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晦冥の底から  作者: 歌瑞
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22 Transfer



 がたん。


 音と一緒に自分の身体もぽんと跳ねて、それからふかふかしたものに埋もれる感触があった。

 身体を引っぱる重力のかたより、半身だけに触れる柔らかさ。自分が横向きに寝そべっているのを理解すると、意識が外へ広がった。

 ごおおお、って振動がずっと続いて鈍く伝わってくる。それから時々がたがた揺れる。

 くるま……、走ってる車。


 まぶたを持ち上げて目の前にあったのは、カーキ色の壁だった。視界の端には無地の白い布───頭の下に、ふかふかしたクッション。

 無意識にのばした手のひらは、さらりとした布地の感触を越えたあと、まったいらな壁に突き当たる。


 いない……、どこに、


 起き上がろうと手足を動かしたけど、ふかふかしすぎててうまくいかない。姿勢をうつ伏せにかえて、両腕をつっぱる。どうにか起こした上半身が、カーキの世界から飛び出した。


 ……箱?


 カーキ色は、ぐるりと四角く周りを囲っている。

 わたしはクッションを敷き詰めた大型の収納ボックスの中に寝かされていたみたいだった。


 ボックスの外は長方形の空間で、乱雑に雑貨が置かれた棚がひとつと、人がひとり立ったまま入れそうな、扉のついた縦長の箱と、壁一面に据え付けられたいろんな種類の工具、それからまんなかにでんと───おっきなバイク。ギィのバイク。

 フリップさんと一緒に、砂漠で別れたはずの。

 記憶が少し巻き戻されて、眠る前のできごとを思い出す。懐かしい再会があった。

 そうか、ここ、たぶんフリップさんが乗ってきたトレーラーの中だ。


 かたん、かちゃん、と何か金属のものを置いてから、また拾い上げる音がした。

 バイクの下、タイヤのあいだの隙間で影が動く。向こう側に誰かいる。


 がたたん、

 また大きく車が揺れて、その『誰か』が持ってたものを取り落としたらしい。がしゃっと床に落ちる音、小さく慌てた声。聞き覚えのある声だ。

「フリップさん?」

 わたしの呼びかけに、バイクの向こうからひょこっとコワイ顔があらわれた。ぎざぎざな乱杭歯を見せてフリップさんが話しかけてくる。けれど、その意味がぜんぜん頭に入ってこなかった。


 あれ……、彼の言葉が理解できない。どうして?



「あっ、翻訳機……!」


 耳元に手をやったら、指先がぺたりと耳に触れた。ずっとそこを覆っていたものが無い。

 フリップさんが立ち上がって、耳を指すジェスチャーをしながら喋っているけど、何を言っているのかぜんぜんわからないや。


 困った。

 なんの不都合もないくらい便利すぎて、会話ができて当たり前だと思い込んでたんだ。翻訳機が無くなったらどうなるか、ちょっと考えればわかることなのに。

 言葉を覚えておくべきだった。


 とにかく彼が伝えようとしていることを読み取ろうと、じーっと見つめて眺めて、なんとなくはわかった、ような気はした。

 わたしに対して問いかけてる感じじゃない。どっちかというと説明をしてるっぽい。

 身振り手振りと表情から、たぶん翻訳機がないことを説明してくれてるんだと思うんだけど。


 んんん、やっぱりよくわからない。


 わたしは無意識のうちに顔をしかめて、変な顔でもしていたらしい。フリップさんはぷっと吹き出しながら口元に持ってきた手のひらを、ついでにぱくぱくする唇の動きに合わせて開いたり閉じたりしてみせた。

 意味しているのは、喋る、話す……フリップさんは声を出してない。じゃあ、喋るのは、だれ? フリップさんじゃないなら、わたし?


 ───あっ、

「そうか、フリップさんは日本語わかるんだった!」

  わたしの言葉に、彼は頷きながら顔をくしゃっとさせた。これは笑ってる顔なんだ、って知ってるけど、牙みたいに尖った歯がむき出しになるから相変わらずとってもコワイカオです。


 でもよかった。なんでもいいから、わたしが喋ればいいんだ。

 そしたらフリップさんがイエスかノーで答えてくれる。


「フリップさん、ギィは?」

 とりあえず一番気になっていたことを口にしたら、今度はおなかを抱えて爆笑された。なんでー!

