15
時は少しさかのぼり、レイが王都に旅立つ四日前。シュウにレイの王都行きが告げられてから翌日のことだが、ミロルとサリベックス達はヨードコート子爵の屋敷の変化に気付いていた。
「だんなぁ! サリベックスの旦那ぁ!」
けたたましい声とともに一人の少年がやってきた。その少年の名はクラシエ。千里眼という遠くを見渡す恩恵を持った少年だ。くせっ毛が特徴的な彼は、どこかひょうきんな顔をしている。彼は、日ごろからヨードコート子爵の屋敷の見張りを頼まれていた。その彼が突然現れたのだ。何かがあった証だった。
「何があった、クラシエ」
「いや、急を要することじゃないんですがね。なにやら、屋敷で旅支度がはじまっているようなんです」
「旅支度?」
「へい。食料やら水やらを馬車に少しずつ運び込んでいるみたいで」
その言葉に眉をひそめたのはミロルだ。ミロルは顎に手をあて考え込みながら、ゆっくりと立ち上がる。そして、サリベックスの横に並びポツリと呟いた。
「レイを売りに行く準備?」
「かもしれねぇな。なんにしても時間がねぇわけだ」
そんな二人のやり取りに首を傾げるのはクラシエだ。
「いや……なんだか、そんな感じじゃねぇんですわ」
「どういうことだ?」
「奴隷のやり取りはいつも行われてますがね。少し様子が違うみたいなんです。馬車も格式が高いものだし、乗せられている食料の量も普段とは多いようで」
そう言いながらクラシエも考え込むように腕を組む。三人は黙り込みながらしばらく唸っていた。が、ミロルが何かに気付いたように顔を上げた。
「もしかして、レイの恩恵はまだ知られていない?」
その言葉をサリベックスは鼻で笑いながら、ミロルを追い払うように手をひらひらと動かした。
「何いってやがるんだ。そんなわけねぇだろ? レイが連れて行かれて何日たってると思ってんだ」
「いや……可能性はあるかもしれねぇですね」
クラシエの言葉に、今度こそサリベックスの目が細められる。
「ほんとか?」
「へい。王都ではここにある恩恵を調べるやつが国宝級の価値があるって話です。それを使うにはそれなりの地位が必要だと。金は取っちゃいねぇみたいですが、恩を売るために国が貴族達相手に利用してるって話ですよ」
「つまり、あの馬車に糞子爵も乗って王都まで行くってことかい? レイもつれて?」
「あくまで、可能性の話ですがね」
そこまで話し、再び三人は黙り込んだ。その静寂を破ったのはサリベックスだ。サリベックスは突然立ち上がり、その勢いで椅子が倒れた。
「な、いきなりなんなんだい? びっくりするじゃないか」
「あの子爵を殺すぞ」
「は?」
ミロルとクラシエは目を丸くして驚いた。
「連れ戻してレイを隠しとく。今回はそんな感じしか手はねぇと思ってはいたが、それじゃあ足りねぇ。あの野郎が自分自身でレイを王都に連れて行くほどの価値があるって感じてるなら、俺らが手引きしてレイがいなくなった時点で奴隷は全員首をはねられたっておかしくねぇ。レイだけ逃がすっていっても、それも現実味がないしな。なら、もう連れ出してどうのって話じゃねぇだろうが。恩恵が知られてねぇなら手はあるだろ? こっちに誘い込んで、あいつを殺して。ついでに俺らの自由も手にいれちまおうじゃねぇか」
ミロルもクラシエも絶句しながらサリベックスを見つめていた。サリベックスはというと、既にその目に炎を宿していた。
◆
「手紙……だと?」
「はい。何やら奴隷らを取りまとめている男から渡されたと監視官が言っておりました」
恭しく礼をしながらその手紙を渡すのはボスミンだ。デズワルトはその薄汚れた手紙を指先でそっとつまんで机の上に置いた。
「仕事も忙しいというのに。何の用だというんだ」
そういいながら、自室の机に座りながら手紙を開く。最初は剣呑だった表情が次第に研ぎ澄まされた刃のように移り変わってくのが傍からみていてもわかった。読み終わったころには歪んだ笑みを浮かべるデズワルト。そして、ボスミンを一瞥するとおもむろに立ち上がり、机のそばにかけてあった外套を手に取った。
「ノギロンを呼んですぐに支度をしろ。奴隷達が俺に来てほしいそうだ。気に食わん奴だと思ってはいたが、今度は何を企んでいるのやら」
そういって、デズワルトは部屋を出た。
デズワルトの屋敷は二階建てだ。そして、その執務室は廊下の一番奥にあった。デズワルトは執務室から出ると、肩で風を切りながら歩く。その後ろにいつのまにか付き従うのは忠臣であるボスミンだ。ボスミンは先代からヨードコート家で働いているが、その有能ぶりはデズワルト自身も認めていた。その証拠に、すでに護衛であるノギロンには連絡済みであった。その手段は想像すらできない。
デズワルトが一階に下りると、そこでは明日からの王都行きに備えて家来達が準備に明け暮れていた。ただ行くだけならまだしも、子爵家当主が王都に行くのだ。それなりの体裁を整えないと面子は丸つぶれだ。その責任を背負うのは他ならぬ家来達なのだから、世の中というのは理不尽にできている。
「ノギロン! ノギロンはいるか!?」
その声は屋敷中に響き渡る。そして、玄関のあたりから現れたのは相変わらず薄汚い格好をしていた護衛、ノギロンだった。
「そんな声を出さずとも聞こえる」
どこかうっとうしそうなノギロンだが、デズワルトはその様子を気にもせず言葉を重ねる。
「いたか。すぐに奴隷島に行くぞ。今回は奴らからの呼び出しでな。ひと悶着あるかもしれん」
「ほぅ」
ノギロンはそう言いながら、自分の腰に刺してある剣にそっと手を添えた。
「また何人か首を切ってもらうかもしれんからな。そのつもりでいろ。その分、報酬は弾んでやる」
「旦那の財産に手をつけるのも、あまりいい気はしないんだが」
「首を刈り取って、あとの奴隷達の管理が楽になるなら安いものだ。損得は考えずとにかくお前は言われたことをやればいい」
そう言いながら、デズワルトは屋敷を出た。そして、すぐそばにあるつり橋をわたっていく。奴隷島に行くための唯一の手段。そのつり橋を揺らしながら、デズワルト達は一歩、また一歩とその歩みを進めていった。