Chapter-10 「くそったれの神様よりはな」
十回の裏。
浦川第一の攻撃は一番からの好打順でしたが、その一番は、カーブでタイミングを外されてライトフライに終わり、続く二番打者も、ストライクからボールになるスライダーに手を出して、空振り三振に終わってしまいます。
三塁側アルプスからは「あとひとり」コールが、一塁側アルプスからは悲鳴にも似た声援が聞こえる中、浦川第一の三番打者が、左の打席に入ります。
高梨ユウキと〝高校球界最高の左打者〟の地位を争う彼は、ここまで、四打数無安打で、ふたつの三振。しかし高校通算の打率は五割を超え、本塁打数も、都築ハジメの記録がなければ、二位に甘んじることのなかった数字を数えています。
そんな強打者を迎えた聖峰バッテリーは、初球には、打者の意表を突くような緩いカーブをアウトコースに。二球目には、一転して百五十キロ前半を記録するストレートを、打者の胸元へと導きます。
二球目が外れて、カウントはワンボールワンストライク。
「あと四球」
つぶやいたトオタが三球目に投じたのは、インコースへのカットボール。打者が手を出しますが、金属音を残した打球は、一塁側アルプスへと消えていきます。
カウントは、ワンボールツーストライク。
三塁側アルプスは「あと一球」コールを歌い、一塁側アルプスは、祈りを伴った声援を打者に送ります。
「あと三球。――それは無理だっての」
ユウキの出した〝ど真ん中へのストレート〟のサインに頷きを返したトオタは、流れるような投球動作から、三番打者への四球目を投じます。
ボールの進路は、真ん中――低目。ボールはホームプレートの上でバウンドして、ユウキのキャッチャーミットに捕らえられます。
これでカウントは、ツーボールツーストライク。
いくつもの声と音が球場を駆け廻り、幾万もの目は、グラウンドでもっとも高いところにいる、ひとりの少年へと集中していました。
「あと二球。――疲れるんだぞ、そこ狙うの」
四球目と同じサインに頷いたトオタは、四球目と同じ投球動作で、四球目と同じ球を、その右腕から繰り出します。
ボールが向かったのは、真ん中高目。ユウキが飛び上がるようにして捕まえたボールは、打者が見送ったので、もちろんボールの判定。
カウントは、スリーボールツーストライク。
フルカウント。
「さて、最後の球はなんじゃらほい」
歓声に包まれる世界の中で、トオタは、ユウキの出すサインを注視します。しばし間を置いてから出されたそのサインは、これまでと違って非常に複雑なもので、それは、ユウキと長い付き合いを持つ人間以外には、まったく理解のできないたぐいのものでした。
そのサインは、こんなことを伝えていました。
〝バッターに絶対に打たれないボールって知ってるか?〟
「…………」
しばし眉をひそめていたトオタは、右手を使って、次のような意味を持つサインを、ユウキに送り返しました。
〝正気か?〟
それへの返信は、先ほどよりも短いものでした。
〝くそったれの神様よりはな〟
長いサイン交換に、しびれを切らした打者がタイムを要求します。トオタもプレートから足を外しますが、ユウキだけは、腰を上げることもなく、そのままの姿勢で待機していました。
ふたたびユウキから、複雑怪奇なサインがトオタに送られます。
〝ルート分岐が見当たらないなら作ればいい〟
〝変わる保証はない〟
〝そして変わらない保証もない。――舞台にいるのは俺たちだ。したり顔の演出家に、猫のくわえてきた何かみたいな気分を味わわせてやろうじゃないか〟
「…………」
再度タイムが要求されて、打者が打席を外れます。
トオタは軽く息をついて、ユウキは不動の体勢のまま。
次のサイン交換は、一往復で終わりました。
〝落とせ〟
〝御意のままに〟
ようやく投球動作に入ったトオタは、これまでと変わらない動きで、腰の高さまで上げた左脚を、本塁方向へ踏み出します。ボールを人差し指と中指で挟んでいる右の手は、まず、頭の高さまで上がって、それから右肘に導かれて、トオタの頭上を越えていきます。
トオタの手を離れたボールは、――少々離れるのが早すぎたボールは、ゆるやかな放物線を描いて、地面を叩いてから、誰もいない右打席の、さらに外側へと転がっていきました。
〝どうよ?〟
〝完璧過ぎ〟
混乱と沈黙の妖精が飛び交う中、ふたりの少年が、目だけで会話を交わしました。
投球動作中の落球は、走者がいればボーク――走者がいない場合は、ファールラインを越えたときのみ、ボールと判定されます。
フルカウントでしたので、これでボールカウントは四つ目。
つまり四球となって、打者は走者へと、その呼び名を変えることとなったのでした。




