16 Machinery:former
その音と震動は、同時にやってきた。
とても大きくて、堅いものが破られる、破壊の音。
───ぉぉ ん。
全身を揺さぶられて、どろどろした重たい眠りから放り投げられるように目が覚めた。
頭がずきんと痛む。
その痛みに身じろいだ拍子に、指先がぴくりと動くのを感じた。
触れている、感覚が戻ってる。
まばたきをしたつもりだけれど、視界は真っ暗なままだった。
耳も奥のほうにおかしな圧迫感がある。
動けるようになってはいる、でも状態は最悪みたいだ。
ひとつひとつ、確かめた。
指は。動く。
爪先。曲げられた。
腕、手首におさえつけるものがある。
両脚、二箇所で動きをとどめられている───
ああ、頭が痛い。
自分の眉間がぎゅうっと寄せられているのがわかる。力を抜くことが出来ないぐらい、痛い。
鼓膜に届く音が、頭の中に響いてすごくぐるぐるして、辛かった。
わたしを拘束している機械が揺れるたびに、内臓もぐるぐるとかき混ぜられるような気がした。
気持ちが悪い。吐きそうだ。
どうしてこんな音と揺れがあるんだろう。今までは整然と、乱れなく制御されていたのに。
ど、 ぉぉ ん
まただ。
様子がおかしい、気がする。
この機械の、外の音が響いているんだ。
なぜだろう、ずっと何もかもから遮断されて、音が洩れて聞こえることはなかった。
それなのにこんなに響いて揺れるなんて。
何が起きてるんだろう。
機械から発せられていた『クライン種』のヒトの声が、今は聞こえないのと関係はあるんだろうか。
もどかしかった。
逃げるチャンスかもしれないのに、手足を縫いとめる拘束は緩む隙がない。
「…っう、うー」
めいっぱい、両腕に力を込める。
とにかく、ここから出なくちゃ───
っが、
ぎゅぃい───
突然、真横から、何かが強い力でひしゃげて歪む、悲鳴じみた音がしはじめた。
ぃぃぃい
ぎぎぎ、ぎ
な、に。
ば、ぎんっ
しばらく感じることのなかった風が、前髪をかすめていった。
暗闇が追い払われて、降り注ぐ照明の光に、視界が真っ白に染まる。
なに、が。
よく見えない───
何度かまばたきを繰り返して、目をすがめつつ見上げたそこには、黒い人影があった。
片手に、わたしを閉じ込めていたはずの機械の『蓋』と同じ形のものを掴んでいる。
そのヒトは、それを紙か発泡スチロールでできたものみたいに、重さを一切感じさせない動作で、ぽいと無造作に投げ捨てた。
落ちた先で、ぎゅいががんって、耳を塞ぎたくなるような金属の折れ曲がる音と、重いものが床とぶつかって砕ける音が、振動と一緒に響く。
めまいのせいでふわふわして浮ついたような思考が、いちばん現実味のあるものはどれだろうと、どうでもいいことを考えた。
片手で持てる鋼鉄の蓋?
軽そうなくせに大袈裟な音?
それともピンチの時にタイミングよく現れるヒーローだろうか。
とりあえず、なによりも、そうだったらいいなって思うのは。
「…ギィ」
彼だ。
でも、なんだかちょっと、様子がおかしい。
わたしをじっと見下ろすギィの、黒くて硬そうな身体のあちこちを、青い光が炎のようにゆらめきながらはしっている。以前に見た時と比べると、その速さがずいぶんせわしない印象を受けた。
ぴきん、ぱきん、弾むような金属音が、時折ギィの両腕から響く。
コートの袖はまるで焼き切れたみたいにぼろぼろだ。何かが焦げるような臭いと、うっすらと立ちのぼる煙もその腕に纏っている。
いつもと違うそのさまがなぜなのか、尋ねる前に、答えが目の前で展開された。
ギィの尖った五本の指が、壁際の端末に突きたてられる。柔らかなケーキに簡単に入るナイフみたいに、ずぶりと。見た目だけはなんの抵抗もないように見えたけれど、金属が破られる暴力的な音が耳に痛かった。
ばちんと一度火花が飛んで、ギィの腕の青い光がまるで何かを吸い上げてるみたいに上へ上へ、身体のほうへと激しい移動をみせる。
やがてその流れがゆっくりになって、まばらになって、停止するかと思ったその間際に、もう一度火花が飛んで小さな爆発がおきた。
煤けた臭いと煙をあげる端末は、爆発の名残のように音と光をぱちぱち散らす。
無残に壊れたそれを、ギィの黒い腕がさらに容赦なく握り潰し、引っこ抜いて、拳を叩き込んだ。
彼に触れられた機械の部品が、ぶすぶすと焦げ、泡だって、熔けていく。
ギィの腕、熱くなってるんだ。
だからコートまで焼けちゃってるんだ───
すとんと理解したわたしに、そのギィの腕がのびてくる。
