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晦冥の底から  作者: 歌瑞
19/24

19 Reproduction:replica



 なにもできずに争う彼らをただ見ていたわたしは、どん、とこの部屋にひとつしかないドアが叩かれる音に、のろのろと首を動かした。

 隣に立つリーチェさんも驚いたようにドアへ視線をやって、ぐっと銃を持つ手に力を入れる。

 ギィの攻撃でたわんでしまって、開かなくなったそれを、無理矢理押し開こうとしているのだろう。何度もぶつかるような振動が続いたあとに、ぎゅいいん、とチェーンソーみたいなものが押し当てられる音がしはじめた。

 来てしまう。

 追いかけてくるヒトたちがすぐそこにいるのに、ふたりは闘うのをやめる様子がなかった。



 ガルムさんが攻める手を、ギィは弾き、叩き落し、受け流す。

 彼らの足元で踏み散らされるガラスの破片が、一歩ごとに照明のひかりできらきらと輝いて、いやに綺麗な情景をつくりだしていた。こんな状況なのに。



 ギィの動きは、すごく、予測するのが難しかった。

 普段からあまり喋ることのない、静かで不動のイメージそのままのゆるりとした流れから、きりきりと、巻いて巻いて張りつめた仕掛けがぽんと解放されるみたいに、急に襲いかかる。

 その『仕掛け』がどれくらい張りつめられているのか、外からはまったくわからない。


 ましてそれが、薄暗い空間の向こうから、黒い闇にまぎれて、だと。


 それを、ガルムさんはうまく避けていたように思う。わたしの目ではとらえきれなかった。



 ざっと床に手をついて屈んだ彼の、それまで身体があった空間を、黒い腕が貫いていた。先の壁にあった機器に尖った爪が食い込んで、根がはるように亀裂を生やす。

 まっすぐにのびたその腕、その身体、顎下を狙って白刃が突き上げられる。


 きらりと光った残像だけが目の奥に残って、まばたきをした一瞬後には、素早い挙動の痕跡をなぞるように、一歩遅れてひるがえるコートの裾をぐるりと脚に纏わせるギィと、刃のきらめく右腕を振り払うガルムさんの姿があった。


 わずかな対峙のあと、先に動いたのはギィだった。

 白い機械の身体をとらえようとする五本の爪が下から振り上げられ、ガルムさんは上体を反らしてそれを避けた。隙のできた胴体を狙ったもう一本の黒い腕は、そのまま後方へ身軽く回転されてかわされる。


 ギィはあまり深追いせずに、距離が開くとすうっと後ろに下がって暗闇の中へ溶けるように姿を隠した。


 ばりばりと、闇の向こう側でむりやり何かが引き剥がされる音がする。時折火花が散るのが見えた。

 身構えるガルムさんにむかって、続けざまに何かが飛んでくる。途中に林立するシリンダーを破壊しながら。

 床に突き刺さる勢いのそれら───金属の板を、ガルムさんは走り抜けて避けていく。


 けれど、壁際のタンクのひとつにそれが突きたった瞬間。

 薄闇に閃光が広がった。



 どっと押し寄せた空気の圧力に、わたしとリーチェさんは床になぎ倒されていた。

 ───みみ、耳がよく聞こえない。

 ひどい爆音に、鼓膜が麻痺してしまったみたいだった。


 よろよろと身体を起こしてまわりを見れば、周囲の光景はすっかり変わっている。

 炎があちこちに散らばって、壁と天井が大きく崩れ、ぽかりと黒い空間が口をあけていた。

 その向こうで時折ぎちぎちと鳴く何かが上空を過ぎていく。何度も。

 から、からんと名残のように上から転がり落ちてくるかけらの下に、大きな瓦礫が積み重なっていて、咳き込むガルムさんの声が響いてから、瓦礫がひとつ、めくれあがった。

「クッソ」

 それが倒れて舞い上がった土埃の中、犬みたいにぷるっと首を振って頭にかぶった細かな破片を落とすひとが、起き上がろうと身じろいで、はっと視線を真上にあげる。


 どっ、

  ぎゃり───ぃぃん!


