Chapter-05 「たぶらかすとは失礼な」
「どうしてわかったんだ?」
「なんの話かね?」
訊ねたのはユウキの声で、訊ね返したのはトオタの声でした。
ふたりは三塁側のベンチにいました。後列の席に腰かけているふたりの前には、打者に声援を送る、トオタと同じ白い半袖のユニフォーム姿の少年たちが、ベンチの最前列に立ち並んでいるのが見えます。彼らの声は、観客席からのものと一体となって、球場から、静寂がその心を休められる場所を、なくしてしまっていました。
「さっきのノーアウト満塁の場面の話だ」
そんな少年たちの間からグラウンドを見ているユウキが、視線をそのままに口を開きました。
「おまえの打球反応の良さは知ってるが、さっきの守備は、未来でも見えてないかぎり不可能なシロモノだ。どうして打球が三遊間に飛ぶってわかったんだ?」
「ゴーストがささやいたんだよ」
その顔の上半分に濡れタオルを、その上の、額の辺りに氷嚢を乗せているトオタが言いました。だらけた姿勢の彼から発せられたのは気のない声でしたが、ユウキは、それにはかまわず質問を続けます。
「そのゴーストとやらは、そのあとのフォアボールと三振も教えてくれたのか?」
「そのあとに、おまえの質問タイムが待ってることは教えてくれなかったけどな」
金属音が響いて、ふたりの前にいる少年たちから、「いいぞ、その調子その調子!」「タイミング合ってるぞ!」という声が飛びました。
そんな少年たちの後ろで、ユウキは、かたわらに置いていた紙コップを手に取って、それに口を付けました。そしてそれを手に持ったまま、グラウンドを向いたまま、隣のトオタに、ユウキは問いを投げかけます。
「なかなか気のきくゴーストじゃないか、どこで仕入れたんだ?」
「前世と現世の狭間かな。どうせなら、目の前の女子が俺に気があるのかどうかを教えてくれるやつのほうがよかったんだが」
「そういうことは教えてくれないのか? 今のゴーストは」
「どうやらささやきたいことだけを率先してささやくタイプみたいでね。任意の質問に答えさせるのは、有料らしいんだ」
「有料って、実体のない相手にどうやって支払うんだ? マグネタイトかなんかか?」
「質問一文字につき、残り寿命からマイナス一分ってシステムだよ。だから、六十文字の質問に答えてもらおうとしたら、残りの寿命から、そのうちの一時間をゴーストにくれてやらなきゃならないってことだな」
「使ったことあるのか? その有料サービス」
「残念、俺はDLCには手を出さない主義なんだ」
どこか歌うような調子でトオタが言うと、それを追いかけるように、一塁側アルプスから歓声が押し寄せてきました。
歓声が収まってから、顔を仰向けたままのトオタが訊きます。
「なんだ? 向こうの精密機械君が、一球で三振でも取ったのか?」
「いや、フルカウントまで粘られたあとの、ただの空振り三振だ」
「ただの三振でどんだけ盛り上がってんだよ、あちらさんは」
「おまえに対抗してるんだよ、あの投手も、向こうの応援団も」
ユウキは空になった紙コップをベンチに置いて、腕のストレッチを始めました。
「打たせて取るタイプのピッチャーが、八回と三分の一で十一個目の奪三振。サインに首を振ってる回数から見ても、明らかに三振を狙っている。本人がどう思ってるかは知らないが、間違いなくおまえを意識して投げてるよ、あの〝小さな狙撃手〟は」
「野郎なんかに意識されたって嬉しくないね」
「その意見には同感だが、あいつの気持ちもわからなくはないな。自分の鮮烈な全国デビューになるはずだった選抜で、どこの馬の骨ともしれないやつが、空気も読まずに話題をかっさらっていっちまったんだから」
「半分以上はおまえのリードが原因だけどな」
右手で氷嚢を持ち上げたトオタは、左手で濡れタオルを取って、それで首回りを拭いました。そして氷嚢を首の後ろに当てると、濡れタオルは、自らの黒髪の上に乗せました。
「やっぱ選抜のときに勝っとくべきだったな、夏は家でゲームをやってるに限る」
「去年の夏に、福岡までテニスをしに行っていたのはどこの誰なんだ?」
「知らないのか? 俺には瓜ふたつの双子の弟がいるんだぜ?」
「それは初耳だな、七つ年上の兄貴がいることは知っていたが」
「兄貴よりも妹がほしかったよ、俺は。――おまえはいいよな、あんなかわいい妹がいて」
「くれと言ってもやらんぞ?」
「おまえが兄貴じゃなかったら考えたんだけどなあ」
歓声に金属音が混じって、ふたりの前に並んでいる少年たちの声援にも、熱が入ります。
トオタの声は、しかしそんな少年たちのものとは裏腹に、淡泊な調子のままでした。
「延長戦かね、この感じだと」
「この裏におまえが打たれなかったらな」
「打たれると思うのか? 天にいる誰かさんに気に入られたこの俺が」
