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勇者と羊飼い

作者: 夢一夜

静謐な空気が空間を満たしている。

 数百人は入れるだろうかなりの広さを誇る部屋には天上に備え付けられたステンドグラスから、陽光が天使の形をとって降り注ぐ。

 物音一つ立たない静寂だが、無人と言うわけではない。

 現に、室内には大勢の人間がいた…いや、その表現は正しくないだろう。

 この場にいるのは人間だけではない。

 エルフ、ドワーフ、獣人等、人間ではない者達もいる。

 統一性の無い彼らだが、共通点が二つ存在していた。

 一つは種族の差はあれ、皆着飾っているという事、そのまま祝宴に出れそうな装いだ。

 もう一つは、部屋の中央にしかれた赤絨毯の左右に並び、何かを期待した顔をしているという点だ。

 赤絨毯の片方は部屋の奥、人間の王を始めとした各種族の代表がいる。

 その反対側、赤絨毯の反対側には豪奢な扉があり、今まさにゆっくりと開き始めた所だった。


「勇者エルフェンリート、参上されました!!」

「「「「「おおーーーー!!」」」」」


 今まで静かにしていた反動か、今まで黙っていた全員が歓声を上げる。

 種族の差無く、あげられた声はすべて喜びと称賛のそれだ。

 管聖に迎えられ、開け放たれた扉から入ってくるのは一人の少女である。

 白と青で構成された鎧はその使用目的の為の武骨さはうかがえず、むしろ芸術品のドレスの様にすら見える。

 しかも、それを着ている少女の方も只者ではない。

 エメラルドグリーンの瞳に流れる金のブロンド…誰もが目を奪われる美貌は女性の嫉妬すら溜息にかえる。

 耳が人間のそれでなければ、美形エルフと勘違いされていたかもしれない。


 少女…勇者エルフェンリートと呼ばれた彼女は、自分に向けられる数多の視線を感じながらも、赤絨毯の中央を王に向かって歩いて行く。

 そこに気負いは感じられない。

 元々、大した距離では無かった赤絨毯の道を踏破したエルフェンリートは、王達の前で片膝をつくと頭を垂れた。


「勇者エルフェンリートよ。此度の偉業、真に見事であった」

「もったいないお言葉です」


 人間の王の言葉に、他の種族の王達も頷き、エルフェンリートは謙遜で返すのはこう言った場におけるお約束のようなやり取りだ。


「いや、お主の功績は誰にも真似出来る物ではない」


 それに頷くのはエルフェンリート以外の全員だ。

 虎視眈々と他の種族の領土を狙う魔族、最近活発に活動し、たびたび他種族に侵攻をかけていた魔族の軍、その物量と魔力の高さによって全ての種族が被害をこうむっていた。

 その連鎖を、つい数日前に立ち切ったのが他ならぬエルフェンリートである。

 仲間もつれず、単騎で押し寄せる魔物の群れに突っ込み、魔王をその細腕で一刀両断したのは紛れもない事実であり。

 頭を失う事で魔族の統制を乱して烏合の衆にするなど、彼女以外の誰に出来るだろう?

