18 Reproduction:destruction
R15 残酷描写あり タグ付作品です。
苦手な方はブラウザバックをおすすめいたします。
苦しい。
荒い呼吸を繰り返す喉が、焼けつくように痛かった。
一歩進むごとに振動が足先から伝い登って、ぐらぐらする頭を揺さぶる。
気持ちが悪い。
立ち止まって休みたい。
でも、後ろから足音が聞こえてくる。あれはギィじゃない。
とにかく必死で脚を動かした。何度かふらついて壁にぶつかって、すりむいた腕がヒリヒリする。
ひとりで走り出してからはずっと一本道だった。樹幹そのままの歪んだ通路はうねって曲がっていて、振り向いても追いかけてくるヒトの姿は確認できない。
すごく苦しくて、たくさん走ったような気がするけど、たぶん距離は全然稼げていないはず。
ああ、どんどん足音が近付いてくる───!
ばたばたばた、
真後ろ、すぐそこ、
ぱしゅんっ
それが何かを射出する音だとわかったのは、両足に絡みついたその『何か』のせいで転んでしまってからだった。
床に打ちつけたところがびりびりする、足音が───
後ろを振り仰いで、目の前ぜんぶを覆うように広がった5本の指を見た。
恐怖に固まりそうな身体をむりやり捻って、横に転がる。
忌々しそうな舌打ち。ぐるりと回る視界に見えたシルエットは、ティア種の男のヒトのかたちをしていた。
ざりっと一歩こちらに踏み出す音。
這いつくばった床に、わたしに向かって伸びてくる腕の影がうつっている、避けないと───もう一度転がりながら、足に絡んでいるものを手で探った。
「ちょこまかとっ」
腹立たしげな唸り声。
足首に、錘のついた紐みたいなものが巻きついてる、これを取らなくちゃ走れない。
はやく、はやく、はやく、
どくどく脈打つ心臓の音が緊張をさらに煽って、指を動かす邪魔をする。
気ばかり焦って震える指先はちっともいうことをきかなかった。
うまくつかめない、
「クソが!」
ど、とおなかに衝撃があった。
「 っ、あ」
息、が、
蹴られた。
「手間かけさせやがって」
髪の毛を掴まれて、ぐいと上へ引っぱられる。
痛い、いたい───
どうにか痛みを和らげたくて、必死に爪先で立とうとするけれど、ティア種のヒトは背が高い。
わたしの足掻きを楽しむようにギリギリの、床に触れるけれども身体を支えきれない、そういう位置まで吊り上げられた。
ぶちぶちと髪の毛が抜けていく音がする。
捕まってしまった。
言葉で聞いたわけじゃない、でも逃げろって、そう、彼女が告げていたのに、こんなところで。
真っ直ぐな、強い意志が込められた翠の瞳を思い出す。
いやだ、ぜったい、諦めない───!
