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Chapter-04 「治療中断後の八回の裏」


 治療中断後の八回の裏。

 手の治療を終えたトオタが投球練習を終えると、浦川第一の一番打者が、その背に一塁側アルプスからの声援を受けながら、左の打席に向かって歩いてきました。

 他校であれば四番を任せられてもおかしくないこの打者は、ここまで、三打数無安打で、ふたつの三振。球審とユウキに軽い会釈を行った彼は、まずは左足を打席に入れて、足場を念入りに確認してから、後ろに残していた右足を打席に入れました。それから息を吐くと、軽く後ろに背を反らせながら、バットを左の肩に乗せて、トオタにその顔と視線を向けました。

 ユウキの後ろの球審が口を開いて、――試合は再開。

 ノーアウト満塁。

 ひとつのミスが確実に失点につながる場面で、マスクの下から打者の表情を窺っていたユウキは、マウンドの上のトオタに、右手でサインを送ります。

 インハイ――内角高目へのストレート。

 それに頷きを返したトオタは、三塁方向に顔を向けながら、マウンドの上でセットポジションに入ります。その黒色の両眼が捉えているのは、三塁走者。その走者はあまり塁から離れておらず、その視線は、トオタの一挙手一投足を見逃さないように、マウンドの上へとまっすぐに向けられていました。

 トオタが視線をそのままに、左脚を上げます。

 三塁手の少年が、打ち合わせどおりに本塁へ向かって駆け出します。

 三塁走者は一歩本塁に近づいて、打者は、これまでと変わらないヒッティングの体勢。

 左脚を本塁方向へ踏み出したトオタが、治療中断後の初球を投じます。

 ストレート――進行方向に対して逆回転を与えられたボールは、まっすぐに左打者の内角高目へ向かい、そして、ユウキのかまえるキャッチャーミットに吸い込まれます。

 球審の判定は、ボール。

 ユウキのミットに悲鳴を上げさせて、打者を軽くのけぞらせたボールが通ったのは、ストライクゾーンの外側。

 外野のスコアボードに表示された球速は、「149km/h」。

 ユウキは三塁走者を視線で牽制してから、トオタにボールを投げ返しました。そして内野陣に声をかけたり、マスクの位置を右手で調整したりしながら、打席を外れて、一塁側ベンチを向いて、監督のサインを確認していた打者に目を配ります。

 サイン確認を終えた打者は、ヘルメットをかぶりなおして、素振りを行ってから、左の打席に戻りました。その動作には、これまでと違ったところは見当たりません。

 ユウキは三人の走者にも目を向けてから、まずは内野陣に、同じ守備を続けるというブロックサインを。続けてトオタに、もう一度、インハイへのストレートを要求するサインを、右手で提示しました。

 ユウキのサインに首肯を返したトオタは、大きく呼吸をしながら、ふたたびセットポジションに入ります。そして三塁走者との軽いにらめっこののち、左脚を上げて投球動作を開始。――直後に動いたのは、三塁手の少年だけではありませんでした。

 三塁手の少年と一緒に動いたのは、打者と、三塁走者。打者は左手をバットの中央付近へと滑らせて、三塁走者は、本塁方向へと、大きく飛び上がるようにステップを踏みました。

 これらの動作に反応を示したのは、一塁手と、三塁手の少年ふたり。一塁手の少年は本塁方向へ足を踏み出して、三塁手の少年は、先ほどよりも、より本塁へ近づこうとその速度を上げました。――しかし打者の手はすぐにもとの位置に戻り、三塁走者は、その場で足を止めました。

 左脚を大きく踏み出したトオタが、二球目を投じます。

 初球と同じ球が目指す進路は、ストライクゾーンの、――やや内角寄りの、真ん中高目。

 捕球のためにミットの位置を修正するユウキの前に、その視界の右側から、鈍色の一閃が現れます。

 響いたのは金属音。

 打球が向かうのは、左翼方向――三遊間。

 すでにトオタよりも本塁に近づいていた三塁手の少年が、目の前でバウンドして、自らの左側を抜けようとする打球に、その左手のグローブを伸ばします。

 その反応は驚嘆に値するものでした。彼の試みは、完全な捕球とまではいきませんでしたが、その進路を、遊撃手の少年寄りに変えることができたのです。

 ――けれどもそれゆえに打球の勢いは弱まりました。

 遊撃手の少年が懸命に打球へ向かいますが、三塁を離れた走者は、すでに、本塁まで残り半分の距離に及んでいました。このままでは、たとえ遊撃手の少年が捕球を果たしたとしても、その目的達成を阻むことはできません。

 その未来を変えるためには、――トオタが実際にやってみせたように、投手が投げた直後から三塁方向へ動いて、打球の進路を妨害する以外に手はありません。

 打球を止めたトオタは、無駄のない動きで本塁へ送球。その球は、本塁を目指していた走者よりも早く、ホームプレートを右足で踏んでいたユウキのもとに辿り着きます。

「ファースト!」

 叫んだのはトオタの声で、それにタイムラグなしで応じたのは、ユウキの右腕でした。

 打者は、まだ一塁への途上にありました。その先には、一塁ベースに左足を付けて、ファーストミットをはめた右手を本塁方向に伸ばしている、一塁手の少年の姿がありました。

 ユウキの右手を離れたボールは、打者との距離を瞬く間に詰めながら、一塁手の少年の右手に迫ります。

 打者が一塁へ頭から滑り込んだのと、可能なかぎり身体を伸ばした一塁手の少年が、その右手でボールを捕らえたのは、観客席からは、まったく同じタイミングに見えました。

 打者が見上げて、一塁手の少年が振り返った先にいるのは、一塁塁審。

 その判定に歓声を上げたのは、――三塁側のベンチとアルプススタンド。

 判定はアウト――聖峰学園にとっては最高の結果で、浦川第一にとっては、最悪の本塁併殺。

 喜びと失望をあらわにする少年たちの中で、

「ホンマかいな」

 膝に手をついて、その顔を一塁に向けていたトオタが、ひとり小さくつぶやきました。


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