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僕たちは楽しくて幸せな思い出をたくさん作った。
たくさん笑って、感動して、何度かけんかもした。
途中で僕の担当が変わって、仕事中のきみを見ることはできなくなったけど。
数ある思い出の中で僕が一番びっくりしたのは海で ―― 付き合い始めた翌年に、二人で海水浴に出かけたときのこと。
あれはきっと、一生忘れられないと思う。
海水浴と聞いて、きみは水着姿は自信がないと言って尻込みした。
でも、いつものとおり僕の説得にしぶしぶ頷いて、何日か後に、新しい水着を買ったとメールで知らせてきたのだった。
『ものすごく普通のだから、期待しないで。 百合』
きみの性格を考えれば、過激な水着なんて選ぶはずがない。
水着姿の女性なんて、テレビのコマーシャルにいくらでも出てくる。
水着だって洋服と変わりないよ、そんなに気にすることないのに・・・と、僕は思っていた。
海に着いて、更衣室から出て来たきみは、水着の上に大きなTシャツを着ていた。
濃い青のTシャツはまったく透けないし、体型もすっぽり隠していた。 ただ脚は・・・ちらちらと目が行ってしまったけど。
パラソルの影にきみは丸くなって座って、しゃべったり浮き輪をふくらましたりしながら、ちょっと緊張しているようだった。
そんな様子も可愛くて、僕はきっと表情が緩みっぱなしだったと思う。
ひと段落したところで泳ごうと誘うと、きみは覚悟を決めた顔をして頷いた。 それがまた可笑しくて、僕は笑った。
けど。
そのあとは、もう全然、笑ってる余裕なんてなくなった。
水着姿になるのが恥ずかしかったきみは、その決心が揺るがないうちにと、一気にTシャツを脱ごうとした。
お腹の前で両手を交差させてTシャツの裾をつかんで、そのまま一気に頭から! しかも、どういうわけか、立ったまま!
その脱ぎっぷりに僕は頭を殴られたくらい衝撃を受けて、 “あ!” と思ったところで思考が止まってしまった。
そのうえ、Tシャツの下に現れたのはビキニ姿。
いや、それ自体はべつに珍しくないけど、きみの水着はただ・・・真っ白!
鮮やかな色があふれるビーチでは、真っ白は目立ち過ぎる。 それにきみは、 “自信がないって、どこが?!” という体型だった。
僕の心臓は早鐘のように打ち始め、周囲の男たち ―― 下は中学生から上は子連れのお父さんまで ―― の視線が一気にきみに注がれる。
“見るなー!” と叫んできみを覆い隠したい衝動を抑えて、きみの手をつかんで、大急ぎで海に向かって走る。 海に入れば、きみを周囲の視線から隠すことができるから。
(あのときから、ビーチで手をつないで走っているカップルはこういう状態なんだと理解している。)
ところが、途中できみは浮き輪を忘れたと、僕の手を振りほどいて戻ってしまったりして、慌てている僕をますます焦らせる始末。
いったん水着姿を見せてしまえば、きみはもう気にならなかったみたいだけど、僕は逆。
海に入っているときは、きみの腕以外には触れないように、ものすごく気をつかった。 そのほかのどこに触っても、・・・要するに、自分が信用できなかったから。
きみがTシャツを着ているときは、またさっきみたいに脱ぐんだろうかと、期待と不安で一杯になってしまうし。
もうずっとドキドキしっぱなしで、帰る時間になったときにはほっとした。 もう一度、きみと海に行きたくなるかどうか、この時点では何とも言えなかった。
家に帰ってから、もう一つ、きみに驚かされた。 驚いたあと、爆笑してしまったけど。
シャワーを浴びるために服を脱いだら、肩の後ろのはがれかけた絆創膏に気付いた。 きみが日焼け止めを塗りながら、「傷がある」と言って貼ってくれたもの。
鏡を見ながら腕をまわして剥がしたら、白くあとが残っている。
まあ、いいか。 ここなら見えないし・・・。
と、思って鏡でよく見たら、形が・・・ハート型だった。
傷なんかなくて、ただきみが、絆創膏をハート型に組み合わせて貼っただけ。 なんていういたずら!
