2 Consensus
それから、彼の一方的な殺戮はちょくちょく続いた。
でも、わたしが一人であのよくわからない生物達に遭遇してたら、間違いなく三秒以内に死んでたはずだ。そういう意味では正当防衛、彼のおかげでわたしは生きている。
とりあえず、ここは、日本じゃないんだな。
うっかりすると地球ですらないかもしれない。
そう認識した。いろいろあり得ないものを銃の閃光の中で見たから。
でっかい虫とか、口がむっつに裂ける芋虫とか。鮫みたいな牙を生やした猫サイズのネズミはまだかわいいほうだったと思う。大群でわらわら湧いてきてパニックになったのでもう見たくないですが。
なによりいちばんあり得ないのは、それらを全部退けて、助走もなしにわたしを抱えたまま垂直に数メートル跳んだり、肺の中の空気が絡め取られるくらいの速さで走ったり、それだけ動いてもまったく呼吸が乱れなかったりする人なわけだけど。
それでもわたしは彼に抱えられてその首にしがみついていた。
何も見えない暗闇の中で、彼しか頼るものがないっていうのもあるけれど、この人何なんだろうって怖々触れていたわたしとおんなじに、彼もわたしの取り扱いに恐々としていた事がなんとなくわかったからだった。
どうやら、最初に足音もなく歩いていたのは、ものすごく慎重にゆっくり歩いた結果らしかったのだ。
彼は『オリ』と呼ぶ生物と立ち廻りを繰り広げながら、わたしがしんどいと感じる加速や力加減を読み取って、調節してくれていたらしい。
振り回されて息が出来なくなるとすぐさま緩む、そういうことを何度かくり返して、今はわたしの負担にならない最適な速さで走っているから。
思えば一番最初、押さえられた顎がものすごく痛かったのも、力加減がわからなかったのではないだろうか。
じゃあ逆に、本気を出したらどうなるのかって考えると、ちょっと恐ろしいけど。
わたしを抱える左腕はジェットコースターのセーフティバーみたいに、一定の位置でぴたっと動かず締め付けもしないし緩みもしない。
腕が痺れないかこっちが心配になるくらい動かない。
揺るがないのは、そのまま安心につながった。
とりあえず、ここは、わたしの『普通』が『普通』じゃないところ。
いろいろあり得ないことばっかりだけど、彼に付いていけば何とかなるかなあ、と、思い始めていた。
※ ※ ※
たたたたんっ
至近距離の銃声に、はっとなってわたしは目を覚ました。
おっと…いけない一瞬寝てた。
こっそりヨダレを手の甲で拭ったけどばれてるかな、ばれてそうだなあ。
正直なところ、わたしはへとへとだった。
『オリ』は絶えることなく次々と出てきて、彼はずっと走り続け、休むことがない。
一時間とか二時間とかそういうカンジじゃない、十何時間とかだと思う。
時計がないから体感でしかないけれど。
一度はわたしを降ろして休憩を取ってくれたんだけど、一定の場所に留まっているとオリがどんどん集まってくるみたいで、結局すぐに移動せざるを得なくなった。
そうしてそのまま、彼の左腕に抱えられて、数時間。
ぶっちゃけいろいろ鈍麻してきているんだろうと思う、疲れすぎて。
オリは見た目が怖いけど、全部さくっとやっつけられていくのだ。彼が居ることの安心感は半端ない。さらに走りも安定、ほんとにすごく気を遣ってくれてると思う。
それで、おなかがすいて、へとへとで、でもなんか大丈夫っぽいなーとか思っちゃうと。
人間ってこんな状態でも寝れちゃうんですね。
……いやごめんなさい、暢気に寝るとかずっとわたしを運んでくれてる人に申し訳ない。
ぼーっとする頭をぶるぶる振って、欠伸をかみ殺した。
せめて起きてなきゃ。
しっかりしようと彼の首にまわした両手を握りなおして決意を固めた。
のに、彼のほうが失速した。
えええごめんなさいお怒りですか!
「体温が低下傾向にあるが」
そう言いながら彼はゆっくりと屈んで、わたしの足裏を床につける。降ろすつもりなんだろう。
「どうした。自覚しているか」
よかった、ヨダレでお怒りではないらしい。
わたしはこつこつと爪先で位置を探りながら、自分の両足で立ち上がった。
うん、自分がふらふらしてるのが真っ暗でもわかります。パパ抱っこー! とかいったらドン引きされるかな。
「おなかがすいて、眠いからだと思います」
だから抱っこ所望。
立っているのがしんどくてふにゃふにゃゆらゆらしてたら両肩を押さえられた。肩甲骨のほうに指先があたってるっぽい、手のひらもでっかいなあ、この人。
「五拾弐番区に人間が栄養素として摂取可能なものは恐らく無い。区外まで移動に後四十五時間程かかる。それまで生命維持できるのか」
よんじゅうごじかん!
「先に脱水で死にそうです」
のどが乾きました。
…
「水も必要か」
「ハイ」
ちょっとなんか間があったね。
なんだろうホントに規格外だなあこの人。いや水がないと死ぬわたしのほうが規格外なんだろうか。そうなんだろうなあ、このカンジ。
「水があればたしか一ヶ月くらい、生きるだけならできるらしいです」
「切迫するのは水なんだな。それならば調整できる」
ぎちっ
また何かが擦れる音がした。
「噛むなよ」
「んむ!?」
口の中にいきなりなにかが滑り込んできた。
それが何なのか確認する暇もなく、どっと液体が溢れてきて、思わず飲み込む。
なにこれ水?! あ、ちょっと甘い。
すごく喉は渇いていたから、夢中で吸う勢いでごくごく飲んだ。
満たされて人心地ついたところを見計らったように、それが引き抜かれる。
「グルコースを微量添加した。足りるか?」
「……お水美味しかった……」
あとは眠れたら幸せです。
どうにもこうにもまぶたが下りてきてしまって、首をかっくんかっくんさせてるわたしの身体を、彼が抱え上げる。
きゅるきゅるきいっ
うん、その擦れる音、たぶん愚痴とか悪態系の独り言いってるんだよね。過去の使用場面から鑑みると。
なんとなくそう思いつつ、脳がとろけるように思考が拡散していって、わたしはすぐに睡魔に屈服したのだった。
まあいいか、彼はきっとわたしを置いていったりはしないだろうから。
そうかー、生声ぜんぜん別物なんだなー……
ぐう。
彼は素嚢を持っているのでした。