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はじまりは奴隷  作者: 卯月 みつび
第五章 医師の力
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「サリベックスの旦那! そろそろかと思いやすぜ」

 クラシエはサリベックスの元に走り込んできて第一声を放った。その言葉を聞いて、サリベックスは眉を吊り上げ獰猛に笑う。その表情に、クラシエは思わずは小さな悲鳴をあげてしまう。サリベックスはそうさせるだけの尋常ではない殺気を放っていた。

「ありがとね。あんたが見張っていてくれたおかげで、準備が捗ったよ」

「へい! ミロルの姉さんにそういってもらえるなんて、もったいなすぎますぜ!」

 そういって去っていくクラシエの背を見送って、ミロルはサリベックスに視線を向ける。

「本当にやるのかい?」

「なんだぁ? 今更かびびったのか? 参加する奴ら全員で考えて出した結論だ。やるしかあるめぇ。賛同しない奴はこの話から外れてんだ。文句もでねぇだろ」

「そういう問題じゃなくてさ。これじゃ、まるで――」

「反乱だ。それ以外に何があるってんだ」

 言葉とは裏腹に、ひょうひょうとした態度のサリベックスをみて、ミロルはつい笑みをこぼしてしまう。

「それがわかってんならもういいよ。でもさ、これだけは言わせてくれないかい?」

「ん? なんだ?」

「死なないでおくれね?」

 胸に手を当て、神妙な面持ちでそう告げるミロル。そんなミロルの頭をそっと撫でながら、サリベックスはミロルの脇を通り抜け、部屋のドアに向かう。

「あたりめぇだ。あいつらも連れ戻してきてやるから安心して待っておけ」

 片手を上げながら、サリベックスは奴隷宿舎を出る。そんなサリベックスの背中をミロルは見つめていたが、やがてサリベックスの姿が見えなくなると、ミロルは顔を両手で覆いしゃがみこみ、しばらくその場から動くことができなかった。


 ミロルに見送られて奴隷宿舎を出たサリベックス。彼は、どこかふわふわする感覚に酔いしれながら歩いていた。ふと感じる懐かしさ。それは、戦場に赴くときの高揚感だった。

 かつてはその身を戦いに投じていたサリベックス。そんな彼でも、奴隷の輪を着けているような、圧倒的不利な状況下の戦いは記憶にない。先ほど反乱という言葉を使ったが、デズワルトとの交渉次第では、その体すらとれない可能性もあるのだ。

「あとはその場のなりゆきだな」

 サリベックスは一人ごちりながら、つり橋へと向かっていった。


 ◆


「クラシエ。どうだ? 奴は来たか?」

「へい。もうつり橋を渡りきって島側の監視官と話してるみたいで。行きますかい?」

「ああ」

「なら、後は手はずどおりに」

 そう言ってクラシエは茂みの中に姿を消す。サリベックスはと言うと、つり橋に向かって堂々と歩いていった。何も持たず、丸腰で。その姿に気付いたのか、デズワルト達も監視官から離れサリベックスへと歩み寄る。

 つり橋の前は少し開けた場所になっており、その中央あたりでデズワルト達は立ち止まる。サリベックスも、ある程度の距離を保ってデズワルトを見据えた。

「ヨードコート子爵様。まずはお越しくださったお礼を。ありがとうございます」

 サリベックスはそう言いながら片膝をつく。やけに堂に入った作法に、デズワルトは目を見開いた。

「ほぅ。ただの奴隷頭かと思っていたが、なかなかの振る舞いをする。まあ、奴隷にしては、だがな」

「は、ありがとうございます」

 サリベックスは身じろぎもせず受け答えをする。

「それで。あの手紙に書いてあったことは本当だろうな? 嘘であるのなら命はないと思え」

「当然でございます。ただ、あの娘の恩恵を伝える引き換えに、お願いごとがございまして」

「願い事? それはなんだ」

「我らの自由をお約束いただければと思います」

「それが望みか」

 デズワルトはそう言いながらひざまずくサリベックスを見下ろすと、しばらく思案する。腕を組み、じっとサリベックスを見つめていた。

「奴隷百余人の自由か。それだけの価値があるとでもいうのか。あの娘に」

「は。我らの命など紙くずも同然。あの娘の恩恵はそれ以上の価値があるのは確信しております」

「そうか……どう考える? ボスミンよ」

 デズワルトの隣で難しい顔をしていたボスミンは、主に意見を求められたことにどこか満足気に答える。

「そうですな。あの娘の恩恵の価値云々は分かりかねますが……奴隷一人を金貨一枚として全員分では金貨百枚。もしあの娘が本当に稀有な存在であれば、金貨百枚は下らないでしょうな。そのような価値はなくとも、奴隷島での働きを見れば、取り返す方法などいくらでもあるかと」

