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さあ、いよいよ今日だ。

僕にとっては、きみとのこれからが決まる重要なイベント。

今日、楽しく過ごせれば次の機会がある。 でも、失敗すれば、仕事で顔を合わせなくちゃいけないお互いにとって、ずっと気まずいことになりかねない。



改札口に現れたきみは、ベージュのワンピースとジャケットだった。

シンプルなワンピースには細い茶色のベルト。 胸元に小さなペンダント。 うちの会社でも見かけるような普通の服装だったけど、3年経った今でもはっきりと覚えている。

たぶん、着ているのがきみだったから。


お店まで歩く間、きみはしゃべりっぱなし。

楽しみにしていてくれたんだと思って僕は浮かれていたけど、ずいぶん後になってから、本当はものすごく緊張していて、無言になるのが恐かったのだと教えてくれた。



居酒屋は適度に混んでいて、楽しく話をするのにはちょうどいい感じ。

高校時代の話題で、きみは次第にリラックスしてきたらしい。 だんだん口数が多くなり、メニューを見ながらわくわくしたり、出てきたお酒や料理を見て喜んだりしている。 そんなきみが、僕には新鮮に映る。


話せば話すほど、僕はきみに魅了されていくばかり。

大きな口を開けて美味しそうに料理を食べる様子、元気な笑い、どんな話題にも怯まずに笑いながら返してくるコメント。 ・・・新しいきみ。

でも、その根底には高校時代と変わらない誠実さと気遣いが流れているのを感じる。


「高校のころとはずいぶん変わったみたいだ。」


話が弾んだことをGOサインと受け取って、僕は敬語をやめてみる。


「そうですか?」


きみは変わらず敬語のままで、僕は心の中でがっかり。


「うん。 何て言うか、元気になったみたい。」


本当はそれだけじゃないけど。


「たぶん、あんまり構えなくなったからかも知れませんね。」


「構えなくなった?」


「ええ。 “自分はこうあるべき” って思う内容が変わったんだと思います。」


そう言ってにっこりするきみは、素敵な大人の女性。


「変わったって、どんなふうに?」


「昔は、周りの人にどう見えるかっていうことが自分の中で大切だったんですけど、今はそういうことは捨てた、みたいな。」


「捨てた?」


まるで “女を捨てた” みたいな言い方に思わず笑ってしまう。


「はい。 就職したときにわたしに仕事を教えてくれた先輩が、ものすごく個性的な人だったんです。」


当時のことを思い出したのか、きみはくすくすと笑う。


「4年上の男の先輩で。 仕事はバリバリすごいんですけど、誰にでも態度は大きいし、何でもずけずけ言うし、国際情勢から下ネタ、ときにはオタク話まで、おしゃべりもたくさんする人で。 わたしは配属されて3日目に、『今日から “百合” って呼ぶから!』って宣言されたんですよ。 名字が長すぎて面倒だからって。」


「“ちゃん” も “さん” もなく、ただ “百合” ?」


「ええ。 まるで軍隊の上官みたいですよね? わたしが職場で名前で呼ばれているのは、そのときからなんです。 もちろん、名字が呼びにくいせいでもあるんですけど。」


「ふうん。」


「その先輩に会って、わたしが抱いていた社会人のイメージとは全然違ったのでびっくりしましたよ。 でも、もともと今の会社を選んだのは、社風がおおらかなところが気に入ったからだったんです。 だから、ギャップのショックみたいなものはなくて、その先輩の態度もわたしの中でストンと落ち着いたんです。」


そんなきみも、とてもおおらかだよ。


「その先輩と仕事をしていると、気取ったり、恥ずかしがったりしているのが無駄に思えてきて、自分がいかに他人の目を気にしていたかってことに気付いたんです。 周囲の人にこんなふうに見られたいってことばかり考えて。」


そういう人はたくさんいるよ。 僕だって同じだ。


「で、一回全部捨ててみようって思ったんです。 それに、その先輩と一緒に仕事をするためには気取っているなんて無理でしたから。」


「その先輩が気難しい人だったとか?」


僕の問いにきみが笑い出す。


「いいえ、その逆です! 仕事はもちろんビシビシしごかれましたよ。 でも、いつも上機嫌で話が上手だし、話題が広くて、ついツッコミを入れたり、一緒に議論したりしてしまうんです。 ものすごくくだらない話題でも、けっこう真面目に。 『わたしはそんな話はしません。』なんていうのは無しで。 実際、楽しかったですけど。 そうやっていつの間にか素の自分が出るようになっていて、それがとても楽で、自分に合っているって気付いたんです。 そうしたら今度は不思議なことに、ほかの人たちともうまく付き合えるようになって。」 


きみを変えた先輩。

きみを『百合』と呼んで、どんなことでも語り合った人。

僕の心に不安が忍び込む。


「今もいるの、その先輩は?」


「いいえ。」


カクテルを一口飲んで、きみは目を上げた。


「わたしが入って一年後に退職しました。 国際的なライフガードを目指すって言って。」


ライフガード?!


