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朝9時。

携帯の着信音で目が覚めた。


発信者にきみの名前を見て、ゆうべの楽しい気分がよみがえる。

朝一番にきみの声が聞けるなんて、なんて幸せなんだろう!


「はい。 斉藤です。」


『あ、あ、あ、あのっ、斉藤さん。 きのうは本当に失礼いたしました!』


あれれ?

ずいぶん恐縮しちゃってる?

きっと、電話をかけながら頭を下げているに違いない。


「大丈夫だよ。 何も変なことは・・。」


『そんなことありません! 飲みすぎて、勝手なこと言ってしまって。 それに、送っていただいたり、お金を払い忘れたり・・・。 本当に申し訳ありません!』


「いいよ。 あのくらいのことは。」


むしろ、僕は楽しんでたし。


「居酒屋に誘ったのは僕なんだから、鳴川橋さんが気にすることないよ。」


『はい・・・。』


しょげているきみが見えるようだ。


「あの、お金を届けてくれるって言ってたけど・・・?」


『ああ、はい。 何時頃がいいですか?』


「僕が駅まで行けばいいのかな?」


『あ、いえ、違います。 わざわざ出てきていただくのは申し訳ないので、お宅までお持ちします。』


「え? どうやって? 場所は知ってるの?」


『え、と、自転車で行くつもりです。 そちらの駅なら、何度も行ったことがありますから、目印を教えてください。 今、パソコンで地図を見ているんですけど。』


自転車! なるほどね。


このぼろいアパートのことがちょっと気になったけど、きみが来てくれることの方が優先だ。

場所と金額を伝え、時間は何時でも構わないと言うと、きみは11時半ごろに寄ると言って、電話が切れた。




再び電話がかかってきたのは11時35分。 片付けと掃除が済んだ部屋で、なんとなくそわそわしていたとき。


『すみません。 迷いました・・・。』


おろおろした声が聞こえる。

どこにいるのか尋ねると、うちからほんの20メートルくらい先の曲がり角らしい。 そのまま待つように言い、急いで外へ出る。


アパートから道路に出ただけで、きみが僕に気付いてお辞儀。 自転車を引きながら、こっちへやって来る。

長いスカートをはいたきみを見て、僕は少し驚いた。 自転車に乗るときには邪魔なんじゃないかと思って。


「長いスカートの方が、風でめくれたりしないから乗りやすいんです。」


ふうん。 男にはわからないなあ・・・。


でも、今日の服装はよく似合ってる。

カーキ色のロングスカートに白いパーカー。 肩から斜めにかけたグレイのバッグ。 本当の私服姿のきみ。

自転車のスタンドを立てて、大きなカゴから出した紙袋を僕に差し出す。


「きのうはお世話になりました。 これ、お詫びとお礼です。 あと、わたしの分のお金。 うっかりして、すみませんでした。」


受け取った紙袋は少し温かい・・・けど冷たい?


やっぱり、こうやって渡されておしまい?

それじゃあ、僕の気持ちがおさまらないよ!


「ええと、これ、何かな? お詫びとかはべつにいらないけど・・・。」


何とか話の糸口を見つけようとしてみる。


「あ、お惣菜です。 うちの近くに美味しいお店があるので、お昼にでも召し上がっていただければと思って。」


お昼か!

それでこの時間に。


「鳴川橋さん、このあとの予定は?」


「え? あ、駅前のスーパーで買い物をして帰ろうかと・・・。」


特になし。 よし!


「じゃあ、ちょっとうちに寄って行って。 わざわざ届けてくれたんだから、コーヒーでも出すよ。」


「えっ? あの、でも、それは・・・。」


予想外の僕からの誘いを慌てて断ろうとするきみ。

でも、きみがそうやって断ろうとすることは、もちろん想定済み。


「それに、せっかくのお惣菜を一人で食べるんじゃ、なんだか淋しいし。」


「あ・・・、でも・・・。」


まだ足りない?