 笑う要素がいったいどこにあったのか。まったくもって意味がわからない。


 一方的に笑われてむくれるわたしに、フリップさんは目尻を拭いながらバイクをぐるっと避けて近付いてきた。涙が出るほど笑わなくたっていいと思うんですけど!

 彼は屈んで腕を伸ばし、箱の中に座りこむわたしの頭をわしわし掻きまぜてから、ぺんぺんと二度、おさえつけるように撫でていった。何か喋ってるけど、内容はさっぱりだ。


 そのままわたしを通り過ぎ、拳をつくって幅が短いほうの壁をごんごん叩く。話す言葉の中に「ミオ」ってわたしの名前があるのだけは聞き取れた。

 壁の向こう、誰かいるのかな。位置的に見て、このトレーラーを引っぱってるトラクターがありそうだけど。

 フリップさんがここにいるなら、車を運転しているのはギィなのかもしれない。

 向こう側からは特に返事があるわけでもなく、でもフリップさんはそれでいいようだった。

 次は棚のほうへ歩み寄り、ダンボールを探って何かを取り出した。こっちに振り向いて、話しかけてくる。


「ミオ、לשתות מיץ?」

 うう困った、何を言ってるんだろう。

 理解できなくてまごまごしてたら、彼のほうも言葉で会話をしようとは思っていなかったらしい。手に持ったものを掲げてわたしに見せてきた。その円柱形の容器には見覚えがある。

 表面に印刷された文字と図柄は初めて見るけど、かたちは以前に彼からもらったものにそっくりだ。

「ジュース?」

 フリップさんはこっくり頷いて、それをわたしの目の前までもってくると、ずいと差し出す。

 とりあえず受け取ってから彼を見上げた。

「飲んでもいいの?」

 また頷きがかえってきた。寝起きで喉が乾いてたから、とってもありがたい。

「ありがとうございます」

 お礼をかえすと、フリップさんはにっと口の端を吊り上げて、最初の位置まで戻っていった。

 それを見送りながら、いそいそとジュースの蓋を回して口をつける。


 ふわりと広がったのは、目が覚めるような酸味をおびたフルーツの香り。

 すっぱ、マンゴーみたいな赤っぽいオレンジ色の果物が描かれてたけど、これどっちかというとレモンだ。すっぱい。

 はじめて見る果物は口にいれてみないとどんな味なのか想像がつかなくて、ちょっとした冒険気分だ。


 これはわたしがいままで知らずにいた果物だったのか、それともここがわたしの知っている世界の、ずっとずっと遠い未来だから、植物まで変わってしまっているのか、どっちなのかはわからない。

 ただ、とてもとおいところへ来てしまったんだと、感じる。


 馴染みのない味をちびちびと口に含んで少しずつ飲みながら、暇を持てあましてフリップさんの様子をうかがった。


 何してるのかな。

 彼がいろいろな機械をいじってる姿はよく見かけたけど、今も工具を使って小さな部品を扱っているみたいだ。そういうのが得意なのかもしれない。


 ジュースをすべて飲み干すと本格的に暇になってしまって、わたしはごそごそと箱から抜け出した。

 車の揺れによたつきながらバイクをぐるっとまわり、その向こう側にいるフリップさんを目指す。

 足音でわたしが移動してきているのに気がついていたんだろう。彼はこっちに視線を投げて、わたしの足元をじっと見つめた。

「אנא היזהר」

 ほんの少し緊迫した雰囲気で声をかけられてちょっとビクつく。


 なんだろう、なにも踏んづけたり、蹴ったりはしてないと思うけど。

 まわりの床には何が入ってるのかわからないダンボールや、油か薬品が入っていそうな四角い金属の缶とかが直接置いてある。大事なものとか、危険なものだったりするのかな。

 裸足のままだから、ぶつかっていればすぐわかるはずだ。うっかり蹴躓いたりしないように、さっきよりも気をつけて足を運んだ。


 フリップさんのそばまで近付いてしゃがみこむと、うん、とすごく仰々しく頷かれる。字幕をつけるなら「よろしい」ってカンジ。

 言葉が通じないぶん、ジェスチャーを大げさにしてくれているんだろう。そのノリに合わせてわたしもえっへんと胸を張った。

 ちゃんと、どこにも足ひっかけずに辿りつきましたよー。


 ままごとめいたやりとりに小さく笑ったフリップさんは、すぐに手元へ視線を落として作業に戻った。

 床に胡坐で座る彼の前にはいろんなものが置かれている。工具セット、コードの束、お弁当箱サイズの用途不明な機械の箱と、トレイの上には小さな金属部品が散らばっていた。


 あれ……これ、翻訳機?

