15 Remember
最初はただ、周囲をせわしなく動いてまわる機械の作動音が響くだけだった。
頭のてっぺんから爪先へ。胴体をぐるりと。
かなり大きいものが、それなりの速さで動く気配がするのに、すーっと滑るような、わずかな音しかしない。
真っ暗で何も見えないけれど、わたしを閉じ込めたこの機械は、わたしを調べるために、いろんな角度から見ているんだろう。
特に頭部とおなかのあたりを何度も往復しているみたいだった。
そのうちに一通り調べ終わったのか、ぴたりと音が止んで。
首筋へ指先で突くように何かが押し当てられ、つきんと痛みがはしる。同じような痛みが、腕と脚にもあった。
すぐに、頭が なんだか貧血になった時みたいに ふわふわぐるぐる、 しはじめた。
耳鳴り もしてるきがする─── よ くわからな い。
それからが、
───何処から来た
───どこ って、ええと、 ええと…?
「ミオ」
───今まで何処にいた
───えー と、砂 漠、ザンツ
「仕事、ねえ」
お仕事したいんです
───その前は
───その 前 は … ご じゅうにばんく
「何処から来た」
わたし、家に帰りたいです
───いやだ。
「おかえり」
ただいまー
───その前は
───わ からない
「わたしもー!」
だめ、全然わからなかったよ
「テストどうだった?」
───何処から来た
───来た っていう か、いつのま にか
今日はコンソメのクリーム気分!
「ソースは何がいいの? デミグラス?」
ハーイ
「いいけど、手伝いもしてちょうだいね」
おかーさん、今日の晩ご飯ロールキャベツが食べたい
───ここに
わかった、がんばー
「ごめん、今日日直だからさ、先に行っててー」
───何処から来た
「澪」
───日 本 の お家
うん
「面白かったね」
…うん
「すっごい、泣ける」
ハイ
「…ティッシュ取って」
お姉ちゃんだって
「鼻水きたない」
うん
「DVD借りてきたんだ、一緒に観ようよ」
終わったよー、なあに?
「澪、勉強してる? 課題終わった?」
───日本とは何処だ
「澪」
───わ から ない
「だから足りなかったらだってば!」
持つべきものは友達だねー
「足りなかったら、だからね!」
わ、やったー
「足りなかったら奢るよ!」
お金あったかなあ…
「そそ、期間限定のやつ、今日からなんだって」
アイス?
「澪ー、今日アイス食べて帰ろうよー」
───思い出せ
そっかあ、写真みせてね
「うんすっごく!」
楽しかった?
「よろしい」
ごめんなさい持ちます持ちます
「あ、そんなこというんだー。澪のお土産も入ってるのに、いらないんだー」
やだよ
「荷物持ってよ、澪」
おかえり、お姉ちゃん
「たっだいまぁー」
───いやだ。
「はい」
ハイ
「早く食べちゃいなさい二人とも、遅刻するでしょ」
「澪っ!?」
じじむさー
「ほぅら、お父さんのお墨付き」
「うまいぞ、味噌汁」
「ネバネバは身体にいいの!」
お姉ちゃんだって華の女子大生がなめこのお味噌汁とオクラ納豆ってヒドイ
「ミルクティとご飯とかありえない」
ごはん! しゃけのふりかけで
「ご飯とパン、どっちにするの?」
おはよー
「おはよう、澪」
おもいだすひつようなんてなかった。
おもいだしたくなんてなかった。
「いってらっしゃい、湊、澪」
いってきまーす
「いってきます」
これはわたしの記憶。
何気ない毎日、笑って過ごした日常、あたりまえの日々。
思い出す必要なんてなかったんだ、だってこれこそがほんとうの記憶。
思い出したくなんてなかった、そこに帰れはしないとわかってしまう。
「澪」
───もう三日か、なかなかに強情だな。暗示が強いのか、元々他の記憶がないのか…
───これ以上は中枢神経系を損なう可能性があります
───『人間』の脆さは面倒くさい。認識票を取り付けて一旦休止しろ
───識別番号はどうしますか
───そうだな……零だ。欠けのない完璧な原初の姿を持つ人間。零がふさわしいだろう
───では00-001で打ち込みます
「澪」
ど、と首の裏、うなじに小さな衝撃があった。
「っう、」
痛くはない。麻痺した感覚では、何かがそこで蠢いているのがかろうじてわかる程度だ。
がりがりと骨が音をたてるのを、身体の中から聞いた。
奇妙な異物感だけがそこに残されて、不快だった。
───卵胞形成はどうなっている。可能な限り多数の、質の良い成熟卵が必要だ
───今は黄体期にあるようです。調整はしていますが、少し時間がかかります
剥き出しの脚に何かがぐっと押し当てられた。皮膚の下を進む感触にびくりと強張る。
痛みはないけれど、直接体内に未知のものを入れられるのは、何度繰り返されても慣れることはない。
不安で、怖くて、嫌だった。
───経過を観察しておけ。採取までは任せる
なに。
せいじゅく、らん。取り出して、なにを、するの───
理解が先に至るのと同時に、どっと心臓が跳ねるように脈打ちだした。
どうやって、と考えるとぞっとする。きもちがわるい。こわい。
でも、なによりも、一番強く胸のうちを駆け巡るのは、怒りだった。
わたしのこどもになにをするつもりなの。
それは許せない。
それを許してはいけない、絶対に。
───どうした
「っふ、ぅ」
ここから出なくちゃ。はやく。
───特定神経伝達物質による活性化、過負荷が大きすぎますね
めいっぱい力を入れても、麻痺した身体の感覚はまったくいうことをきかなかった。
指一本も動かせない。
───大人しくさせておけ
このままじゃ駄目だ、そう思うのに、わたしは動けない。
なんて無力なんだろう。
なんて役立たず。
首筋にまた、何かが押し当てられた。
気持ちが萎んでいくのに比例して、あやふやな意識も小さくなっていく。
結局わたしは、自分ひとりじゃ何もできない─── …ギィに、助けてもらってばかり。
ふわふわぐるぐる、めまいに似たそれが、固めようとした意思を端から包んで隠していく。
逃げなくちゃ、いけないのに。
身体が重い。
ここはいやだ。
いやだよ… ギィ ───