 実際に、その眼で見た者がいなければ、お伽話と一笑に付されていたかもしれない。

 しかし、事実として彼女は言葉通りの事を実行し、魔王を倒している。

 彼女がいなければ全てとは行かなくてもいくつかの所属が絶滅していたかもしれない場所からの大逆転劇だったのだ。

 勇者エルフェンリートの名は、生きていながらすでに伝説である。

 人間の王が軽く手を上げ、興奮している連中をコントロールして落ち着ける。


「勇者エルフェンリート、お主には誰もが感謝している。我等もお主に報いたいと思うのだが…」


 妙な所で言葉を切る人間の王に、出席者たちがいぶかしげな顔をした。

 彼の背後にいる他の種族の王達は事情を知っているからか、人間の王の背中に苦笑している。


「正直、我々はお主に何を持って報いればいいのか分からぬのだ」


 彼女の打ち立てた功績は大きい。

 一歩間違えば自分達の種族が皆殺しになっていたかもしれない。

 それに報いるためには、何を持てばいいのかで議論されたのだ。

 エルフェンリート本人はあまり豪華なものに興味はないらしい、かといって安い物など送れば国の威信にかかわる。

 結論として、彼女自身が求めるのならばそれが何であれ彼女に報いることになるだろうという結論で落ち着いた。

とはいえ、それがなんであれ人間の王だけではなく、他の各種族も協力するのだ。

 叶わない願い等ないといっていい。


「はい…それでは…」


 エルフェンリートの言葉に全員が耳を傾ける。

 世界を救った英雄は、その見返りに何を世界に望むのか…それに興味を持たない者などいまい。


「世界は平和となりました。この上は私が戦う意味もありません」

「ふむ…」


 王達が頷く。

 戦いの無い世の中に戦士の需要は無い。

 道理だ。


「ならば、私は勇者ではなく、女としてお幸せを願ってもいいのではないかと…」

「ほう」


 様々な意味で場がざわめいた。

 女の幸せ…解釈は色々あるだろうが、顔を薄く紅に染めるエルフェンリートを見れば、彼女の言うそれが結婚、あるいはその先の幸せを意味しているのは誰の目にとっても明らかだ。

 純粋に彼女の幸せを望む者、出来るなら自分や血縁者を選んでほしいと思う者と様々だ。

 王も内心ではこっそり勇者である彼女の血を王家に取り入れる算段を組み立てていたりする

 エルフェンリートが他の種族の者を選ばないとも限らないが、人間…もっと言えば自分の息子を選ぶ可能性は高い。

 将来性で考えれば、次期国王の正妻と言う立ち位置はこれ以上ない優良物件のはずだ。

 実際、過去の記録には高い功績を上げて王家に入ったり、王となった例が無くもない…その程度の頭が働かないなら国の頂点などやってられないだろう。


「家庭に入るを望むか?よかろう。わが名とここにいる全ての種族の名において許す」


 王の宣言に、この場にいる全員が頷いた。

 世界を救った報酬と考えれば、破格もいい所だろうが、こういうものにそんな客観性は求められない。

 彼女の幸せというのなら誰もが納得し、十分に釣り合いが取れるだろう。


「ありがとうございます」


 許しを得たエルフェンリートが満面の笑みになる。

 本人の美しさに加え、子供のような無邪気な笑みはそれを見る全員を虜にした。


「…は、ゴホン。で、では…エルフェンリートよ。お主は誰を選ぶのだ?」


 見とれ、赤面していた事に気づいた王が一度咳をついて誰を選ぶのかを聞いた。

 男性陣が思わず一歩前に踏み出し、無言で自己アピールをする。

 それに気づいていないのは未だに嬉しさの余韻を引きずったままのエルフェンリートだけだ。


「はい、私はクロノと幸せになります」

「…え?」


 王の返答が疑問符になった。

 エルフェンリートの述べた名前に聞き覚えが無かったからだ。

 勿論、自分の親族ではない。

 では他の種族かと考えて背後の王達を振り向くが、例外なく全員が不思議顔だ。

 彼等にもクロノと言う名前に聞き覚えがないらしい。


「…勇者エルフェンリート?」

「はい?」

「その…な…クロノとは誰だ?」


 王の言葉はエルフェンリートの言葉を聞いた全員の総意だった。

 少なくともこの場には男女関係なくクロノと言う名前に該当する者はいない。


「はい、羊飼いです」

「ひ、羊飼い?」

「はい!!」


 時がとまったように思考停止している周囲には微塵も気が付く様子はなく、エルフェンリートは心の底から幸せそうだった。


―――――――――――――――――――――――――


 結論から言えば、クロノは本当に羊飼いだった。

 エルフェンリートの出身地域で羊を飼い、生計を立てる若者がその正体である。

 特殊な能力や肩書などは勿論、姓さえ持たない普通の一般人…それが分かった時点で阿鼻叫喚の騒動に発展した。

 良くも悪くも勇者、英雄と言う肩書は様々な方向に絶大な影響をもたらす。

 それを全部捨て、地位も栄光も何もかも放り出して羊飼いに嫁ぐとかいわれたら、大抵の人間がちょっと待てと止めるだろう。

 特に自分の外見などになまじな自信があったり、こっそりエルフェンリートを狙っていた連中にとっては、ただの羊飼いに負けたのかと歯ぎしりした。

 流石に勇者と羊飼いでは誰から見ても釣り合いが取れないと人間の王だけでなく他種族の王までそろってエルフェンリートを止めようとしたが、彼女の意志は固く、王達も一度認めるとかいった手前、撤回も出来ない。