ちょっとぎくっとしたけど、彼は器用に枷だけをつまみあげた。
ギィの指に引っ張られた枷は、ぎしぎし、みしみし、とひどい音を立てて軋み、それでも拘束具としてしっかり造られているのだろう、なかなか外れない。
たぶんわたしに気を遣って、ちまちまとしか力を使えないからだ。彼が本気でやったらすぐに千切れそうなのに。
「…ギィ、」
唇がかさかさに乾いていて、しゃべりにくい。
「平、気、だから、気に、しなくて、い…」
任せきりにするのが申し訳なくて、自分でなんとかできないかと身をよじる。
なんなら、腕の一本や二本、折れたっていい。
身体があげる悲鳴なんかきかなかったことにして、むりやり腕を引き抜こうと力を入れた。
「止めろミオ」
あれ、なんだか普段と比べるとずいぶん早口。
でも久しぶりにギィの声が聞けてうれしい。
たった数日かもしれないけど、すごく長かったように感じてる。
みしみしと嫌なカンジに腕の骨がしなっていく。歯を食いしばってぎゅっと目を閉じた。
もうちょっと───
ぎぎゅるっ、
べきんっ
「ひぁ」
突然揺さぶられて、びっくりした拍子に力を抜いてしまった。
目の前にはギィのがっしりした広い肩と、太い腕。
わたしを捕らえているプレートが斜めにかしいで、床のほうで何かがばきばきと壊れていく音がしている。
彼が、わたしをプレートごと脇に抱えて、その下に繋がる機械の塊にもう一方の腕を突っ込んでいる、らしかった。プレートが邪魔で真下で起きてることが見えない。
ばちばちっと背後で火花がはじける。これは、ちょっと、こわい。
すぐそば、目と鼻の先にあるものに手が届いたら、それだけで安心できる気がするのに。
触れられない。
ばち、ばちん!
「───ぃたっ」
がしゅっ
───あれ。
一瞬、びりっとしたと思ったら、呆気ないくらい簡単に、枷がはずれていた。
うごける…動ける。
こわごわ、腕を曲げる。ずっと同じ姿勢にされていたから、関節がぎしぎし痛んだ。
視界に入った自分の手のひらが、握って、開いて、思い通りに動くのを確認する。
よかった、動ける───
そう思って身体を起こそうとして、でも、できなかった。
めまいがひどい。
忘れていたそれを自覚したら、気分の悪さまで戻ってきてしまった。
ぐるぐるする。
せっかく、すぐ、そこに、ギィがきてくれたのに。
見上げると、ギィもわたしを見下ろしていた。ぱちりと視線が重なった気がして、理由もわからずに泣きたくなる。
ゆるゆる伸ばしたわたしの手が彼に触れる前に、ぐいと引っぱりあげられた。
後ろのほうでプレートががらがらと崩れていく音がする。
彼の腕は、思っていたより熱くなかった。重い頭をギィの肩にもたせかけると、それだけで世界が柔らかく変わっていくように感じる。
ああ───
「どうして、きてくれたんですか」
いつかの時も、こうやって、きてくれた。
「記憶の確認は済んだのだろう」
間近で響く電子的なその声に、こくり、頷いてかえす。
あの機械の中に入れられて、頭の中をひっくり返すように浚われた。
それでわかったのは、わたしが持っていたものはぜんぶ、最初から、わたしのものだったってことだけだ。
「ならばここに用はない」
にべも無くそう言って、ギィは歩き出す。
───それで、いいのかな。
どうしてわたしが『ここ』にいるのかは、わからないままだ。
疑問が浮かび上がるけれど、舞い戻ってきた頭の痛みが、考えることを妨げる。
ただ、ここには、いたくなかった。
ぐずぐずと足踏みをするわたしの思考をよそに、ギィは迷いなく歩を進める。
機械だけの小部屋をでて、グレーの壁の部屋へ。
そこは前に見た時とすっかり様変わりしていて、呆気にとられてしまった。
めちゃくちゃになってる。
粉々に砕かれたパソコンらしき端末と、上から叩き潰されたようにひしゃげたデスクと。
デスクの向こう、床の上に、ヒトの足が転がっている。 …上半身は物陰に隠れていてここからは見えない。
ちらほらと炎が揺らめいているところもある。
部屋で一番荒れているのは、破られた淡いグレーの壁だった。天井近くまでの、人が楽々通れそうな大きな穴が開いている。
壁の厚さは三十センチくらいありそうで、石かコンクリートみたいな灰色の破片があたりにごろごろ転がっていた。
「あーあ。てめえよくもここまで無茶苦茶にしやがったな、派手すぎる。追っ手がかかるのは免れんぞ」
聞き覚えのある声が暗い壁の穴の向こうから近付いてきて、ギィがぴたりと足を止める。
呆れた様子で後ろを振り返りながら歩み寄ってきたのは、ガルムさんだった。