5
一瞬だけ、地球の自転が止まったように辺りは静寂につつまれた。その後には、男の焦ったような声と、少女の息を飲む音。
伸也は、ゆっくりと目を開けた。視界には、ピンク色の棒のような長い物。それを目でたどる。すると、——
「うわッ!?」
自分の口からそれが出ていたのだ。
——棒? 舌? 舌? 舌なのか? なんで? 舌? トリック? なんで俺が? 何の為に? 何で? これは舌なのか?
伸也の頭に、様々な“?”が浮かぶ。
自分の舌を確かめようと、舌を動かす。すると、目の前の棒状のものがうねうねと動いた。
――嘘、だろ? 何だコレ……。
とにかく、舌をしまう。普通に舌を縮める動作をすると、それはしゅるしゅると口の中に戻った。――異物。舌を戻した瞬間、口の中に異物を感じた。ゴロゴロとしていて、鉛のような味がする。
ペッ。小さく手の上に吐き出すと、そこにはドラマなどでよく見る、弾丸の形をしているものがあった。
襲い掛かる吐き気を堪えながら、伸也は気持ちを落ち着せるために息をゆっくりと、大きく吐く。
転んだ時に無意識的に手をついてしまうというのと同じで、撃たれたことを感じた瞬間に舌が出て、弾丸をキャッチしたということなのだろう。――そう考えた伸也は、より一層混乱する。
眩暈さえ感じ、このまま倒れてしまいそうな伸也を現実に引き戻したのは、慌てたような大声だった。
「お、おい。手前ェッ!! なんなんだよッ!?」
すっかり忘れていた。目の前でそのガタイに似合わず、ぶるぶると震えているその男のことを。自分に銃を向けた張本人のことを。
その男は、無表情なままの伸也に向かって震える手で銃をゆっくりと上げ――――
「ううっ!!」
腕への強い衝撃に、銃を取り落した。男の血走った眼の先には、鉄パイプがあった。男は恐怖に縮み上がる。
「糞ッッ!!」
そう叫びながら伸也は鉄パイプを一振り、二振り、三振り……。
――もう、訳が分からない!! なんで鉄パイプを持って暴れて、男をぶちのめさなけばならない!? しかも、舌が伸びたってどういうことだ!!
「糞、糞ったれ!!」
凄まじい打ち込みに、男は白目を剥き、死にそうなほどの勢いである。既に意識を纏っていないその体は、伸也の苛立ちと混乱を拒む事無く全て受け入れていた。
「やめて」
伸也の攻撃を止めさせたのは、落ち着いた声だった。綺麗で透き通った声。その声を出したのは、男に襲われていた金髪の美少女だった。伸也は彼女を見つめていた。もちろん、攻撃は既にやめている。ぐったりとした男は、重力により、地面に叩き付けられる。
——可愛い……。
伸也は少女に見とれていた。今初めて気付いたのだが、少女は伸也の好みに百パーセント一致していた。通った鼻に大きな目。綺麗な金髪に白い肌。しかし、瞳は茶色であり、それ以外からもどこか日本人のような感じも受けない訳ではない。スタイルも良く、胸は……あまり大きくもないが、それが却って伸也の好みにはまっていた。
要するに、一目惚れをしたのである。
「……あの、えっと……」
伸也の妙な視線に対してか、少女は戸惑ったような声を上げる。
「あ、いや、ゴメン」
すると、そこで彼女のブレザーの襟の部分についているものの存在に気付いた。自分の襟についているものと同じものがあった。
「あ、……早鷹……高校?」
ぎこちなく伸也は聞く。少女は伸也の言っていることにすぐ気付き、にっこりと微笑んだ。
「うん。そう。……あ、遅れたけど本当にありがとう。助けてくれて。それにしても、入学式に遅刻する人が私以外にもいてよかったー」
「……!」
驚いた様子の伸也を見て、少女は首を傾げる。
「どうかした?」
「い、いや……日本語を普通に喋るんだなー、って思って」
少女から目を逸らしながらぎこちなく答える。
本当は、あんなことをされた後なのに全く気にしていなさそうに気さくに喋ることに驚いたのである。どこか慣れているような感じも受ける。普通の女の子だったら、今頃ショックで口を聞けないだろう。
——そもそも、なんであんな奴らに絡まれてたんだ?
そんな伸也の真意に気付かず、カレンは苦笑しながら俯く。
「私、百パーセントイギリス人の血なんだけどさ、日本生まれ日本育ちなの。だから逆に英語は全然無理なの」
「そ、そうなんだー」
返事がものすごくぎこちなくなってしまう。だが、少女にそれを気にする様子はない。
それより、と少女は伸也の顔を覗き込む。
「あのさ、さっき、舌伸びてたよね?」
体の中に、冷たくてドロドロしたものがサッと流れるのを感じる。そしてそれは全身を駆け巡り、体中がそれに支配される。このままずぶずぶと地面に吸い込まれていってしまう。そんな気がしてならなかった。
——ああそうだった。俺は、俺は……。
再び吐き気と混乱が舞い戻り、俯いた伸也に、少女は小さく笑いかけた。
「大丈夫。心配する事ないよ。私は味方だから」
ガバッと顔を上げ、少女の大きな目を見つめてしまう。頭の中で混乱や戸惑いなど、似たようで違うものがたくさん渦巻いている。
——何を言っているんだこの子は。
そう思いながら彼女の目を見つめている。
一方、少女は伸也の反応に面食らった素振りを見せた。しかし、伸也の戸惑いが隠れる事なく居座る眼差しに気付いたのか、はっと伸也の目を見る。
「……もしかして、自分の能力のこと知らない?」
カレンは、納得したように頷き、伸也の目をじっと見つめ返した。