ、レイちゃんつれて早く逃げろ! 今なら逃げられる! この騒ぎに乗じて逃げるんだよ、早く! 俺だって今やっと逃げてきたんだ! あいつから。早くしないとあいつが来ちまうよ! 早く! 早く逃げろ!」
急に何かを思い出したように、シュウに言葉を浴びせかけるケルガー。その顔は必死であり、シュウの胸倉をつかむ手にも力が込められている。
「逃げる? 逃げるって何から」
「決まってんだろ! あいつだ! あの糞子爵だよ! あいつ、ただのむかつくボンボン野郎だと思ってたらとんでもねぇ恩恵持っていやがった。早くしねぇと、お前も殺されちまってレイちゃんは連れてかれちまう。あいつらが追いかけれないところまで逃げろ! じゃねぇと――」
そうやってシュウに向かい声を荒らげるケルガーの背後に、シュウは炎を見た。突然、何の脈絡もなく現れた炎はケルガーの背中のあたりから急激に成長し、そのままケルガーを包んでいく。
「うわ、くそっ、このっ、うぅ、うわああぁぁぁぁぁぁぁぁ」
炎を消そうと咄嗟に転がるケルガーだったが、炎を勢いは消えない。ますます燃え盛る炎の中でつんざく様に響くケルガーの悲鳴がシュウとレイの耳へと突き刺さる。頬を撫でる風は熱を持っていた。
「あちぃ! ああぁぁぁちぃよおおぉぉぉ! うわ、うわあああぁぁぁ!」
「ケルガーさん!」
咄嗟に飛び出そうとするレイを後ろから抱きして止めるシュウ。レイも、飛び出そうとはしたが、すぐに取り返しのつかない事態だと理解したのか、力を抜いてシュウの腕に体を預けた。
ケルガーはと言うと、もう既に声すら出せず、炎の中で真っ黒になっていた。
「ケルガー……さん」
レイはケルガーの名を呼ぶが、それに応える人はもうここにはいない。ただの炭の塊になってしまったケルガーを見ながら、レイはあふれ出る涙を止めることができなかった。
シュウも、ケルガーの最後を見届けてはいたのだが、視線はすでにケルガーに向かってはいなかった。ケルガーの後ろの茂みから人影がゆっくりと近づいてきていたのだ。その男からシュウは視線を逸らさない。近づいてくる男の目を射抜くように、ただ睨みつけていた。
泣き叫んでいたレイも、シュウのその視線の先に気づいたのだろう。男の顔を見て、すぐさま状況を悟る。そして、シュウと同じくレイもその男を鋭い視線で射抜いた。
「いい判断だ。と言いたいところだが、余計な手間が増えただけだな。あのまま、お前も炎にのまれてしまえばよかったものを」
その声の主は、デズワルト・ヨードコート子爵。シュウとレイにそう言いながら、火の収まってきたケルガーの遺体の頭部を足蹴にする。すると、黒い塊が胴体から離れ、明後日の方向に転がっていった。
「すぐに後を追わせてやろう。だから寂しくはないだろう?」
そういって笑みを浮かべるデズワルト。シュウは、思わずレイを抱きしめる腕に力が入ってしまう。
「ここに来るまでの間に倒れていた人たちもお前がやったのか?」
「人? そんなものなかったはずだが」
「何?」
「あったのは家畜が燃え残った消し炭だろう? ただの黒い塊が人間なわけがない」
その言葉を聞いて、シュウはレイをそっと腕から離した。そして、一歩前に出ると、小さく「隠れてろ」と言いレイを腕で後方へと誘う。
「シュウ――」
呼び止めようとするレイを、微笑みながら見つめるシュウ。場違いなその表情を見て、レイは不謹慎にも胸がどきりと高鳴った。そして何も言えずに後ずさる。
「ケルガーは逃げろって言ってたけど、俺は今ここにいてよかったと思ってる」
突然のシュウの独白に、デズワルトは片眉を上げ、怪訝そうに言葉を吐く。
「突然なんだ、お前は。口を開いていいなどと誰が許可した。どうやって脱走したのかわからんが、私がじきじきに罰を与えてやろう。同じように燃え死ぬがいい」
デズワルトのその宣言にも臆せず、シュウはまた一歩、足をすすめた。
「話すのに許可がいるのか? お前は神か何かか? 人の命をこんなにも容易く踏みにじってもいいのか? 俺から仲間を奪うやつを、そんなやつを俺は許すことができない。絶対にだ」
「ならどうする? あの世で互いに傷でも舐めあうのか?」
「今すぐその口をふさいでやる。そして、ケルガーに、あの世で懺悔する機会を与えてやるよ」
シュウはそういいながら、ゆっくりデズワルトに近づいて行った。