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シュウが診察室にいると、大柄な男が腕を抑えながら入ってきた。診察室に入ってきた男の腕は、真っ青に腫れている。おそらく落石かなにかで負傷したのだろう。その傷を、シュウが治癒術を使って癒し、治しきれなかった部分に関しては薬などを渡す。
「お、痛みがだいぶ減ったな。ありがとよ」
「ああ、でも気をつけろよ。治らない怪我もあるんだ」
「わかってる」
そんなやりとりをしながら、男は診察室を出て行った。
「私が来たころに比べて、みんな余裕でたよね」
「そうだな。おかげで、最近は怪我人も少ない」
後ろからやってきたレイは、シュウに水を差し出して隣に座った。シュウは、水を一気に飲み干すと、大きく息を吐きながらのびをした。これが最近の日常であり、医師としての仕事が板についてきたシュウは、少しだけだが早く昼間の労働を終えることを許されていた。
レイは、恩恵のこともありシュウの医師としての仕事を手伝っていた。シュウも、レイのことは責任を持てとミロルやサリベックスから言われているので、それを当然のように受け入れている。同じ日本人だったということもあるのか、なぜだか二人の気は合った。
「それに、最近は、俺のこの治癒術も大分効果が増してきたみたいだからな。治癒術で治せる怪我が増えてきたんだ」
「みたいだね。私の情報解析も、慣れてきたのかわかることも増えてきたし、使える時間も増えたみたい」
「普通はこんなことないみたいだけどな」
「私達からすると、そんなに不自然じゃないんだけどね」
そう言いながら、二人は思案顔だ。
というのも、この恩恵のいう代物。これはガイレス神からの授かりものであり、ガイレス神の力の一端を借りているようなものだということだ。文字通り、ガイレス神を信じたことによる恩恵なのだろうが、一般的には与えられた恩恵の種類や能力の強さは、授かったときからそれほど変わらないらしい。もちろん、恩恵の能力の使い方の慣れや工夫で大きな飛躍を遂げるものもいたが、基本的には不変とされている。それが、二人の恩恵をみると、使えば使うほど、目に見えてその威力や効果が増していたのだ。
「これって、私達が日本人だったっていうのが関係するのかな?」
「今では別人なのに? よくわからないけど、あまり他言せず精進してれば問題ないんじゃないか?」
「それもそうね」
そんな話をしていると、診察室の外、食堂のあたりがにわかに騒がしくなってきた。誰かの声に引き寄せられてどんどんと人が集まってくるのが、衝立越しにでも分かる。ただならぬ雰囲気に、シュウもレイも食堂へと向かう。
食堂に出ると、シュウ達に気付いたサリベックスがあわてた様子で近づいてきた。
「おい、さっさといくぞ。外に並ぶんだ」
「ちょっと待ってくれよ、おっさん。何事だ?」
有無を言わさず外へ連れ出そうとするサリベックスを呼び止めたシュウは、困惑の色を隠せない。
「あ? そういや、お前、初めてか。来るんだよ、奴が」
「奴?」
聞き返したのはレイだ。レイも、状況が飲み込めず首を傾げている。ただ、物々しい雰囲気に圧倒されていた。
「ああ。来るんだよ。俺達をここに閉じ込めている元凶がな」
「それって――」
「ここの管理者。王国貴族のデズワルト・ヨードコート子爵。そいつが、今日視察でやってくるってさっき監視官が言ってたんだ」
それだけ伝えるとサリベックスは大声を上げて奴隷達を集めていた。何か決まりでもあるのだろうか、そんなことを考えながら、シュウとレイは人の流れに続いて外に出た。
外に行くと、皆が隊列を組んでいる。隊列といっても、訓練も何もしていない奴隷達だ。ただ、なんとなく見栄えがいいように並んでいるだけなのだが。シュウとレイもその最後尾にそっと並んだ。まわりにいる皆の顔がこわばっているのは気のせいではないのだろう。緊張感のある空気に、シュウもレイも呑まれてしまっていた。
「おや、来たのかい。あんたたちは初めてだろ? びっくりしたんじゃないか」
サリベックスとは反対に、どこか落ち気払っているミロルが二人に声をかけてきた。ミロルのいつもどおりの雰囲気に、シュウもレイも小さく息を吐き表情を緩めた。
「なんか、おっさんも皆も殺気だっててさ。今から貴族様が来て何が始まるんだ?」
「ここで並んでお出迎え?」
緊張感のない二人の言葉につい笑みを漏らすミロル。やれやれ、といった感じで二人を見つめてため息をついた。
「あんたたち、もう少し緊張したらどうだい? 王国貴族の子爵様だよ? 粗相があったら首が飛ぶってこと、わかってるのかい?」
ミロルの言葉にシュウとレイの背筋に悪寒が走る。途端に知らされた事実に、動揺を隠せない。
「まあ、脅してるわけじゃないけどさ。とにかく、目立たず逆らわず、だよ? できるかい?」
静かに頷く二人に、ミロルは言葉を続けた。