 上に立つ者がそうそう簡単に前言撤回などしていたら国が乱れるのだ。

 最終的には、そのクロノと言う男をとりあえず呼び出すことで一応の決着というか話が落ち着いた…などと言いつつ、本音は相手の男の説得だったりする。

 エルフェンリートがその気であり、考えを変えないのならあとは男の方をどうにかするしかない。

 結婚とはひとりでするものではないのだから…そして、エルフェンリートの爆弾発言から数日後…同じ広間に同じメンツが再び集まっていた。


「ク、クロノ殿…及びに応じて参上されました」


 事情を知るが故に、問題の人物の来訪を告げる衛兵の声も困惑気味だが、扉の向こうに、問題の台風の中心が着ている事は良く分かった。

 声だけで動揺しているのが丸分かりだが…もし視線に物理的な要素があれば、今頃扉が穴だらけになって、その先にいるはずのクロノという人物まで貫通していただろう。

 エルフェンリートの凱旋時と似ているが、視線の質が明らかに違っている。

 彼女の時は好意と歓喜だったのに対して、今彼らが視線に込めているのは敵意と好奇心だ。

 ちなみに、この状況のもうひとりの現況、赤絨毯の上、扉と真逆の位置にいるエルフェンリートは…何を勘違いしたのか白のウエディングドレスに完全な結婚式姿でスタンバっている。

 王達に神父役をやってもらえばこの場で結婚できそうな有様だ。

 実際そのつもりがあるのかもしれない…現に、幸せを享受しているひとりの女性の笑みが浮かんでいる。

 どれだけ気が早いのかと突っ込みどころ満載のはずなのだが、誰もその点には突っ込まない。

 それどころか誰ひとり彼女を見ないように視線をそらしている。

 今の彼女はとても美しいし、可憐ではあるが…その何時でもカモンな姿に何所か空恐ろしい物を感じてしまうのだ。

 この時点で誰もが何かおかしいと感じていたが、実はもっと前の、具体的には王が結婚を許してしまった時点で決定的に、しかし誰にも気づかれずに狂ってしまっていたのだと気づくまでもう少し…。