「それはまた・・・すごい決意だね。」


「そうですよね。 でも年齢的なこともあるし、仕事でお金も貯まったからチャレンジするって言って。」


僕も会ってみたかったような気がする。

でも、きみの近くからいなくなってくれてよかった・・・。 



そのあとも、思い出話や仕事の失敗談など、あれこれの話題に花が咲く。

きみの頬はほんのりと赤くなり、はじめより笑い声が大きくなったみたい。


何杯くらい飲んでたっけ? 1、2・・・5杯、か、6杯くらいか? あれれ、意外に飲んでるな。

そういえば、手にはいつもグラスを持ってるか、箸を持ってるか。

お酒には強いんだろうか? 非常のばあいに備えて、僕は少なめにしておいたけど・・・。


態度も言葉も乱れないからわからないな。

僕のことも、仕事のときと同じ「斉藤さん」のままだし。 せめて高校生のときのように「斉藤くん」って呼んでくれたらいいのに。

もしかしたら、僕がきみに近付き過ぎないようにするための予防線?


「斉藤さん?」


少しの間、無言でぼんやりと考えていたら、きみに呼ばれて、控え目に見つめられてちょっとドキッとする。


「なに?」


「あのう、申し訳ないんですけど・・・。」


「うん。」


「わたし、なんだか眠くなってしまったんです。 そろそろ帰りませんか?」


いきなり眠い? さっきまで普通に話していたのに。

驚いて、あらためてきみを見たら、僕の返事を待つ間にもまぶたが閉じそうになっている。


たいへんだ!

ほんの少し僕が考え事をしていた間に、急に酔いがまわった?


「うん、わかった。 会計をしておくから、洗面所に行ってきたら? ああ、やっぱり僕もついて行こうか?」


「大丈夫です・・・。 あ、お金を。」


「あとでいいよ。」


おそらく僕を安心させるためににっこりしたんだろうけど、その顔も頼りない。

店員に会計を頼みながら、僕はきみの後ろ姿から目を離すことができない。 背筋はまっすぐでしっかりしているように見えるけど、トイレの中で眠ってしまったりしたら・・・。


きみが無事に戻ってきて、ほっとしながら店を出る。

人目があるという緊張感からなのか、さっきよりもしっかりしたみたい。

家の場所を訊いたら、僕の隣駅! これなら、きみに送らなくていいって言われても、一緒に帰る鉄壁の理由がある。

そんなに近くに住んでいたのなら、すれ違ったことも何度もあったかもしれない。 明日からはきっと、電車やホームを見回してしまうだろうな。


タクシーの必要はないときみが言い張るので、二人で一緒に電車を待つ。


こんな状態(って言っても、それほど酷くないけど。)になるまできみがお酒を飲んだってことが少し嬉しい。 僕を信用してくれたってことだよね?

何となくふにゃっとした表情で話すきみは、仕事中とは違う、男心をくすぐる可愛らしさ。

でも、決して僕につかまったり、寄りかかったりはしてこないし、言葉も乱れないのはさすが。

残念な気もするけど、そんなふうにきちんと線を引いているところも好きだ。



先に降りるきみを少し強引に送る。

駅から5分くらいのところにあるオートロックのマンションの入り口で深々と頭を下げたきみを見送って、今日のことを思い返しながら駅へと戻る。

携帯のアドレスは帰る途中で教えてもらった。 酔っていることに便乗した、と指摘されたら弁解できないけど。


今日はうまくいったんだろうか?

自分では失敗しなかったつもりだけど、飲み過ぎていることに気付かなかったのはダメかな?

高校のときのきみはけっこう気を遣う人だったから、僕がもっと先を見越して対処するべきだったのかも。




家に着いたとき、きみからメールが届いていることに気付いた。

嬉しくて急いで開こうとした途端、もしかしたら、今後の断りのメールかもしれないという考えが浮かんで手が止まる。

携帯を持って固まること数秒、目を閉じて、思い切ってボタンを押す。


『今日はありがとうございました。 大変お世話になってしまいました。 たくさんお話しできて、とても楽しかったです。 楽しくて、うっかりして飲み過ぎてしまいました。』


やった!!

これっていい感じだよね?!


『家に着いてから思い出したのですが、お金を払うのを忘れていました。 本当に申し訳ありません。 次にうちの事務所にいらっしゃるときでは遅くなってしまうので、明日かあさっての土日、斉藤さんのご都合がよい時間にお届けしたいと思いますが、いかがでしょうか? お休みの日なのに、勝手を言ってすみません。  鳴川橋百合』


来る? うちに?

うちの場所を知らないんだから、駅に迎えに行かないと。


・・・あれ?

もしかして、駅で会ったら、お金を渡されて “では。” ってことになる? うちには来ない?

まあ、こんなぼろいアパートじゃ、来てもらわない方がいいかな?

でも、でも、会ったら、たくさん話したいよ!


さっきまでは土日は会えないと思っていたから仕方ないってあきらめていたけど、会えるって思ったら、もうどうしようもない。


きみはいったい、どうやってお金を持ってくるつもり?


訊いてみようと思ったところで、さっきのきみを思い出す。 酔っ払ってふわふわしていた、可愛らしいきみ。


『僕は土曜も日曜も予定はありません。 明日の朝、目が覚めたら連絡してください。 おやすみ。 斉藤貴也』


僕の簡単なメールにすぐに返信が来る。


『ありがとうございます。 では、また明日ね〜!  鳴川橋百合』


・・・やっぱり、酔っ払ってるよね。

『また明日ね〜!』なんて、素面のきみなら絶対に僕には使わないはず。


でも、楽しいんだよね?

メールを打ちながらにこにこしているきみの姿が見えるような気がする。

なんだかすごく幸せだ・・・。


明日がたのしみ!






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