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きみと再会したのは3年前の5月。

僕が一年前から営業でまわっていた事業所に、きみはずっといたのだった。 お互いにまったく気付かないまま。




― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―




「こんにちは。 納品にあがりました。」


押してきた台車を止めて、いつものカウンターで声をかける。

担当の中島さんはカウンターのすぐ前の席・・・だけど、今日はいない。

いつもなら中島さんの向かい側に座っている人が気付いてくれるんだけど、その人も席をはずしている。 中島さんの奥の席も・・・。


仕方なくもっと大きな声で・・・と思ったとき、後ろから声がかかった。


「納品ですか?」


「あ、はい。」


ほっとしながら振り向くと、親切そうな微笑みを浮かべた女性。 その会社の制服のグレーのベストとスカート、耳のあたりから緩やかにパーマをかけた髪が楽しげな目をした小さな顔に似合っている。


「すみません、ちょっと席をはずしてしまって。 中島は脚を骨折してしばらく休むことになりまして、わたしが代わりに頼まれていたんです。」


そう言って、申し訳なさそうに僕を見た。



やった! “ゆりちゃん” だ!



心の中でガッツポーズ。

“ゆりちゃん” は僕が密かに話してみたいと思っていたひとだった。



年齢はたぶん、僕と同じか年下。

その会社の誰からも「ゆりちゃん」「ゆりさん」と名前で呼ばれていて、みんなから頼りにされていた。 忙しそうにパソコンを叩いているときでも、誰かが相談に来ると、快く「はい。」と返事をして一緒に考えて。

どんな相手でも物怖じせずにしゃきしゃきと話ができる人で、そのさっぱりした物言いが、とても感じが良かった。

ほかの課の人が、通りがかりに声をかけていくこともしょっちゅう。 若い人も先輩も、男性も女性も。 冗談を言い合って笑ったり。

彼女はその会社の頼りになる社員であると同時に、マスコット的な存在であるらしかった。


席は中島さんの奥。 でも、普段はカウンターからはよく見えない。 なぜなら、中島さんが縦も横も大きな男の人だから。

それに、職場のガードが固い。


中島さんがいないときには、ゆりちゃんが僕の相手をしてくれたっていいはずだ。

だけど、この一年、一度も話したことがなかった。 ゆりちゃんが出て来ようとすると、必ずほかの誰か(男)が「いいよ、俺が聞いておくから。」とか言って出てくる。

だから、僕は彼女の名字を知らなくて、彼女がみんなから呼ばれている “ゆりちゃん” という名前を頭の中で使うしかなかった。


でも、これからしばらくの間は彼女が担当・・・やった!


「いいえ。 そんなに待っていたわけじゃないですから。」


内心の喜びを隠しつつ、なるべく印象がよさそうな態度を取り繕う。


「そうですか? それならいいんですけど。 中を確認させていただいてもいいですか?」


ゆりちゃんは段ボールに詰めてきた品物を手際よく確認すると、納品書の控えにポンとハンコを押してくれた。

その動きの一つひとつが可愛らしく見えて、心の中で「なんてラッキーなんだ!」と叫ぶ僕。


『鳴川橋』?


あれ? この名前・・・。


「あ、『なるかわはし』って読むんです。 面倒な名前ですみません。」


―― ナルカワハシ・・・ユリ?


ちょっと首をかしげて控え目に微笑む “ゆりちゃん” は・・・きみなの?

珍しい名字。 下の名前まで同じなんていう偶然は何万分の一?


「あの、」


「ゆりちゃ〜ん。 ちょっとこの書類、急ぎで頼みたいんだけど。」


「あ、はい。 今、行きます。」


振り向いて係長さんに返事をすると、ゆりちゃんは書類を手早く確認してにっこりと微笑む。


「はい、これで大丈夫そうです。 何かありましたらご連絡させていただきます。 ありがとうございました。」


もう帰っていいですよ・・・のあいさつ。 今日はおしまい。


係長さんに呼ばれている彼女を引き留めるわけにもいかず、すごすごと帰るしかない僕。 たった今、見た笑顔と、高校の制服姿のきみの記憶を比べながら・・・。





営業でその事業所にまわるのはだいたい1、2週間に一度くらいだったけど、次にそこに行ったのは、それから2日後。 もしかしたら、中島さんが予想外に早く回復するかもしれないし。

言い訳できるように、新しいプリンタのキャンペーンちらしを持って。


「鳴川橋さん。」


今日は堂々と彼女に声をかけることができる。 ・・・昔、何度も呼びかけたその名前で。


「はい。」


はきはきと返事をしてこちらに向けたその顔に、卒業文集で確認してきた少し幼い笑顔が重なる。

文集の写真よりも頬のあたりがほっそりしているけれど、間違いない。 鳴川橋百合さん。

このチャンスを活かさないでどうする!