 見るも無残にばらばらになってるけど、破片になんだか見覚えがあるような。

「翻訳機、壊れてたんですか?」

 たずねると、フリップさんはこっくり頷いて、何かを解説するように喋りながら外装部分のパーツを指差した。

 綺麗にぱっきり割れていて、彼が分解したわけではないのはすぐにわかった。ひびが入っていたのかもしれない。転んだり、爆発に巻き込まれそうになったり、いろいろあったから。

「直りますか」

「זה בסדר אני ארפא」

 またこくりと頷いたフリップさんの答えにほっとして、彼の作業を眺めることにする。


 早く直るといいなあ。

 端から見てるカンジだと、割れちゃったついでに中身の点検をしていたみたいだ。

 いくつかの部品を取り替えて、またきちんと組み立てて。割れた外装を新しいものに換える。

 くるくると手馴れた手つきで小さなネジをとめ、ふうっと息を吹きかけて埃を飛ばすと、今度は傍に置いてあった機械の箱に手を伸ばして引き寄せた。

 束になったコードを解いて、針金みたいな先端の片一方を機械へ、もう一方を翻訳機にぶすぶすっと挿し込む。

 それからもう一本コードを手にとって、また機械に挿し込み、今度はそのぴかりと銀色に光る針のような先端を、右耳の後ろへ───


 えええ。

 ぶすって、刺しちゃった。

 

 驚いて叫びそうになって、でも声を出すと危なそうな気がしたから、そこで止まって。自分があんぐり口を開けっぱなしなのはわかったけど、固まってしまった。


 フリップさんは特に痛がるわけでもなく、平然と機械の箱を弄っている。カバーになっていたらしい部分をはねあげると、その裏にディスプレイが、下にはキーボードがあった。

 彼の指先より小さなキーを押し辛そうにぽちぽちやって、時折耳をすますように視線を右側へ流す。


 そうして、ふとこちらを見て───またぷっと吹き出した。


 確かに間抜けな顔してたと思いますけど、びっくりしたんだから仕方ないじゃないですかー!

 そんなとこにコードが刺さるなんて想像もしてなかった!

 ああでも、フリップさんは頭の中に翻訳機を埋め込んで使ってるって聞いていた。こういうことだったんだ。


 わたしが口を閉じれば、彼は唇を笑いの形に変えたまま、視線を機械に戻した。

 これは最終点検をしてるのかな。

 まじまじとその作業を見つめていると、またぱくぱく、喋るジェスチャーをされる。

 なんだろう。

「何を話せばいいんですか?」

 いきなり話せって言われても、と思ったんだけど、何でもよかったらしい。

「אין בעיה」

 こくこくと満足そうに頷いたフリップさんは、二本のコードを引き抜いた。そのへんに落ちてた布切れをいかにも適当に見つくろい、それで仕上げとばかりに翻訳機をきゅきゅっと拭く。


 磨いたそれを手の中でくるくる回して眺め、チェックを終えると、わたしに差し出してきた。

「ありがとうございます」

 慌てて手に持ったままだった空のジュースの容器を小脇に抱え、翻訳機を両手で受け取って、落とさないようしっかり握りしめる。

 よかった、これで会話はできるはず。

 ほっとしたけど、いつまた壊れちゃうかわからない。そうなった時、今と同じようにフリップさんがいてくれるとは限らないし、こうやってすぐに直せる状況じゃないかもしれない。

 わたしは言葉を覚えておくべきだ。



 工具を片付け始めた彼に、思いきって尋ねてみた。

「フリップさん、ジュースはなんて言うの?」

 とりあえずは手近なものから、名前を知っていこう。

 脇に抱えた容器を指差して聞くと、彼はきょとんと一度まばたいて、呟いた。

「מיץ?」

 ええと、みつって聞こえる。

「みつ?」


 翻訳機を手に持ったまま、耳に着けないわたしを見て、フリップさんはこくこく頷く。もういちどゆっくりと繰り返してくれた。

「מיץ」

「みつ」

 耳に入ってくる音を、オウム返しに真似てみる。



 そうやって、周りにあるものを片っ端からこれなにこれなにって聞いてまわった。



 聞けるときにたくさん聞いておこう。

 この先に、なにがあるかわからないから。




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