「次の回の先頭打者は、天にいる誰かさんに気に入られた〝天才〟だけどな」
「…………」
トオタがその顔をしかめていると、そこへふたたび金属音が聞こえてきました。
歓声ののちに、小柄な身体の打者に視線を向けたトオタが言います。
「ずいぶん頑張ってるじゃないか、うちの切り込み隊長殿は」
「きびしいコースをカットする技術はうちで一番だからな。打たせて取るタイプのピッチャーの、まさに天敵と言えるバッターだ」
「まあ、相手投手の決め球をきっちり打ち返すような性格の悪いやつに言われても、あいつも嬉しくはないだろうけどな」
「それでも、相手打者の得意な球種とコースで三振を奪っていくような、性根のねじれたやつに言われるよりはあいつもマシだろう」
「その相手打者の得意な球種とコースを俺に要求してくるのは重度のシスコン野郎なんだが、その辺についてはどう思うかね? われらが参謀殿は」
「シスコンの何が悪い。家族を大切に想うのは当然のことだろう?」
とてもまじめな口調でユウキが言いました。トオタはその肩を軽くすくめます。
「その言葉は否定しやせんがね。――だからって、その友達をたぶらかして妹の行動を逐一報告させるってのはさすがにどうなんよ? 俺がサヤちゃんだったら絶縁もんだぞ? 掛け値なしに」
「たぶらかすとは失礼な。メールのやりとりのついでに、いろいろ質問をしているだけだ。答えるように強制したことなんて一度もない」
「そりゃ惚れた相手の頼みならたいていのことには答えるでしょうよ、恋に盲目気味の女子中学生なら。俺も二、三回本人に会ったことあるけど、あれは――」
呆れた調子で続けるトオタの声を遮ったのは、ふたりの前にいる少年たちと、おもに三塁側アルプスから聞こえてくる大きな歓声でした。トオタがユウキに向けていた視線をグラウンドに戻すと、本塁の近くでは、バットを置いた小柄な少年が、右の肘と足首に着けていた防具を外して、ちょうど、一塁へ向かって駆け出しているところでした。
「ほほう、やるじゃないか。あの精密機械からふたつ目のフォアボールを奪うとは」
「新チームの中心は間違いなくあいつだな」
一塁へ駆ける少年をそう評したユウキは、ベンチの最前列右端からユウキに目を向けている、控え選手のひとりである少年に対して、右手の指を使って、いくつかのサインを送りました。それに頷いた少年は、打席の前で立ちどまって、三塁側ベンチを向いていた次の打者に対して、両手を使って、帽子や肩などを触りながら、ユウキからの指示を伝えました。
「単独でも行けるんじゃないか? あいつの足なら」
サインの意味を理解したと見えるトオタが、氷嚢を濡れタオルの上に乗せながら言いました。
「向こうがピッチャーを代えてくれたらそれも考えたんだがな」
「そんなに速かったのか? あいつの牽制」
「さっきのおまえの未来予知よりは尋常だったけどな。――元ネタは七年前か?」
打順が近くなったので上半身のプロテクターを外していたユウキが、やや出しぬけ気味に訊ねました。それに対するトオタの反応は沈黙そのものでしたが、いくぶん大げさに、その肩はすくめられていました。
プロテクターをベンチに置いたユウキが言います。
「確かに似てるな、この試合は」
「ほんとに似てるんなら、次の回におまえが塁に出て、俺が打って勝ち越し。そんでその裏を俺が抑えて、うちが勝って決勝進出――ってことになるんだけどな」
「結果だけならトレースしたい流れだな」
「神様が許可出すと思うか? そんなご都合主義な展開に」
「相手が神様だからって、なんでも従う必要はないだろう」
足に着けていたレガースも外したユウキは、それをプロテクターの上に重ねて、腰を上げました。その視線の先では、サインどおりにしっかりと犠打を決めた少年が、三塁側ベンチへ、その足を向けているところでした。
「ご都合主義の何が悪い? ハッピーエンドにならないくらいなら、俺はためらいなくエンドレスを選択するよ」
「サヤちゃん嫌いだもんな、バッドエンド」
「あいつを泣かせるものはすべて悪だ。――おまえはどうなんだ?」
「シスコンの鑑に命を狙われる予定はないッスよ、今のところ」
「そうか。――これからもそうであることを願ってるよ、相棒」
そう言い置いたユウキは歩きだして、ヘルメットと、それからバットを手に取りました。そうしてベンチから出ると、ベンチの前にある、白線で描かれているネクストバッターズサークルに向かって、その足を進めました。
「泣かせるつもりはないんだけどなあ」
そんなユウキから視線を切ったトオタが、つぶやくように言いました。それから彼は、やや目を眇めて、上空に広がる青に、その黒色の双眸を向けました。
「エンドレスか。――ググったらわかるかね、始め方」