 上から襲いかかる真っ黒な影に、ひかりを反射させて銀の刃が向けられるのを見た。

 ぶつかる音、金属が擦れる音、また土埃が煙のようにあたりをおおって、それがふわふわと広がって薄く床に戻ってゆく。


 そこに立っていたのは、ギィだった。

 大きな黒い長身が、瓦礫に半分埋もれて床に倒れるガルムさんへ、身体を屈めて手を伸ばす。それに抵抗しようと振られた左腕を掴み取った。


 がつっ、

 ギィが床に伏した彼の胸を踏みつける。握ったままだった腕を捩ると、機械の肘の関節部分がばきりと嫌な音をたてた。

「て、めえ……っ」

 自由なもう一方の手で自分の上に乗った足を狙う。だけど、ギィはそれを蹴り返した。

 剣先が折れて、ガルムさんの頬をかすめて床を滑っていく。彼が反射的に首を反らしていなければどうなっていたかを考えると、心臓がぎゅっと縮むような一瞬だった。

 胸に置かれていた足が浮いたその隙に跳ね起きようとした彼の身体を、黒い脚が再び床に縫いとめる。振り下ろす勢いに手加減はない。

「 …っぐ」

 押し殺した呻きが洩れるのが聞こえた。


「ガルム───!」

 さすがに黙ってみていられなくなったのだろう、リーチェさんが両手に銃を構えて引き金をひく。

 たん、たん、たん、

 続けざまに放たれた三発の弾丸が狙った先は、ガルムさんを掴むギィの腕。

 でも、そのどれもがひどく軽い音を立てて弾かれた。

 驚いて両目を見開くリーチェさんの方へ、ギィの首がゆっくりと向けられる。


「…この、化け物が」

 かすれた声で、ガルムさんが呟いた。

 標的がリーチェさんに移るのを恐れたのかもしれない。自分に注意を引き戻そうとするかのように、ぎりぎりと力を込めてギィの足首を掴む。

「リーチェ、下がっ、てろ」

 苦しげな呼吸とともにそういわれて、ぴくりと銃身をふるわせたリーチェさんは、ゆっくり腕を下ろした。


 表情のない黒いヒトを睨み上げる隻眼には、燃えるような意志が見える。

 敵意や憎しみとは違う、なにか。

 踏みつけられても屈しないその意志を折ろうとするかのように、腕がさらに捩られ、引っ張られて、ぶちぶちとちぎれたなにかの切れ端が関節からのぞき出す。



「ギィ…ギィ───、」

 もうやめて、そう言いそうになるのを、ぐっとこらえる。

 わたしが言っていいことじゃない。

 でも、みていられない。

 どうしてここまで争いを続けなくちゃいけないんだろう。


 リーチェさんを見上げれば、彼女は青い顔で唇を引き結んで、じっとなりゆきを見つめている。

「リーチェさん、ガルムさんをとめてください」

 ああまで彼が闘う姿勢をみせなければ、ギィだってきっとあんなにひどくしない。

 そう思ったのに、彼女はゆるゆると首を左右に振った。


 どうして───!

 翠の瞳を潤ませて、見ていて辛いのはわたしなんかより彼女のほうがずっとずっと、それはわかるのに。


「出来ません…ガルムの願いを知っているから」

 声が震えていた。

「あれは、わたくしや、ラシェイルのためです。わたくし達がいるから、目の前であなたを攫うあの方を、黙って見過ごすことができないんだわ」

 よく、意味が飲み込めない。

 わたしとギィは、それだけ彼を怒らせるようなことをしたんだろうか。

 なにも出来ないばかりか、そんな真似をして気付いてなかったのかと、情けなくなって唇をかみしめる。

 リーチェさんはわたしを見下ろすと、眉尻をさげて淡く笑ってみせた。

「いえ…違うのよ。ただの、あの男の我が儘でもあるんですから。意地っ張りな矜持ごと、こてんぱんにやられてしまえばいいんです」


 しようがないと我が子の悪戯を見る母親のような、大事なひとをせつなく見つめる少女のような、暖かい手を求めて泣くこどものような。

 いろんなものがない交ぜになった、複雑な感情すべてをくるんだ微笑み。


 頭の中に、ふとひらめくように浮かび上がったのは、白い機械の背中。その肩越しに見えた、小さな手。

 ガルムさんが、ギィとそっくりだっていうのなら。

 あの子が、わたしと同じだっていうのなら。


 ───庇護の対象であることに変わりはないと思うわ。

 ───何があってもきっと救ってくれるでしょう。


 救いたい、助けだしたい。



 ガルムさんの『願い』



 実現できない、こと。



 わたしたちと一緒に来れば───そういう考えは、思い浮かべてすぐに捨てた。

 それで、ガルムさんは生きていけるのだろうか。リーチェさんは?