「ああ、でも、こんな汚いアパートじゃ嫌かな?」


「え? いえ、そんなことは・・・。」


「じゃあ、どうぞ。」


逆向きの質問で軽く罠にはめたことを心の中で詫びながら、僕が手でアパートを示すと、きみがそれにつられて顔を向けて・・・目を丸くした。

驚くのも無理がない。 古い、鉄製の外階段がついた昭和の香りが漂う2階建ての小さなアパート。


「あれ? この建物なら何回も見ました。 でも、『トールブリッジ・ハイツ』って言われたので、高い建物かと思って・・・。」


「ああ、やっぱり? みんな驚くんだよね、建物の名前もよく見えないし。 ここの大家さんの名前が高橋っていうから、それを英語にしてあるんだよ。」


しかも、どう見ても “ハイツ” なんて洒落た造りではない。


「高橋さんだからトールブリッジ・・・?」


きみはきょとんとした顔で、そう僕に問いかけたあと、プッと吹き出した。


「ストレートなネーミングですね! でも、当時はきっと、かっこ良く感じたんでしょうね。 ふふふふ。」


「そうだね。 さあ、どうぞ。」


僕の半ば強引な誘いを断り切れず、きみは自転車に鍵をかけると、僕についてきてくれた。

部屋は2階の一番奥。 階段を上るカンカンという足音が、今日は二人分。


このアパートに似合いの木製のドアを開けて、きみを中に招くと、部屋の上がり口のところで立ち止まった。


「畳のいい匂いがします。」


そう言って、嬉しそうににっこりする。


「ああ。 先月、大家さんが入れ替えてくれたばっかりだから。」


建物は古いけれど、昔ながらの大家さんで、手入れにはけっこう気を遣ってくれている。

部屋は玄関を入ったところに台所と食堂兼用の板の間6畳と、その奥に6畳の和室。 一応、バス・トイレ付き。


ここまで来てもためらいながら靴を脱いだきみに食堂の椅子を勧め、コーヒーの仕度をする。

きみは落ち着かない様子で部屋を見回したあと、僕がテーブルに置いた紙袋をのぞいて立ち上がった。


「あの、お皿は・・・?」


あ。

もしかして、昼食の支度をしてくれるってこと?


また幸せな気分が湧きあがってくる。

今日はなんていい日なんだろう!


支度と言っても、男の一人暮らしに食材のストックはない。 炊飯器もからっぽ。

きみは冷蔵庫をのぞきながら、白いご飯も買ってくればよかったとつぶやく。

結局、賞味期限ぎりぎりのインスタントみそ汁と買ってきてもらったコロッケと唐揚げとサラダ、それに食パンという妙な組み合わせがテーブルに並んだ。


どんなに妙な組み合わせでも、きみと向かい合って一緒に食べられるだけで僕は幸せ。

ふと、自分の幸せがこんなにいきなり形を成したことに気付いて、あらためて驚く。


だって・・・、ついこの前まで、きみのことはちょっと気になるだけだった。

あの頃は、僕の幸せがきみと一緒にいることだなんて考えてもみなかった。 そりゃあ、話せたら楽しいかな、くらいは思っていたけど。


気になっていたのは営業先の女の子。

そして、 “鳴川橋さん” は記憶の中に溶けていた。


それが、二人が同一人物だとわかった途端、僕の気持ちが前へ前へと進むのを止められなくなった。

今ではきみと過ごすためにちょっとずるい手を使ってみたりする始末。 あれからまだ2週間も経っていないのに。

自分の中でこれほど急な変化が起こったことに戸惑いを覚える。


でも、それほどきみのことが好き。


以前なら、このアパートに女の子を連れてこようなんて、絶対に思わなかったはずだ。 僕は外では外見に気を遣っていて、このアパートは僕が作り上げたイメージを壊してしまうのに間違いなかったから。

だけど、きみには見られてもいいと思った。

それほど会いたかったってこともあるし、たぶん、きみならこのアパートのことを僕の一部分としてそのまま受け入れてくれるんじゃないかと感じたから。

今のきみの様子を見ていると、僕の予想は間違っていなかったって思う。



だけど。


きみは今、どんな気持ちでそこに座ってる?


