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次に僕がきみの事務所に行ったのは、それから一週間後。 過ぎていく日々を惜しみながら、なんとか一週間待った。


「こんにちは。」


席にいなかったから、少し大きな声を出したら、キャビネットの陰からひょっこりときみが顔を出した。 微笑みながら小走りに出てきたきみの指先は真っ黒で、腕と頬にも、ところどころ黒い粉。


「ごめんなさい。 ちょっと手が汚くて、何もさわれないんです。」


と、困ったように言うけれど、その瞳はなんとなく楽しげで。


「今日はお願いするものはないんですよ。 わざわざ寄っていただいたのに、すみません。」


「ああ、いいんです。 ・・・その指、どうしたんですか?」


「コピー機のトナーがこぼれてしまって。」


そう言って、仕方なさそうに手を広げてみせる。


コピー機のトナー?

ふわふわしてるから、飛び散ると面倒そうだ。 でも、そんなに大量にこぼれるような作りにはなっていないはずなのに。


不思議に思っている僕の横を、年配の男の人が足早に通り過ぎる。


「百合ちゃん、片付けさせちゃってごめん! 行ってくるよ。」


「あ、はい。 いってらっしゃい。」


「・・・こぼしたのは、あの人?」


「あ・・・、はい、そうです。 うちの課長なんですけど、あんまり機械類は得意じゃなくて。 でも、頑張って自分でやろうと思ったみたいで、開けてはいけないところを力ずくで。」


で、こんなことに・・・。


「一人で片付けてるんですか?」


「え? ええ。 みなさん忙しいし、コピー機の管理もわたしの仕事のうちなので。」


きみは笑いながら顔にかかる髪を指先でそっとよける。 また顔に黒い指のあと。


たしかに今日は、外出している人が多いみたいだ。 残っている人数も、電話の数より少なそう。


「じゃあ、ちょっとだけ、僕も手伝います。」


「ええ?! そんな、ダメですよ! 外回りの人が服を汚したらいけません!」


「いいですよ。 今日はここで最後だから。 それに、あのコピー機、うちが納めたものですよね? アフターサービスってことで。」


遠慮するきみに構わず背広を脱いで、ワイシャツの袖をめくる。

ここが最後、というのは本当のこと。 ここで油を売ってもいいように(そんなに長時間は無理だけど)、このあとには予定を入れなかった。

それに、二人で一緒に汚れる仕事をするのもちょっと嬉しい。


コピー機のまわりには黒い粉が大量にこぼれていて、機械そのものにもかなり降り注いでいた。

事務機械の掃除用のブラシや雑巾、新聞紙にウエットティッシュ、最後には掃除機も登場してなんとか綺麗にする。 粉のついたゴミを放り込んだビニール袋の口を縛り、二人で顔を見合わせて笑ったところで、後ろから声が。


「あれ? 百合ちゃん、どうしたの、このゴミ?」


きみの視線と同じ方を振り向くと、若い男性社員。

日焼けした顔に無精ひげっぽく手入れされているひげと軽くパーマをかけた髪でちょっとワイルドな雰囲気。 スーツを着ていてもわかる広い肩と胸板の厚みは何かのスポーツをやっている証拠? いかにも “俺ってモテるんだぜ” 的なオーラを発散しているし、たぶん間違いなくモテるだろう。


ゴミの話をしているけれど、その視線は僕を探っている。

一応、自分では見た目はそれほど悪くない・・・と思っている僕としては、ここで怯むわけにはいかない。 彼と同じように、ちらりと相手を探る視線を向ける。


「コピー機のトナーがこぼれて。」


そんな無言のやりとりに気付かずに答えたきみの顔を見て、その無精ひげ男が吹き出す。


「百合ちゃん、顔に黒いあとがついてるよ! あははは!」


そんなことは、僕だってわかってたよ! だけど、懸命に片付けてる彼女に、そんなこと言えないじゃないか!