 彼らのほかにも、ここに人間はたくさんいるはずだ。小さなラシェイル、あの子たちをここに置いて?

 リーチェさんは、きっと頷くことはない。それをガルムさんもわかっているんだろう。

 彼らの抱える想いと事情は複雑で、わたしには理解しきれそうになかった。


 ただ、悲しいくらい互いを思いやる、ひたむきな気持ちが見えるだけ。




 べき、


 耳を塞ぎたくなるような音をさせて、腕がもぎ取られる。一度で全てを断ち切れずに長く伸びたものが遅れてぶつんと千切れ、ガルムさんの身体がびくりとふるえた。

 ギィはもう一度足の下の人を強く踏みしだく。

 彼は小さく呻くだけで、もう動けそうにない。その様をじっと見下ろし、戦う意思無しと判断したのだろう、ギィは興味が失せたように引きちぎった腕を投げ捨てて、視線を移した。

 わたしのほうへ。


 胸の奥に、冷たく凝って固まるものがある。重たくて、苦しい。

 でも、それを取り除いてしまおうとは、思わなかった。


 ぶるぶる震えて思うように動かない自分の身体を、少しでもギィに近付けたくて、床についた手のひらを這いずるように滑らせる。

 ギィのほうへ。


 ギィはコートの襟に手をかけながら、こちらへ歩いてきた。

 近付くそのヒトに、リーチェさんがびくりと身体を揺らしてじりじりと後退って離れてゆく。

 わたしの前に片膝をつく彼の様子は、これまでとなんにも、変わらない。見えない感情のまま、脱いだそれを被せ、そうして両腕でわたしを抱えあげる。

 じっと息を殺してそれを見つめていた翠の瞳の前から黒い背中が離れていくと、彼女はほっと安堵の色を浮かべた。怯えるのも無理はない。

 彼女の護り手であるひとを、あれだけ傷つけたのだから。


「ガルム!」

 ある程度の距離が開くと、リーチェさんは弾かれたように倒れ伏す人に駆け寄って、その顔を覗き込んだ。

「馬鹿ね、こんな無茶をして…」

 銃を手放して、彼の頭を抱えると膝の上にのせた。痛め付けられた肩口を労わるようにそっと手をそえる。

 血に汚れた彼の頬を細い指先がなぞると、少し痛みがあったのか、ガルムさんは顔をしかめた。

「 ぅ、るせえ。 ───俺は、諦める、つもりは…ねえ、 」

 切れぎれの、掠れた声。

 リーチェさんは視線を落としてニ、三言何かを呟いたようだった。


 もうだいぶ離れてしまって聞こえなかったけれど、膝上のガルムさんの表情で大体予想がついた。

 あの苦い顔は、『いつものお小言』だと思う。

 不満げに何事かを言い返した彼がこっちへ視線を投げたのにつられるように、リーチェさんが顔をあげる。


 こちらを見る彼女の翠の瞳は、やっぱりまっすぐだった。

 ありがとう、ごめんなさい、伝えたいことはたくさんあるけれど、それを口にはできない。彼らの向こう、切り崩されたドアからなだれ込む人達が見える。

 でも伝わればいいと思って、わたしもリーチェの瞳を見つめかえした。


 視線が重なったのは、ほんの一瞬。




 び、ぃぃぃぃぃぃ───!


 すぐ近くで発せられた鼓膜を裂くような音に身体を竦ませた。

 音源を捜して首を捻り、ギィの背中に震える残像を見る。


 ───はね。


 ギィの背中に翅が───


 そのかたちをよく見る前に、コートのフードを深く被せられた。

 がっしりした両腕で強くギィの身体に押し付けられて、ぎゅっと手足を固定される。

 ぐ、と彼が身体を縮めた次の瞬間、叩きつけるような風を感じて、視界があっという間に黒く染まっていってしまった。





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