トコトコと笑顔でカウンターに出てきてくれたきみに、まずはキャンペーンのちらしを渡して営業トーク。 あんまり強引じゃなく、困らせないように。


―― 僕のこと、気付かない?


そう尋ねたい気持ちを抑えて。


―― 無理かな。 斉藤なんていう名字、どこにでもある。


「すごくお買い得だと思いますけど、今のところ、購入する予定はなさそうですよ。」


申し訳なさそうに断るきみ。 そんな態度も懐かしい。


「そうですか。」


残念そうな様子をしてみせるけど、断られるのは慣れている。 どこの会社だって、そんなに何台も次々と買ってくれるわけじゃない。


「あの、鳴川橋さん?」


「はい。」


名前を呼ぶと、ちらしから僕へと視線を移して・・・目が合ったと思ったら、ほんの少し迷う気配を見せて、もう一度、視線を合わせてくれた。 高校のときは、きみはとても恥ずかしがり屋だったよね。


「北峰高校出身ではないですか?」


驚いて、目を丸くするきみ。


「23期生?」


続く質問にこくこくと頷く。


「僕、斉藤です。 斉藤貴也。 覚えてますか?」


「ええええええっ!! 斉藤くん?!!」


悲鳴のように大きな声で叫んだあと、慌てて両手で口を押さえて、後ろの事務所を見回すきみ。 それから、まん丸に見開いた目で、再び僕を見て。


「き、気付かなくて、ごめんなさい!」


真っ赤になって、急いで頭を下げてくれたけど、額がカウンターにぶつかりそうになって、僕の方が慌ててしまう。


ああ、でも・・・こういうところ、変わってない。


高校生のときも、しっかりしているのに、何かに動揺してオタオタしていることがあった。 そんなところが親しみやすくて、僕はよく話しかけたり、頼みごとをしたりしていたのだ。


「お元気そうですね。」


僕の言葉に、きみは顔を赤らめて下を向いたまま「はい。」と答える。


元気そう、だけじゃなくて、綺麗になった。

それに、高校生のころのように頼りにされているだけじゃなく、みんなから好かれて、大事にされている。


「あ、あの、」


きみが何かを言おうとしたとたん、お昼休みのベルが鳴る。 話し出すタイミングを失って、黙りこむきみ。

事務室の中がざわざわとして、僕たちの横を通って昼食に出ていく人たち。


「お昼ですね。」


実は、このタイミングを狙って来た。 このまま昼食に誘うつもりで。

さりげなく、さりげなく。

続けて「よかったら」と言おうと息を吸い込んだとき、


「百合ちゃん、席取っとくよ!」


と、手を上げて合図をしながら通り過ぎていく3、4人の男の集団。


「あ、はい。」


彼らに笑いかけて頷くきみ。


「ごめん、お昼の時間なのに。」


がっかりしたことを悟られないように、僕は急いで帰り支度をする。


「いいえ。 今日は近所のうなぎ屋さんが安い日なので、みんなで行くことになってて。」


にこにこしながら、楽しそうに説明するきみにちょっと見とれてしまう。


「ああ、そうなんだ・・・。」


あくまでも “みんなで” だ。 誰かと二人で、じゃない。 よし!


「中島さんは、いつごろ復帰できそうなんですか?」


きみはいつまで僕の担当?


「まだ入院中なので、なんとも・・・。 少なくとも10日くらいは無理だと思いますけど・・・。」


最短で10日。 あと何回、来られるだろう?


「わかりました。 あ、これ、僕の名刺です。 今後とも、どうぞよろしく。」


「ああ、じゃあ、わたしのも。」


きみの名刺。

メールアドレスは書いてあるけど、ここに個人的な用件を送るわけにはいかないよね。


あーあ。

ちょっとだけ前進したけど、次はいつ会えるかな・・・。


その日からきみは “営業先の気になる女の子” だけではなく、懐かしい思い出を共有する友人であると同時に、僕の知らない顔を持つ一人の女性となったんだ。






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