 その答えに、デズワルトは数回大きくうなづくと、再びサリベックスへと視線を戻す。

「まあそうだろうな。いいだろう。お前らの願い、聞き入れてやろう」

 その言葉に、サリベックスは何も言わずに頭を垂れる。そして、見えないところで小さく息を吐いた。

 第一関門はのりこえたか。

 そんなことを心中で呟きながら、サリベックスは再び口を開いた。

「では、早速我らの解放を――」

「何をいっている」

 デズワルトはそう言いながら、サリベックスの頭を蹴り上げた。突然の衝撃に、成すがままのサリベックスは耐え切れず後ろへと倒れた。

「まずは貴様らが娘の恩恵を私に言うのだ。当たり前だろう? 聞いてから娘の恩恵を確認せんとな。嘘を言われてはこちらが困る。そうだろう?」

「さすがはデズワルト様。それでよろしいかと思います」

 サリベックスは姿勢を整えながら、デズワルトを見た。そして、顔をしかめて歯噛みする。

 雇い主と奴隷の関係上こうなることはわかっていた。しかし、もし仮に解放されれば、すぐさまデズワルトに対し刃を向けることができる。しかし、首についている奴隷の輪がある限りはサリベックス達はデズワルトには逆らえない。もちろん、デズワルトも馬鹿ではない。立派に領地経営を行っている領主なのだからそのくらいの計算はするだろう。だが、一番勝てる確率の高い道がこれでつぶされたのだ。惜しいと思う気持ちもわからなくはない。

「さあ、言え。あの娘の恩恵はなんだ?」

「その前に、本当に自由を約束していただけますか?」

「願いを聞き入れるといっただろ? 心配せずとも、娘の恩恵が確認できたら解放でもなんでもしてやろう」

「そうですか。では……」

 そういうと、サリベックスは手紙を懐から取り出した。その手紙を差し出すと、ボスミンが前にでてその手紙を受け取る。おもむろにその手紙の中を見ると、ボスミンの顔が驚きで満ちた。

「なんと……」

「どうした? ボスミン。なんと書いてある」

情報解析パーシャルアナルシスと書いてあります」

情報解析パーシャルアナルシスだと? それは確かか!?」

 目を見開いたままサリベックスに視線を向ける。

「本当でございます」

 サリベックスの言葉に、今度こそデズワルトは歓喜で満ちた。

「ははっ! ほんとにきんが出たぞ。金が! あの娘の恩恵が情報解析パーシャルアナルシスだと? どれほどまでに幸運なんだ、私は。こんな奴隷共百人くらい、余裕で釣りが出るわ! ははは!」

 歴史上、数人程いたとされる情報解析パーシャルアナルシスという恩恵。その価値は国が認めるほどであり、常にその恩恵を探しているのが現状だった。幸運にも、国がこの恩恵を持ったものを一人抱え込んでいるのだが、それをしっていたデズワルトは、思わず笑い声をあげていた。

 そんな理由で興奮した様子のデズワルトだったが、次第に落ち着きボスミンに指示を出した。

「ひとまず屋敷に戻って真偽を確認する。どちらにしろ、王都には行くことになるだろう! 王に謁見も申し込め。もしかすると、私の爵位も繰り上げられるやもしれん!」

 既にサリベックスなど眼中にないデズワルトは、さっさと踵を返し颯爽と歩き始める。それに付き従うボスミン。しかし、護衛であるノギロンは、どこか気だるそうにサリベックスを肩越しに見つめていた。

 そして、行きと同じくしてつり橋をわたり始めるデズワルト一行。彼らがあと少しで中間地点に差し掛かろうというときに異変は起こった。

「ちょっと待つんだ。旦那」

 ノギロンがデズワルトを呼び止める。

「どうした? ノギロン」

 デズワルトの問いになぜだかノギロンは答えない。目をつぶって眉間にしわを寄せている。そして、突然目を見開くと、デズワルトに向かって大きな声を上げた。それと同時に、先ほどの場所から動かずひざまずいたままだったサリベックスも立ち上がり叫ぶ。

「戻れ! 急ぐんだ!」

「気付かれた! さっさとやれええぇぇぇぇ!」

 ノギロンの声とサリベックスの声が重なる。そして、その声とともに、デズワルト達は弾かれたようにつり橋を駆け戻る。

 すると、どこからともなく現れた二人の男が、つり橋の縄に向かって走っていた。その手元には鉈のようなものが握られており、躊躇なくつり橋を吊っている縄に向かって振り下ろす。一度では切れず何度も何度も鉈を叩きつけていた。

「間に合え、間に合え!」

 そんなサリベックスの悲痛な叫びは天に届いたのだろうか。デズワルト達が橋を戻りきる前に、鉈はつり橋の縄を切り離すことに成功した。落ちていくつり橋。その橋が崩れ崖へと叩きつけられる様を、サリベックスは確かに見た。そして、海に落ちたデズワルト達を確認しようと崖へ駆け寄る。

「奴らはどこだ! すぐに場所を確認しろ! 集めていた石を投げろ! 海から上がろうとしているところを叩くんだ! 早く! 早く――」

 怒号のように指示を飛ばすサリベックスは違和感を感じていた。海の水面から顔を出していたのは一人だけ。ボスミンと呼ばれていた家臣だけが、水の中でもがいていた。

 デズワルトは――あの護衛はどこだ!? 

 サリベックスがそんなことを思った矢先、わずかな焦りとともに感じたのは悪寒。サリベックスはとっさに上を向くと、黒い影が振ってきた。そして、その影はサリベックスの後ろへと落ちる。ごろごろと転がるその影は、砂埃とともにその姿を現した。

「デズワルト……」

 そう、それは護衛であるノギロンに抱えられていたデズワルトだった。橋が落ちる直前に、デズワルトを抱えて空に飛びあがっていたらしい。

「この奴隷共がぁ……」

 そんな憎しみに満ちた声がサリベックスの耳へと届く。

 その現実に放心するサリベックスだったが、それをあざ笑うかのようにノギロンは悠然とデズワルトと共に立ち上がった。

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