五、
神奈川県横浜市西区 横浜駅周辺
「戻ってきてくださいよッ。桐繁さん!!」
「そうですよ桐繁さん!」
二人の二十歳程の男らに頭を下げられているのは、まだ幼さの残る高校生くらいの少年だった。その異様な光景に、通行人は自然とその周りから避けていた。必然なことのように。しかし、そこだけが浮いていても、それが街の風景として許容されていた。ここは、そういう街だった。
右側の前髪が異様に長く、右目が隠れている髪型のその少年。その少年は口元に不気味な笑みを浮かべながら、口を開いた。
「……俺は、カタギになりたいの。だから、戻るつもりはないんだよ」
諭すようにゆっくりと話す少年に対して、男の一人が憤りの声を上げた。
「で、でも! 桐繁さんが戻ってくりゃ、最強なんすよ! あんたのナイフで、仲間が救えんすよ!」
切羽詰まったその声に、少年は全く動じることなく、恍けたように右上を向いた。
「ナイフ? なんだっけ? そんなもん、使ってたかな?」
二人の男は、愕然とした。
――この男から、ナイフを取ってしまったら、何になる。
――ただの、生意気なガキだ。
「アンタ、もしかして、この瞬間も、ナイフ、持ってないんすか」
怒りの表情を垣間見せながら男は懐に手を入れる。
「持ってる訳ないじゃん。カタギにそんなもん必要?」
――人を舐めたような笑い方しやがって。
「…………ぬ……った……な……」
「はい?」
「腑抜けになったなアッッ!! この野郎オッ!」
低い叫び声と共に、バチバチとした電撃――スタンガンが男の懐から飛び出してきた。
「おいお前! こんな往来のな……」
もう一人が慌てて注意したが、その言葉は遮られた。――一瞬後のその男は、今までにない程に目を見張っていた。
スタンガンが、大型のスタンガンが、――二つに割れていた。まるで、刃物で切られたように、スッパリと。
「ね。言ったでしょ? ナイフなんか、必要ないって。……ああ。だけど、カタギって言っても多種多様だってこと言ってなかったっけ……ハハ」
静かに微笑みながら、少年は指にフー、と息を吹きかけている。そして、何が起こったのか分からずに呆然としている男達に向き直る。「さて、と」
「……俺に舐めた行動を取ったのは、どっちだったっけ?」
その瞬間、男達は恐怖に震え上がった。
ただの、恐怖。
どこから湧き出てくるものかは分からないが、大きな、恐怖。怖い。恐い。恐い。怖い!!
少年の顔には、人間のものとは思えないような笑みが浮かべられていた。まるで、これから魂に罰を食らわせる悪魔のような。人間ではない。温かみや、優しさという言葉は微塵も感じられなかった。とにかく恐ろしい。恐ろしかった。
「い、いや……俺、は……ち、違うんです!!」
「なに言ってんだお前ええ! やったのはお前だろうがッ!」
切羽詰まった目の前の男達の会話を少年はじっと眺めていたが、しばらくすると耐え切れなくなったように、――プッ、と吹き出した。
「え?」男二人は同時に呆気にとられる。
少年は段々とその笑いを大きくしていった。純粋な、高校生の笑い声だった。
「そんなマジな顔しないでよ。冗談だって。じょ、う、だ、ん。俺が昔の仲間を殺したりする冷酷無比な奴に見えた?」
男達は、また呆気にとられた。
“そうですよねーハハハー”などと、二人の男は到底笑える気にはなれなかった。先刻の少年の目には、どう考えても真剣な光が帯びていた。はずだったのだが。
そんなことを考え、黙っている二人の耳に――
次の瞬間には無機質な音が三回、飛び込んできていた。
「……ありゃ? お仕事か」
そう言って少年は、ポケットから変わったデザインの携帯電話のような物を取り出す。青い機体に、手の絵が描いてあるそれを。
「じゃあ、俺仕事だから。うん。じゃあね。麗しき夜をお過ごしください。ハハハハ」
少年は、手を振った。
――そして、携帯電話のようなものの中心部にあるボタンを、少年は人目を気にする事なく、押した。
その刹那、二人の男は声にならない声を上げた。
「……どういうことだよ!?」
「わかるわけねーだろーがッ!」
グルグルと周りを見渡しながら上げるその怒号。
そして、異変に気付いた周りの人々のざわめき。
さすがのこの街でも、許容できない事実が存在した。
少年――桐繁深理は、音を立てずにその場から消えていたのだ。