「え~っと、こんにちは」


 扉を開けて入って来た青年を見た瞬間、全員が別の意味であっけにとられた。

 入って来たのは緑の短髪に青い目、顔立ちに何所かデジャブーを感じる気がするが、それ以外はいたって普通。

 あまり上等とは言い難い民族衣装の様なローブを着たこれと言って美男ではなく、かといって醜男でもない平凡な青年だった。

 あまりにも普通すぎるし、着ている物も上等とは言い難い。

 少なくとも王達と合う格好ではないが、他に服を持っていないのかもしれない。

いきなり連れてこられた為に状況を理解しきれていないらしく、自分を見る様々な視線に困惑しているようだ。


「あ~えっと、お主がクロノか?」


 意を決し、例の如く人間の王が口火を切った。


「え?あ、はい」

「そうか…」


 王族相手の口調としては甚だ不敬だが、今はそれを指摘する気も起きなかった。

 こう言った場での礼節を習ってはいまい。

 つまり中身も見た目を裏切っていないと言う事だ。

 幼馴染と言う事はあるだろう、蓼食う虫も好き好きとも言う…言うがしかし、こんな平凡な男に息子達は負けたのかと思うと…やるせない気持ちが湧いてくる。

 しかしそれはそれでこれはこれだ。

 王としてやらなければならないことは何も終わってはいない。


「エル…これはお前の仕業か?」


 何とかアイデンティティを立て直そうとしていた所に、とても冷えた声が聞こえてきて俯いていた顔を上げる。

 声の主はクロノ…その視線が向かうのはエルフェンリート…二人が幼馴染と言う事を考えれば、エルというのが彼女の愛称なのだろう。


「うん、そうだよ~♪」


 指摘され、詰問されてもエルフェンリートは上機嫌だった。

 冷めた目で見るクロノと今にもはしゃぎだしそうなエルフェンリートの間には誰が見ても分かるほどの温度差があった。

 特にエルフェンリートには勇者としての威厳など欠片もなく、恋に恋する乙女そのままだ。

 二人の関係、何があったかを知らない者達は、黙って事の成り行きを見守るしかない。

 たとえ、このままでは何かとんでもない事が起こりそうな予感がしていてもだ。


「…どう言う理屈なんだ?」

「フフフ~ン、王様にね、私たちの結婚を認めてもらったの」

「わ、わしか!?」


 確かに許可した覚えはあるが、それはあくまで相手が羊飼いなどという予想をはるか斜め下に付き抜いた相手であると知らなかったからだ。

 正直、考えなおしてほしいという本心が、思わず突っ込みという形で溢れ出てしまったことに気づき、慌てて周囲にフォローを頼もうとしたが…全力で目を逸らされた。

 王とは色々と孤独なものだが、こう言う助け舟さえも止められないらしい。


「ねえ、そうですよね王様?」


 そして…勇者がどこまでも黒かった。

 ドレスは白いし、幼子の様な満面の笑みは愛らしい。

 愛らしく見えるがしかし、これは笑いじゃない…肉食獣が獲物にとびかかる時に見せるあれであると…ここで否と答えれば冗談でも何でもなく、命にかかわると生存本能的な何かが訴えかけてくる。


「う、うむ」


 故に人間の王は頷いた。

 頷いてしまった。

 相手が勇者とはいえ、威圧に押されてしまったというのは立場を考えれば糾弾されても仕方がないが、少なくともこの場にいる者で王を責める者はいないだろう。

 彼、彼女達も同じ物をエルフェンリートの笑みに絶対強者と捕食者の差を感じたのだ。

 寧ろピンポイントでそれをたたきつけられた王に同情さえしている。


「ほ~らね、王命だよクロノ?」


 対して、お墨付きを貰ったエルフェンリートは上機嫌にクロノに向き直る。

 無言の圧力が消えたことで誰もがほっとするが、同時に二人から目が離せなくなった。

 目を放した途端、何かとんでもない事が起こりそうな気がしてしょうがないのだ。


「流石のクロノも王様の命令には逆らえないでしょう?しかも他の種族の王様も保証してくれるんだよ」

「「「「げ!!」」」」


 思わぬ飛び火に、他種族の王達が呻く。

 人間の王だけがざまーみろな顔をしているのはご愛嬌だ。

 誰だって彼の立場なら同じ事を思うだろう。

 そんな王達を見るクロノの目が同情的だった。


「だからね、結婚。結婚しよう!!」

「だが断る!!」


 倍プッシュで結婚を言いだしたエルフェンリートを、クロノの言葉の刃がバッサリ切る。

 この状況で断れるのもすごいが、王達のお墨付きに否と言えるクロノに王達も含めて全員が目を丸くした。

 一番動揺したのがエルフェンリートなのは言うまでもない。


「そ、そんな~クロノと結婚する為に、私頑張ったんだよ!! 王様に認めてもらえばクロノも観念して結婚してくれると思ったのにーーー!!」


 エルフェンリートのぶっちゃけに、一同唖然として言葉を失った。


「…外堀を埋めるために世界を救ったのか?」

「それだけじゃないもん」

「…だけじゃないって…」

「私はクロノが好き、世界で一番大好き、誰よりも、比べ物にならないくらい好き、貴方の為なら何でもしてあげる。魔族が調子に乗って来たら、クロノが羊を飼ってのんびりできなくなるから邪魔な魔王を殺したの。平和好きなクロノの為に、世界を救うなんて事は二の次三の次のオマケだよ」

「お前、いくら本心でも言っていいことと悪い事があるだろ?」


 そこは嘘でも世界の為とか言うべきだ。

 つまり、彼女にとって魔族を倒すのも魔王を破ったのも全ては婚活の延長と言う事になる。

 婚活のオマケで救われたと知った人たち一同の開いた口が塞がらない。

 しかも、彼女は聞き捨てならない事も口にした。

 クロノが平和主義者だから魔族を黙らせ、魔王を討ったと…それは逆に考えれば、魔族を打ったのはたまたま騒動を起こして平和を乱していたからであり、同じ事をするなら他の種族…たとえ人間であっても関係ないという事を意味するのではないだろうか?

 エルフェンリートの力はこの場にいる誰もが知っている。

 それが自分達に向けられるかもしれないとようやく悟った全員の血の気が引いた。

 いつの間に自分達の命運は、正体不明の羊飼いの手に握られていたのだ?