「浮気防止のため。」
と、電話口できみは笑い、僕は一応文句を言ったけど、心の中では、きみが僕を独占したい気持ちを表してくれたと思って、とても幸せだった。
恋人同士のイベントは一通り。 誕生日、クリスマス、バレンタイン、記念日、花火大会、その他。
日常のあれこれも充実していて、僕も自転車を買って、一緒に出かけたり、お互いの住まいを行ったり来たりした。
愛情と信頼は深まるばかりで、将来の約束もした。
それが。
2か月前に来た往復はがきがきっかけで、僕の中の自信が揺らぐことになった・・・。
『同窓会のお知らせ』。
「わたし、・・・出ないから。」
その話題を出したとき、きみはきっぱりと言った。
きみと一緒に出席したかった僕は驚いた。
理由を尋ねると、きみは笑って、
「知り合いも少なそうだし・・・。」
と、言葉をにごすだけ。
「斉藤くんは行っておいでよ。 わたしがいない方が、気兼ねなくみんなと話せるんじゃない?」
そのときは、それ以上は尋ねることができなかった。
けれど、そのときの表情がいつもと違っていて、僕はなんとなく淋しかった。
何日かあと、もう一度、一緒に行こうと説得しようとした僕が、ちょっとふざけて言った言葉。
「もしかして、元カレに会いたくないとか?」
それを聞いたときのきみの顔!
きみを傷つけたことに気付いたけど、もう遅い。
謝ろうとした僕より先に、きみが自嘲気味に言う。
「そんな人、いないよ。 わたしが一番たくさん話した男の子は斉藤くんだもの。」
その言葉ときみの表情が、胸に突き刺さる。
何て言ったらいいのかわからなくて口を開いては閉じて、を繰り返していた僕に、きみはにっこり微笑んだ。
「やだな。 高校のときに彼氏がいない人だって、たくさんいるよね? 斉藤くんが気にすることないでしょう?」
「うん・・・。 ごめん。」
「それとも、がっかりした? モテない女の子だったから。」
きみが僕を慰めようとして、わざとふざけていることを感じて、自分が情けなくなった。
その二つのやりとりを何度も頭の中で思い出して、僕はすっかり悲しくなってしまった。
そんなとき、高校時代のきみとの思い出の中で、いつも何となく心に引っかかっていたできごとが浮かび上がってきた。
卒業式の日のことともう一つ、偶然、廊下ですれ違ったときのこと。
3年になってクラスが別れてからほとんど話す機会がなかったきみが、ある日、廊下の窓から校庭をながめていた。
一日のうちのいつのことなのか、どうしてその廊下にきみと僕だけしかいなかったのかは全くわからない。
僕はどこかに行くところで、きみのいる方に歩いて行き、きみは僕が近付く足音に気付いて僕を見た。
「お久しぶりです。」
声が聞こえる距離まで近づくと、きみは柔らかい微笑みを浮かべて、先に声をかけてくれた。
僕が何て答えたのかは覚えていない。
「足が速いんですね。」
「え?」
唐突な感想に、何のことを言われているのかわからなくて戸惑う。
「きのう、校庭を走っているのを見ました。」
ああ。
体育祭の練習で。
「見てたんですか?」
「ええ。 偶然ですけど。」
それから。
「本番、頑張ってくださいね。」
最後ににっこりと微笑むきみ。
そこで僕の記憶は途切れている。 たぶん、会話がそれで終わりだったんだろう。
全然なんでもない、ただ通り過ぎるときに交わしただけの言葉。
きみの言葉は社交辞令だったのかもしれない。 なのに、こんなにはっきりと、思い出すたびに鮮やかによみがえる記憶。
それは、きみの横顔と僕を見たときの瞳のせいじゃないかと思っている。
どちらも、なんとなく・・・淋しそうだった。
その淋しそうな雰囲気が卒業式の日に出会ったきみとつながっていて、さらに、今のきみにもつながっているような気がした。
もしかしたら、きみは高校生のときの何か辛い思い出を、今も引きずっている・・・?
そんなきみの気持ちを思いやることをしないで、ただ、みんなにきみとのことを自慢したくて同窓会に誘う僕は、とても自分勝手な男だ。
それに、きみの淋しそうな顔を見ていながら、何もしなかった当時の僕も。 ・・・僕は全然進歩していない。
僕はきみに相応しい男じゃないのかもしれない。
僕が想いを伝えた日、きみが何度も言った言葉・・・「似合わない」。
どうしてあんなに頑なにこだわるんだろう、と、あれからもときどき気になっていた。
でも、それを言わなくちゃいけないのは、僕なんじゃないだろうか?
“僕はきみに相応しいのか” ?
“僕はきみをちゃんと幸せにできるのか” ?
そんなことを鬱々と考えていた夜、きみから電話がきた。
『少し話してもいい?』
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あれから2か月。
同窓会は明日。
ここしばらく、きみとは直接話をしていない。
きみは約束を守ってくれるだろうか?