Chapter-08 「さて、エンドロールの準備と参ろうか」
十回の表。
聖峰学園は、この回の先頭打者のユウキが二塁打で出塁。続く五番打者の打球は左中間へ伸びますが、守備範囲の広い中堅手に阻まれて、結局はセンターフライに。――しかし走りながらの捕球であったので、タッチアップを行ったユウキは、無事に三塁へ到達します。
一死三塁。
両アルプスの応援合戦が行われる中、打席に向かうのは、六番、ピッチャーの梛原トオタ。
打者としても高い評価を与えられている彼は、しかしこの試合は、三打数無安打で、ひとつの三振。〝小さな狙撃手〟の巧みな投球術によって、五球以上粘ることも叶わないという苦境に、追いやられてしまっていました。
打席の前で足を止めたトオタは、ユウキのいる三塁を向いて、三塁ベースコーチの少年から送られてくるサインを確認します。
「…………」
それにやや目を見張ったトオタは、二、三秒ほどの時間を置いてから、右手のみでサインを送り返しました。そして明らかに狼狽した三塁ベースコーチの少年から視線を切ると、素振りも行わずに、右の打席に入ってしまいました。
「さすがに十年以上の付き合いは伊達じゃないってか」
浦川第一のシフトは、内外ともに前進守備。それを認めて右肩にバットを乗せたトオタは、山科カケルがセットポジションに入ると、そのバットの先端を、雲ひとつ見えない上空に向けました。そして左足のかかとで、小さくリズムを取りました。
山科カケルが右足を上げて、それを本塁方向へ踏み出します。
その左腕から放たれた初球は、――外へ大きく外れるストレート。
トオタは、ヒッティングの姿勢のままそれを見送ります。
「でもな、相棒」
トオタは一度かまえを解いて、返球を受けとった山科カケルが、三塁にいるユウキを一瞥してから、足元のロジンバッグに左手で触れるのを見届けます。そして彼が捕手のサインに目を向けて、首を横に二度振って、三度目で頷いたのを認めると、トオタは、ふたたび、バットの先端を青空に向けて、左足のかかとで、小さくリズムを取りました。
山科カケルの右足が上がって、それが本塁へ向かって動きだします。
二球目――初球よりもゆったりとしたモーションで投じられたのは、初球と同じ、進行方向に対して逆回転を与えられたストレート。
コースは、今度は外ではなく内角高目。ストライクゾーンの角を、削り取るような進路。
球速は、百四十キロ台の半ば。
――響いたのは金属音で、それを歓声が追いかけました。
打球が向かったのは、左翼。低い弾道のそれは守備位置の浅かった左翼手の頭上を越えて、フェンスの下部に直撃――。ボールは左中間を、ボールへ駆け寄る中堅手のほうへと転がっていきます。
三塁側ベンチとアルプスが熱狂に染まる中、三塁ベースに右足を付けていたユウキは、打球がフェンスを叩いたのを見届けてから、自らの守備位置でもある本塁へ。一塁へ向かっていたトオタは、外野を転がるボールの行方を認めることもせずに、一塁を蹴って、ためらうことなく二塁へと駆けていきます。
ユウキが本塁に生還して、――聖峰は、この試合二度目の勝ち越し。
二塁に滑り込んだトオタは、歓声に右手を上げて応えながら、自らにこげ茶色の目を向ける、自らの相棒でもあるユウキを、その黒色のまなこで捉えました。
「そんな甘っちょろいやさしさを向けられて喜ぶのは、女子中学生くらいのものなんだぜ?」
すぐに視線を外したトオタは、二塁塁審にタイムを要求。左の肘と足首に着けていた防具を外して、それを受けとりに来た三塁ベースコーチの少年とは強めのハイタッチを交わして、それから二塁のベース上に戻ります。
その顔が向いているのは、外野の巨大なスコアボード。
「さて、エンドロールの準備と参ろうか」
内野に向き直ったその顔に表情はなく、その目には、すべてを受け入れることを決めたような昏い覚悟の色が広がっていました。