「まあいい。言いたいことはそれだけか?」

「うん、結婚してくれるよね?」

「そうか、だが断る!!」


 クロノの答えは変わらなかった。

 エルフェンリートの目に涙が滲む。


「なんで、そんなに羊が良いの!?私よりメリーさん(2歳)が良いの!?」

「彼女のモフモフは捨てがたい…天上の柔らかさだ。…最近毛を刈ってしばらくお預けになったけどな…断腸の思いだった」


 こっち(クロノ)はまだまともかと思ったが…そうでもなかった。

 本気で残念そうに悔やんでる姿は明らかに何かずれている。


「しかし、嫉妬で彼女をラム肉料理にしようとしたのは許せん!!」

「羊さんは若い方が肉が柔らかくて美味しいんだよ!!」

「その思考をやめろっつーとるんじゃ!!メリーさんは俺が守ってみせる!!」


 エルフェンリートの本性は明らかに病んでいる。

 現に、俯いた彼女は前髪で目の部分が隠れてとてもおっかない事になっているたのだが…そこから更に何か決定的な物が切れる幻聴が確かに聞こえた。


「そう…これだけ云ってもダメなんだ…何でかな~」

「「「「げ!!」」」」


それを見たほぼ全員が呻いた。

エルフェンリートの右手から火種もないのに炎が生れ、剣を形作る。

一度振るえば炎が起こり、二度振るえば山すら火山にかえる。

三度降ればあらゆるものを灰にするといわれる炎の聖剣、レヴァンティン…魔族の軍勢を吹き飛ばし、魔王の命をバターのように奪ったその威力を知らない者はいない。

それをこんな場所で振るえばどうなるか…この場には王も含め、世界を支える重鎮達が揃っているというのに。


「クロノのバカーーーー!!」


 軍さえ一瞬で焼き尽くす炎の剣がその力を解放する。

 巨大な刃となった炎が…事の元凶?…であるクロノに迫った。

 盛大な痴話喧嘩だなとか、そんなずれた考えが浮かぶのは何所かで諦めてしまったからだろうか?

 誰もがクロノを焼いた炎が、その余波で自分達を焼くのだろうと、そんな現実逃避は現実の前に打ち砕かれる事になると、この時点で知る者はまだいない。


「フン」


 普通に考えれば恐怖で足が動かなくなるか、よくて回避行動を取ろうとするだろうシチュエーションで、クロノはその全ての予想を裏切る。

 自分より大きな炎を前に、退くどころか前に出た。

 迫ってくる炎に、クロノは固く握った拳を突きだせば…強烈な金属音が響いた。


「「「「「は?」」」」」


 何度目の異口同音だろうか?

 しんじられない物を見た時の驚きのリアクションは種族が違ってもあまり変わる事はないのかもしれない。

 炎が…全てを灰燼に帰すはずだった炎の刃が…拳一つに負けた?