わたしの髪を掴む腕を両手で掴みかえして、どうにか少しだけ、自分の身体を持ち上げる。同時にできるだけの勢いをつけて下半身を振った。足に絡まる紐の錘が、そのヒトにぶつかるように。
狙いはうまくいったみたいだった。
がつんとぶつかる感触と、小さく呻く声のあとに、解放された身体が床の上に落ちる。はずみで紐がゆるむのがわかって、わたしは急いで足を引き抜いた。
髪を引っぱられた頭、ぶつけた手足、蹴られたおなか、あちこちが痛んだ。でも全部無視する。そんなのにかまっていられない。
わたしは何もできないけど、せめて、ギィがくるまでは、逃げ切ってやる。
しゃがみこんで脛を抱えるそのヒトから這うように離れて、両脚に力を入れた。
立って、走れ。
捻じ曲がった、通路のつきあたり。
そこにあったのは、生暖かい空気の部屋だった。
足元を仄かに照らす間接照明以外にあかりがなくて、薄暗い。
端から端までずらりと置かれた台の上に、一抱えほどのガラスのシリンダーがたくさん並んでいる。
どれも全部、天井から垂れ下がるパイプが何本も繋がっていて、中には液体が満たされているようだ。
天井のパイプを辿っていくと、その先は壁際にある何かの機器や大きなタンクみたいなものに行き着いた。
低く唸るように稼動する機械の音が、いろんなところでふるえている。
誰もいないはずなのに、妙にざわめく気配がするような、居心地の悪い部屋だった。
どこか、隠れる場所はないだろうか。
入ってきた所のほかに、出入り口はなさそうだ。
たぶん、この部屋がガルムさんの言っていた『目標地点』なんだと思うんだけど。ギィがここを目指していたのなら、ここで待っていたほうがいいかもしれない。
乱れた呼吸を落ち着かせようと吸ってはいてを繰り返しながら、近くの壁に寄りかかった。
膝ががくがくして、一度でも折ってしまったらもう立てなくなりそうだ。
しゅん、
ドアが開く音に慌ててふりむく。追いかけてきたのティア種のヒト、が、
あ───!
そのヒトと目が合って、息をのんだ。直後に起こることを想像して。
彼の頭部を鷲掴もうとする、尖った指先の真っ黒な腕が、背後にあったから。
じゅっ
「ぎぃぁあッ!」
肉の焼ける音、髪がぢりぢりと焦げる音、薄暗い空間の中で一瞬青い光が燃え盛るように輝いて、黒い手から炎が噴きだしたのかと錯覚するくらいだった。
もがくティア種のヒトは、あっという間にドアの向こうへ引きずりこまれる。ごき、と鈍く砕ける何かの音と一緒に。
心臓が、すごくどきどきしている。
次にそこからあらわれたのは、黒くて大きな、ヒトだった。
「…、ギィ」
ティア種のヒトじゃない───そのことにほっとする自分に、重苦しいなにかが胸の奥でちいさく固まる。
ギィは一度わたしに顔を向けて、それから部屋全体をぐるりと見回した。
部屋のなかへ、いつもと変わらない悠然さで足を進めた彼の背後で、またドアが開く。
「てめえ、得物なんざ端から必要無えじゃねえか、砂漠じゃ手ェ抜いてやがったな!」
怒鳴り声と一緒にギィの背中に突き付けられる、機械の指先。
ガルムさんだった。
彼はさっき見たときと比べると、白い装甲のあちこちがずいぶん汚れて、傷だらけになっている。
さらにその後ろから、通路へ銃を向けて警戒した様子をみせるリーチェさんがとびこんできた。ここへ来た時のわたしと同じように、肩で荒い息をしながら。
ドアが閉じて通路と遮断されると、彼女は両手に握った銃口をゆるく上向けて、こちらに振り返る。
「───D、列、F列のもの、っ全てに、ミオさんの核を入れられているようです」
苦しげな呼吸を繰りかえしつつ早口にそう言った。
「だとよ。それだけは残すな」
───核、ってどういうこと。
ドアの前に立つガルムさんがぐっと身構える。
それに対して、今度はギィのほうが先に動いた。
一瞬のうちに振り返って床を蹴り、拳を硬く握り締められた腕が、力を溜めるばねのように反らされる。
その大振りな動作にガルムさんがぎょっとして、目を見開くのが見えた。
リーチェさん!