断りきれなくて?

懐かしい同級生だから?


僕に心を向けてくれてるって、期待してもいい?



一緒につまんでと勧めたけど、きみは遠慮してコーヒーだけにしか口をつけなかった。

ぽつぽつとのんびり交わす会話は、僕に高校時代を思い出させる。

懐かしい、楽しかった高校時代。



一時間ほど過ごしたあと、きみはまた丁寧にきのうのお詫びを言って、自転車に乗って去って行った。

その姿が全然名残惜しそうじゃなくて・・・僕はがっかりした。





翌週は、会いたい気持ちを仕事でどうにか紛らわせながら水曜日まで過ごし、木曜日の午後にきみの職場へ。

カウンターであいさつすると、きみから最初に告げられたのは中島さん復帰の知らせだった。


「来週の後半から戻る予定です。」


いかにも “よかったですね。” という口調で言われては、僕も残念な顔をしているわけにはいかない。


でも、まあ、いいか。

今ではきみと個人的に連絡を取ることもできるし、この先、恋人になったら、こんなふうにやりとりするのはちょっと気恥ずかしい。 ・・・っていうのは、僕の一方的な想いかもしれないけど。


きみは先週の金曜のことも、土曜のことも、まったくなかったみたいにいつもと変わらぬ態度。

もしかしたら、無かったことにしたいんじゃ・・・?


離れがたくてぐずぐずと営業トークを続けていると、きみの後ろから茶髪の男子社員が声をかけてきた。


「百合さん! 遅くなっちゃったけど、スキー旅行の写真をプリントしたので、机に置いておきますね!」


スキー旅行?!

彼と?!


僕の驚きに気付かずに、きみは振り向いて彼にお礼を言っている。


「ええと・・・、鳴川橋さん、スキーやるんだ?」


「え? いえ、やるっていうほどでは・・・。」


「百合ちゃん。 今度の土曜日、テニスの練習あるって聞いた? 今年もよろしく頼むよ。」


僕のうしろを通り過ぎながら声をかけていったのは、先週の無精ひげの社員。


「あ、はい。」


「・・・テニスもやるの?」


彼と?


「まあ、やるっていうか、何て言うか・・・。」


言葉を濁して首をひねっているきみを見ながら、僕の心は不安でいっぱいになる。


「百合。 明日もダブルスの練習するからな。」


「あ、うん、わかった。」


今度は偉そうなメガネ男? ちょっと映画の『スーパーマン』の人間のときのあの人に似てる。

しかも、お互いに親しげな口調・・・。


なんなんだ〜!!


「ごめんなさい。 なんだか忙しなくて。」


「あの・・・。 今日はこれで帰ります。 お忙しいところ、お邪魔しました。」


混乱して、居たたまれない気分になって、すごすごと帰るしかない僕・・・情けない。




車を運転しながらも、さっきの男たちのことが頭から離れない。

きみが職場の人たちから好かれていることは知っていたけど、あんなふうに個人的な用事で次々とやって来るなんて。


・・・そうだよね。

中島さんが休む前は、きみとは話すこともできないほど男子社員のガードが固かったんだから。



ん?


・・・ってことは、つまり?


そうか。

なんだ!



急に目の前が明るくなる。



そうなんだ。


みんながきみの周りを取り巻いているってことは、きみがまだ誰のものでもないってこと!

要するに、僕がそこに参戦すればいいってことなんだ!



あの男たち、きっと、わざとあの時間を狙ったに違いない。


残念だったね!

僕はもう、彼女の連絡先をゲットしている。

元同級生という縁もある。

あそこで邪魔されても、僕には彼女と会う手段がある。 ・・・断られちゃったらそれまでだけど。



よーし、燃えてきた!

あんな当てつけくらいでナーバスになってなんかいられない!








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