「相変わらず、クロノはすごいね~♪魔王なんてこの技を出すまでもなく死んじゃったのに~♪」


 嬉しそうな声に見れば、クロノに飛びかかったはずのエルフェンリートが元の位置に戻っている。

 地面に刻まれた二本の轍状の跡が関係しているのは間違いない。

 つまり…本気で信じられない事に、あの自称羊飼いは拳で炎をぶち抜いただけでなく、その先にいたエルフェンリートも吹き飛ばしたという事だ。

 地面に刻まれた轍はエルフェンリートの足が踏ん張ろうとして地面を削った後と言う事になる。

 武器を持った勇者と素手の羊飼い…明らかに羊飼いの方が強い。


「ちょま、お前は何者だ!?」


 誰が言ったかしれないが、明らかに世界を救った勇者より強い人間を誰何するのはきっと正しい行いだ。

 この男が出張っていれば、もっと早く魔王を倒せた可能性もある。

 当の本人は自分に向けられた質問だと気付くと、少し考えてから…。


「…ただの羊飼いですが何か?」

「「「「「何かじゃねえだろ!!」」」」」


 不満や理解不能の感情が爆発した。

 他種族そう突っ込みだが、当の羊飼いは自分の存在を全否定されて少し不満そうにしている。


「…まあいいか」


 この期に及んで全てをわきに除け、戦闘状態の勇者に向き直る事が出来る。

 それだけで只者ではない。

 一体この自称羊飼いは何者かと誰もが思った。


「フフ…ねえクロノ?」


 更なる疑問が口から出る前に、笑い声と共にエルフェンリートがクロノを呼ぶ。

 この期に及んで尚、彼女は美しかった。

 似あい過ぎるドレスも化粧も…剣を構える姿でさえ絵になっていた。

 ただし、その美しさが少々趣を変えている。


 勇者は笑う。

 黒薔薇のように…毒花のように…怪しく…妖しく…危険と知りながらも吸い寄せられる魔性の笑みを浮かべている。

 女と言う生き物の、根源であり本性がそこには在った。


「こんな出来たお嫁さんって他にはいないと思うよ。どう、この良妻ぶり、賢母だって目じゃ無くない?」

「…エル」


 当の本人…この世界の未来を握っているといっても過言ではない羊飼いは、再度のプロポーズ…っと言うよりも何やら脅迫じみたそれに対して溜息をついた。


「たとえ世界の全ての女の人が俺を振っても、お前と結婚する事だけはありえない」

「「「「ちょっとまてやこら!!」」」」


 再びの総突っ込みには老若男女関係なく、王達まで参加していた。

 このまま暴走した優者など洒落にならないという事ももちろんあるが、正確に問題があってもエルフェンリートが言うように彼女が優良物件なのは間違いない。

 それを全くの未練なく捨て去る男に対する嫉妬もないでは無かった。

 羊飼いを結婚相手に選ぶ勇者も、それをあっさり断る羊飼いも、どちらも理解不能な異世界人にしか思えない。

 実際、戦闘力は人間のそれを軽く突破している。


「ゆ、勇者殿も羊飼い殿もまずは落ち着かれよ!!」


 カオスに入った場に、制止の言葉が予想外に響く。

 声の主は人間の王だ。

 この期に及んで状況の収拾に乗り出して来た彼に、称賛の視線が集まる。

 エルフェンリートはともかく、クロノにまで殿をつけてしまったようだが…しかもうろたえて羊飼いとか言ってる…誰もそれを笑わないし指摘しない。

 気持ちは十分に分かるし、今となっては彼が最後の希望で良心だ。

 そのかいあってか、二人共とりあえず耳を傾けている。


「え~羊飼い…ではない、クロノ殿?」

「はい」


 クロノが王に向かって頭を下げる。

 返事が返って来た事で、とりあえず話をする気があると分かって、王は軽く安堵した。

 ちゃんと敬語を使ってくれるところがポイント高いがしかし、まだ油断できない。

 むしろここからが始まりである。


「そ、そのだな…エルフェンリート殿がお主との結婚を望み、我々の総意でそれを認めたのは事実だ」


 この期に及んで、勇者を自分達の陣営に取り込もうという気は完全に失せている。

 他種族の王達も同様だろう。

 勇者の血筋と言う利点より、彼女自身の病み具合…むしろ闇具合が酷い。

 いくら美しくて強かろうと、総合的に見てマイナス方向にハリが降りきれている。

 何より彼女自身、クロノ以外との結婚は望まないどころか実力行使も含めて拒否しそうな勢いだ。

 ならば一番安定した落とし所は件のクロノに引き取ってもらいつつお帰りいただく事だろう。

 クロノ本人には結婚を拒否されてしまったが、そこは交渉次第…少なくとも話が通じるなら可能性はあるはずだ。

 ちなみに、視界の隅でエルフェンリートが期待のこもった眼で見て来ているのは根性で無視する…なんでこんな恋人同士の仲人みたいな事を王自身がやらなきゃならんのか…王だからって何でも出来るわけじゃないと思う…思うがしかし、現実はとてもとても非情だ。

 ここで選択を間違うと国とかいろいろな物が愉快過ぎる理由で大損害を受ける…自分も含めて…それが分かっているため、色々必死な視線が自分に集まっているのを感じた。

 いつの間にか絶賛暴走中のエルフェンリートより、人間の王が勇者みたいに見られていたりするが構ってられない。


「…王様」

「な、何じゃ?」

「俺達の結婚は無理です」


 溜息と共に話し始めたクロノの態度は、不敬罪で処刑されても仕方がない物だ。

 それをするにはあまりにも正体不明過ぎるし、仮に処刑出来てしまったら間違いなくエルフェンリートが暴走するから流すしかない。

 そんな考えも何もかも、次にクロノが放った言葉で地平のかなたに吹っ飛ぶ事になる。


「な、何故だ?」

「いくらなんでも“妹”と結婚は出来ないでしょう?」

「……………………………は?」

 