背後に立つ彼女が危ないと、ガルムさんもそう思ったんだろう。さっと彼女の肩を引き寄せて横へ跳ぶ。
目標を失ったギィの攻撃は、後ろにあったドアをかすめてたわませ、床に亀裂を走らせた。部屋全体を揺らすような振動と一緒に。
「っ、てっめ」
逃げた標的へゆっくり向き直るギィを、歪んだ笑みを浮かべた隻眼が睨みつける。リーチェさんを押しやって遠ざけながら、右腕から銀色の刃を滑りださせた。
ガルムさんが踏み出し、頭部を狙って突き出した刃先をギィの腕が弾く。薄暗い闇にぱっと火花が散った。
弾かれた勢いに逆らわず、そのまま回転にのせて繋げた蹴りが、受け身をとる黒の長身を揺らがせる。
生身の人間同士がぶつかるのとはまったく違う、重い音。
薄闇に浮かびあがる白い機械の四肢が次々と繰り出されて、休むことなく追撃を続けていく。
腹部を狙った蹴り、それを両手で受け止めて捻り折ろうとする力を利用して、軸にしていたもう一方の脚、そのかかとがギィの顔面に打ち付けられた。ぐらりと体勢を崩す黒い身体にきらめく刃が振り下ろされる。
金属を引っ掻くような、鳥肌の立つ音がした。
「硬てえんだよてめえ!」
苛立たしげに吐き捨てながら、ガルムさんはさっと身を離す。
真横に薙ぐ黒い爪は標的にかわされて、部屋一杯に並ぶシリンダーをいくつか叩き割った。そこからどっと何かの液体があふれ出し、ふたりともがそれを避けて後ろに下がる。
距離が開いて、互いが様子を窺うようにぴたりと止まると、それにとってかわるように周囲の機器が甲高い警告音を発して騒ぎ出した。
じりっと少し後退って、ガルムさんがシリンダーの間を駆け抜ける。
ギィは、それを追いかけなかった。すぐ側にあったタンクのひとつに手をかけて、パイプをねじ切り、爪を食い込ませて、持ち上げる。
金属がいびつに軋む悲鳴のような高音が、鼓膜を切り裂くようだった。
破損した部分から水蒸気を立ち上らせるそのタンクが、ガルムさんに向かって投げつけられる。たくさんのシリンダーを叩き潰し、割りながら。
垂れ下がるパイプが引きちぎられて、大量の液体が溢れ、ガラスが飛び散る。
めちゃくちゃになっていく。
いくつもの破壊の音と警告音が重なって、痛む頭にひどく反響した。
支えをなくしてぶらりと揺れるパイプの束の先にはりついていたものが、べしゃりと落ちる。
───核。核の入れられた、シリンダー。
なまぬるい、人肌を思い起こさせる気温の空間で、液体を満たした。
闘う彼らふたりを避けて、ぐるりと部屋をまわってきたらしいリーチェさんが駆け寄ってきた。
「リー、チェさん…あれ、は、なんですか…」
わたしが凝視するものにちらりと視線を走らせて、彼女は何でもないという風を装って口を開く。
「培養した人工胎盤です。正確には、胎盤の基底となるもの、ですが」
わたしは自分の口元をおさえた。
それは、なんだ。
そこにあるのは、わたしの一部、それから生まれる、わたしとは別の、いのちなんじゃないのか───
吐き気がひどい。気分がわるい。身体の内側が全部ひっくりかえりそうだ。
全身から力が抜けて、ぺたりとその場に座り込んでしまった。
「気にすることはありません。あそこにあったのは爪の先ほどもない、ただの蛋白質のかけらです」
抑揚のない、リーチェさんの声。
頷くことはできなかった。
きっと成長したら、わたしによく似た『誰か』になるはずだったんだ。
たとえ生まれても、ひどい扱いを受けてたくさん苦しい思いをすることになるんだろう。その一端はここ数日で身に染みた。
でも、それでも。
めぐろうとするいのちのはじまりを、生かさないために壊すなんて───
どれが正しいとか、なにが間違ってるとか、そんなことはわからない。
頭の中をかけめぐり、あふれだしそうなどんな言葉も、口にだしたらすべてがさかさまになって、自分に突き刺さる気がした。
ただ、ひとつだけ、はっきり間違っていたんだとわかるのは。
わたしだ。
わたしの浅はかな考えだ。
これは、わたしが選んだことなんだ。