彼の自信ありげな笑顔とその言葉は、自分が彼女と親しいことを僕に見せつけるために違いなかった。


僕が密かに憤慨している横で、きみは平気な顔で言い返す。


「いいじゃないですか。 洗えば落ちるんですから。」


モテそうな男に親しげに笑われても恥ずかしがったり、怒ったり、拗ねてみせたりしないきみに、僕は・・・たぶん、このときにはっきりと恋に落ちたんじゃないかと思う。



だから、きみからお礼の言葉だけじゃなく、「何かお礼をしないといけないですね。」と言われたときは、そのチャンスに飛び付いた。


「お礼はいらないので、今度、ゆっくり話しませんか?」


お互いに仕事中では、大きな声では言えなかったけど。


一瞬、困ったような顔をするきみ。 警戒を解くために、急いで言葉を付け足す。


「久しぶりに高校時代の知り合いに会ったから、懐かしくて。 鳴川橋さん、同窓会には来ませんでしたよね?」


「・・・同窓会?」


「ええ、2年前の。 メールで連絡がまわってきたときです。」


「あ・・・、ああ、そうだったんですか? わたしのところには連絡が来なかったみたいですね。」


え・・・?

違うよ。 きみは不参加の連絡をしたはず。 僕はあのときに名簿を見たんだから・・・。


何故きみがそんなウソをつくのか・・・、それとも忘れてしまっているのかよくわからなかった。

でも、きみの様子を見て、それ以上尋ねるのは思いとどまる。


「小松さんは覚えていますか? 結婚して子どもがいましたよ。 写真を見せてくれました。」


「へえ。 彼女、高校のときから可愛かったですもんね。」


今のきみの方が、ずっと魅力的だと思うけど。


きみは少し考えてから肩の力を抜いて柔らかく微笑んで、「そうですね。 行きましょうか。」と言って、OKしてくれた。


“日程は後日” なんてことにして気が変わられたら困るので、その場で日を決める。 こういうことは勢いが大切!

“場所の相談のため” と、携帯電話の番号も交換。

その間、何度もあの無精ひげの社員が通りかかったり、どこかから戻ってきたほかの男性社員に睨まれたりしたけど、全部無視。


「じゃあ、ありがとうございました!」


営業マンらしく元気よくあいさつをしてきみの前を離れながら、僕はスキップしたくなるような気分。 約束の日はあさっての金曜日。





お店の相談をするため、きみに電話をかけたのは翌日の夜。 きのう、今日、明日と、3日連続で話ができる!


初めての電話での会話、ちゃんと話せるだろうか?

仕事ではたくさん電話をかけるけど、今回は全然意味が違う。 頭の中で、会話の内容を何度もシミュレーション。

携帯のボタンを押す手が震えるなんて、まるで中学生だ。


「はい。 鳴川橋です。」


声を聞いただけで、胸の中があたたかくなる。


「こんばんは。」


僕の声はどんなふうに聞こえているんだろう?

仕事のときは “元気にはきはき” を心がけているけど、恋人になってほしい人にはそれだけじゃ足りない。


ドキドキしながら、まずはきのうのコピー機の話題。 僕が落ち着くためと、きみの様子をうかがうため。


あれ?

もしかしたら、きみ・・・楽しい?


笑いを含んだ声。

くすくすと笑う気配。

小さなジョークも飛び出す。


きみがこんなに話したことって初めてだよ。

高校のときだって、僕が話すことにきみが答えたり笑ったりするのがほとんどだった。


きみの楽しそうな様子に勇気をもらって、本題に。


「どんなお店がいいですか?」


僕の問いに、きみは少し迷ってから答えた。


「あんまり肩の凝らないところがいいです。」


ってことは、静かなレストランはやめた方がいいかな。


「お酒は飲めますか?」


「普通には。 どちらかと言うと甘いお酒中心ですけど。」


カクテルやサワー類が充実していて料理が洒落ている居酒屋を頭の中で選び出す。 初めて二人で出かけるのにお酒の店でもいいのかな・・・?


「あのう・・・居酒屋でも大丈夫ですか? わりと落ち着いた店ですけど。」


きみは気にする様子もなく「いいですね。」と同意してくれた。


最寄りの駅の改札前で7時に、と約束。

よく考えたら、私服のきみを見るのは初めてだ。

そう。 仕事中も、高校のときも、僕の知っているきみはいつも制服姿。 どちらも似合っているけれど。


私服といっても、仕事帰りに会うんだから、そんなに個性が出たりしないのかな?

でも、明日うまくいけば、これからは休日に会うことだってあるはず・・・。


僕の思いはすでに明日を飛び越えて、ずっと先まで広がっていた。








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