思考が停止した。

例外は溜息をつくクロノと頬を染めて恥ずかしがるエルフェンリートだけだ。


「「「「なんじゃそら!!!!」」」」


 爆音のような突っ込みと共に、同時に様々な疑問が氷解する。

 クロノとエルフェンリートが常識はずれな力を持っている事も…今更ながらに二人の目と髪の色が似ている事も…何所かデジャブーを感じる顔立ちも…何で妹が兄に求婚しているかは未だに理解不能だが、それ以外は全て血の繋がりと言う事で理解できた。


「“お兄ちゃん”は何時もそう言って私の思いに応えてくれない…」

「当り前だろうが…むしろ何処の世界に妹の夜這いを警戒しきゃならん兄がいる?ああ…まさにここに俺がいるな…」


 戦慄が走った。

 この女エルフェンリートすでに行動済みだったようだ。

 ならばクロノが彼女より強い理由も頷ける。

 もしも力関係が逆だったなら、ここまで話はこじれて大きくならなかっただろう。

 代償と言うか、クロノが色々失っていたかもしれないけれど…どうやら最後の一線は死守したようだ。


「…愛さえあれば許される。そうは思わない?」

「神が許しても倫理が許さんだろうが…」

「お兄ちゃんは誰の味方?」

「俺は常識の味方だ」


 話が決定的に噛み合っていない。

 エルフェンリートが笑顔のままに、下していたレヴァンティンを構えなおす。

 刀身からほとばしる炎が赤から青へと変化した。

 応じてクロノも拳を構える。

 闘争の気配再びな状況に、空気が熱をはらんで体感温度が上がる。


「い、いやちょっと待たれよ二人共!!」

「…すいませんが、それは妹に言ってやってください」


 クロノの言葉は正論、彼が拳を構えるのはあくまで自衛のためであり、何時でも止まる事が出来る…説得すべきはエルフェンリートの方ではある。

 しかし彼女は王の言葉でさえ通じそうにない。

 ハイライトの消えた目が見るのはお兄ちゃんクロノだけ…他の何も見えてはいまい。

 おそらく耳もクロノの声以外を拾いはしないだろう。


「フフ…クロノ…お兄ちゃん?」

「なんだよ…」

「民も王様も魔物の脅威から解放されてはっぴー、私は結婚の大義名分を得てはっぴー、ここは一つ、お兄ちゃんが大人になって折れてくれれば皆ではっぴーになれる唯一の冴えたやり方が完成すると思わない?」

「そこに俺のはっぴーはあるのか?」

「勿論」


 エルフェンリートが自信を持って断言する。

 唇を湿らせる舌の動きがなまめかしい。

 蛇の魔性を垣間見た。


「兄さんは私が幸せにするから問題無し!!」

「問題ありまくりだから断る!!」


 三度目のお断りだった。

 もはや問答は無用、レヴァンティンが振りかぶられ、迎撃の拳が放たれ、今まさに、史上最大の兄妹喧嘩が始まる


「お兄ちゃん、愛してる!!受け止めて、この思い!!」

「いい加減その妄想を俺の拳で文字通り打ち砕いてやらあ!!かかってこい愚妹!!」

「「「「挑発すんなバカ!!」」」」

 

 その瞬間…全員が間違いなくこの二人は兄妹だと確信しながら光に包まれた。


 結論から言えば…この日から長い間、世界の争いは消えた。

 町中の喧嘩や小競り合いはともかく、国単位が関わるような紛争や戦争はなくなったのだ。

 その理由が何処にあるのかは歴史の記録に残っていない。

 事情を知っていそうな王族や官僚たちがみな口をつぐみ、中にはここでは無い何所かを見て震え出す者もいたためである。

 一部の人間は、勇者エルフェンリートが平和を報酬として望んだからだと言われているが、それを立証する証拠などは残っていない。

 魔族を撃退し、魔王を討った後、人知れず姿を消した勇者の行方は…誰も知らない。


「兄さん!!今日こそ私を見て!!」

「やかましい!!手前は解体用の肉切り包丁持ってメリーさんに近づくんじゃねえ!!」

「メェ~~」


…………………誰も知らないのである。





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