「それにあんた達は最近この奴隷島で目立ってきている存在さ。皆にはもう口止めしているけど、あんたたちの恩恵は決して話しちゃいけないよ」
「え……どうして?」
「あんたたちの恩恵は珍しいからね。どっかに売られるか、飼いつぶされるか。もちろん、こっから出ていきたきゃ名乗り出ることだ。あたしは、こんな生活でもあんたたちと一緒にいるのが好きだけどね」
「ミロル」
「どっちにするかは自分で決めな。ほら、来たよ」
ミロルが振り返ると、皆が同じ方向を見つめていた。視線の先には、見慣れぬ二人の男がこちらに歩いてくるのが見えていた。
◆
優雅に歩いてきた三人の男。その男達が聞いていたデズワルト・ヨードコート子爵達一行なのはシュウ達にもわかった。外見からして、自分達のような奴隷とは異なっていたからだ。
一人は新緑で装飾も大人しい詰襟の服をきた中年男性だ。白髪交じりのその髪の毛と顔のしわは年齢を感じさせるが、まっすぐに伸びた背筋からは衰えを感じさせない。
もう一人は、腰に剣を刺したどこか薄汚れた青年だ。薄汚れたといっても、シュウたちよりはまともな恰好なのだが、よれよれの外套とぼさぼさに伸びた髪の毛はおせじにも清潔感があるとは言えなかった。見る限り、護衛だろうか。その振る舞いは、ゆったりと落ち着いている。
最後の一人に目を向けると、赤と金とで飾られた豪華な服をきた若者であった。若者の髪は金色に輝いており、前にいた世界では脱色した金髪くらいしか見たことがなかったシュウやレイからすると、その美しさは目がくらむほどだ。明らかに高貴な生まれというのが空気から伝わってくるのだが、その歪んだ笑みからは爽やかさをまったく感じない。
大勢の奴隷達の前にようやくたどり着くと、三人の男のうちの一人、豪華な若者は奴隷達を眺めながら笑みを崩さない。一通り眺めて満足したのか、腰に手を当てて大きな声を張り上げた。
「デズワルト・ヨードコート子爵である! 日々、労働に明け暮れているだろうお前達に見舞いの品を持ってきた! 明日から、さらに励むように!」
そう言うと、脇からやってきた監視官が大きな袋も持ってやってきた。二つの袋をデズワルトの目の前に置くと、監視官はデズワルトの横に立ち休めの姿勢をとった。
「それで、最近はどうなのだ? この奴隷島の様子は」
デズワルトの問いかけに、監視官の一人が答える。
「はっ! 日々、我らの管理の元、男は鉱山へ、女は畑へ行き労働をさせております。鉱石の採取量も畑で取れる野菜も例年と変わりないと思われます」
「ふむ。報告書を見て思ったのだが……近頃怪我人などは少ないのか?」
「はっ! 怪我人も死亡者も減っております! 落石などの事故はあるのですが、運よく被害からは免れております」
警備官の報告を聞きながら、デズワルトは顎に手を当てなにやら考え込んでいる。そして、ゆっくりと奴隷達に向かって歩き始めると一番前に立っていた奴隷に、一つの質問をぶつけた。
「おい、お前。怪我や死亡者が減っている理由は、ただ単に運がよかったからなのか?」
その質問に奴隷の男は何も答えられない。だらだらと汗がたれているが、デズワルトは立て続けに問いかける。
「嘘は許さん。だんまりも許さん。まあ、聞き方が悪かったかもしれん。聞き方を変えよう。怪我や死亡者が減っている理由に、心当たりはないか?」
当然、奴隷達はシュウやレイのことを知っている。それゆえに、この質問にも答えられるはずなのだが、そこはサリベックスやミロルが口止めをしていたので話すことはなかった。
「あ、ありません」
「そうか」
なんとか搾り出した返答にどこか不満気なデズワルト。ゆっくりと隣の男の前に立つと、同じ質問を繰り返した。
「心当たりはないか?」
「……ありません」
「そうか」
そんな問答を五人も繰り返しただろうか。デズワルトは小さくため息をつくと右手を当ててなにかの合図をした。周囲にいた奴隷達は何事かと疑問を浮べるが、次の瞬間――。
デズワルトと話をした五人の首がぼとりと落ちた。
「ひっ――」
目の前にいた奴隷たちが体全身を引きつらせながら、叫びたい衝動を必死で抑え込む。
シュウとレイも、その一部始終をみており、レイはとっさに顔を背け口に手を当てた。顔面は蒼白だったが、しゃがみこんでしまうのは耐えた。シュウはそんなレイの様子に気づかないほど狼狽していた。
護衛の男が血のりがついた剣を腰に戻す。その動作を見ながら、シュウは今更ながら驚愕していた。そういえば、首を刈り取るところを見ていないと。それだけあっという間の出来事であり、目で追える事象ではなかったのだろう。
シュウは足元からせり上がってくる震えに抗うことはできなかった。
そんな奴隷達の動揺をせせら笑いながら、デズワルトは両手を広げてながら口を開く。
「嘘はだめだといっただろ? さて、次は誰に聞こうか。率先して話せば、少ないが褒美も用意しているのだが」
そう言いながら落ちた首を蹴り転がしているデズワルトは、満面の笑みを浮べて奴隷達を見据えていた。